★We Love KOFU 学生レポート★

学生たちがこうふの話題をお届け!

身近にある武田家の歴史遺産を巡ろう!【第三弾】

2024-08-19 10:33:51 | 山梨県立大学のレポート

武田氏館跡に関わる歴史を覗いてみませんか?信玄ミュージアム探訪レポート


皆さん、こんにちは!山梨県立大学4年の東條友貴です。第一弾第二弾に引き続き、武田氏の歴史遺産について紹介します。今回は、信玄ミュージアムの知られざる魅力について語ります。

 

「甲府市武田氏館跡歴史館」、通称「信玄ミュージアム」は、武田神社のすぐ南側に位置し、三角屋根が連なるわかりやすい建物です。2019年に開館した、小さな博物館と総合案内施設、旧堀田家住宅、飲食施設、ミュージアムショップからなる、複合展示施設です。

 

展示室は、常設展示室と特別展示室(有料)に分かれており、どちらも興味深い展示がたくさんあります。常設展示室では、武田氏屋敷跡の近くから出土した、戦国時代の馬の骨の複製や金彩の施された皿、そして有名な武田二十四将図などが展示されています。また、武田氏館跡の歴史や武田氏に関わる領主たちの変遷なども、分かりやすくパネルで詳しく紹介されていて、武田氏3代がたどった歴史について学ぶこともできます!

特別展示室は、有料(一般300円、団体割引あり)ですが、ここでは発掘調査で出土した貴重な品々が展示されており、映像シアターで歴史を楽しく学ぶことができます。高校生以下や障害者手帳をお持ちの方は無料で入館できるので、家族連れにも優しいスポットです。

 

そして実は、あまり知られていないのですが、敷地東側には、国登録有形文化財である旧堀田家住宅が修復して開放されています。旧堀田家住宅は、1933年(昭和8年)に建設され、割烹料亭として創業しました。当時は、「堀田古城園」と呼ばれた高級料亭でした。第二次世界大戦期には、将校宿舎として使用され、さらに旅館業へと変わり、最後は一般住宅として使用された後に、甲府市に寄贈されました。

ここには、日本でも現存数が少ないと言われている、金唐革紙を始めとして、アールデコの影響を受けた建具、昭和のガラスと照明器具・孔雀壁など、昭和初期の近代和風建築の高級料亭の特色が色濃く残されています。

コロナ前は、館内を自由に見学でき、市民に大広間や茶室も貸し出されていました。現在は、新型コロナウイルスの影響で外観のみの見学となっていますが、その美しい佇まいは内庭から十分に楽しめます。昭和初期の元修復された高級料亭と旅館の風情ある建物は、一見の価値ありです。

「堀田古城園」の北側の長屋は、軽食と甘未処「由布姫」になっており、見学後の休憩にぴったり。

お薦めは、写真のソフトクリーム。当日は、あまりに暑くて、写真を撮っている最中に溶け始めました(笑)武田神社の参拝後に、ここでひと息つくのもおすすめです。

今回は、信玄ミュージアムの魅力と味覚をたっぷりと味わってきました。歴史に興味がある方はもちろん、ちょっとした旅行気分を味わいたい方にもおすすめの場所です。ぜひ訪れてみてください!

これまで、全3回のレポートで身近にある武田家の歴史遺産を紹介してきました!皆さんも是非、足を運んでみてください!最後まで読んでいただき、ありがとうございました!


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

身近にある武田家の歴史遺産を巡ろう!【第二弾】

2024-08-19 10:31:00 | 山梨県立大学のレポート

自分の足で歴史を感じよう!武田二十四将の屋敷跡めぐり


みなさんこんにちは!学生レポーター、山梨県立大学1年の岩澤文那です!第一弾に引き続き、身近にある武田家の歴史文化遺産を紹介していきます。私は地元、静岡県吉田町にある小山城がきっかけで、武田家の家臣に興味を持つようになりました。このお城は武田氏の重臣、馬場美濃守信春が築城したと言われています。そこで第二弾となる今回は、武田家の家臣に関する歴史遺産についてご紹介します!

