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タッカの夢 ~VOICE~ 2013

シンガーソングライター タッカ の夢路日記
ユメこえショップ オーナーの日記
ユメこえ農園 オーナーの日記

よく泣く、これも戦いです 高次脳機能障害

2009-09-17 20:16:39 | 高次脳機能障害と向き合う なみ
高次脳機能障害に、なってから感情のコントロールがうまくできなくなった
よく泣く
他人と話すとき、映画を見てるとき、本を読んでいるとき、
大接戦のスポーツの試合を見て、
何、とは言えないが、こみあげてきてしまうのである
人前で、自分の体験を話すときも苦しかった自分を思い、
話せなくなる
一度、話しながら大泣きしたことがある
それからしばらくして、ある女性がぼくに
ハンカチと手紙をくれた手紙には「なみさんは泣き虫だから・・・」
と、書いていた
そのハンカチは今もライヴのときには必ず持って行く
愛用しています
何度か涙も拭いた
この、泣き癖は、治らないが最近はうまくつきあえるようになってきたかな?
あ、もらい泣きもよくしちゃいます
よく泣いたな(笑)
知ってる?
涙っていくら泣いても涸れないんだよどんどんでてくる
嬉しいこと、哀しいこと、寂しいこと、心のちょっとした揺らぎに
泣いちゃいます多感と言えば聞こえは良いのだが(笑)

忘れそうだった

2009-09-08 11:44:34 | 高次脳機能障害と向き合う なみ
近頃急にこのままではいけないと思い始めた
慣れてしまっているのである、環境に、状況に、
自分の障害に・・
初めのころはもっといろいろなことに神経を使っていたはずだった
自分の中でたくさんの規律やルールを課して
それを守ることに多くを費やしてきた
が、このごろぬるいのである、自分を甘やかせている
もっともっと進めるはずだ
ここにきて、もう一度 自分との対話、見つめなおすことが必要に
なってきているのだろうか
抜け出すこと、壁を越えることに力を注いでいた
失意の底にいた4年前、道に迷い、自分を見失い、もがきながら
ころげるように歩いてきた
たっかとの出会いで全てが魔法のように反転した・・・
夜が、朝に、なるように・・・
心地よい場所を見つけてたくさんのこと
忘れそうになったそして、今、やっと思い出したんだ
ここは、ゴールじゃない・・・
まだ、終わっていない・・・・

高次脳機能障害と戦え!

2009-07-20 20:44:43 | 高次脳機能障害と向き合う なみ
頭の中に日常地図が描けない
だから道に迷う
今来た道を戻れなかったりする
記銘力が低い、左視野の失認もある
だから出かけるときには付き添いがいてほしい
今はもう 独りで出かけたりも少しはできるようになった
でも、それにつきまとうのは、異常なほどの
不安感と、緊張感、自分の意思ではどうしようもない
脳の疲労と緊張これが長時間続くと貧血、めまい、
・・最悪時には意識消失・・つまり・・気絶である
これはリハビリや訓練で改善されるものではない
悔しい・・こんな身体になってしまって
ぼくが出かけるときには常人には理解しがたいであろう
こんな爆弾を常に抱えている
だから、独りでライブの会場なんかに向かうときは
普通には想像し得ないほどの精神的な疲労と緊張を伴い
いつも顔色を青くしたぼくがバスに揺られているのです

糸が切れる

2009-06-26 11:27:40 | 高次脳機能障害と向き合う なみ
誰にも話したことのない挿話をひとつ
退院して函館に帰ってきたぼくは
精神的にかなりまいっていた
事故により身の回りの物を全て失い
長く暮らした街を離れギターすら弾けなく
なっていることにも気づき
ショックで希望なんてなかった
独りで自由に出歩かせてももらえなかった
確かにその当時のぼくはまともに独りで
外を歩かせられる状態ではなかった
高次脳機能障害のせいで、道が覚えられない
左半側空間無視 注意障害、失認
ひどいものだったそのころ
携帯電話は持っていなく、友人との
連絡手段は専ら手紙だった
もちろんパソコンも無い
コミュニケーション手段が
限られ
まるで
自分独りだけが
世界の果てに
取り残されたように
感じていた
友達はいない・・自由がない
淋しかったんだと思う
ある日テレホンカードを(笑)手に入れたぼくは
離れた街に残してきたガールフレンドに電話
してみたんだ幸い函館にはまだ電話ボックスが
普通にあった 番号を押し、
呼び出し音が鳴る
この時点で心臓は最高潮だった
プルルル、出た[namiだよ」と ぼく
忘れるはずのない懐かしい声が
電話の向こうで「なみちゃん?」
その瞬間に張りつめすぎていた
感情の糸が切れた
ぼくは 気がつくと
「うえ~ん」と (ほんとに言った)(笑)
子供のようにしゃくりあげてしまった
よっぽど気持が張り詰めていたんだろう
まだ たっかに出会う前の話
この日から自分を見つめなおすようになった
いろいろあったな・・そういえば・・
まだまだあるよ 聞きたい?(笑)

高次脳機能障害と戦っているきみへ

2009-06-25 21:50:52 | 高次脳機能障害と向き合う なみ
だいじょうぶ
ぼくも始めは絶望感を
払うことができなかったり
自分が生きていることの幸福よりも
障害を抱えてしまったこと
その不運(そんな問題ではないのだが)
を考えてばかりで自分を見失っていたんだ
いつの頃からか ぼくはしっかりと
自分自身と向き合って対話するようになった
自分ができること、できないことを
ひとつづつ確かめ、受け入れ、
残された希望が一つづつすり減ってゆくような
毎日にさよならしようとした
そこまでくれば あとは できることを増やせばよいのだ
ゆっくりゆっくり少しづつ積み重ねてきた
人間どうなっても努力で補える部分は
たくさんあるのだ 道を覚えて、目的までの
計画を組み立てるできる、できるぞ
ぼくは幸運にも音楽活動がその原動力になってくれた
今だって不安はたくさんある
でも、前に進むことは忘れない
一歩づつゆっくりだけど 偉そうなことは言えないけれど
自分が通ってきた道のことなら
まるで地図をひろげるようにみせてあげられるよ
だからなんでも訊いてよ

