東アジアでの侵略や紛争は昔から起きていました。
元の襲来は、細かい資料を読めば読むほど恐ろしい出来事だったことがわかります。
動画で表現したような単純な動機ではありませんでしたが、要は「互いの不理解」から生じています。
侵略戦争でいつもひどい目に合うのは罪なき庶民、という事実から目を逸らさないようにしたいものですね。
動画の訂正…元の使者の首をはねたのは「弘安の役」の時でした。ごめんなさい。
「判官贔屓(ほうがんびいき)」は日本人のアイデンティティですね。
「弱い立場」となってしまった義経。それは頼朝が全国の公領に警察権を設置したからです。
その警察権は現在のように法に基づくものではありませんでした。
自分の気に入らないものを好き勝手に葬ることのできる、いわば独裁のためのツールです。
あの時代、頼朝はそれをやってのけたのです。法が民意によって成立しない場合も全く同じ。
香港がそうですね。人間の歴史から学ばねばならない出来事です。
今回の動画は、
元寇「弘安の役」 中国、朝鮮半島を支配し元帝国となったモンゴル帝国。 文永の役で失敗したフビライは、6年後再び日本を襲撃した。 今回はその2度目の戦いとなる弘安の役を紹介。