まず私は甲府駅前のホテルでレンタサイクルをお借りして、武田神社方面へ向かいました。見た目とは違い、坂がきつく、想像以上に長い坂道と暑さに苦労しました。

 

① 武田二十四将の屋敷跡めぐり

早速、小山城の築城主である馬場美濃守信春の屋敷跡を発見しました!案内板には詳細な情報が書かれており、知らなかった情報が盛りだくさんでした。

【馬場美濃守信春の屋敷跡地に設置された案内板】

元々屋敷が建っていた場所に、現在ではアパートが建っているという面白い光景も見られます。有名家臣の屋敷があった場所に住んでいるなんて、ちょっとした自慢話になりますよね。屋敷跡をめぐる中で、下の写真のように、草で隠されてしまっていて、気づかずに通りすぎてしまう場所もいくつかありました(笑)しかしその分、気が付くと嬉しくて、新鮮な驚きもあります♪

【穴場な屋敷跡】

② 信玄ミュージアムの見学

今回は屋敷跡めぐりだけでなく、武田神社のすぐ南側にある「信玄ミュージアム」にもお邪魔しました。信玄ミュージアムの見学を通して、私が特に興味を引かれたのが、武田氏と関連のあるお城の展示でした。県内だけではなく、周辺の県にも、こんなに多く武田氏と関連したお城があるのだなと驚きでした。他県が特集されているコーナーでは、私の出身地である静岡県も特集されていて、帰省したときにぜひ訪れたいと思いました!皆さんも、お住まいの地域と武田氏の関連を調べてみるのはいかかですか?

【武田氏と関連のあるお城の展示】

 

③ おわりに

今回、電動自転車に乗りながら、合計8か所の武田二十四将の屋敷跡地をめぐりました。なかなか跡地に設置されている案内板が見つからなかったり、坂道も多くて大変でした。しかし、取材が終わったときに感じたのは、何よりも“楽しい!”ということでした。下り坂では風を感じられて心地よく、屋敷跡地を見つけるワクワク感も味わうことができました。皆さんもぜひ、“自分の足で”歴史を楽しんでみてください!

さらに!信玄ミュージアムには、今回のブログで紹介した展示のほかにも、魅力あふれる展示が盛りだくさんなんです!気になる方はぜひ、第三弾の「信玄ミュージアム探訪レポート」もチェックしてみてください♪ 最後までこの記事を読んでいただきありがとうございました!

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

身近にある武田家の歴史遺産を巡ろう!【第一弾】

2024-08-19 10:29:02 | 山梨県立大学のレポート

歴史と信仰に触れる、武田氏館跡の歩き方


みなさんこんにちは! 山梨県立大学4年の岩田輝です!今回からテーマを変え、甲府駅北部にある、武田家の歴史遺産の散策方法について3回のレポートで紹介していきます!新潟県出身の私は、大学進学を機に山梨県に住み始めて4年になります。大学のゼミ活動では、武田氏館跡で市民向けの歴史文化遺産の散策ツアーなどを行ってきました。

 

7月末に1年生への紹介も兼ねて、ゼミの友人たちと再度、夏の武田氏館跡を歩いてきました!今回は、神社にお参りするだけではもったいない、武田氏館跡の歩き方をご紹介します!

まずは基本情報です。散策場所は、武田信玄公を祀った神社「武田神社」とその周辺部です。実は、神社自体は1919年(大正時代)に新しく建てられました。しかし元々は、1519年(戦国時代)に信玄公のお父さんの信虎公が建設したお屋敷とその城下町が始まりです。つまり、武田家三代の信虎、信玄、勝頼の居館があった場所でした。今回は信玄ミュージアムから散策をスタートします。

 散策のスタート

今回の散策のスタート地点は、通常参拝のお客さんが使用する武田通りの突き当りの橋ではありません。お堀の手前を左に曲がり、少し歩いたところにある西曲輪の南入口から入ります!

この小さな入り口は、しめ縄がかかっています。お祭りなどで見かけるしめ縄は、人間界と神様の世界の境目、「結界」を意味しています。つまり、私たちは、神様の住む神聖な世界の入り口に立っています。

 

 西曲輪

ここは、かつて西曲輪と呼ばれた場所です。みなさんは曲輪(くるわ)とはなにか、ご存じですか?曲輪とは、城の中で高い塀や土塁などで守られた区画を指します。武田氏館跡の西側にある曲輪、西曲輪には武田信玄の嫡男である義信が住んでいたと言われています。

草木が生い茂る西曲輪では、「イノシシ出没注意」の張り紙とともに、動物の足跡が見かけられます。私たちの大学の先生は、ここで何度か大きな鹿を見かけています。写真はどうも鹿の足跡のようですね!

