「不可視の両刃」放射線に挑む~英国大学院博士課程留学~

英国に留学して放射線研究に取り組む日本人医師ブログ

引っ越しのハードル

2017-05-17 | 留学全般に関して
ただ、オレは静粛を求めているだけさ。
とか言うと、すこしはカッコ良く聞こえるでしょうか。しかし、引っ越しは切実な願いでもあります。

仙台に居た時はかなり静かな場所に住んでいましたが、こちらに来て薄壁の向こうに誰かが居るという環境にずっと曝されてきました。もう「勘弁ならんわい」ということで、apartmentに引っ越したいと思い立ちましたが、今の身分で借りるのはかなり困難です。日本でアパートというと、そこまで高級なイメージをもたれないかもしれませんが、英国でapartmentというと、どちらかという高級志向になってしまうのです。当然、要求(ハードル)も高くなります。

本日、助成金報告書の提出、指導教官とのミーティングの合間を縫うようにして、物件を見に行きましたが、一長一短がありました。私の仙台の住まいと比べて、価格的には1/3くらいですが、同じくらいの広さがありました。そして、古い。一緒に見に行った友達曰く「そこまで悪くないけど、決して良くもないね」とのこと。私も同感でした。

ということで、進退窮まっております。
研究やら何やらでこのくそ忙しい時に、引っ越ししようだなんて、全く我ながら何やってんだか。日本国内で引っ越しする時も「ああ、面倒だ」といつも思っていましたが、海外だとさらに面倒なことが多いです。
もう、日本に帰りたいよ、ホント

北アイルランドにおける『地球の歩き方』問題

2017-04-02 | 留学全般に関して
みんな大好き『地球の歩き方』について、一言申し上げたいと私は常々思っていました。
一般に、海外旅行必携のガイドブックとして広く知られており、私もこれまでにアメリカ、スコットランドなどに短期滞在した時に観光する上でよくお世話になりました。しかしながら、こと英国領北アイルランドについては、私は『地球の歩き方』を断じて許すわけにはいきません。

奴らは大変な間違いをしていきました!
北アイルランドに関する情報をアイルランド版に収載しているのです!
(写真は2015~2016年版です)

もちろん、確信犯なのでしょう。アイルランドと北アイルランドは別々の国であるというか、北アイルランドは英国だと知っていながらの狼藉であります。
あるいは穿った見方をすれば、「北アイルランドはアイルランド共和国に編入されるべきだ」という政治的なメッセージなのかもしれませんが、北アイルランド紛争(The Troubles)という一大紛争を抱える地域について、たかが日本の一ガイドブックに過ぎない『地球の歩き方』がそういう政治的な誤解を生むようなことをするのは色々な意味でやめてほしいものです。
下手すると、「日本のガイドブックでは北アイルランドはアイルランドと同じ扱いらしい」「日本人は北アイルランドをアイルランド共和国だと思っているのか?」と地元の方々に誤解されかねませんから。場合によっては、危険なことにもなりかねません。

とにかく、このせいで北アイルランドを観光しようと思って、イギリス版を買ってしまうという悲劇がたびたび繰り返されてきました。
とくにAmazonなどの通販で『地球の歩き方』を購入する場合、本の中を確認できずに買うことが多いので、たいへん恐ろしい罠になります。いわゆる初見者殺しです。まあ、どうせ北アイルランドに行くならブリテン島も観光するからいいかと、泣き寝入りするしかありません。
アイルランドと北アイルランドの違いさえろくに知らない方々ならばともかく、ちゃんと英国がイングランド、スコットランド、ウェールズ、そして北アイルランドで構成されていることを知っている人たちをも欺くという意味で、実に罪深い罠だと感じます。
つい先日も「『地球の歩き方』を買ったんだけど、北アイルランドが載っていなかったんだぜ?」という、実に辛く悲しいお話を聞きました。

北アイルランドは英国であります。
現在に至るまで数百年間にわたって英国領であり、近年も北アイルランド紛争や英国EU離脱(Brexit)で揺れるアイルランド島にあるとはいえ、それでも現時点では英国によって統治されている地域なのです。英国文化とアイルランド文化が混在する非常に興味深い地域となっています。本学も大英帝国ヴィクトリア女王によって設立された英国屈指の研究大学であり、公用語はもちろん英語になっています。地元住民も、色々と思うところはあるのかもしれませんが、英国の国籍を有している人たちです。
そのような現時点での事実に反して、北アイルランドがアイルランド共和国の一部と見做されてしまうかのように書かれているガイドブックの構成は、流石に、ちょっと問題があるでしょう。とくに旅行者向けのガイドブックで、そのような誤解を招きかねないことをするのは、いかがなものかと。

