ブログをご覧になっている皆さん、こんにちは。
山梨大学の長沼です。
前回の投稿で、私が魚町という昔の町名に興味を持った経緯をご紹介しました。
今回は、魚町の歴史と現在について投稿したいと思います。
魚町は、地図のように1丁目から5丁目までが南北に広がっていたそうです。
◆◇◆◇◆◇◆ 魚町MAP ◆◇◆◇◆◇◆
明治25年、魚町二丁目に甲府魚市場が開設され、
生魚の輸送路である中道古道が長禅寺の南方から発していたことから、
魚商人が集住してこの地が「魚町」として栄えたとのことです
甲府空襲で、一丁目のみを残し、甲府魚市場も含め全部焼失してしまったそうですが、
戦後すぐに復旧したそうです。
今でも、1丁目には空襲から焼け残った家々、かつての魚屋をみることが出来ます
戦後には、魚屋、風呂屋、菓子屋、自転車屋、床屋など様々なお店が軒を連ねて栄えていたそうですが、
国母に中央卸売市場ができると、甲府魚市場はもちろん、海産物問屋も人々も
みなそちらへ移って行ってしまったそうです
今では魚市場跡にはマンションが建ち、
煮貝の「みな与」、数少ない魚屋がかつての“魚”の町の面影を残すのみとなっています。
現在の魚町通りは、シャッターの降りた建物が多く存在し、駐車場が目立つようになりました
しかし、空襲から焼け残った建物、「みな与」、道祖神、屋敷神などにより、
過去のまちの歴史を感じることができます
地域に残る都温泉もその一つです
創業はなんと明治10年だそうです。
しかも甲府では珍しくなった天然温泉だそうです
写真を撮りに行った時も近所の方々が利用していました。
また、今年4月からお惣菜屋としてリニューアルオープンした“ぽんちせ”や
イタリアン・カフェ“魚町カフェ(旧名カフェエルタパード)”などといった魅力的なお店も存在しています
さらに、なんと魚町1丁目でカーシェアリングができるということを皆さんは御存知でしたか
まさにこれからの時代に必要になる要素をも魚町通りは兼ね備えてきているのです。
エコですね
以上、魚町の歴史と現在の様子でした
足を運んで、魚町の空気に触れれば、お気に入りの場所になることと思います
これでシリーズ「魚町通り」も終了かと思われるでしょうが、
実は最後に、なぜ昔の町名を通りにつけたのかというところも調べました
なので、最後にそれを投稿しておしまいにしたいと思います。
次回までの魚町3部作を見て頂いた暁には、
甲府の「通りの達人」になれること請け合いですので、次回も是非楽しみにしていてください