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Woogie's Footie Seven Days

グランパス、アーセナル、ドラゴンズ、映画、旅行を中心に生活する人間のブログです!

エヴォラ

2004年06月25日 | 旅行日記
今日は試合が始める前の時間を利用して、アレンテージョ地方の中心地エヴォラまでの遠出。車で片道1時間半の道のりである。しかし、この道のりは風景の変わらない、ポルトガルらしいといえばポルトガルらしい道のりだった。

エボラ歴史地区

エヴォラの観光地はすべてここに集まっている。ということで、城壁の外側に早速車を止め、中心部へ。このときにふと話題に上ったのが、某ガイドブックに載っていたエヴォラでレンタカーのサイドミラーを盗まれた話。そんな話をしていたら、僕の後ろに駐車していた車のサイドミラーが片方無い、、、。これにはビックリ。まぁ、それはさておき、この街も世界遺産に指定されるだけありとてもきれいな町並みをしている。まずはジラルド広場を通りサン・フランシスコ教会へ。ここの見所はやはり人骨堂。教会とは別の入り口になるが、ここの壁はびっしりと人骨で埋められている。かなり異様な雰囲気である。この後は、カテドラルへ。ここも外観こそ華麗ではないが、中に入ると大聖堂は本当に綺麗である。ここでは回廊や宝物館にも入ったが、その際に入り口にいた教会のおばちゃんが僕の友人のフランスのユニフォームを見て一言「フランスは大きな問題を抱えるだろう。ギリシャは今大会の多きなサプライズになる。」と言った。このコメントを普通の場所で言われたのであれば、単なるサッカー好きの言葉として受け取れるが、教会でこういうことを言われると、ちょっと気になる。これは神のお告げか、、、?それはさておき、このカテドラルの屋根からの眺めはとてもよい。ここからは、エボラの周辺が広く見渡せるので結構おすすめ。カテドラルのあとは、ディアナ神殿をチラッと見て、エヴォラ大学へ。そこから、試合へと向かうべく車を止めてあった場所に向かう。余談ながら、僕の車のサイドミラーはまだあったので一安心。ちなみに帰りはヴァスコ・ダ・ガマ橋を通ってリスボンに入ったが、ここからのリスボンの眺めは最高だった。

ディアナ神殿

リスボン(2)

2004年06月24日 | 旅行日記
本日はポルトから朝一でリスボンまで車で移動。昨日一緒に行動した人と今日も一緒だが、昨日の学習から今日は迷わずに時間通り待ち合わせ場所に到着。早速リスボンに向かう。リスボンまでは約3時間の道のりだ。しかし、相変らずポルトガル人の車のスピードは並でない。僕も150キロ近くを出しているときもあるのに、それでも軽々抜かれる。170キロぐらいで走っている車に次から次へと煽られるとかなり怖い。この国にスピード違反という概念はないのだろうか。いままで取り締まっているパトカーを一度も見たことがない。まぁ、こちらにとってはとてもありがたい話だが、ちょっと気になる。

ベレン地区

今日は前回リスボン滞在中に行けなかったベレン地区へ。とりあえずは発見のモニュメントへ。ここからのテージョ川の眺めは凄くきれいである。その後は、発見のモニュメントの近くにあったテラスのようになったレストランに入り昼食。凄くいい雰囲気で、ご飯もおいしかった。しかも結構風が気持ちいい。たまにはこういった川沿いの場所での食事もよいかもしれない。そのあとは、一番の目的地であるベレンの塔へ。この塔はさほど大きくはないが、テージョ川に浮かぶ姿にはとても品がある。ベレンの塔の後は、インペリオ広場を通り抜け、ジェロニモス修道院へ。その前には、ちょっと寄り道でレステーロ・スタジアムに寄ってみた。このスタジアムはポルトガルリーグのベネレンセスのホームスタジアムで(その時点では僕も知らなかったが、一緒に行動していた人に教えてもらった)、イタリアのキャンプ地でもあったらしい。もちろんイタリアは既に帰国していたが、、、。それはさておき、ジェロニモ修道院の中にとりあえず入ってみたが、やはりそのスケールに圧倒される。この修道院もデカイ!修道院のあとは、最後にポルトガルで一番おいしいナタが食べられると書いてあったパステイス・デ・ナタへ。しかし一見狭そうな店だが、中に入ってみるととてつもなく広い。何百人と入りそうな店内だ。ただ、その広さも実際にナタを食べてみて納得。思っていたよりも甘くなく、かなりおいしい。これは客も集まるはずである。

ベレンの塔

ブラガ

2004年06月23日 | 旅行日記
本日は、ポルトから日帰りにてブラガまでの小旅行。とりあえず、本日一緒にブラガに向かう人を拾うためポルトの街中を走るが、ポルトの街中はとにかく分かりづらい。道が細い上に、殆ど一方通行。目的地は近いのに一方通行のためたどり着けないということがよくあった。もちろん、僕の持っている地図には一方通行など載ってないし、最後は殆ど勘の世界である。結局、かなり遅れてたどり着けたが、ポルトを運転する際は皆さんご注意を。必ず迷うと思った方が確実です。

