若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

いたちごっこ

2010年07月15日 | 政治
2000年に、出資法の上限金利が年40.004%から年29.2%に引き下げられた。出資法に違反した場合、刑事罰が科される。2010年6月には、出資法の上限が利息制限法の上限(15%~20%)に引き下げられ、いわゆるグレーゾーン金利が撤廃される。また、その人の収入の3分の1までしか貸付できないという総量規制も設けられた。

「年40%でなら貸し付けできるけど、20%・30%で貸せるほどの信用力はない」
と判断された人は、正規の金融機関からはお金を借りられなくなる。貸す方も商売なのだから、回収の見込と金利が見合わないとなれば、誰も貸さなくなってしまう。

すると・・・


“現金化”業者 一斉税務調査
貸し渋りや多重債務で融資を受けられなくなった人などに、クレジットカードを使った買い物の形をとることで、手軽に現金を融通する業者が急増し、返済できなくなった利用者が、さらに多額の借金を抱えるトラブルが起きていることが明らかになりました。こうした業者は、貸金業法の規制を受けず、国税当局は一斉に税務調査に乗りだし、詳しい実態の解明を進めています。

こうした業者は、利用者にビー玉や石けんなど、本来は100円程度で買える商品をクレジットカードで数十万円で購入させ、代金の一部を払い戻す「キャッシュバック」付きの商品という名目で、15%前後の手数料を差し引いて現金を提供します。利用者は、多重債務などで融資が受けられなくても、この業者にネットや電話で申し込むと、「ショッピング枠」と呼ばれるカードで買い物ができる限度額近くまで現金を手にすることができ、こうした業者は「ショッピング枠現金化業者」と呼ばれています。融資の審査がなく、現金が手軽に手に入ることから利用者が急増していますが、カード会社からの代金の請求に応じられず、多額の借金を抱えたり、カード会社が被害を受けたりするトラブルが相次いでいます。しかし貸金業には当たらないとして貸金業法などの規制を受けず、業界関係者によりますと、この1〜2年で業者の数は300を超えたということです。



銀行でも消費者金融でも融資を断られ、カードのキャッシング枠も使い切った。
そんな多重債務者が、業者からビー玉1個を100,000円で購入。
支払い方法は、カードで3回払い。業者から85,000円のキャッシュバックを受ける。

するとあら不思議、手元には85,000円の現金(と、ビー玉)が届く。

・・・というカラクリらしい。

これが、業者と利用者だけのやりとりになると、金銭消費貸借として貸金業法や出資法の規制におそらくひっかかる。ところが、業者が利用者にクレジットカードを使わせることによって、カード会社を巻き込んだ3者の構図となり、金銭消費貸借でないから出資法の規制を受けなくなる。

85,000円借りて、利息込みの総額100,000円を3ヶ月で返済する契約を業者と利用者の2者間で結ぶと、年計算で70.56%で出資法違反になる。ところが、実質的にはお金の貸し借りであっても、形式的には商品を購入してカード会社を利用して支払うという形をとっているため、出資法や貸金業法の規制を潜り抜けるのだ。

正義感の強い法律家は、こういうニュースを見ると
「クレジット枠現金化業者に新たな法規制をすべきだ」
「出資法や貸金業法の対象をクレジット枠現金化業者まで広げるべきだ」
と思うのだろう。

だが待ってほしい。

クレジット枠現金化業者という新手の商売を出現させたのは、利息引き下げやグレーゾーン金利撤廃を求めて運動してきた法律家の正義感なのだ。ここで新たな法規制を設けたところで、また新たな形態の金融業が出現するだけだろう。そして、今回はカード会社が巻き込まれたように、規制を増やす度に複雑化しそれまで関係なかった業種まで巻き込むようになってしまう。

建前・道徳からすれば禁止・規制されて当然だが、実際は相当な規模の需要が存在する業種がある。例えば、賭博、風俗、麻薬などだ。これらは一応禁止・規制されているが、実際は法の網をくぐり、あるいは地下に潜り、多くの人に提供されている。今回問題となった高利貸しも、規制が増えるたびにある者は地下に潜り、ある者は法の抜け穴をついた形態を模索してきた。規制とのいたちごっこは、規制コストを高め、複雑な法規制を形成し、結局のところ誰も得をしない。

人々が高利貸しで借りる現実を避けて、義憤にかられて
「多重債務者を救うために金利規制を」
と叫んだところで、何も解決しない。事態を複雑にするだけだ。規制をかけて地下に潜ることで、かえって犯罪の温床となる場合もあるだろう。


M&R・フリードマン著『選択の自由 自立社会への挑戦』冒頭
これまでの経験は、政府が掲げるいろいろな目的が有益なものであるときこそ、自由を守るためにわれわれはもっとも用心しなければならいことを、われわれに教えてくれる。自由に生まれた人びとというものは、悪意をもっている支配者たちによって自分たちの自由が侵害されることに対しては、これを撃退しようと生まれつき油断なく警戒しているものだ。しかし自由に対するもっと大きな危険は、熱意にあふれその動機は善意に基づいてはいるが理解力には欠けている人びとによって、われわれが気がつかないうちにもたらされ、われわれの自由を蚕食していくことだ。

ルイス・ブランダイス判事
アメリカ合衆国最高裁判所判決(オルムステッド対合衆国)
277合衆国479(1928年)

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