災害現場の救助映像をTVニュースでよくみる。救助に当たっている人たちの現場でのご苦労は痛いほどわかるし、ありがたいことである。被災者に心肺蘇生をおこなわず、ブルーシートで覆って収容、搬送している映像をみると「ああ、ダメだったんだな」と残念に思うが、それはそれでやむをえないことである。しかしその状況の解説に「心肺停止の状態で発見され・・・」などとマスメディアの注釈が付けられると極めて違和感を覚えるのである。心肺蘇生講習で今まで「心肺停止の場合はすぐに心肺蘇生を開始しないと助かりません」と市民への救命意識の向上に努めてきたにもかかわらず、あの心肺停止なのに心肺蘇生をしないで搬送している映像が流されると、「え? 心肺停止で何もしなくても助かるの?」と誤解される可能性がある。災害現場の救助スタッフの努力及び市民に心肺蘇生を普及させている人たちの努力を無にするようなマスメディアの表現は改めるべきと思うのである。マスメディアにおける「心肺停止」という言葉の使用法は誤っている。今後なお一層検討する余地がある。<o:p></o:p>
いつも興味深く拝見させていただいております。
マスコミの『心肺停止』の使用方法について考える良い機会となりました。
『心肺停止』については警察や消防がマスコミに対してそのように発表しているからではないでしょうか?。法的な死亡は医師しか判断できないため、『死亡』という言葉と使い分けているのだと思います。
『心肺停止』以外でどのような言葉が適切なのかなかなか思いつかないのですが、『死亡疑い』といった言葉は問題あるでしょうか?
さて、おっしゃるように医師法では「医師以外の者が死亡確認をしてはならない」と規定されておりますが、しかし現実には「社会死」として医師以外の職種のものが死亡確認しております。しかしご存知のように心肺停止という言葉が「我々は死亡確認してませんよ」という「隠れ蓑」に使用されているようです。実際は心肺蘇生講習を受けた市民なら「あれCPRしないで搬送しても助かるの?」という疑問が出てきているはずです。マスメディアの誤用でこの言葉が誤った方向にすすんでいるのが残念です。あらためるか、あるいは新しい用語を用いるべきと思われます。例えば「死亡疑い」でも「反応がない状態」でもいいのでは?
そうですね。現場では『社会死』として確認することがあります。『心肺蘇生』が先生のおっしゃる通り「隠れ蓑」的に使用されてる感じがします。誤用されないように、自分たちもマスコミへの公表には配慮しなければなりません。