ボン・ジェズス

ブラガといえばボン・ジェジュス。それぐらい有名な場所である。ただし、実際にはブラガの少しはずれにあり、交通手段は車かバス。もちろん僕の場合は車である。こういうときに、レンタカーの価値を強く感じる。このボン・ジェズスは教会までが階段になっており、それぞれの階の脇に祈りをささげる泉がある。もちろんそれぞれの泉の意味など知る由もないが、とても神秘的な雰囲気のある階段である。そして、これを登りきると教会に到達。教会自体も、とても大きく美しい。また教会の横は庭園になっており、これも一見の価値あり。

ボン・ジェズス


ポルトガルの警察

とりあえずボン・ジェズスを出た後はブラガの中心部に直行。レプブリカ広場の地下に車を止め、中心部に向かう。この途中で、一緒に行動していた人がリスボンでカメラを盗まれたので盗難証明書が必要とのことで、警察署にも寄った。最初は英語が通じるのかかなり不安だったが、さすがにユーロ期間中は英語の通訳を置いていた。しかしポルトガルの警察はやさしい。友達は実際にギマラエスのバスティーボで一晩過ごそうとしていたところ、警察が警察署に泊めてくれたらしい。この日の対応もかなり好意的だった。

ブラガ中心部

警察署を出た後は、とりあえず昼ごはんを食べるためのレストランを探す。とりあえずインフォメーションで聞いたとおりの道を進むがぜんぜんレストランがない。この通りにはレストランが沢山あると言ってたのに、、、。そこで一つ通りをずらしてみたら、そこにはレストランが沢山あった。まぁ、文句を言っても仕方がないので、とりあえず人気のありそうなレストランに入り食事にする。味は結構よかった。しかし、周りはオランダ人だらけである。しかも、僕と一緒に行動していた女性に興味津々。彼女がトイレに行っている間に「おまえの彼女か?」「お前のワイフか?」などといろいろ聞かれる。確かにとてもきれいな人なので興味津々なのは分かるが、ぼくの車をシェアするために今日初めてあった人なのでなんとも答えようがない。まぁ、それはさておき食事の後はカテドラルへ。さすがに祈りの街といわれるだけあり、カテドラルの中にはとても荘厳な雰囲気が漂う。そのあとはビスカニョイス博物館へ。といってもここの見所は庭園。宮殿風でとてもきれいだ。ただし端のほうに行くと全く手入れされておらずちょっと幻滅。その後はペリカン広場を除いてみるが、ここはオレンジ一色。とんでもない数のオランダ人がいる。その数はアヴェイロよりも多く感じる。しかもみんな陽気に騒いでるので、なんとも祈りの街には似つかわしくない雰囲気である。この後も観光を続け、旧大司教館に行ったが、ここは開いてなかったのでコインブラス礼拝堂へ。ここは規模こそ大きくないが、チャーミングという言葉が似合う礼拝堂であった。

ギマランイス

2004年06月22日 | 旅行日記
本日は朝一でコインブラからギマランイスに移動。時間にして3時間ほどの車の旅である。3時間というと日本人の感覚からいうとかなり長く感じるかも知れないが、アメリカ生活で完全に感覚が麻痺してしまっている僕にはとても短く感じる。まぁ、どうでも良いことだが。

ギマランイス旧市街

ギマランイスの観光地も殆ど中心部に集まっていて観光客にはありがたい。ギマランスの見所はなんといっても古い町並み。どうやらポルトガルの初代国王はここで生まれたらしい。さて、到着した時刻が既に昼を過ぎていたのでとりあえずご飯を食べることに。入ったお店は、ガイドブックに乗っていたエル・レイというお店。ここは本当においしかった。場所もサンティアゴ広場に面しているのでとても便利である。さてギマランイスの主な見所だが、まず僕は旧市街をひたすら登り城へ。いくつかの塔に囲まれたちょっと要塞っぽい城である。塔もお金を払えば登れるらしいが、当日は雨が降っていてよい眺めも期待できそうになかったので僕は断念。すぐ近くにあるブラガンサ公爵館に行く。ここは現在は政府の公館として使われているようで、建物からはその豪華さが伺える。そのあとは、古い町並みをひたすらぶらぶら歩いた。

サンティアゴ広場

コインブラ

2004年06月21日 | 旅行日記
本日は朝からコインブラでゆっくり観光し、夕方に試合会場へと移動する予定となっている。

コインブラ中心部

とりあえず昼ごろに本日一緒に行動する予定の人とコインブラA駅で待ち合わせ、ご飯を食べた。入ったお店はアデーガ・パソ・ド・コンテというガイドブックに載っていたところ。場所はサンタクルス修道院からちょっと川側に下ったところだったと思う。ここでは魚介類を中心に結構食べてビールも飲んだが、2人で13ユーロぐらいしかかからなかった。安い、、、。しかもおいしかった。これで昼からかなり満足感と満腹感を得て観光へと向かう。とりあえず向かったのが旧カセドラル。現在工事中で、外観はよく分からない。この後は、再びひたすら登り旧大学の敷地内へ。14世紀からの歴史をもつポルトガル最古の大学だそうだ。やはり最古の大学だけあって、建物からも重みを感じる。特に図書館は豪華。入るのにはお金が要り、しかも時間が指定されるので不便なことは不便だが、見る価値はあると思う。大学を見た後は、再び坂道を下りサンタ・クルス修道院へ。この前にある5月8日広場はすでにフランスとスイスのサポーターで溢れかえっていて、かなり雰囲気は楽しい。そんな中をすり抜けて修道院へ。そこまでは大きくないが、アズレージョがとてもきれいな修道院である。また、奥には回廊があり、ここは外の喧騒が嘘のように静かだった。静寂の回廊と名づけられるだけのことはある。

