ところが日本でも徐々に医療訴訟が増加して、ありとあらゆることにまで説明と同意が求められる時代になり、日本も当時の米国よりも分厚い説明書の厚さになっている。医療とはもともと不確定であり予測不可能な場面も多いのである。確定的な結果を求める患者側とは今後も溝が埋まることはない。説明が必要であることは論を待たないが、納得いくまで説明して治療の選択肢からようやく患者さんの意思決定が出るころにはすでに手遅れになっている場合もある。過去自分がずっとやってきた大学での救急医療では、それでも同意書をとるべきという病院側の提示に断固反対した思い出がある。まあもっとも日本で「同意書」というのはその処置や検査や手術の施行を同意しただけなのであって、患者さんが最悪の結果に同意したというものではない。したがって事後に起こった転帰を免罪するものではないのであるから、説明を十分にして説明書をわたすのみで同意書にサインまでしてもらう必要はないと思うのだ。もしも「説明を聞きましたよ」ということの証明としてのサインであるなら「同意書」などという呼称はやめてほしい。