ライコログ

メイクアップアーチスト「カワライカツヨシ」のブログ

下野新聞に掲載された記事

2006-08-28 19:04:35 | メディア掲載
~~以下引用~~

下野新聞

ライフ=ワーク

新たな魅力の案内役

ブラシを持つ手は一時も休まない。その滑らかな動きが、女性の顔から新たな魅力を引き出していく。
 アイシャドー、アイライン、アイブロー、マスカラ、チーク、リップ・・・。ポイントによっては数種類のブラシを駆使する。
「メークアップアーティストにとって手先が器用かどうかは大した問題じゃありません。それより、他人の顔に強い興味を持てるかどうかが最も重要。自分は街を歩いていても他人の顔がすごく気になって『この人は教師に向いている顔だ』とか『明るいけれど緊張するタイプじゃないか』とか想像しています。」
 メークアップアーティストは、美容師と違って公的な資格を必要としない。それだけに「プロ」として顧客の信頼を獲得するためには、メーク技術以外にも観察力や話術などさまざまな技術と努力が求められる。
 右脳で感じた事を左脳に渡してきちんと言語化するよう心掛けています。ただ「すてき」とか「かわいい」じゃなくて、どこをどうすれば魅力的になるのかを具体的に伝えたい。お客様の要望を先回りしてアドバイス出来る事が理想ですね。
 一般女性のメークを担当していて、よく出される注文に「もっと目を大きくしてほしい」がある。
 「でも、目の小さい女性が美しくないかといえば絶対にそんなことない。要は顔全体のバランスであり、似合ったメークかどうかです。美しさは決して画一的なものではありません。」
 小山市に事務所を構えて六年になる。当面生活の拠点を都内に移す考えはないという。
 「栃木県内に住むメークアップアーティストは恐らく自分ひとり。小山なら東京に通えるというのが大きな理由ですが、それだけでもないんです。東京に住まなくてもやりがいがあって格好いい仕事はできるということを証明したい気持ちがあります。」

~~引用おわり~~

昨日下野の方にお会いしたので、これもアップしておきます。
ちょっと!ちょっとちょっと補足させて頂くと、

「どこをどうすればどう魅力的になるのか」

というのは「きれい」「かわいい」を導きだすために、こちら側が考えておくべきだということね。決してお客さんに勉強を強いるという意味ではないので念のため。

ただ「かわいいっすね~」なんて言っても「バカにしてんの?」なんて事になりかねないからね。その人の魅力を説明する際に出来る限りの説得力が欲しいのですよ。

例えば・・・

・・となると非常に長くなるのでこの辺で。


産経新聞に取り上げてもらった時の記事

2006-04-12 19:41:06 | メディア掲載
2002年1月20日 産經新聞

~以下引用~

おやじ万歳!(2)
「誠実」背中で教わった

 おやじは岩舟で窯を営む陶芸家で、腕っぷしが強く、私が小さいころは本当におっかなかった。
 私が小学生のころ、ゲームセンターでゲーム機をいたずらして、お金を入れずにゲームをする”だたゲーム”ってのがはやったんですが、おやじにばれたときはケツを平手や細い竹の棒でメチャクチャにひっぱたかれました。
 それにおやじはとにかく愛想が悪いし、しゃべらない(笑)
 でも不思議なのは、そんな無愛想なおやじのもとに毎晩、誰かが「遊びに来たよ」って一升瓶ぶらさげて来るんですよ。そして皆、楽しそうに酔っぱらって帰っていく。おやじは自分から付き合いを広げるタイプではありませんでしたが、知り合って仲良くなった人にはウソをつかず、とことん誠実に付き合っていた。だから皆、安心しておやじのところに遊びに来た。「この人は自分を裏切らない」って
 軽い付き合いって多いですよね、例えば名刺を交換しただけの関係とか。私はこういった”下心あり”でお互いの人脈にすり寄るような付き合いが苦手で、日々の生活の中で知り合えた人にできるだけ誠実にしたいと思っています。やっぱりこうやって考えられるのはおやじの影響ですね。
 実家は明治の頃から陶器を焼く窯で、戦争中から周辺の窯と一緒に農業用水等に使う土管の製作に切り替えました。
 発注が多い土管は安定して売れますが、十三歳の頃から陶芸を始めたおやじは、創作意欲を必要としない同じ型を抜くだけの土管作りに満足出来なくなった。それで四十歳を過ぎて陶芸の道に戻ったのですが、周りの窯が土管を安定して焼き続ける中、あえて陶芸に戻ったわけですから、苦労は大きかったと思います。
 私は大学時代にメークの専門学校に通い始めてからメークの道に入り、美容室などで仕事を始めたのですが、「ちょっと男前な先生がメークしてくれる」という時代はすでに終わった、と思っています。それで、グラフィックの世界に興味を持ち、栃木の女性にどんどんきれいになってもらって「メークの需要を拡大させる」という希望を込め、若くて意欲のある女性を紹介するフリーペーパー「思川通信」を始めたのです。
 おやじは土管製作から陶芸に転向し、私はメーク一本から、グラフィックを取り入れたメークへと転向したわけですが、おやじが成功したんだから私も成功を確信しています。

