それにしても大昔の大学祭のパンフと、現代のネットというメディアの比較であるが、そもそもこれら二つは比較の対象にならないのかもしれない。利用者数は比べものにならないくらい後者のほうが多いのである。ところが大学祭のパンフでは対象が小さなコミュニティではあるが、ここでは責任が重く問われ、かたや不特定多数のユーザーをもつネット・メディアでは無責任でよいという論理は成り立たない。やはりネットでもどこかで責任が追及できるようなシステムを作る必要があろう。今回のベビーシッター事件では、まったく見ず知らずの相手に自分の子供を委ねるのである。ここの出口をちょっと変えるだけで簡単に営利誘拐などの犯罪にも応用することができる。これからもネット・メディアに関する事件は起こるであろう。当時の生協の店長であればネットというメディアにおいて、その責任の所在をどう考えるのか聞いてみたいものである。何十年も前の話ではあるが、社会を知らないお調子者の自分に痛い刷り込みとモヤモヤを残したのであるから、それを晴らしてくれるような爽やかな論調を期待したいのである。