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ネ・ウテルの探究
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富岡製糸場ー14秋の旅

2014-12-04 | 日記



















富岡製糸場は明治になってすぐ出来ます
当時の日本は殖産興業政策を掲げて
輸出品の要であった製糸の品質改良と
大量生産を可能とする器械製糸工場の
導入と推進をはかっていった
日本の工業化は製糸から始まっている
そして今の日本の繁栄の基礎が
ここから始まったのかもしれないです
入場をするとすぐに東繭倉庫があります
1階は事務所・作業場などとして使い
2階に乾燥させた繭を貯蔵しました
この建物は木で骨組みを造り柱の間に
壁を作る木骨煉瓦造という工法です
使用された煉瓦は日本人の職人により
近くの甘楽町に窯を築いて作り
煉瓦積みの目地に使う漆喰については
下仁田町の青倉、栗山の石灰を使っています
礎石は甘楽町小幡の砂岩が使われています
色々なものが地元と云うのがいいですね
操糸場は繭から生糸を作る場所です
小屋組にはトラス構造という今までにない
建築工法が用いられています
そのため中央には柱がありません
器械や作業に広い空間が確保されました
さらに採光のための多くの窓ガラスや
屋根に蒸気抜きの越屋根がついています
ここにはその他にもたくさんの建物で
西繭倉庫、検査人館、女工館、ブリュナ館
診療所などもありましたが
ブリュナ館はこのプロジェクトの指導者で
家族と共に過ごしたフランス人です
今も遺構の調査が続いています



























コメント (30)
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