コインブリガ、ファティマ、トマール

2004年06月20日 | 旅行日記
今日はスタジアムでの試合観戦はなし。とりあえずは明日試合を見るコインブラ周辺と、そこから1時間圏内の観光地をめぐり、夜にコインブラに戻りポルトガル戦をテレビで観戦予定。

コインブリガの遺跡

まずはコインブラの街から車で20分ほどのコインブリガの遺跡へ。ここはイベリア半島で一番大きな遺跡ということである。昔静岡に住んでいたことがあるので、どうしても僕の比較対照は登呂遺跡。なるほど、登呂遺跡よりはデカイ。あと、もちろん高床式倉庫もない(当たり前か、、、)。しかし、この遺跡は本当に過去にここに街があったことを感じさえてくれる。保存状態も野ざらしのわりにはかなりよい。ちなみに、この後はコインブラに戻り昼ごはんを食べた。ここでチャレンジしたのはヤギの肉。そんなにまずくもなかったが、思ったよりも味がくどかった。一皿は全部食べられない。

ファティマ

ファティマはコインブラから車で1時間ほどのところにあるバジリカ(大寺院)で有名な町である。到着してまず感じたのは、なるほど大寺院というだけあって、本当に大きい。とりあえずはバジリカの中の教会に入ってみるが、日曜日ということでミサが行われており、観光客と参拝者が入り混じって凄い状態になっている。教会の内装もとてもきれいである。教会を見た後は、とりあえず外にでて、街を歩いてみるが、本当に観光客向けの店が多い。栄えていたころの清里の駅前といった感じだろうか(分かりにくい例えだが、、、)。しかし、こんな小さなところに大祭の日は10万人も集まるというから、ちょっと驚きである。

バジリカ


トマール

トマールはファティマからさらに東に30分ほど行ったところにある、ポルトガル一大きな修道院のある街である。ここに行く途中に山火事があり、迂回させられたため偶然通ることのできた水道橋も一見の価値あり。でも、全くプラン外だったので、どうやって行くかは全く覚えていない。修道院に関しては、やはりデカイの一言。しかも建物の内部(特に回廊)はとても美しい。外見も美しかったが、この修道院は是非とも中に入ってみて欲しい。ただし、全部見てると2時間くらいかかってしまうのでご注意を。ちなみのここからの帰り道も山火事で迂回をさせられたが、その際に迂回路から本線に戻ってくるポイントが微妙に山火事の中で、道路の両脇が未だに燃えていた。山火事の中を車で走る経験は、これで最初で最後だろう。

トマールの修道院

アヴェイロ

2004年06月19日 | 旅行日記
今日はオランダ対チェコをアヴェイロで見るために、朝一でポルトを出てアヴェイロに移動。アヴェイロで少し観光をしてから、スタジアムに移動した。

アヴェイロ中心部

それにしても本当に小さな町である。周りは殆ど田園風景(というか沼地?)で、その中に街がぽつんとある感じ。しかもスタジアムはそこからさらに離れていて、かなり交通の便の悪いところにある。こんなときは、車のありがたさを非常に感じる。さて、アヴェイロの中心部だが、基本的に見るところはそれほどないし、殆ど中心部に固まっている。僕は一応カテドラルとアヴェイ美術館にはいったが、それほど長居もしなかった。その後は、アヴェイロのシンボルともいえる中央運河に戻りとりあえず昼ごはんにした。しかし、中央運河は完全にオレンジに染まっている。運河の橋にあった銅像までオレンジに染められていた。もちろんレストランに入ってもこの状態は変わらない。ただし少し違ったのは、チェコ人もいたこと。両方とも陽気なサポーターでレストランの中で応援合戦を始める。あと、そこでチェコサポーターが僕たちを見つけるなり日本に負けたことを口にしていた。日本人の僕でさえも忘れていたことなのに、、、。

ポルト(1) part1

2004年06月18日 | 旅行日記
今日は試合がポルトなので、昼過ぎまではポルトでともに行動。その後は、友達はバスで試合を見るブラガに、僕はそのままポルトで観光を続ける予定である。

