60代 スッキリ行こう🐦

還暦過ぎた!
これからも、心の向くままケセラセラ。

父への旅

2010-01-08 10:07:30 | 旅・山・温泉・土産・食
時おり雪が降っていたかと思うと、薄日がさしたりする。
冬の天気は一日のうちでも、くるくると気ままな顔をみせてくる。

時々、思うのだけど、
自分が何か選択して決めたつもりのことって、実は何かに導かれてそうなって来た必然のような気がしてくることがある。とっても・・・ある。。

一昨年の秋、「林住期」に背中を押され、会社を辞めようと思い立ち、去年の春、辞めた。
その後、娘の二人目の妊娠がわかり、秋にはうちの近くに越してくることにもなった。
そうなると、すぐに仕事を再開する気持ちはなくなって、娘がこちらにいるうちは面倒もみて、ゆっくりしたいと思い、ホームヘルパーの資格を取りに行ったりした。

それとは別に、去年旦那が、急に車を買い換えた。
それまでのセダン車から、ワンボックスのミニバンに。
ネットで買って、ネットで売って・・・買い換えるのに、そんなに費用はかからなかったが、また勝手なことを・・・と私はその気まぐれを怒った。

そして私は、去年何十年ぶりかに広島を訪ね、父の兄弟である叔母達に会って父の話をしていたのだ。 その時のブログ
叔母達も父の近況は知らなかった。

父は大阪にいるが、最近疎遠になっていた。
父は北摂にある自宅とは別に新大阪に秘密基地のようなマンションを持っていて、そこに連絡をして以前は大阪に帰った時会ったりしていたが、何年か前にそこを売って、連絡はとりにくくなっていた。父の今の奥さんと、私達は話したくなかったから。

そうやって、何年たったのだろう。最後に父に会った時、父のマンションから新大阪の駅まで弟と父と私と歩いたことを覚えている。あの時うちの息子もいたのかなあ。
いたとしても、たぶん小学生だったと思う。
五、六年前。。。いや、もっと前だったのかな。定かでない。
その時の新大阪の駅まで歩いた父の顔を何故か私はよく覚えている。
いつも強いと思っていた父が、歳をとったなあと思ったのだった。

その父が
去年のお正月に倒れて、今も入院中だと、年末に義理の弟から大阪の弟に突然、連絡が入った。

あのまま、もう会えないのかなと思っていた父。
いろんな病気を併発しているらしい。意識もなかったらしい。


会いにいくよ。私は。
明日の朝、旦那と息子と私とで、かのミニバンに乗って高速に乗って。。。
三連休に、とんぼ返りの大阪行き。。

幼き日の父と母との離婚劇は散々だった。
もう会えなくても仕方がないと思っていた。

でも、私は父似で、どんなことがあろうとも、父のことは大好きなんだ。
生きて会えるとしたら、本当にうれしい。
泣けてくるけど、なんだか怖いけど、今の父をちゃんとこの目に焼付けに行く。

長い車の旅だけど、節目の年の節目の旅になるのかな。
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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
すー姉!! (たかちゃん♪)
2010-01-08 18:31:55
行ってらっしゃーい!!
オーッ!!
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たかちゃ~ん♪ (レイ子)
2010-01-11 21:51:39
たかちゃ~~ん♪
ありがとう!行ってきたよ。
ほんまに去年広島で、歩き回った懐かしいあのあたりが思い浮かんだりしてね。
たかちゃんには、ほんまにお世話になったと思ってるんよ。ありがとう!!

今回は、私も弟も涙がとまらんかったわ!!
返信する
おひさしぶりです (urban)
2010-02-07 18:35:32
へー 同じような時期に父への旅してたんやねぇ・・・

親って、良くも悪くも・・・・
なんというか
否定とか肯定とかするものでなく、まるごと「私」を形作ってきた者として受け入れなければいけない
そんな気がします。
返信する
urban様 (レイ子)
2010-02-08 09:16:47
urban様、コメントありがとうございます。
父の最期がまだ納得できず、時折ふっと涙が出たりします。
父が亡くなって、私は父の一生をあっという間に体験した気になり、気持ちが揺れます。
母への葛藤もあり、両親のことが自分の中で収まるのは、まだひと時必要かもしれません。

でも、なんだか力も湧いてくるのです。
まだまだ、し残していることがありそうで。

ブログに来てくれてありがとうございます。
urban様の沼島の記事も不思議な気持ちで見させていただきました。

力いただいてます。
ありがとうございます。
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