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タッカの夢 ~VOICE~ 2013

シンガーソングライター タッカ の夢路日記
ユメこえショップ オーナーの日記
ユメこえ農園 オーナーの日記

「ポケットの中の虹」⑨

2008-11-16 15:19:22 | ポケットの中の虹
最後に、奥井さんは、2月に職場復帰を果たす事が出来ました。とても、大きな自信につながりました。ご両親の安心にもつながりました。一歩、一歩ステップを上がっています。そして、一つ目標を掲げました。
「りぼんは、今年中に札幌ライブを実現させます。」
奥井さんが、本来いるべき場所。戻らなくてはいけない場所。昔の仲間みんなが待っている場所。札幌。私は、障害のある奥井さんとともに歩んできました。しかし、そんな奥井さんから、生きがい、希望、夢、ときめきをたくさんもらっています。札幌での復活ライブのとなりで、歌う事が出来る事を、奥井さんに、今から感謝の気持ちを伝えます。
「ありがとう。これからもよろしくお願いします。」
つい、先日、奥井さんから届いたばかりの詩があります、今までで、もっとも、前向きで希望に満ち溢れた詩。そして、元気で明るい曲がつきました。

「この、曲を子供達に捧げます。聴いて下さい。未来の花。」
  その世界はまだ 小さなものだけど
  幼き手に 握り締めた
  果てのない 夢の大きさ
  どんな色にでも 咲く花を持って
  君が生きる未来に咲かせて下さい
  果てしない空の向こうを想い
  見えない翼を背中に着けて
  さあ ゆっくりと羽ばたけ
  風を見つけたら恐くないよ 大丈夫

「今日、このライブに足を運んでくれた、みなさん、本当にありがとうございます。これからも、りぼんを応援して下さい。」

「ポケットの中の虹」⑧

2008-11-16 15:18:11 | ポケットの中の虹
奥井さんは、ある新聞の取材で、こう応えました。
「障害が残っていろんなことができなくなり、下を向いていた毎日に、音楽が光を与えてくれた。」
奥井さんは、この一年で大きく変わった。もちろん、私も変わりました。りぼんの音楽は成長しました。今度は、りぼんの音楽という芸術を福祉に戻していきたいと思っています。
「芸術福祉」の実践。
今、りぼんの周りでも頑張っている人がいっぱいいます。そんな人々との出会いも音楽を通じて、増えてきました「自立の風かんばす」代表Yさんがその一人です。重い障害を抱えながら地域の中で暮らしているYさん。名刺交換をしてその名刺の裏にYさんの書いた詩がありました。
「塔」
一つ一つ 重ねていく積木
想いを育んでいくように
どこか アンバランス
優しく そっと そっと 乗せていく
崩れないように
呼吸さえままならず
一つ一つの シンメトリー
あるのは想いだけ 聴こえるのは
積み重なる音と 指の振動
大事にそっと そっと育んでいく
シンメトリー アシンメトリー
想いの幅だけ 伸びていく積木
実は、この詩にりぼんが曲をつけて、ライブで演奏をすることになりました。りぼんのライブを見にきてくれる人たちに、「自立の風 かんばす」Yさんの思いや願いを伝える事が出来ます。何て素晴らしい事でしょう。「芸術福祉」の実践を二人でがんばって行きます。

「ポケットの中の虹」⑦

2008-11-16 15:16:48 | ポケットの中の虹
りぼんの音楽活動を始めてから、間もなく気付いた事があります。りぼんでは障害者や支援者という立場の違いは、りぼんの音楽活動にはほとんど存在していないという事です。フィフティーフィフティーの関係になっていました。そして、奥井さんは言います。
「俺達二人二脚だから。」
初舞台から一年後の今、まさに、そんな関係がより、強く実現されています。
一年間の活動の実績は確実に積み重なっています。音楽以外では、障害を抱えた奥井さんを今でも気遣い、支援をしています。しかし、りぼんの枠の中では、それがほとんど無い事に気付いたのです。
そして、今考える事は、これからの、りぼんの音楽活動の意味。役割。目的を考えるようになっていました。演奏の回数を重ねれば重ねるほど、それを強く考えるようになって行きました。音楽は芸術、奥井さんが詩を書いて、私が作曲してというスタイルで曲を作り貯め積極的なライブ活動を展開してきました。芸術を実践し積み重ねてきたなと思います。