ポルト歴史地区

 とりあえずはポルトの見所の集まる歴史地区へ。最初にポルトを一望できるというグレゴリス教会へ行った。塔の上まではもちろんエレベータなどないのでひたすら階段である。76メートルあるので、登るのにそこそこ疲れるが、ウィーンの街中にあった何とか教会よりは十分マシだった。僕は最初、その教会をイメージして登っていたので、気持ち的にはかなり楽だった。といっても、楽なのは気持ちだけで少なからず体に疲労が貯まっているのは事実だが。教会を出たらとりあえずサン・ベント駅に向かって歩き、その途中で昼ごはん。今回はできるだけ簡単に済ませようと、ファーストフードに近いカフェに入って、パンのようなものを頼む。一つは至極まっとうなパンで、もう一つはデザートっぽいパン。このデザートっぽいパンの方がはずれだった。とても全部は食べられない。そんな時にちょうど後ろのテーブルにスウェーデン人たちがやってきてしばらく会話。彼らは日本人プレーヤーの名前を挙げようとしているが、それがよく分からない。有名な会社の名前と一緒だって言うのだが、中田でも小野でもない、稲本でもなく中村でもない。一体誰のことを言いたかったのだろうか。ちなみにそのうちの1人が以前東京に旅行したことがあるということで、結構話が盛り上がった。

 その後は、友達のチケットの受け取りのアポがスタジアム近くの駅であったため、とりあえずスタジアム方面に車で向かったが、結局道に迷ってしまい(というか駅前には徒歩でしかいけないようなとんでもない駅だった!)、結局友達は試合の時間があったので僕の車に乗りブラガに向かい、僕がチケットを代理で受け取ることに。その後、また歴史地区に戻ってきて観光を再開した。

 歴史地区に戻ってきた後は、とりあえずはカテドラルへ。中では回廊も有料だが見学でき、なかなか綺麗だ。またここからの歴史地区の眺めは本当によい。その後は、ボルサ宮に向けてひたすら下るが、この途中も本当に古くからの町並みで、とても綺麗だ。ボルサ宮は外から見ただけだったが、サン・フランシスコ教会に入った。しかしポルトガルの教会はどこも迫力がある。やはり昔の大航海時代の栄華がモノをいうのだろうか。このサン・フランシスコ教会にも圧倒された。

ポルト歴史地区


カイス・ダ・リベラ

観光を終えて、とりあえず試合前に一杯ぐらい飲もうかと思いレストラン街のカイス・ダ・リベラへ。そしたら、全くのまっ黄色。ビールを飲み歌を歌うスウェーデン人であふれかえっている。もちろんイタリア人もいたが、本当に少数勢力。とにかく黄色い。しかもみんな元気だ。リスボンでのブルガリア戦の時は、試合前の街中での姿は見れなかったが、かなりみんな楽しげに飲んでいる。しかし、ポルトガルの国内のビールの消費量は間違いなくこの時期に跳ね上がっているのではないだろうか。そして、消費した人の出身国別にもし統計を取ってみれば、きっと1位はポルトガルで、その後にはイングランド人、ドイツ人、オランダ人、スウェーデン人、デンマーク人あたりが来るはず。ビールを浴びるように飲む。この言葉はまさに彼らのためにあるようなものだ。

オビドス、ナザレ

2004年06月17日 | 旅行日記
今日ははじめてのリスボン以外の試合。場所はレイリアである。僕の友達も今日はコインブラで試合のため、とりあえずリスボンを一緒に出て、観光をしながら徐々に北上するプランである。

オビドス

リスボンから北に1時間ぐらい。高速を降りてすぐのところにあるのでアクセスは非常によい。街自体は非常に小さいが、とても魅力的な町並みである。チャーミングという言葉が一番ぴったりかも知れない。13世紀から19世紀まで王妃の直轄地として愛され続けたというのも非常に納得できる。入り口はポルタ・ダ・ヴィラというアズレージョで覆われたゲートで、とてもオビドスの町並みにマッチしている。あと、やはりオビドスの魅力はなんといってもその町並み。ガイドブックには「おとぎ話のような」と書いてあったが、まさにその通りである。通りを歩いているだけでも楽しい。

城壁から見たオビドス


ナザレ

オビドスの次はさらに北に向かい、漁師街として有名なナザレへ。ナザレに着いた時間が既に昼をかなりすぎていたので、取りあえずご飯にした。入ったレストランはオ・ナベガンテというガイドブックに載っていたレストラン。ここで蛸のリゾットにチャレンジ。これが本当にうまい!さすがに漁師の街だけあって蛸も新鮮で、これには満足。ポルトガルに来てからの一番のヒットである。昼食をとった後は少し海辺を歩き、ロープウェーに乗ってシティオ地区へ。しかしポルトガルの海は本当にきれいである。あと、ロープウェイ乗るまでにナザレの民族衣装を着たおばあさんを何人か見た。女性はスカートを7枚重ねにしているらしいが、暑くないのだろうか。まぁ。それはさておきシティオ地区に到着したら、とりあえずノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会へ。周りに椰子の木があるせいか、なんとなく開放的に見えてしまう。その後は、教会の目の前にあるメモリア礼拝堂へ。これは、狩りの途中で海に落ちそうになった城主を聖母マリアが救ったご加護に対して、城主が立てたものらしい。小さな小屋みたいなとてもユニークな建物である。

