「不可視の両刃」放射線に挑む~英国大学院博士課程留学~

英国に留学して放射線研究に取り組む日本人医師ブログ

Unconditional offer ~留学の動機3~

2016-05-08 | どうして留学しようと思ったのか
2016年春のある日、英国から1通のeメールが届きました。

願していた英国の大学院博士課程からUnconditional offer(無条件入学許可)を発行した旨の通知でした。すなわち大学院博士課程に公式に合格したという連絡でした。留学生は、このUnconditional offerをもとにして、英国学生ビザTier4の申請手続きを行うことができます。こうして私は念願の英国大学院博士課程への留学、そして博士号取得に向けた「第1歩」を進めることができたのでした。英国で博士号を取得することを夢見て、英語学力試験IELTSの勉強を始めてから、すでに1年以上が経過していました。

――どうして英国を選んだのか。
かつてサマースチューデントとして留学していた事も含めて様々な要因がありますが、もっとも大きな理由は共同研究者の横谷明徳博士の存在でした。横谷博士は、放射線生物学と放射線化学が交わるような学際的な領域で、「放射線が細胞にぶつかった時にどのようなことが起こるのか」を分子レベルで解明しようとしていました。私が医学部生だった頃、そのような彼の研究を詳しく知りたいと思って、突然、研究室を訪問してからのお付き合いがありました。
その後、私が福島原発被災地で臨床に従事した時も、共同研究をしたり、一緒に論文を書いたりと、かなり親しくさせてもらってきました。とくに一緒に書いた論文は、その後にOxford University Pressが選ぶ福島原発事故関連の学術論文30編にも選出され、個人的にも非常に印象的な仕事になりました。彼は放射線生化学の世界的権威であった英国オックスフォード大学のProf. Peter O'Neillの研究室にかつて留学していたこともあり、世界中に放射線研究者の知人が多く、国際的環境で研究者としてのトレーニングを受けたいと考えていた私が相談した時も、すぐに明確な指針を与えてくれたのでした。
すなわち「放射線研究で留学するならば、間違いなく英国クイーンズ大学のProf. Kevin Priseが良いですよ」と。
英国クイーンズ大学ベルファストのPrise教授は、国際放射線学会Radiation Research Societyの副会長も務める、放射線生物学の大御所でした。Prise門下の多くは、研究プロジェクトのリーダーとして、世界のあちこちで活躍していました。世界の放射線研究をリードする大研究者として、彼の名前を知らない放射線生物学者はいないだろうと思われるほどでした。
横谷博士は、そんなPrise教授と知己であるばかりでなく、私のことを紹介までしてくださったのです。まるで何かに導かれるようにして、英国留学の話がとんとん拍子で進み、そしてPrise教授に私が師事するという流れになりました。

最大の問題は、多くの日本人がそうであるように、やはり語学力と思われました。
たとえば英国クイーンズ大学ベルファストの大学院の場合、専攻にもよりますが英語圏外からの留学生は最低でもIELTSという語学力運用試験でOverall 6.0以上を取得しなければなりませんでした。私は前述の通り、英米への短期留学歴があり、その時点で英語論文も10編以上書いていたので、それなりに英語を運用する能力はあるだろうと思われました。自信があったのです。しかし、初めてIELTSを受験した際は、ListeningとSpeakingのセクションで点数が伸びず、恥ずかしながらギリギリでOverall 6.0でした。その点数でも目的の大学院に出願はできたのですが、他の大学院への併願も考慮に入れて、もっと点数が欲しいと思いました。
その後も2、3回受験しましたが、公立相馬総合病院のような急性期病院での臨床研修中だったこともあり、医学ではなく語学の勉強をするのは時間的に少々困難であり、Overall 6.0からなかなか点数は伸びませんでした。Listeningがうまくいっても、Speakingで失敗したりしたこともありました。Overall 6.5を取得出来たのは2015年秋でした。その点数であればオックスフォード大学やケンブリッジ大学を除けば大抵の大学院を受験することは出来ましたが、結局、英国の他大学院との併願は止めてクイーンズ大学ベルファストの大学院のみに出願したのでした。実は、一つの大学院しか受けないというのは、やはり不安ではありました。もちろん、入試ですから、落ちることもありえました。

Prise教授とはスカイプやメールなどで幾度も連絡をとりながら、彼のもとでの大学院進学、博士号取得できるように懸命な努力を続けてきました。さすがの彼も、日本人医師を大学院博士課程学生PhD studentとして受け入れるのは初めてでした。色々ありましたが、最終的には彼が大学当局の事務部門にも色々と働きかけてくださったおかげで、今回の大学院博士課程の入学許可は特例として認められたのでした。
入学許可書を読むと、私の氏名欄はDr.○○となっていました。医師とはいえ、これから博士号を得ようとする者をDrの敬称で大学院に迎えてくださるのはなんだか不思議な心地でしたから、それを見て思わずくすりと笑ってしまいました。Prise教授はなぜか最初から私のことをDr.○○と呼んでくれていました。医師として、医学者として、私がやってきたことをある程度認めてくださっているかのようでした。
彼の期待に応えたいと心から思いました。

このようにして、留学を検討した当初は思いもよらなかったような、素晴らしい環境が与えられました。背中を押して下さった方々のことを思い出して、感謝して、そして一生懸命に頑張りたい。不退転の覚悟で挑みたい。たとえ自分が報われなかったとしても、福島の原発問題に少しでも貢献できるような成果を挙げたいと心から願いました。

今秋からの研究留学に向けて、仙台でこれから数か月間、準備を着実に進めていこうと思っています。