寛和元年(985年)第65代花山天皇のとき
日本ではじめて地獄と極楽を絵画で現し
仏教をやさしく民衆に普及した
阿弥陀仏の名僧・恵心僧都・源信がおられた。
(この源信は、絵も書も彫刻も大家であった。)
恵心僧都・源信
恵心僧都は、仏教の先輩国である
中国に、仏教典を贈り
「 大日本国恵心僧都 」の称号を
受けた名僧であり
ひろく民衆に親しまれる歌を作った。
NPO法人メダカの学校・茂木里山自然学校
若杉ばあちゃんの台所
野に咲く花のように
ブログ名をかえました。
疎開者ということもあり無視された父。
その死に際した4歳の自分に、その無念さが引き継がれたように
父の名を送り出し続けた。
しかし、今の自分を天からみて、それによりかよらずか
汚名を着せられ屈辱をしのぶことを決して喜ぶまいと思う。
父の無念、母の無念、兄弟たちの無念、自分の無念さ。
多くの無念な思いを味わい、今もゆえなく味わっている人々、生命たち。
父の魂をそこから開放してやりたい。全ての魂を。
今は。ただ、明るくあるように。そう言っているように聞こえる。
そして、もっと大切なことに目をむけろと聞こえる。
南無
命の別名 HALHAL2004