現在の地球の歩き方では、なぜかイギリス版(ブリテン島)、アイルランド版(アイルランド島)という構成になっているのですが、ちゃんとイギリス(ただし北アイルランドを除く)版(ブリテン島)、アイルランドと北アイルランド版(アイルランド島)と正しく表記するか、あるいはイギリス版(ブリテン島+北アイルランド)、アイルランド版(アイルランド島ただし北アイルランドを除く)として正しく収載し直すべきでしょう。

もしも北アイルランドまで足を運ぶ際には、どうか『地球の歩き方』にお気を付けて下さい。地球の迷い方になりかねません。


ハンドサインとクロスフィンガー

2017-02-01 | 留学全般に関して
海外で写真を撮る時にピースサインは止めましょうというのは、時折、耳にします。そして、それは確かに英国でも誤解を招く恐れがかなりあるので、止めた方が宜しいかもしれません(あえて侮辱したい時に使うのは勝手ですが)。
このように国や文化によってハンドサインやジェスチャーは意味が異なります。

Cross your fingers(応援してください、幸運を祈っていてください)という表現がありますが、このクロスフィンガーが最近私のお気に入りです。なぜ中指を人差し指に重ねることで幸運を祈ることになるのかよく判りませんが、欧米ではかなり一般的なハンドサインですね。洋画のワンシーンなどでも時折目にします。

I'm crossing my fingers.
(幸運を祈っています)

私の留学の目的はあくまで研究推進であって、異文化交流や語学上達を主眼とはしていませんが、それでも海外に滞在していると色々な体験をすることになります。なかなか興味深いものです。
1990年代後半から徐々に日本からの海外留学者は減少してしまい、最近ようやく持ち直してきた気運があるようですが、中韓などのアジア諸国に比べると今の水準は低いといえます。たしかに科学・技術の面において海外から学ぶ必要がなくなって来た(日本が世界トップレベルの一角である)ということなのかもしれませんが、それでも「異文化に接する」という刺激は尊いものだと感じます。

世界は、思っていたよりも、やはり面白いものです。
Cross your fingers!

神話の中に立つ ~アルスター・サイクル~

2016-12-22 | 留学全般に関して
「クーフーリン(Cú Chulainn)」という英雄の名をご存知でしょうか?

ケルト・アイルランド神話の一つに『アルスター・サイクル Ulster cycle』と呼ばれる物語群があります。ゲッシュ(geis、禁忌)に縛られた英雄たちに関する一連の物語ですね。中でも随一の英雄として描かれるのがクーフーリンです。私はアイルランド神話に詳しくはありませんが、悲劇の英雄クーフーリンの物語を断片的には知っていました。

ここBelfastに来てから、とくに意識はしていなかったのですが、今日、たまたまクーフーリンの話題があって、「そういえば、ここはまさに神話の舞台であるアルスターだった!」ということに今更ですが気が付いたのでした。
英国領北アイルランドはアルスター州を含んでおり、Belfastはまさにそのど真ん中に位置する都市なのですね。つまり、Belfastにいるということは、今まさに、アルスター・サイクルの中に立っているわけです。
「決して犬の肉は食べない」などクーフーリンのゲッシュと逸話には面白いものが多く、もし興味がありましたら、ぜひ読んでみて下さい。私も改めてすこしアルスター・サイクルを調べて、勉強してみました。「教養」というカッコつけすぎかもしれませんが、民俗学的な知識は、地元の人たちとの交流など、いつか役に立つ時もあるでしょう。

写真は本学が誇る大学図書館の一つ「マックレイ図書館(The McClay Library)」の前にある謎の像です。ある意味キモカワイイです。
マックレイ図書館は、アルスター博物館(Ulster Museum)から数百メートルしか離れていませんが、北アイルランド屈指の史料や文化財を有しているそうです。つまり、半径数百メートルの範囲にはアイルランド文化を現代に伝える知識が集結しています。
私が英国に好意的なのは、このように「文化と伝統を尊ぶ気質」が日本のそれと似ているからです。ただ、日本文化の根底にある無常観と異なり、英国文化の根底には一貫した強さを感じさせられることが多い気がします。そのあたりの違いも実に興味深い。

