Four Season Colors

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「悪くない」の意味

2022-02-21 | 雑文
「ワリエワのコーチ・トゥトベリゼ氏、ドー
ピング騒動に言及…激しい尋問「ジャッカル
のように襲いかかり」(スポーツ報知)

記事は翻訳が悪いのか何なのか、言っている
ことが本当によく分からないもの。

今後、どのような裁定が下されるかは不明で
あるが、別にロシアを擁護したり味方したり
するつもりは全然なく。

ただ、コメントとして選手は悪くないという
ものを多く見るが、競技に出場する以上、選
手にまったく責任がないということはない。

15歳が摂取する薬を管理できるかはさてお
き、成人していようと薬を完全に自己判断、
管理するアスリートは少ないだろう。

例え管理する専門家のミスであろうと、違反
成分が検出され、裁定が下されれば、責任を
負うのはアスリート本人でしかない。

その事実に年齢は関係がなく「悪くない」と
いう言葉を発すること自体に、意味がない。

国、地域の状況や選手個人の状況から、仕方
ないとしかいえないことはあり得るし、同情
されることもある。

しかし、いかなる状況であろうとアスリート
本人は「悪くない」というコメントは、厳し
いかもしれないが、適切ではないと思う。

ルールも装備も禁止成分も、複雑さは以前の
比でなく複雑であるが。

いつであろうと、どこであろうと、最終的な
結果それ自体は、アスリート本人だけのもの
である。

意図的なドーピングが蔓延るのであれば、そ
れはその蔓延る現状が悪く。

意図的でなければ、それはそれで許されるか、
許されなければ、争うか、受け入れるか。

どちらにせよ検出されれば、その成分が結果
に影響が全くなかったとは誰にも言うことが
できなくなる。

そして、2位であったり、敗北した相手アス
リートには、その事実だけが残る。

対外的な印象以外に、「悪くない」と発する
ことに、何の意味があるか。


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