ナザレの海

マフラ、シントラ、ロカ岬

2004年06月16日 | 旅行日記
本来は13日のイングランドvsフランス戦で落ちあうはずだった友人と本日やっと合流。これからしばらくの間は行動を共にする。といっても一緒にチケットをとったわけでないので、日によっては別行動にはなるが。前日までにお互いリスボンはそれなりに観光していたので、ちょっと遠出を試みてみた。

マフラ

まずは修道院で有名な街、マフラへ。リスボンから車で1時間弱といったところか。ただリスボンの朝は至る所で渋滞するので、注意されたし。特に中心部に向かう場合は最悪である。まぁ、それはさておき高速をひたすら北へ向かい、マフラを目指す。リスボンを離れると、大して木が生えているわけでもない丘陵地がひたすら続く。あと、ポルトガルによく見られる白い家がまれに見られるぐらいか。そのような変わらない風景をひたすら進んで行くうちに、マフラに着いた。しかし、本当にこんな田舎にデカイ修道院なんかあるのか、などと思っていたら、本当にデカイ修道院が突如として現れた。それ以外は何もない。これには、友達も僕もビックリ。建物全体を写真に入れるのに苦労するような大きさである。建物自体は礼拝堂とそれ以外の宮殿や修道院の2つに別れていて、礼拝堂はタダで見学できるが、そのほかはツアーに参加する必要あり。かなりたくさんある部屋(実際には2000部屋あるらしい)の200部屋ほどを案内してくれるので、かなりの時間がかかる。必見は、多分歴史的な価値はそれほどないけれども、部屋中に鹿の角がちりばめられている部屋と、歴史的価値のありそうな図書館。鹿の部屋はアントラーズファンは必見?

マフラの修道院


シントラ

マフラの後は、そのまま南下してシントラへ。とりあえず王宮を目指し、当日は休みで中には入れなかったので、近くのレストランで昼食にする。その後は、ガイドブックに載っていたピリキータという店でシントラ名物のお菓子、ケイジャーダとトラヴセイロをテイクアウトし後で食べた。思ったより甘くなくて、結構いけた。お菓子を買った後は、そのまま車で山を登りムーアの遺跡へ。しかし、王宮あたりから歩いて登ってる人もいたが、かなり距離はあった。車を持っていない人には結構きついかも知れない。ちなみにムーアの遺跡とは、言葉の通りムーア人の遺跡のことで、わずかばかりに城壁が残っている。これも一番上まで行こうと思うとかなり体力が必要。途中でへばってる人も結構いた。でも、ここからのペーナ宮の眺めと、大西洋の眺めは本当にきれいである。そして最後はペーナ宮へ。これも山の上にあるが、ここは駐車場近くからトローリーバスで上まで登れる。われわれもそれを使おうとしたら、「一杯だから」といわれ乗車を拒否された。で、意地になって上まで歩いた。でも、途中であっさりトローリーバスに抜かれなんだかむなしかった。まぁ、そんなことはさておき、とりあえずお城に到着。ちなみにここの男性用トイレは結構面白い造りをしている。是非お試しあれ。お城自体は、普通の城にはないようなカラフルさがあり不思議な感じ。どのように不思議かというと、なかなか言葉では伝えられない。ただリスボンに行った際には、是非ともちょっと足を伸ばしてみることをすすめる。それだけ面白い建物である。

ムーアの遺跡から見たペーナ宮


ロカ岬

シントラの後は、さらに車で南下してロカ岬へ。しかし地図上では凄くシンプルな道なのだが、なかなかどうして。本当にこれが広域図に載っている道かと疑いたくなるくらい狭い。しかも電気がかろうじて通っているくらいの小さな村みたいなところをひたすら進む。途中不安になり、道を歩いていたおばあちゃんに聞いてみるが、やっぱりあっているみたいだ。その後友達と、「このおばあちゃんにとっては日本人に道を聞かれる事など、いままで一度もないだろうし、これからも一度もなんだろうな」という会話をした。まぁ、どうでもいい話だが、おばあちゃんにとってはインパクトが大きかったかもしれない。で、結局ロカ岬に到着。目の前には雄大な大西洋が広がる。これでユーラシア大陸最西端を制覇である。さっそく、最西端到達証明書(驚くことに日本語もある)を購入した。証明してもらったところで、どうなるわけでもないがとりあえずの記念である。しかし、海がきれいだ。こういうところに来ると何も考えたくなくなる。でも、考えなければならなかったことが少なくとも一つ。そう、試合の時間が迫っているのだ。

リスボン(1) part4

2004年06月15日 | 旅行日記
空が本当に青い、、、

本日は試合はお休み。といっても、パブリックビューイングではドイツ対オランダは見る予定だが。とりあえずは、昨日の飛行機のディレイののためにできなかったリスボン観光をすべく、市内の中心地へと向かう。まずは、リスボンの全体図をつかむためにエドアルド7世公園に。せっせと一番上に向かって歩くがかなり暑い。一番上に到着したころには汗びっしょりである。そこからリスボンの町並みとテージョ川を見渡す。それにしても空がきれいだ。本当に青い。こんな青い空は見たことがない。