音楽で奥井さんとつながり、音楽で奥井さんを勇気付け。音楽を通し、奥井さんの辛い状況、頑張りをライブで伝えてきた。奥井さんと出会い音楽活動を再開する事が出来るようになり、私は奥井さんから、再び歌う事の生きがいをもらった。りぼん音楽活動一周年を迎え、二人で作り上げてきた芸術の上に出来た言葉が私の心の中に光り輝く希望となって存在しています。その言葉は。
「芸術福祉。」
りぼんは、私の奥井さんに対する支援の心から生まれた芸術です。りぼんの音楽がしっかりとした形になってきた今。人を感動させる事が出来るようになってきた今。芸術を通して福祉を見るようにしています。それは、りぼんの音楽の自信の現れでもあると思うのですが、りぼんの芸術を通し、交通事故の恐ろしさや、命の大切さを願い伝えています。2005年6月のあの大きな交通事故で、奥井さんの命が、この地上に命を結びつける事が出来なかったら、りぼんの存在はなかった。


「ポケットの中の虹」⑥

2008-11-16 15:15:46 | ポケットの中の虹
奥井さんと、音楽の舞台に向かって、ともに歩んでいく事は、私にとっても、夢の実現の舞台となりました。りぼんの初ライブ、初舞台は2007年7月7日「大黒通り七夕まつり」でした。
「まだ、早いのでは。無理じゃないか。」
そんな、周りの声もありましたが、奥井さんと、私の気持ちを大切に、ライブのお話しを大切に、受けました。
「やってみよう。」
私としては、早く、奥井さんの心の底から湧き出してくる、詩の世界を、人々に聴いてほしかったのです。
 今から1年前の初ライブ「大黒通り七夕まつり」を振り返ります。午後7時薄暗くなった会場。奥井さんはブルースハープ、詩の朗読を担当。私は、ギター、歌を担当。曲はこの日の為に作った「コロポックル」演奏が始まる。私のギターがイントロを刻む。奥井さんは隣で、不安そうにハープの入るタイミングを迷っている。私は、奥井さんの耳に近づき、小さな声で、今取る行動を伝える。
「ハープ。」
奥井さんは、ハープを吹き始める。そして、また次の行動を伝える。
「読む。」
奥井さんは、ハープを止めマイクに向かい、詩を読み始める。読み終わると同時に、私の歌が入ります。一番を歌い終わると間奏に入る。次の行動を耳元で伝えます。
「ハープ。」
この日、交通事故後、奥井さんの音楽活動が再開された記念すべき日となりました。奥井さんは、自分の言葉で。交通事故に遭った事。そして、りぼんに込めた想いを、会場に来て下さった方たちに、しっかりと伝えました。隣にいる私が、心の中で。
「やった。」
自分を褒めた瞬間でもありました。
 奥井さんとの出会いから、共に舞台に上がる目標は、3ヶ月で実現させる事が出来ました。それは、二人が、強く求めたからだと思います。奥井さんと出会うまでは、音楽活動を全く諦めていた私。もう二度とやる事もないだろうと思っていました。私は、奥井さんから音楽活動のプレゼントをもらったのです。