 主郭と御神木

新緑の空気を存分に吸い込んだら、西曲輪の土橋を右に曲がります。武田神社の本殿がある、主郭に入っていきます。

ここに来たら、ご参拝はしてくださいね!特に主郭で注目してほしいスポットは、拝殿に向かって左斜め後方にあるこの御神木です。武田氏館跡にも、御神木があります。

この御神木は、榎(えのき)です。この木にもしめ縄がかかっています。昔の人々は、真っすぐに天に伸びる木や、くねくねと曲がった形をした木が目印になると考え、「神様が降り立つ神聖な場所」として祀りました。ここは榎天神(えのきてんじん)。学問の神様、菅原道真公を祀っており、御神木の後ろには、鉛筆形の絵馬が沢山書かれています。受験生には、オススメのスポットです。

 

御神木にもお参りをしましょう。深呼吸をして、二礼二拍手一礼、願い事を頭に浮かべながら、一周。(私の場合は、前期の英語のテストがうまくいきますように(笑))

 北側桝形虎口

さあ今度は、西曲輪に戻り、北側の土橋を目指します。日本を代表する甲斐国の信玄公が住んでいたお屋敷となると、あらゆるところに防衛上の工夫が見られます。

 

例えば、西曲輪を北に抜けた後に残る、正方形の空間。桝形虎口(ますがたこぐち)と呼ばれる場所です。桝形虎口の入口と出口は細い通路と土橋のみで、周りは高い土塁で囲まれています。狭い通路から、やっとの思いで侵入してきた敵はここで逃げ場を失い停滞します。そこを土塁の上から弓矢で攻撃します。実際土塁の上に立ってみると、今でも3メートル以上あり、当時の迫力と緊張感を感じます。

 味噌曲輪

桝形虎口から、狭い土橋を抜けると、開けた場所に出ました。ここは、味噌曲輪と呼ばれた場所です。名前の通り戦国時代には、食糧を貯蔵する施設があったと言われています。現在は、ビニールシートで覆われており、甲府市の歴史文化財課の職員さんたちが発掘調査を進めています。発掘後、どんな様子になるのかとても楽しみです。

さて、発掘現場の奥には山が広がっています。実は、右奥にある要害山という山は、山城(やましろ)と言い、武田家の要人が戦いから非難する際に使用する、山自体を利用したお城でした。あの信玄公が生まれた積翠寺も、実は要害山の麓にあります。

 

 竜ヶ池展望台

次に、味噌曲輪を右に曲がります。5分ほどまっすぐ進むと、竜ヶ池(りゅうがいけ)という、ため池の石壁が見えてきます。南側の高い階段を上っていくと、甲府市街地を一望できる展望台にたどり着きます。ここから見ると、武田氏館跡から南に向かって道が伸びています。地図上には5本の道が真っすぐ伸びています。約500年前は、この街が京都と同じ条里制で作られた城下街であったことがわかります。ちなみにこの場所、夕暮れ時には夕日と夜景を同時に楽しめる絶景スポットでもあります!

長い階段を下り、信玄ミュージアムへ戻る途中、友人が蓮の花を見つけました。この日の気温は37度。酷暑を歩き続けた私たちに、蓮の花が清らかな安らぎを与えてくれました。しかし帽子は必需品。夏はとにかく暑いです(笑)

歩き始めてから約40分程度で、信玄ミュージアムに戻って来られます。今回の散策はここでおわりです。県外出身で初めて武田氏館跡を訪れた1年生の友人は、御神木に興味津々でした。「この場所が多くの人で賑わう理由が分かった」と笑っていました。

 

何気ない身近な場所でも、新しい学びやご利益が得られるものです。

残る2回は、武田二十四将の屋敷跡めぐり信玄ミュージアム探訪レポートを紹介します。ぜひそちらもご覧ください。最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

甲府に伝わる“信仰”を学ぼう !

2024-07-12 11:00:10 | 山梨県立大学のレポート

深草観音(ふかくさかんのん)フィールドワークを通じて


こんにちは、山梨県立大学3年の細貝久遠と土橋優心です。

 

6月29日、県立大学3年生の僕達が所属するゼミの一環としてフィールドワークを行い、深草観音を訪れました!