留学の醍醐味の一つとして、研究だけでなく、このような身近な社会勉強もそれなりに楽しめることがあります。自分の視野を広げてくれるような思いがけない刺激と発見は、やはりいつだって楽しいものですね。

日英間郵便事情

2016-11-29 | 留学全般に関して
先週月曜日に英国から日本へ郵送依頼した書類が、今週火曜日に日本に到着した旨の連絡がありました。
とても大事な書類でしたので、無事に届いて安心しました。英国から日本へ書類をお送りするのはいつもヒヤヒヤします。

私の知る限り、英国の郵便機関に対する評価は毀誉褒貶相半ばしています。
英国にはRoyal Mail(ロイヤルメール)とParcel Force (パーセルフォース)の二者の郵便機関があって、私はRoyal Mailで書類を日本に送っています。今のところ、私が送ったもので紛失したものはありません。利用するサービスと金額によって、1週間前後で届いたり、1~2カ月かかったりする場合に分かれることはありますが、ちゃんと届いてはいるようです。また、私宛の郵便物もおそらく全て届いていると思われます(こちらは紛失していても気付かないのですが)。
まあ、腐っても大英帝国の末裔の皆さんですし、Brexit(EU離脱)という離れ業をしたとはいえ、欧州列強の一角であります。郵便機関においても、ちゃんとした先進国のサービスという印象です。むしろ私個人としては、日本で郵便物の一時的紛失(配達員が別の家に届けてしまった)を経験しているので、日英比較すればどちらかというと、日本の郵便機関の方を信用していないかもしれません。

日本と同じように、切手を貼ってポストに投函する、あるいは郵便局まで持っていくなどの利用の仕方があるのですが、実際には幾つか罠があります。慣れていないと混乱すると思います。私自身も「謎の自動サービス機」の前で困惑したことがありました。英語の問題もあります。
郵便に限らずとも、「旅の恥は掻き捨て」というか自分自身の不器用さゆえに最初から上手く行くことなんてほとんどなくて、いつも生き恥を晒しながら生きているようなものですがね。

イギリスの郵便ポストですが、私は赤いものしか見たことがありません。あるいは他の色のものが近所にあるのかもしれませんが、おそらくポストと気づいていないのでしょう。黒いポストもあるそうですから。上の写真のポストは、Belfastの中心部に設置されているものですが、赤いですね。ちなみに後ろのピエロたちは配達員ではありません、残念ながら。

渡英直後、お世話になっている方々へポストカードをお送りしてみました。喜んでくださった方、無反応な方、色々でした。たしかにE-mail、Line、Messengerなどの方が手っ取り早くて気軽ではあるのですが、しかし、手紙の温もりを大切にしたいと私は昔から思っています。
そろそろクリスマスカードもお送りしてみようかな

ペンパイナッポーアッポーペンどころではない

2016-11-18 | 留学全般に関して
金曜日の朝になると、研究センターで隣の席の女性が「もう金曜日なのね、あっという間ね」みたいなことをいつも言うのですが、私は正直、彼女の発言の全てを聞き取れていないです。早口すぎるのですね。しかし、一応、なんとなく言っていることは判るので、この前、

Time flys like an arrow.
(光陰矢の如し)

と言ったら、真顔で「は?」みたいな感じでした。
おそらく、私の発音のせいでしょうね、ごめんなさい。

それにしても、ここに来て思うのは、ラボの皆さんの英語がとにかく早口すぎるのと、私からすると彼らの英語はすこし訛って聞こえている(日本人の多くはアメリカ英語に慣れてしまっている)ので、あまり聞き取れないのが困るということです。

ペンパイナッポーアッポーペンどころではありません。

例えば、

Have a nice weekend!
(良い週末を!)