エドアルド7世公園からの眺め


リベルダーデ通り周辺

とりあえずは公園をくだり、ポンバル公爵広場の脇を通り、リベルダーデ通りを南下する。途中、ケーブルカーにも乗りモラエスの生家(日本について紹介した作家らしい)に行った。ポルトガルは日本とのつながりが深い国と思っていたが、この家の壁に埋め込まれている日本語のアズレージョを見て、それを再認識する。でも、僕以外の観光客は誰もいない。もしかしたら日本のガイドブックにしか載ってないのかなとも思ったりする。この後は、再びリベルダーデ通りにもどり、この付近で昼食をとった。入ったレストランは、オ・ブルニャルというガイドブックにも載っているところで本当に庶民的なお店。とりあえずは一杯飲みたくなりサングリアを頼み、あとは鱈の焼き魚みたいなもの。まだ時差ぼけもある状態だったが、それでもサングリアはおいしい!どんどん飲むうちにかなり酔いもまわって来た。そして鱈の焼き魚がちょっと遅れて出てくる。鱈はポルトガルでも庶民料理の代表と聞いていたのでとりあえず試してみたが、僕にはちょっと脂っこすぎた気もする。まぁ、まずいということは全くなかったが。

バイロ・アルト周辺

食事をとった後は、別のケーブルカーに乗りサン・ペドロ・アルカンタラ展望台へ。ここからはリスボンの旧市街が一望できる。旧市街の向こうに見えるサン・ジョルジェ城もきれいだ。その後はサン・ロケ教会(日本の天正遺欧少年使節団が滞在したらしい)に寄り、そのままカモンエス広場を経由して、ケーブルカー(ピッカ線)でリベイラ市場に下り、カイス・ド・ソレ駅付近から海を眺め、再びカルモ教会へと向けて丘を登る。しかし、リスボンの観光は本当に体力勝負である。登ったとおもったら下り、下ったと思ったら登る。この繰り返しである。このころには、サングリアは完全に抜けて、体の疲労だけが残っていた。結局、ふらふらになりながらカルモ教会に到着。ここは250年の地震で倒壊した建物がそのまま残っている非常にユニークな教会だ。実際に中に入ると、地震のすさまじさが感じられた。

バイシャ周辺

カルモ教会の後は、再び旧市街地に向かう。ここでテレビにインタビューされたが、ポルトガル語で何を言っているのか全く分からない。結局何が何かよく分からないうちに、インタビュアーとカメラマンは去っていった。まぁ、そんなこともあり、今度は途中で、サンタ・ジュスタのエレベータに乗り、一番上の展望台へ。この展望台の最上部はカフェになっており、ここについてしまうと、ほぼ何かは買わされる。僕は本当に疲れていたので、ここぞとばかりにジュースを買い、テーブルで一休み。ちなみにスウェーデンサポーターはここで休んでいる間は、下からも見えるようにスウェーデンの国旗を展望台の柵に縛り付けていた。いかにもユーロらしい光景である。エレベータに乗った後は、街の一番の中心であるロシオ広場から、いろいろなお店が並ぶアウグスタ通りを通ってコメルシオ広場へ。町並み自体は古いが、かなり近代的な店が並ぶ。

サン・ジョルジェ城からアルファマへ

コメルシオ広場に出たあとは、サン・ジョルジェ城へ向かい再び徒歩。また坂道である。リスボンは本当に、足を酷使する観光地である。このころには完全に足がパンパン。久しぶりにこんなに歩いた気がする。普段、週に2から3回ほどは近くのクロスカントリーのコースを走っている僕でもこれだから、老夫婦などはどうやって観光しているのだろうか。そのような場合は、観光バスに頼るしか選択肢がなさそうな街である。まぁ、それはさておき、とりあえずサン・ジョルジェ城についた。ここからの4月25日橋の眺めはとてもきれいである。また城壁に登れば、街の四方が見渡せる。せっかく来たのだからと僕も城壁に登り一周したが、これがかなり足に堪える。こんな城壁を作った先人を恨みたくなる。まぁ、それはさておき、かなりフラフラの状態で今度はアルファマへ向かう。しかし、ここまできたら頻繁な休憩が必要だ。結局、サンタ・ルシア展望台というところのカフェでアイスクリームを食べた。何気なく注文した商品が僕の会社の製品だった。話はそれるが、僕の勤めている会社はヨーロッパの会社のため、ヨーロッパでのシェアが非常に高い。特にポルトガルでは、何かの形で30分に一度は自社製品を見る。そんなときはなぜか観光気分が一瞬冷めてしまう。まぁ、どうでもよいことだが。ということで、次はアルファマという、ポルトガルの古くからの住宅街へ向かう。しかし、本当に古い住宅街という言葉がぴったり当てはまる。日本で言えば、浅草から浅草寺をとった感じといえばよいだろうか。教会の横では、住民が集まり2人の女性が口論をしている。かなり迫力がある。でも全く何を言っているかは分からない。と、そんなところへ今度は新聞記者からインタビューされる。こんどは英語だったのでかろうじて分かった。ポルトガルの印象や、試合の観戦予定等を聞かれた。写真も撮られた。でも、どの新聞か聞くのを忘れたため、翌日の紙面に出たかは定かでない。聞いておくべきだったと後で思った。それにしても僕はそんなに典型的な観光客にみえるのだろうか、、、。

アルファマの町並


日焼け止めって持ち込めないの....?