私たち自身はこのフィールドワークに取り組む前、甲府市街地の近くに古くから存在する厳かな場所があるとは思いもよりませんでした。

 

▼石碑

かつてを振り返り、実際に自身の足で現地まで赴きながら、昔の人たちはどのような思いを持って山に入り、何を見て何を感じたのか、そして当時の信仰の具体的な様子や信念を知るために取材してきました!本ブログでは、その時の体験を写真とともにレポートします!

 

  • スタート

【積翠寺】

当時の井戸が残っている?!

まず、僕たちが行ったのは積翠寺。このお寺と武田家のつながりは非常に深く、1521年に武田信玄公がこのお寺で生まれたと言われており、お寺の屋根には武田家の家紋である武田菱がいくつも掲げられています。今川軍から信虎夫人をかくまった場所としても知られており、多様な植物が生えていて、その多くは漢方薬として使えるものだとのこと。奥には井戸があり、この井戸は信玄公の産湯(新生児を洗う湯)の際に使用したそう。残念ながら現在は土で埋まっていました。

私たちがショックを受けたのはお寺にある蔵についての説明をされた時です。お寺の裏の方に立派な蔵があるのですが、ところどころ壁に穴が開いていたり、さびれた様相を呈しています。なぜなのか気になったため先生に聞いたところ、お金がないから直すことができないので、やむを得ずこのままにしてあると教えていただきました。修繕にはお金が必要なのは当然ですが、このような歴史ある建物がただ朽ちていくのを受け入れざるを得ないという事実は本当に悲しいものだと感じました。

 

立派な不動明王

信玄公の横で、紅く燃えさかる炎のような不動明王。「怒り」を表しているそう。なぜ不動明王なのか?それには理由があります。信玄公は不動明王をあつく信仰しており、仏師と対面して自身の等身大の姿を不動尊に模して造らせた像が残っているほどなのです。ちなみに、その像は「武田不動尊」と呼ばれ、現在は山梨県の恵林寺と菩提寺で保管されているそうです

一通り積翠寺を見学してから、いよいよ深草観音に向け出発!朝霧も相まって厳かな雰囲気が漂っており、当時の人達も同じようなことを感じていたのだろうかと思いました。

虫除けスプレーを入念に行い、いざ出発!(足元は特に!)

 

【深草観音】

深草観音までの道のりはなかなか長く、私たちは積翠寺からおよそ3時間かかりました。道中にも様々な観音像や道標があり、その内のいくつかは少し欠けていたり苔に覆われていたりなど、それらだけでとても長い歴史を体感することができました。こちらは人々が住んでいた集落と“山”の境目として建てられたお堂で、当時の人たちが山を特別なものと認識していたことが伝わってきます。

山の中に入ると至る所にさざれ石を見ることができ、この辺りに火砕流が流れてきたいたことが予想されます。下の写真がさざれ石の一例です!

また、前日は雨で道に水たまりがあったりぬかるんでいたりしたため、歩くのに注意が必要でした。僕はここで片足を水の中に全部入れてしまい靴がびしょびしょになってしまいました。(笑)

さらに登っていくと新しい道標があり、ここまで来ると深草観音のかなり近くまで来たということになります。

深草観音までたどり着き、様々な観音像を見ることができました。ここ深草観音には本当にたくさんの観音像があり、そのうちのいくつかを説明します

 

まず1つ目は「馬頭観音」。もともと畜生道に迷う人々の救済、家畜の健康祈願や旅の安全を願う人々に信仰されていました。しかし江戸時代に入ってからは馬や動物を供養する仏様としての信仰をされるようになります。日本人と馬は関係が深く、昔から荷物を運んだり人間の生活を大きく助けたりしてきました。生活のパートナーを供養しようという気持ちから、新しい信仰の形が生まれたということは非常に興味深い事例だと思いませんか?

2つ目は「如意輪観音」。この仏像は下の写真の左から二つ目の像です。取っている姿勢にも意味があり座りながら片肘をつき、どうすれば衆生を救うことができるのか悩んでいる姿だと言われています。

3つ目は「千手観音」。観音様の中では比較的聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。千手観音様はありとあらゆる方法で一切衆生を救おうとしています。それを表しているのが背後の無数の手だとされています。

これらの観音像はそのほとんどに文政と刻まれており、1818年から1831年までの作だと推測できます。今から約200年前の作品とは思えないくらい、しっかりと形が残っており驚きました!