という挨拶があります。
これは私には「ハバナスウィケン」みたいに聞こえるのですが、彼らはこれを小声かつ早口で歌うようにサラっと言うのです。0.3秒くらいで。さすがにこのレベルの聞き取りは出来ますが、油断していると「はあ?」と一瞬パニクります。

ラボには若い女性が多いので、きっと彼らの発話が小声かつ高音だから私の聴覚域から逸脱しているのだと信じたいところですが、地元の男の子のボソボソ発音も訳判らないことを鑑みると、単純に「私が英語を聞き取れないだけ」というとても悲しいシンプルな結論しか見えません。

研究センターの皆さんも、全然手加減してくれないというか、普通に通常速度のまま突っ込んでくるというか、むしろ私に話す時には発音スピード増しているんじゃないかと疑いたくなるほどです(おそらく被害妄想)。せめて、もっとゆっくり大きな声ではっきりと話して欲しいのに。そうしてくれるのは良くも悪くも日本人に慣れている私の指導教官だけです(彼は何度も日本に来ているし、以前に日本人と共同研究もしていましたから)。

旅行などにはほぼ困りませんし、お互いに英語が第二言語になる留学生同士の会話ならばそれほど困りませんが(お互いに発話スピードがしょぼくて、使っている単語レベルが幼稚なため)、所謂ネイティブスピーカーとは手加減してもらわないと仕事上の議論がまだまだ出来ません。単語はすこしは判るので、相手の発言の意味するところはなんとか拾えることもありますが、こちらから文法的に正しい長い発言を即興で展開するのはやはり至難です。それでも、なんとかしないといけないのが大人の辛いところですが。

私はIELTSでSpeaking 6.5しか取れなかったことを思い出しました。ラボにはEU諸国からの留学生たちもいるのですが、彼らがなぜあんなに英語でぺらぺらとおしゃべり出来るのか、私には全然わかりません。彼らの英語はおそらく中学生~大人レベルなのでしょうけれど、私だけ幼稚園児レベルですね。

英語、マジ、辛い

留学生には、優しくしてあげてください

2016-11-14 | 留学全般に関して
私の母校や仙台の職場には留学生が比較的多くいました。なぜならば、学風からして、そういう大学だったのでした。研究の質もそれなりに高かった。大半は中国からの方々とはいえ、中には比較的珍しい国からいらっしゃっている留学生がいることも知ってはいました。
しかし、ここに来る以前の私は、留学生の方々に関心を持っていませんでした。自分のことで精一杯だったという言い訳も出来なくはありませんが、やはり、無関心であったというべきでしょう。
むしろ、我ながら、欧米視点で作られた世界大学ランキングとやらの順位上げのために一生懸命に留学生を集めようとしている大学当局をやや冷ややかに見ていた面さえあったと思います。そんなことより大事なことがあるだろうと。つまり、大学の研究・開発の競争力をとにかく高めなければならないと。
サイエンスとテクノロジーで他を圧倒すれば、どうせ国際化は自然とついてくるものです。今も昔も、留学生はその時点での世界トップレベルの質を誇る場所にこそ集まるのです。そんなことは世界の科学史を知れば明らかです。今はたまたまそれがアメリカとイギリスであり、結果として、英語が世界最強の言語になっています。

そういう留学論はさておき。

今ここで日本人留学生がごくわずかしかおらず、外国人の集団の中にぽつんといる我が身を振り返ると、「ああ、あの時、もっと彼らに優しくしてあげれば良かった」とよく思います。なぜならば、私が研究センターの人たちから優しくされるたびに、とても嬉しく感じるからです。
わざわざ「コンニチワ」「オハヨウゴザイマス」と日本語で声をかけてくれる人たちがいるのですが、日本人なんて研究センターには私しかいないのですから、それはつまり私のために日本語をすこしは覚えてくれたということでしょう。私が拙い英語でどうやって伝えればいいか困っている時も、辛抱強く耳を傾けてくれる人たちばかりです。もちろん中には冷たいというか、私が「英語という外国語をわざわざ使っている」ということに無関心な人もいます。それはそれで仕方ないです。
とにかく、異邦の地で優しくされると、「惚れてまうやろ!」というのは冗談ですが、とても嬉しいものなのですね。時々、涙が出そうになるくらいに。

私も、留学生というある種の弱い立場になって、改めて気づくことが沢山あります。なるほど、ちょっとした親切でさえも、留学生にとってはとても有難いことだったのだと。だから、私もいつか母国に帰ったなら、留学生には出来る限り優しくしてあげたい――それがきっと「恩返し」になると信じて。