「ポケットの中の虹」⑤

2008-11-16 15:14:35 | ポケットの中の虹
二日後、奥井さんが作業所に来た時に、この曲を録音したMDを渡しました。後日、奥井さんとご両親が、この曲に感動の言葉をくれました。
「ありがとう。」
では、次の目標は何を立てよう、と考えていたところ今度は、奥井さんの方から提案がありました。
「二人で、音楽をやらないか。僕は歌も、うたえなくなったし、ギターも弾けなくなったけど、ハーモニカなら出来ると思う。」
そして、メモ用紙に文字を書き始めました。りぼん。
「バンドの名前、りぼん。どうだろう。りぼんは、プレゼントに結ぶリボンであったりするんだ。人と人とを結びつけたり。心と心を結びつけたり。リボンのような音楽活動が出来たらいいなと思う。そして、もうひとつ意味がある。英語でre born(リ・ボーン)とも呼べる。再び生まれる。僕は、ここから、生まれ変わる。また音楽を始めたい。」
 正直、一緒に舞台に立つ事が支援ではなくなってしまうのではないかと、迷いを抱いていました。しかし、奥井さんとの関わりの流れで、後戻り出来ない状態でもありましたし、私個人は奥井さんとの音楽活動を強く求めていました。やはり、何よりも奥井さんを音楽という舞台に上げる為には、この階段を一緒に、共に上がっていかなければならないとも考えていました。
 2007年4月、奥井さんと出会って、一週間で「りぼん」を結成していました。


「ポケットの中の虹」④

2008-11-16 15:13:21 | ポケットの中の虹
そして、もう一つ心に捉えながら活動していた事があります。私がお世話になっている、医療ソーシャルワーカーである恩師の言葉、「支援するとは、その方を、再び舞台に上げる事だ。」
奥井さんに対しても、音楽をキーワードにして、どんな事が希望につながり、舞台に上げる事が出来るのだろうかと、考えていました。情報としてもらっていた障害を抱える以前の奥井さんは、どのような人間像だったのだろうか。音楽が大好き。バンドをやっていてギターリスト。作詞作曲をしていたという事です。そして、障害を抱えてからは、ギターも思うように弾けなくなり諦めている。現実を嘆き悲しむ想いや、想い出の欠片のような詩を書き溜めている。
 私は自分の出来る音楽で、奥井さんの欠けている部分を私が補い、再び音楽に希望を感じさせる事が出来るかもしれないと願ったのです。それが、奥井さんに対して想い描いた支援内容でした。音楽を舞台と設定したのです。
 そして、作曲活動に入りました。奥井さんから、受け取った詩の中で、「ポケットの中の虹」に心が引き裂かれました。今でもはっきりと心に残っています。
  ポケットの中はいつも
  虹の欠片を詰め込んでいた
  誰にもわからない
  宝物で いっぱい
  心配だから
  いつも手をつないでいたんだ
  何のあてもなく
  だだ明日ばかりを
  信じていた
  二人で寄り添う事で
  全てのもの見ようとしていた
  見える気がした
 曲をつけていて、涙が止まりませんでした。奥井さんの、絶望感が詩を通して伝わってきて、それと同時に、やさしさも伝わってきたのです。今、振り返ると、私は、この時から、支援するという枠を、もう超えてしまっていたのかもしれません。


「ポケットの中の虹」③

2008-11-16 15:11:00 | ポケットの中の虹
奥井さんは色々な障害を抱えていました、左半身に軽い麻痺。左側にある物の認識が上手に出来ません。感情のコントロールが出来ず泣き出してしまいます。場所の認識が出来ず道に迷います。とっさの判断が出来ません。外見からは、わかり辛い障害をいくつも抱えていました。