切り立った崖の上の方にはお坊さんが修行をするための岩窟が存在し、その中に入ることができました!去年までは梯子を使って行けたそうですが、今ははしごの固定が途中で外れており、危険なのでテープで登れないように封鎖してありました。こちらのはしごは昭和三年のものであるため、それまでは修行僧の方は簡易の石段を登って行って岩窟の中に入っていったと考えられます。私たちもそのルートで行くことにしました。

 

岩窟の入口は、現代人の我々が入るには少し狭く感じる場所ですが、江戸時代の男性の平均身長が158cm程度だったため、当時は十分な大きさだったのかもしれません。

岩窟の中の様子と景色です。結構高い場所にあります!中には机や鐘などのお経を読むために必要なものと、観光客向けの来訪を記録するノートだけがありました。

 

【蚕糸石室】

かつて養蚕が盛んだった時代に、崖水からくる気化熱による冷気を生かして自然の冷蔵庫という形で蚕の卵を保存するのに重宝された石室。

私たちにはなじみが薄いかもしれない養蚕業ですが、山梨県では古くから養蚕が盛んでした。全国的に山梨県での離縁状の発見数は多く、日本最古の離縁状が山梨で発見されているのは、甲斐国で女性たちが養蚕により独り立ちできる程の経済力を持っていたためではないかとまで言われる程です。自身も父親から、父が子どもの頃はまだ桑畑が山梨県内に多くあったと教わったことがあります。

先も述べたように前日が雨だったため、『深草観音』一帯は特に美しいものでした。私自身仏教徒ではないですが、思わず神秘的なものを感じました。また、森の中では猿の鳴き声や鹿の鳴き声、鳥の鳴き声が絶えず聞こえてきて、昔は動物が神の使いとされていたということを納得できる程の雰囲気を感じることができました!

 

【最後に】

今回のフィールドワークで私たちは本当に多くのことを学ぶことができたと思います。私たちの大学の授業構成はこれまで座学がメインだったため、今回で「百聞は一見に如かず」という言葉の意味を噛みしめることができました!

私の考察として、昔の人たちの生活は、作物がうまく実らなければ生活が非常に苦しくなる状況だったのではないかと思います。その中で、人々は神秘的な場所である深草観音を信仰の拠り所とし、先祖への感謝や供養、観音様による救済や現世での生活の安寧を願ったのではないかと考えました。私は山梨市に住んでいるのですが、家の裏の方にあるちょっとした山を散策していたら小さなお社を発見したことがあります。その社にどのような神様が祀られていたのかはわかりませんが、定期的に管理がされていたのか葉っぱに埋もれているようなことはありません。そのこととも重ね合わせ、古くからある“信仰”を学ぶことで、人々が積み重ねてきた歴史に触れることができるのではないかとも考えました。今回のフィールドワークは本当に有意義なものとなりました。

登山は身体だけでなく心も癒され、自然と歴史を感じながら、自分自身と向き合う貴重な時間を過ごすことができました!

みなさんも是非、『深草観音』へ足を運んでみてください!

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「県央ネットやまなし」でバラを楽しむ!(甲府・峡東地域)【第2弾】

2024-06-18 17:25:18 | 山梨県立大学のレポート

山梨県立美術館のバラ園を見に行こう!


皆さんこんにちは 私は山梨県立大学国際政策学部4年の吉田龍です

本日は、甲府市の学生レポーターとして甲府市の隠された魅力を発信するために、山梨県立美術館のバラ園をゼミ生のみんなと見てきました。このブログでは前回の飯島さんの記事に引き続き、甲府市のバラ園の様子と学生の感想を紹介させていただきます。もしよろしければ最後までお読みいただけると幸いです。

 

まず初めに、皆さんは山梨県立美術館にバラ園があることをご存じでしょうか?私は長年甲府に住んでいますが知りませんでした。つい先日、私と他のゼミ生が甲府市の学生レポーターとして任命された際に、友達の一人が「山梨県立美術館のバラ園が咲いている時期だから見に行きたい」と提案してくれた事が取材のきっかけでした。この公園内には芸術作品が点在しており、散歩しながら四季によって変化する公園内の風景を楽しむことができるそうです!とてもおもしろそうだと思ったので、同じく甲府市学生レポーターである同じゼミの友達を誘って528日に見に行ってきました

【写真2:バラ園と雨の様子】

 