高次脳機能障害と戦った日

2009-06-21 13:42:40 | 高次脳機能障害と向き合う なみ
あなたは 高次脳機能障害です と医者に言われた時には
なんのことかよくわからなかった
障害の自覚は皆無だった
症例としてこういうことができないんですよ
とかどういった不具合があるかを
説明されても
そんなはずはないと思っていた
今思えば兆候はあった
病院の中で迷うのだ
自分の病室がおぼえられない
目的の場所へ行きつけない・・・など
変だなくらいにしか
思わなかった

それは
集中的にリハビリをするために
3ヶ月ほど入院したとある病院で顕著に現れた
その病院では・・つづく


手紙がくれた勇気とちから

2009-06-19 21:45:24 | 高次脳機能障害と向き合う なみ
誰かが必ず見ていてくれる
いつでもそう言い聞かせて
他人には見えない努力を繰り返してきた
その努力は後になって
決して無駄ではなかったと思えるかたちになった
独りぼっちで黙々と歩き続けた
時には弱音も吐いたし、泣き言だって言った
そんなとき一通の手紙が届いた
それには・・・“あきらめんなよギターヒーロー!
と書いてあった
ぼくは彼女にとってギターヒーローだった
ぼくのからだがこんなになっても
最後まで僕をそう呼んでくれた
彼女の言葉に
元気づけられた
折れそうだったこころが
持ち直した
手紙の中に
一枚の
別の手紙が同封されていた
彼女が行っていた
友人の飲食店に
たまたま居合わせた人たちが
ぼくのために一筆づつ
書いてくれたものだった
わざわざそんなことを
してくれるなんて
泣けた
手紙はほとんどがなみさんのバンドもう一度見たい とか
ロックンロールの復活待ってます だった
・・みんなが待ってる復活しなくちゃ
その思いがぼくを走らせた
今日まで
まだ・・走っている・・今も

ここからまた始めるRE-BORN

2009-06-18 20:39:58 | 高次脳機能障害と向き合う なみ
振り返るとそこには
リハビリと自分の再生に費やした4年間
がある
満足に 独りで歩けないような状態で
函館に帰ってきたときには
ぼくは一人ぼっちだった
友達もなく仕事もなく
打ちひしがれ、下ばかり向いていた
そんな僕の姿を見て
彼女は去って行った
ずっと引きずっていた想い
最近ようやく思い出すことが少なくなった
忘れ始めている自分も
また、哀しいものだ
不思議な出会いが相次いで起こった
最初は・・たっか・・この出会いがなければ
いまのぼくは無い
りぼんを始めたころは
ミュージシャンの友達なんて一人もいなかった
地道にライヴを重ねた・・
いくつかの出会いが絡み合い
函館芸術会議が生まれた
ハンバーガーをかじって
コーヒーを飲んでいる間に
目の前の景色はものすごい
スピードで
変わっていった
ぼくはその中でも相変わらず
砕けた自分のかけら探しばかりしていた
割れたガラスのようなピースを
一つずつ繋ぎ合わせては安心していた
今気がついたんだ そんなのは
RE-BORNじゃないっていうことに
本当の意味で ぼくは自分自身を
作り直さなくてはならない
それが再生だ
はじめからやり直そう
昨日までのぼくにはさよならを言おう
今から始まる  ぼくのRE-BORN
バイバイ昨日のぼく

卵との戦い

2009-06-09 20:34:48 | 高次脳機能障害と向き合う なみ
今日はぼくがオムレツを作ってあげるよ
この一言が悪かったのである
まだ事故から日も浅く
よく解ってなかったのである
認識不足でもあった
フレンチの厨房にもいたことがある
だからオムレツは基本だずいぶん
練習したものだ
仕事帰りに独り空のフライパンに
塩を入れて返す練習をした
左腕がぱんぱんになるまで
鍋を振った残った卵でオムレツを
食べて帰ったりしていた
だから気軽に卵を割って
フライパンにバターを敷き
タネを流し込みいつものようにかきまぜはじめた
あれれ何かおかしいぞ・・違う・・こんなんじゃない
火加減も強すぎたんだ
あせって卵を寄せて
チーズも入れてみたり・・・・
間に合わない・・・
出来上がったのは…無残な
スクランブルエッグでした・・・
ショックでした ものすごく・・しばらくへこんだままの日々でした
この状況に涙が出ました
それでも 父と母は食べてくれました
それを見ているとまた涙がポロポロこぼれました
ああこれでもう調理場には戻れないのかな?という絶望にも似た
感情にうちのめされました自分がふがいなくて悔しくて
この勝負負けを認めます

里芋と 戦う

2009-06-08 13:34:58 | 高次脳機能障害と向き合う なみ
冷凍の里芋をカットしたんですよ
解ります?あのまんまるに成形されたやつ
こいつときたら解凍しないとツルツルツルツルと
すぐに遠くへ飛んで行ってしまう
そのたびに 包丁が指に襲いかかりそうになる
今日は約10k 
一袋500gなので20袋ですね
50個入りが20袋
さて何個あるでしょう(笑)
大変でしたが時間内で終えることができて
今日の戦いは ぼくの勝ちです
続く・・・