一通り観光を終えた後は、オランダvsドイツをパブリックビューイングで見にオリエンテ駅前のファンパークへ。しかし、ここでトラブル発生。そのときかばんの中に持っていた日焼け止め(ポルトガルの必需品!)が持ち込めないと言われてしまったのだ。しかし、なぜ日焼け止めが?と思いながらも、こんなところでもめて後に差し支えるのもばかばかしいので、結局泣く泣くあきらめる。最後は車を止めてあったコロンボ・ショッピングセンターまでひたすら戻り、そこでお買い物。まぁ、観光は充実していただけに、なんだか味気ない一日の終わり方をしてしまった。

リスボン(1) part3

2004年06月14日 | 旅行日記
やっぱり乗り継げない、、、

前日にダラスで言われたことがやはり現実となる。飛行機がフランクフルトに着陸した時間が、僕のリスボンへの乗り継ぎの出発時刻。どう考えても乗り継げるわけがない。まぁ、とりあえずはサービスカウンターに行ってみなければ始まらないと思い行ってみたが、やはり渡されたのは3時間後のリスボンへの飛行機のチケット。今回は予期していただけに、ダラスのオーバブッキングの時のほどのショックはなかったが、でも乗れなかったことに関しては航空会社から何の謝罪の言葉もない。一体、このドイツ系の航空会社はどうなっているのであろうか。

27時間遅れてリスボンへ

結局27時間遅れてリスボンに到着。その27時間の間に、ベッカムがPKをはずし、ジダンがPKを決めたのかと思うと、悔しくて仕方がない。ただ、そんなことを考えていても仕方がないので、とりあえず今日の試合へと思いを切り替える。そう、僕の愛するアーセナルのピレス、ヴィエラ、アンリ、キャンベル、コールは見られなくても、今日のゲームにはフレディー(リュングベリ)がいるではないか。ここは中盤を駆け回るフレディの姿を焼き付けることにしよう、と。しかしそんな考えも、飛行機を降りた瞬間のリスボンの暑さによってかき消される。とにかく暑い。といっても、日本のように湿気がないのが救いだが、アメリカのど真ん中から来た人間にとっては非常に暑く感じる。これで本当に2週間体力が持つのだろうか。

なつかしのプジョー206

今回の旅ではレンタカーでポルトガルを走り回ることにした。さっそく予約していたプジョー206を借りるため、レンタカーのエージェントと待ち合わせるがなかなか来ない。30分ぐらいたってやっと来たが、今度は話している英語がよく分からない。僕も英語には絶対的な自信を持っているわけではないので、お互い四苦八苦しながら手続きを進める。前途多難である。結局、問題なく車は借りられたので、試合の時間も迫っているのもあり、とりあえずガスだけ入れてスタジアムに向かおうと決め、これから2週間ずっと一緒の愛車のシートに座る。実はレンタカーをプジョー206にしたのは大きな理由があった。まずこの車種以外のオートマ車はとても高いこと。ポルトガルではマニュアルを運転するのが普通らしいく、オートマ車は高級価格帯にしか通常はないそうである。そして2つ目の理由が大きいのだが、実は日本にいたとき3年ほどこの車に乗っていた、とても思い入れの強い車なのである。だからこれから2週間旅を共にするこの車のシートに座ったときは、妙に落ち着いた。なんだか、今回の旅で初めて安らいだ瞬間である。まぁ、そんな安らぎもすぐに消えてしまうことになるのだが。

ポルトガルの交通マナー

車に乗り、空港を出てさっそくトラブル発生。ガスを入れようにもどのガスを入れていいか分からない。親切なひとが教えてくれたが、何を言っているのか殆ど分からない。そしてひとたび道路に出たら、とんでもない世界が待っていた。まず、信号の位置が交差点の手前にしかないため、一番先頭にとまると自分で確認できない。で、進まないと怒涛のようにクラクションが鳴る(後から知ったのだが、これは怒って鳴らしているわけではなく信号が変わったことを知らせる意味もあるとのこと)。さらに、ポルトガル人はみんな飛ばす。しかも急に止まる。路駐はし放題(まぁ、これは僕の地元の名古屋も同じだが)。しかもロータリー式交差点が多い。ロスで運転したときも怖かったが、リスボンも本当に怖い。あぁ、なんてところに来てしまったんだ、、、。

リスボン(1) part2

2004年06月13日 | 旅行日記
やっと6月13日

日も変わり6月13日。フライトは15時なのでとりあえず11時ぐらいまでは熟睡。でも、ほんとだったら今頃リスボンについてたのになぁ、なんて思ったりして、ちょっとむなしくなる。まぁ、それでも気を取り直して空港に行くと、今度は「フライトの出発が2時間ほど遅れるので、フランクフルトでのリスボン便の乗り継ぎがきわどいですね。とりあえずはここでは乗り継ぎの搭乗券は発行しませんので、フランクフルト空港でサービスカウンターに向かってください。」って、おい。乗り継げなかったらどうなるの?次のリスボン行きの便は何時?14日の試合はせめて見させてよーーーー。結局乗り継ぎの便に関しては、次の便は3時間ほど待たなければならないとのこと。それでも何とか試合には間に合いそうだけど、何でこうなるの?

