Four Season Colors

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パリオリンピック

2024-08-12 | 雑文
平和の祭典ことオリンピックの、2024年
パリ大会が閉幕した。

遠い昔、学生の頃は無意味にスポーツ大会の
観戦をガチっていたが、就職してからは年を
経るごとに観戦時間も減り。

加えて、近年は採点競技への興味が激減して
おり、基本、ながら見のまま終わってしまっ
た感がある。

毎回それなりに競技外で色々起きるし、誰か
はなんかやらかすから、個別のあれこれにつ
いては触れない。

判定の疑義も別に毎度のことであるし、公正
公平の実現が不可能な時点で、それに荒ぶる
ほど子供でもない。

それよりも驚きは、それも理解したうえで、
ここまで自分が採点競技への興味を失ってし
まったこと。

オリンピックの時だけ競技を観ても、優劣が
分からないというのは根本ではあるが、それ
にしても、である。

そもそもオリンピックでしか観ないのは、こ
れまでも同じことであり。

感性の低下であり、関心の低下であり、新し
いものへの対応という意味では、まあ、老化
もあるのだろう。

しかしながら、ウェイトとしてあるのは、観
戦の目的のようなものも、一つあるのかもし
れない。

身近な人だったり、どこかの誰かだったりか
は様々であるが、そうして誰かと観戦を共有
する。

そうしたことが希薄になった時に、はたして
自分は何に重点を置いて観戦をしているのか。

ルールが分からなくても、採点基準や優劣が
分からなくても、観戦を楽しめる人の重点は
どこにあるのか。

競技そのものにあったり、アスリートその人
にあったりするのだろうが、どちらかなどと
単純なことでもないだろう。

納得のできる答えは未だないが、そうした自
分の興味、スタンスの変化を感じる大会だっ
た。

さて、4年後は、(無事であれば)どういっ
たスタンスで、どれくらいの興味で観戦する
のだろうか。


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