残念ながら、28日は梅雨前線の活動が活発化した影響で、甲府市にもたくさんの雨が降りました。バラのシーズンは5月中旬までだと聞いていたので、この雨の影響でバラの花びらが全て落ちてしまったのではないかと不安でした。ところが、実際にみんなで美術館を訪れてみると、公園内には綺麗なバラの花がたくさん残っていました!一緒に行った友達は雨で服を濡らしながらも、花びらに乗った雨粒のおかげでバラの花が普段よりも瑞々しいと言っていた事が印象的でした。訪れる前は、雨が降っていることに対して損をした気持ちでしたが、梅雨の時期にしか見ることができない魅力があることに気づき、とても感動しました。後輩の一人は50枚も写真を撮影したと言っており、楽しんでくれたみたいでとても嬉しかったです

【写真3,4,5:ゼミ生の撮影したバラの写真】

 

これに加えて、敷地内にたくさんの俳句や彫刻などの美術品が設置されていることも印象的でした。私と友人が特に気に入った作品は、この宮沢賢治の詩でした。この立札を最初に見たときは今の自分たちの状況と重なる部分がおもしろくて写真を撮影しました。しかしながら、帰宅した後に宮沢賢治の家庭問題や闘病生活、この詩が発見されたときの背景を知り、この言葉の重みを強く実感しました。そして、この詩と雨の中でも力強く咲いているバラの組み合わせに感動しました。このバラ園を作った人はこのような意図があってこの立札を選んでいるのではないかと思い、感心しました。このように純粋な花の美しさだけでなく、学びにもなる側面があるのは美術館ならではの魅力ではないでしょうか

【写真6,7:宮沢賢治の詩と力強く咲くバラ】

 

美術館から帰る車の中でみんなと感想を話し合っていました。友達の多くは美術館や文学館に行ったことがあるけど、バラ園には立ち寄ったことが無いと言っていました。また、友人の中には美術館を訪れるのが初めてだという人もいました。この話をふまえて、せっかく魅力的なバラ園や彫刻があるのに知られていないのは残念だと思いました。そして、私の友人のようにこのバラ園がきっかけで美術館を訪れたり、芸術について学ぶ場合もあるのだなと思いました

【写真8,9:バラを楽しむゼミ生たちの様子】

 

最後に、バラ園以外にも印象深かった点がありました。それは車椅子貸し出しの様子です。私は今、ゼミ活動の一環でユニバーサルツーリズム(高齢や障がい等の有無にかかわらず、すべての人が安心して楽しめる旅行)について勉強しています。そのため、この車椅子貸し出しの看板に目が留まりました。施設内にはこの車椅子の貸し出しだけでなく、視覚障がい者用の点字ブロックや英語表記の看板も整備されていました。バリアフリー化には様々な課題があり、実際に取り組んでいる施設がこんなにも身近な場所にあるとは思いませんでした。また、美術館の職員さんたちはどのような取り組みをしているのかとても興味がわきました

【写真10:車椅子貸し出しの様子】

【写真11:車椅子貸し出しの様子(屋外)】

 

まとめると、
1
.このバラ園は山梨県にずっと住んでいる人でも知らない穴場スポットであったこと。

2.雨粒の乗ったバラの花は瑞々しく、梅雨ならではの魅力に気づいたこと。
3
.一般的なバラ園と違い、公園内に設置されている芸術品と一緒に楽しめること。

4.この美術館とバラ園がもっと多くの人に認知されれば良いなと思ったこと。

5.次回の記事では美術館の職員さんに詳しいお話をお伺いしようと思ったこと。

の4点でした

 

実は、このバラ園では毎年5月にツアーが行なわれているそうです。しかしながら、私たちはこのツアーに気づくのが遅く、申し込みに間に合いませんでした。バラ園の他にも美術館では定期的にツアーやイベントを実施しているそうです。これらのイベントに合わせてバラ園に立ち寄ってみるのも良いと思います。

 

また、今回の訪問を通じて、美術館の歴史やバラ園の魅力、施設内のバリアフリー情報などさらに詳しく調べたい部分も多く見つかりました。次の記事では実際に美術館の職員さんにバラ園やバリアフリー情報について取材を実施し、より詳しいお話を聞いてみようと思います。そして、次の記事ではそのインタビュー内容について書いてみようとおもいます

 

最後まで記事を読んでいただきありがとうございました

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする