タッカの夢 ~VOICE~ 2013

シンガーソングライター タッカ の夢路日記
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アンダンテ最終記事 7月22日北海道新聞 夕刊 「まど」の欄  タッカの夢

2011-11-29 17:36:57 | Weblog
朝、起きてブログをチェックしていてビックリ!!
中途半端な、僕の記事がアップされている
時間をおいて考えると・・・なるほどミチエだな
ミチエが気をきかせてくれてアップしてくれたのがわかった。
昨夜、最終記事を書いて中途半端に残していたのがその理由

と、いう事で、この最終記事で使おうとしていた道新記事が前記事にすでにアップされています。
いんです。いんです。
改めてお伝えするだけです。

実は、荷物を整理していたら、取っておいていた、7月22日の北海道新聞を見つけたのです。
新聞をひらき改めて記事を読んで気づいたんです。

そして、アンダンテそれぞれの思いで・・・を閉じようと思ったのです。

なぜ、改めて新聞記事を読んでそう思ったのか・・・

この記事のタイトルにも書きましたが
この新聞記事にはタイトルがあるのです。

「タッカの夢」

タッカの夢と、記者の酒井さんはタイトルにして記事を書き進めたんだ。

この記事に仕上がるまで、実に2ヶ月の時間を道新記者の酒井さんは要している。
要は、2ヶ月、僕と、酒井さんは語り合ったという事です。

いや、2ヶ月も、酒井さんは私の話を聴いたんだ・・・。

その時間を経てのこの記事タイトル「タッカの夢」

当時、このタイトルに僕は、反応していなかった、「タッカの夢」にね。

今、改めてこのタイトルを通して、この記事を読むと・・・うん。

僕の未来がはっきりと見えたんだ。

「タッカの夢」

いわゆる「夢」

この酒井さんの記事で僕の夢に対する定義が変わったんだ

「夢」

夢って手が届く

夢って描ける

夢って語れる

夢って実現に向かって進んでいることなんだ

夢?

うん

夢って声に出来る(VOICE)

夢に向かっているのだから、こうして留まっていないよ。

道新の記者酒井さんのおかげで
酒井さんのこの記事のおかげで僕は夢を理解する事ができたんだ

皆さん、ここまで僕のアンダンテでの最期の記事を読んで「夢」理解出来た人いるかな・・・

難しい人もいるよね
反論する人もいるよね

いんだよ。
非難して、反論して

だって夢の定義なんて人それぞれだもの

でも、でも

僕の、夢の気づきを聴いて

夢・・・

夢・・・

「あなたの夢は何ですか?」

僕は、難聴。近く聴力を失うんだ。

そんなの、わかってる

僕は、人に「お前はつんぼだ」と言われてきたよ

「あなたの夢は何ですか?」

僕は、君の声が聴こえなくなる。

そんなの、わかってる

「補聴器をしろ」そう、人に指示をされた

「あなたの夢は何ですか?」

酒井さんありがとう。本当に、ありがとう。

僕を記事にしてくれてありがとう

僕に、僕に

僕に

夢を見せてくれてありがとう

僕に夢を理解させてくれてありがとう。


「タッカの夢」

この新聞記事のタイトルです。

「タッカの夢」

僕は、僕自身の耳が正常に聴こえる事を望んでいません
耳が聴こえるようになりますようになんて思えません

くやしくて、そんな事思えません

僕は、難聴のままでいいんです
このまま失聴の道を歩きます

僕の夢は・・・

僕の夢は・・・

VOICE



ヴォイス



僕の夢は僕自身・・・今の僕なんだ!

さて、アンダンテ

アンダンテ

それぞれの思いで・・・

今日までお付き合いありがとうございました。

本当にありがとうございました。

最期に、北海道新聞 記者 酒井聡平さんが書いてくれた記事をしっかりと読んで下さい。
そして

そして、次なる、わたし(タッカ)に、これからもお付き合い下さい。

約一年間のアンダンテにお付き合いくださりありがとうございました。

では、下記の道新記事「どうぞ」



函館にある障害者の作業所で働いていたタッカが、札幌市内の農園で農業修業を始めて7月で8カ月がたつ。

「障害者も働ける農園を開きたい」。

その志を胸に畑や鶏舎で汗を流す毎日だ。

 作業所利用者や仲間から、タッカの愛称で親しまれてきた高島啓之さん(42)。

記憶障害などが起こる高次脳機能障害者の作業所で、3年間就労支援などを行ってきた。

そこで感じたのは、障害者の多くが働く意欲がありながら、就労先が限られてしまう実態。

 「受け入れ先がないなら作ればいい」。

昨年2月、農園開業を決意し作業所を退職。

一から農業を学ぶため、農園に住み込み、朝6時に起きて100㌔ほどの養鶏用の飼料を作って運ぶ。

畑の種まきや水やり、鶏舎の掃除もこなす。

40歳を過ぎてからの挑戦。

月給は作業所時代の3分の1ほど。

妻と子供は函館に残し、資金をためながら技術を学ぶ日々が続く。
 

 農園は開業場所も時期も未定だが名前だけは決めてある。

「ユメこえ農園」。

夢を語り合う声に満ちた場所にしたいからだ。

この数カ月で体重は5㌔落ちたが「志だけは寸分も変わってない」。

引き締まった表情で力強く語った。(酒井聡平)

以上道新記事より全文章完全掲載!

みなさん。アンダンテにお付き合いくださりありがとうございました。

みなさん

愛してる

大好きだよ

今日までありがとう。本当にありがとう

これからも・・・

・・・・

・・・・

・・・・


新聞の記事・・・いきなりふっとでてきた。

2011-11-29 00:57:56 | Weblog
函館にある障害者の作業所で働いていたタッカが、札幌市内の農園で農業修業を始めて7月で8カ月がたつ。

「障害者も働ける農園を開きたい」。

その志を胸に畑や鶏舎で汗を流す毎日だ。

 作業所利用者や仲間から、タッカの愛称で親しまれてきた高島啓之さん(42)。

記憶障害などが起こる高次脳機能障害者の作業所で、3年間就労支援などを行ってきた。

そこで感じたのは、障害者の多くが働く意欲がありながら、就労先が限られてしまう実態。

 「受け入れ先がないなら作ればいい」。

昨年2月、農園開業を決意し作業所を退職。

一から農業を学ぶため、農園に住み込み、朝6時に起きて100㌔ほどの養鶏用の飼料を作って運ぶ。

畑の種まきや水やり、鶏舎の掃除もこなす。

40歳を過ぎてからの挑戦。

月給は作業所時代の3分の1ほど。

妻と子供は函館に残し、資金をためながら技術を学ぶ日々が続く。
 

 農園は開業場所も時期も未定だが名前だけは決めてある。

「ユメこえ農園」。

夢を語り合う声に満ちた場所にしたいからだ。

この数カ月で体重は5㌔落ちたが「志だけは寸分も変わってない」。

引き締まった表情で力強く語った。(酒井聡平)