~引用おわり~

この文章読み直すと、当時のSOHOブームの薄っぺらさにイライラしてたのが思い出されてちょっと恥ずかしい・・・(^^;)

綺麗ごとを言うつもりはないけど、ワタシ自身誰かを利用してのし上がろうと言う気は一切ない。誰かのお世話になったということもそれに含めるとするならば、他人を利用しっぱなしということになるけどさ。

・・・感謝してます、先生、師匠、先輩、友よ。

これはまだ親父が生きてた頃に取材してもらったんだけど、親父に見せたときの反応は
「何やってんだかわかりゃしねえ」

だったよ・・バカな息子でホントにごめんよ。

メーキャップアーティストがフリーペーパー創刊

2006-04-08 19:55:11 | メディア掲載
2001年11月9日 毎日新聞
~以下引用~
メーキャップアーチストがフリーペーパー創刊
若者の新しい情報源

 県内を中心にメーキャップアーティストとして活躍する川原井克芳さん(30)が、フリーペーパー「思川通信」を創刊した。創刊号は小冊子形式で、A4の4分の1サイズ、全14ページ。インターネットと連動して、川原井さんを中心とした編集スタッフが、最先端のメークやタウン情報を随時紹介してゆくという。県内の若者の新しい情報源として注目されそうだ。
 川原井さんによると、このフリーペーパーには無理に多くの情報を詰め込まず、写真やグラフィックなどビジュアル情報を主体にした。さまざまなホームページアドレスが掲載されており、文字情報はiモード(NTTドコモ)やパソコンなどで読んでもらう事を目指している。
 創刊号は川原井さんがパソコンで製作、1000部を印刷した。内容は、川原井さんが小山市で開くメーキャップスタジオ「make up raico」で働く女性スタッフ3人の紹介や、宇都宮市で活動するコピーライターのコラムなど。カラー写真を使って、川原井さんによる新感覚の化粧も披露している。「メーキャップの需要を作り出すこと」も目的の一つだと言う。
 今後は月1回発行し、飲食店や美容室などに置いてもらい、待ち時間に顧客に手を取ってもらい、iモードなどでアクセスしてもらうことが目標。思川通信のアドレスはhttp://digiraico.com/~omoigawa/

~引用終わり~

「下野の人から下野の国へ」

栃木県民を紹介することによって栃木の今を探る「思川通信」の企画が始まったのは2000年の暮れ。2001年の春には試作を作って一人でスポンサーまわりしてたんだよなあ。当時はインターネットをしている人間というのは「オタク」呼ばわりされてた。ましてや美容業界の人間がやってるなんていうのは正気の沙汰じゃ無かったっすよ。

で、その試作を毎日新聞さんに取り上げてもらって(おとといアップしたやつ)手伝ってくれる人が増えてきて、当時県内の企業が集まる展示会でも取り上げてもらった。

けっこう注目されたのよ。

でも結局商業ベースに乗せられなくて仲間も一人減り二人減り・・

最近似たようなコンセプトの冊子を県内で見つけた時にはちょっと涙でた・・・

・・・なんだか湿っぽくなっちまったな!