恩師、襲来

2016-10-10 | 留学全般に関して
留学中に知人がわざわざ訪ねて来てくれたとしたら、間違いなく、とても嬉しいです。
ましてや、それがとてもお世話になっていた人ならば。

本日、母校医学部の恩師がわざわざBelfastまで私を訪ねて下さいました。

アイルランド共和国の首都Dublinでの国際学会の途中にふと立ち寄って下さったのでした。DublinからBelfastへは電車で約2時間であり、その間には国境がありますが、とくに何事もなく互いを行き来することが出来るのです(英国EU離脱後はどうなるか判りませんが)。ちょっと久しぶりに日本語で研究のことを熱く語ることが出来ました。Belfastの観光名所はもちろん、クイーンズ大学、がん細胞生物学研究センターの中まで先生をご案内させて頂きました。
喜んで頂けたならいいのですが。


「パブに行こう」とのことでしたのでご案内しましたが、まだ昼間だったので、結局、コーラを頼む2人(笑)。

Belfast屈指の有名パブで今秋の科研費申請について語り合う謎の日本人たちになってしまいました。私が医学生だった頃に岡崎で開催されたシンポジウムに私を連れて行って下さったのを思い出しながら、今は共同研究者として科研費の申請書の内容について相談されることがなんだかすこし照れくさくて、きっと私はずっとニコニコしていたはずです。

先生も以前に米国ペンシルベニア大学に2年半留学されていましたから、日本人留学生の喜びと悲しみについては、よくご存じです。ご留学中の苦労話については以前にも伺ったことがありましたし、私の挑戦も日本から応援して下さっています。
最後に、「まあ、頑張れよ」と言いながら、先生は握手して下さいました。
そして、そのままBelfast Central駅でお別れしました。

嬉しかったなあ、とても。
ホント、嬉しかったです……

9時5時と野口英世の流儀

2016-09-27 | 留学全般に関して
以前にも米国、英国に滞在したことがあるので、知ってはいましたが。
やはり、ここBelfastの研究者の皆さんも、大抵は9時~5時しか働きません。さっき研究室に来たかと思えば、「また明日(See you, tomorrow)」と言って、颯爽と去っていきます。

そんなことで、世界に勝てるのか!

……腹立たしいことに、勝てるみたいです。
母国語が英語である強みというのか、要領の良さというのか、地頭が優れているのか、何と言えばいいのかよく判りませんが、それでも彼らは平均的に日本人以上の業績を積み、人生も研究もエンジョイしています。
私のような「持たざる者」には、それが羨ましいやら、悔しいやら。
日本という辺境の地で生まれ育ったことが不利に働くグローバルな医科学界の無情を、今、じっと噛みしめています。

とはいえ、私は野口英世をリスペクトしていますから、当然、彼らに勝つ方法を知っています。
つまり、努力と根性で全てを覆せばいい。竹やりでB29は落とせなかったかもしれませんが、幸いにも現在はパソコン一つあれば何とかなる時代なのですから。あとはアイデアと、それをやり抜くだけの精神力があればいいのです。
流行りの「Grit(やり抜く力)」と言えばカッコ良く聞こえるかもしれませんが、要は気合の問題です。野口英世の時代から古今東西変わらず、日本人が世界に勝つためには「最後の最後には気合」しかありません。

野口英世は毀誉褒貶の激しい科学者ではありますが、幼少の頃に片手の機能を喪い、朝敵の会津出身という苦汁を飲みながら、それでも自分の能力だけを頼りにして米国で活路を拓きました。そして、現在にも通用する幾つかの業績を遺しました。たしかに彼なりの功名心もあったのかもしれませんが、自分の命すら顧みずに、死に至る未知の感染症が広がる後進地域にも果敢に乗り込んで研究をしたのは事実です。
日本から遠く離れたアフリカの地で「野口英世」の名が今も伝わるの何故なのか。
それは、彼が命を賭けて為そうとしたことが、アフリカの人たちにも判ったからではないでしょうか。彼の中にあった、医師としての誠意というのか、医学者としての使命感というのか、そういう良心が判っていたからではないでしょうか。
だから、その一点をもって、野口英世のことを私は尊敬しています。
性格破綻者だの、借金王だの、野口英世のことを面白おかしく貶す方々もいて、それは確かに野口英世の一面だったと思いますが、それらの欠点を全て見逃してもいいほどの「偉業を果たした」と感じています。私は、日本人として、彼のことを誇っていいと思います。だから、日本のお札になったのもとくに不思議に感じてはいません。
同じことが私には出来ないし、知ったかぶりの生半可な知識をもって野口英世を貶している方々にだって、おそらく出来るはずがないでしょう。私は福島原発事故後の被災地で実際に臨床に従事していましたが、それでも野口英世が当時経験していた命の危険とはレベルが違います。もしも野口英世を貶すなら、せめて「今すぐにエボラ出血熱が流行していた地域に直に赴き、その病で苦しむ人たちに直に接して、病気の原因と治療法に関する研究を一所懸命に始めてから」にしてもらいたいものです。やれるものなら、ね。