リスボン(1) part1

2004年06月12日 | 旅行日記
6月12日の出来事

6月12日。僕はリスボンでの初戦、イングランドvsフランスに思いをはせ家を出る。予定通り、最寄のノースウェストアーカンソー空港からダラス行きの飛行機に乗り、そこでフランクフルト行きの飛行機に乗り換えるはずだった。そう、はずだったのだ。だが、ダラスにて某ドイツ系の航空会社のカウンターに行って最初に言われた言葉が、「申し訳ありませんが、あなたのお席はありません。航空会社は、キャンセルが常に出ることを想定して、余分に席を振ってあるのです。今日はあいにく、キャンセルが少なかったためオーバーブッキングになってしまったのです。あいにくどの航空会社の他のヨーロッパ行きの便も全て埋まってしまって、明日の便にお乗りいただくしかありません」との説明。な、なにーーーーーーーーーーーーーっ。そんなーーーーーー。13日のイングランドvsフランスのチケット持ってるのにーーーー。しかも、プレミアファンで、かつアーセナルをこよなく愛する私に、イングランドvsフランス戦を諦めろだーーーー?ふざけるな。さすがに、これには僕も頭にきて、自分がスターアライアンスのプレミア会員であること(日本との往復とかもしてるので、もう既に3000マイルも半年で貯まってるのです)も持ち出し、優先権があるはずだと主張しても全く受け入れられず、泣く泣く400ドルと引き換えに翌日の便に乗ることに。そのときに説得された言葉が「うちの旦那もスコットランド人で、レンジャーズには目がないのよ。あなたがどれだけFootballを大事にしてるかよく分かるは。」このような言葉を言われるとさすがに弱い。でも、くやしーーーーーーっ。

しょうがないので

ホテルにずっといても気がまぎれないので、仕方なく12日の夜は近くのボールパーク・イン・アーリントンにメジャーリーグの試合を見に行くことに。実は4月にもマリナーズ対テキサスの試合を見に着たばっかりなのに、まさかそれから2ヶ月もしないうちにまたくるとは。そのことをスタジアムまでのタクシーの運転手に話したら、思いっきり笑われた。で、今回見たのはテキサス・レンジャーズ対セントルイス。そうセントルイスといえば、田口のいるチーム。でも当の田口はチームの都合でマイナー行きの最中。結局、試合を見ても全く集中できず、とりあえず試合終了までいただけという感じ。ていうか、何でイングランドvsフランスがテキサスvsセントルイスに変わっちゃうの?

ボールパーク・イン・アーリントン

サンフランシスコ(2) Part2

2004年05月30日 | 旅行日記
チャイナ・タウン

2日目はとりあえずブランチを食べるために、まずチャイナ・タウンへ。友人の旦那がチャイニーズ・アメリカンということもあり、サンフランシスコのチャイナタウンのお薦めのお店へ友人夫婦とともに出かけた。店の名前は忘れた(たしかゴールデンなんとか、、、)が、この店の飲茶は感動するぐらいおいしかった。多分今まで食べた中で一番おいしかったチャイニーズである。恐るべし、サンフランシスコ、、、。

ゴールデンゲート・ブリッジ

チャイナタウンの後は、ゴールデンゲートブリッジへ。今回は自転車をレンタルして、ゴールデンゲート・ブリッジを渡ることにした。自転車という案は僕の友達が考えたものだが、これがかなりよかった。自転車なので、景色を見たければそこで止まる事もできるし、なにより世界で一番美しいといわれる橋の眺めをよりゆっくりと楽しむことができたのがよかった。ルートとしては、フィッシャーマンズワーフあたりから出発し、橋を渡り、橋の反対側の街からフェリーで戻ってくるというものである。このコースをサイクリングする人が多いためか、フェリーにはかなりの台数を収容できる自転車置き場があるなど完全に自転車に対応していた。帰りのフェリーからはアルカトラズ島やゴールデンゲート・ブリッジが望める。

ゴールデン・ゲート・ブリッジ


フィッシャーマンズ・ワーフ

サイクリングを終えた後は、一旦友達と別れフィッシャーマンズ・ワーフをぶらついた。ただ一言でフィッシャーマンズ・ワーフといってもかなり広い。前回来たときは確か冬だったので、それほど活気は感じなかったが、今回はメモリアルデーの連休真っ最中ということもあり、かなりの人出で、大道芸などの催しも多く行われていた。買い物スポットもかなり沢山あり、いくらでも時間がつぶせるところである。

最後はやはり日本食

3日目は飛行機で帰るだけなので、事実上は今日がサンフランシスコ最終日。ということで、ふたたび友人夫婦と食事に。しかも今回は、大学時代の共通の友人の親戚がやっているという日本料理屋である。しかしやはり日本食はいい。とくにカリフォルニアの日本食は、魚が新鮮なせいもありアーカンソーのそれよりもかなりまともである。こんなときはアーカンソーに住んでいる自分が妙に恨めしくなってくる。