いいから飲め飲め。

栃木の100人として書いてもらった記事

2006-04-06 17:28:48 | メディア掲載
2001年8月21日毎日新聞

~以下引用~

21世紀栃木の100人(65)
メークアップにデジタル技術も駆使

 7月まで半年間、福田屋ショッピングプラザ宇都宮店で週一度、無料で女性にメーキャップするコーナーを担当した。フルメーク、化粧直し、まゆや目だけのメークなどの依頼、色彩やスキンケアのアドバイスにも応じた。最先端のサービスということもあって人気を呼んだ。
 小山市生まれ。大阪の大学の商学部3年のころ、ダブルスクールが流行しており「興味本位の軽いノリ」でメーク専門学校に入った。だが奥深さにのめり込み、欲念には同校の講師となっていた。約20人の生徒を前にした授業で緊張のあまり最初は「何を話しているのか分からなくなった」という。そこで「どこから攻められても大丈夫なように」と学校のテキストを読み込み懸命に勉強した。「このときの経験が今の自身につながっている」と振り返る。
 大卒後京都の化粧品メーカーで専属アーティストとして働き、99年から東京に勤務。主にデパートで化粧品の販売促進などの仕事をこなしてきた今年に入ってからは故郷の栃木にフィールドを移し、販促活動や結婚式場で活躍している。
 「女性に喜ばれたい」という思いがメークへの情熱の源だ。東京で働き始めたころ、デパートに来店した20歳くらいの無口な女性をメークした。仕上がった後、お礼の言葉もなかったが、いつまでも鏡の自分の顔にじーっと見入っていた。「ああ、このお客さんよろこんでいるんだなあ」と職人冥利に尽きる思いがした。
 女性の美をコマーシャル写真の世界でも追求している。現在、ファッション誌などの写真は大半がパソコンで修正されていると言う。撮影現場でせっかくメークしても画像をデジタル修正されるなら「もう化粧の技術はいらないのか」と悔しくなった。しかし「これからはパソコンもメーク道具の一つ」と気持ちを切り替えた。手始めにパソコンを使ってフリーペーパーを試作してみた。ニキビやクマなどはほとんどが修正可能だ。秋までにはデジタル技術を駆使した「質の高いフリーペーパー」を作成し飲食店などに置いてもらうのが目標だ。だがやはり生身の女性を基本だと本来の腕にも磨きをかけている。
 「栃木の女性は最新の流行に対して食いつきが悪く、冒険が出来ない」と感じる。ファッションではオーソドックスなすでに定着したもの好む傾向にある。しかし、反面むやみに流行を追いかけるのではなく、自分に合うかしっかり考える所がありそこが「粋で上品」と話す。
 そういう特性を持つ所に東京のものまねではなく、栃木独自の文化を作りだす余地があるのではと分析している。

~~引用おわり~~

選ばれてたんです、100人に。これは毎日新聞さん全体の企画みたいでおそらく
「群馬の100人」とか「茨城の100人」とかももあるはず。たしか東京に行った時に仕事関係の誰かが「東京の100人」に選ばれていたような・・

・・いないような。

ともかく、100分の1がこの体たらくですんません・・・。

これからガンガン担っちゃいますんで!栃木の21世紀を!!

日経新聞に紹介されたコンシェルジュカウンター

2006-04-05 15:07:11 | メディア掲載
2000年12月7日日本経済新聞

~以下引用~

アーティストのメークで変身
福田屋コーナー開設

 福田屋ショッピングプラザ宇都宮店(宇都宮市)は二〇〇一年一月、メークアップアーティストが顧客に化粧を施すコーナーを開設する。同アーティストがパソコンで顔写真を加工し、インターネット上で人気投票などを行うサービスも提供する。二十~三十代女性の集客に役立てる狙い。
 メークアップアーティストの川原井克芳氏とと専属契約を結び、宇都宮店一階の化粧品売り場にコーナーを開設する。メーカーが派遣した販売員が顧客に自社商品を勧める方法と異なり、複数メーカーの商品を組み合わせ、顧客に化粧を施す。また、服飾雑貨の売り場と組み、化粧に合った衣服などを提案する。実際の化粧のほか、画像処理ソフトを使い、髪や肌、化粧具合をデジタル加工するサービスも提供する。顧客が希望すれば川原井氏が運営するホームページでネットアイドルとして登録する。顧客の反応が良ければ、全国のメークアップアーティストと連携し、サービスを他地域にも広げたい考えだ。

~引用終わり~

いわゆるメイク化粧品の

「コンシェルジュカウンター」

ってやつです。おそらくこの年は新宿伊勢丹がスキンケア化粧品の『ボーテ・コンシェルジュ』を作った時だったと思うんだけど、もう

やりたい
やりたい
やりたい

の一心で宇都宮の福田屋百貨店に企画だしたらすんなり通ってしまったので、
もう栃木のビューティーの前途を眩しがりながら始めたわけですよ。

時はネットアイドル時代、ゲーノー人はまだ少なくて、だれでも有名になれる可能性を秘めていたんです。やっぱり人に注目されるって美への一番の近道だしね。一般人に美への興味をもってもらうには絶好の場所と機会だったんだけどなぁ・・



あ、ネットアイドルといえば、最近出会い系のサクラのブログにひっかかっちゃった・・。最近そんなんばっかし。