私の能力は野口英世のそれの足元にも及びませんから、私自身はこの先も報われないかもしれません。金も名声も手に入らないかもしれませんし、幸福にもなれないかもしれませんし、誰からも顧みられないままに寂しく命尽きるかもしれません。それでも、医師として、医学者として、「いつかどこかで誰かの役に立つ為に、自分の命を賭けてでも、医の道に貢献したい」という志だけは、野口英世と共有したいと願っています。

留学とホームシック

2016-09-25 | 留学全般に関して
留学の話題になると、よく、「ホームシックになりませんか?」と聞かれてきました。
日本の環境とりわけ家族や友達や知人と自分との間に広がる距離感と、言葉と文化の壁が厚い異邦の地での心細さを心配して、そのような質問をされるのだろうと考えています。

以前に米国、英国に短期間滞在した時のことを振り返っても、ホームシックに似た感情を覚えたことがあったかどうか、今となっては思い出せません。
再び英国の地を踏んで2週間近くが経ちましたが、日本にいた頃から孤独には慣れていて、今も所謂ホームシックを自覚することはありません。相馬に居た時も、仙台に居た時も、私はいつだって独りでしたから。たとえ誰かが傍にいてくれた時があったとしても、目前の諸問題に対しては、私はいつも精神的に独りで闘ってきましたから。
これまで苦悩を分かち合えたことはありませんでした。

たしかに相馬に居た時は、とても寂しくて、人恋しくなる時がありましたけれど、仙台に転居してからはそういう感情の葛藤はいつの間にか自分の中から消えてなくなってしまったように思います。私が見ている「世界」を誰かに知ってもらいたい、誰かと分かち合いたいと思ったことは幾度もありましたが、その望みはもう諦めたといえるのかもしれません。少なくとも、誰かに「私という人間」のことを理解してもらうことは、もう、諦めました。

『葉隠』に「朝毎に懈怠なく死して置くべし」という一節があります。
私の勝手な解釈ではありますが、「自己の生死を顧みず、(武士として)正しいこと、為すべきことを選びなさい」ということだと思っています。
「死んでもいい」というと極端ではありますが、生きていく上での私利私欲を捨ててみると、「本当に大切なもの」「自分が為すべきこと」が見えるてくるような気がしています。そして、それを追求しようとした時に、別に自分が孤独であろうが、不幸であろうが、大した問題ではないように感じるのですね。葉隠の精神に完全に同調する気はありませんが、なかなか興味深い教えだなと思って、時々、自分の精神状態を振り返る時に参考にしています。
つまり、今この瞬間にもしも私が志半ばで倒れたとしても、後悔しないように日々生きているつもりです。
とはいえ、そんな私とて、美人を見ればドキッとするし、可愛い子と話すとデレッとするし、誰かと何かを分かち合えた時には嬉しかったり、楽しかったりします。
生きていく上で、感情までを捨てる必要はないでしょう、ただ、それに振り回される必要もないのではないかと考えているだけです。

ホームシックになるのは悪いことだとは思いません。
むしろ感受性豊かな人にこそかかりやすいのではないかとも思います。正直言えば、ある意味、羨ましくさえあります。私は、おそらく、もはやホームシックにはかかりません。パフォーマンスも日本にいた頃とほとんど変わりませんし、日本にいた頃よりも時間がある分、論文書きなどの書類仕事はよほど捗っています。
これで良かったのだとは必ずしも思いませんが、まあ、仕方ないのでしょう。

いつかまた、ホームシックにかかるような時があったら……。
早くどこかに帰りたいと思える時が来たら……。

それはそれで、もしかしたら、素敵なことなんじゃないかって――今は、そんな風に思っています