私は、奥井さんとコミュニケーションをとる為の情報を、会の代表からいくつか教えてもらいました。札幌では音楽をやっていた事。詩や文章を書いて、会の広報誌に載せている事などを教えてもらいました。
「奥井さん、詩を書いていると、代表から、聞いていたのですが、今度、見せてもらえませんか。札幌でバンドもやっていたと聴いたんです。実は私も、遠い昔に、バンドをやっていたんですよ。」
私は、奥井さんに話しかけました。奥井さんは、すぐに笑顔で質問に応えてくれて、話しは弾み、打ち解けあう事が出来ました。
「これ、過去の栄光。」
奥井さんは、自分のやってきた音楽、100パーセントだった頃の証となる名刺代わりのCDを、私にくれました。そして、次に会った時には、約束してくれた詩を、何篇か、私にくれました。
「奥井さん、この詩に、私が曲をつけてみてもいいですか。」
「ただ、言葉を並べただけの詩だよ。字数も合わないよ。うん、いいよ。言葉、適当に直してもいいから。」
 驚いたような表情ではありましたが、了解してくれました。何故、私がその様な提案を出したのか。理由は、作業所で次に奥井さんと会う目的が欲しかったのです。自分自身にとっても、奥井さんにとっても、一段一段、階段を登るような、目標がほしかったのです。「次に会う時は、この詩に曲がついているんだな。」
「次に会う時までに、この詩に曲をつけて奥井さんに渡したい。」そんな目標を奥井さんにも持って欲しかったし、私も、そんな目標を持って奥井さんと係わりたかった。今想うと私も、音楽をやっていたので、そんな思いがスムーズに行えたのでしょう。


「ポケットの中の虹」②

2008-11-16 15:06:27 | ポケットの中の虹
ここからは、奥井直実さんとの出会いから現在まで。そして、1年4ヶ月の活動で手にする事が出来た光と、これからの二人の希望と夢についても書いていきたいと思います。

奥井さんは2005年6月、札幌で通勤途中の道でコンクリート柱に運転席側から激突、恐らく居眠り運転です。事故前後の記憶は全く残ってはいません。右側の脳挫傷、肺を損傷、大量の出血もあり、死が迫る状況でした。しかし、奥井さんの命は、この地上に命を繋ぎ止める事を願い、それを実現させる事が出来ました。しかし、体のあらゆる機能は低下してしまっていました。ご両親も付き添いながら一年間のリハビリを頑張りました。しかし障害は、予想以上に重たく、札幌での社会復帰は不可能な状態でした。そして、札幌での全ての基盤と実績を諦めて、奥井さんは実家のある函館に戻って来る事となったのです。

私は、事故から、約2年後の奥井さんと、出会いました。重い障害を抱えた奥井さんと初めて出会いました。交通事故を起こす事がなければ、出会う事のない、私と奥井さんの出会いです。
 私も、以前、完全な居眠り運転で対向車線に突っ込んで行った経験があります。偶然にも切り下がっていた歩道をつき抜け、そこだけ広くなっている敷地に、本当に幸いな事に、何事もなかったかのように車が停止しました。奥井さんは、私の背中合わせの現実でもありました。

「ポケットの中の虹」①

2008-11-16 15:00:58 | ポケットの中の虹
「今日もいいライブだったね。いつもの事だけど、ありがとう。」
「何を言っているの。僕の方こそ、ありがとうなんだよ。」
「僕達の未来に、たくさんの花を咲かせたい。」
「もちろんだよ。まだまだ行くよ。」

2005年6月、車を運転中に事故に遭い1年間に及ぶ入院生活を経て20年ぶりに札幌から函館に帰郷。この交通事故から、高次脳機能障害を抱える事になった奥井直実さんと出会ったのは、2007年4月の事でした。
出会った場所は、脳外傷友の会コロポックル道南支部。ここは交通事故や脳に関する病気(脳出血・脳梗塞など)で高次脳機能障害を抱える事となった当事者の家族達が手を取り合った家族の会です。私は、この会の理事から紹介を頂き、やはり、2007年4月から、コロポックル道南支部でボランティア活動を始めたばかりでした。
 私は現在、指導員として、様々な悩みを抱える当事者、家族と関わっています。そして地域の中で、まだ何の支援も受けられず、自分たちだけで悩みを抱えている家族に対しコロポックルの存在を、知ってもらう活動を、展開しています。