boutie ☆-ブティ-

気が向いた時、気儘に更新。ハンドメイド(パッチワーク・タティングレース・いろいろ)と日々の雑感、備忘録。

白洲 次郎Ⅱ

2006-09-02 | 

風の男 白洲次郎 風の男 白洲次郎
価格:¥ 1,785(税込)
発売日:1997-11

白洲次郎が時の外務大臣吉田茂(終戦連絡事務局総裁)の

要請により終戦連絡事務局の参与として公職につく。昭和20年12月

翌年3月終戦連絡事務局次長に就任。

以後ほぼ占領の全期間中GHQ当局との交渉に当たる事になる。

後世のジャーナリストは白洲を特に「新憲法誕生の生証人」というように

捉えて…。          (本文抜粋)

実際はどうだったんだろうと思ったのは、憲法誕生の経緯。

その現場に立ち会ったのが、白洲次郎。

歴史教科書で数行の史実が、時代の特定の人物だけにスポットを

当てた文章を読んだとき、凄く興味深い内容になって、教科書では、

遠い昔の話と思っていた事柄が、本当は同じ時空の事なんだと

再認識させられました。

 ~本文~

極東委員会の発足で天皇制の存続に反対するソ連やオーストラリアと

 いった国々の意思を反映した決定が下されれば、マッカーサーもそれに

 拘束されざるを得なくなる。天皇制は存続させようと心に決めていた

 マッカーサーにとってみれば、一日も早く憲法改正にイニシアチブを

 とって着手せねばならない。かくして、二月三日に、マッカーサー・ノートとして

 知られる三か条を公表し、二月十三日にGHQ作成の憲法草案が日本政府に

 手交された。(略)

    GHQ側は草案を日本側に手渡すと、その具体化を急いだ。

 まだ、日本政府内の意見がまとまらないうちの某日(昭和21年三月二日)

ぼくはホイットニー氏に呼び出された。至急、翻訳者を連れて来いと

いうのである。そこで、外務省翻訳官だった小畑薫良氏らと同道して

あらためて訪ねると、彼らはGHQ内に一室を用意しており、

”マッカーサー草案”の全文を一晩で日本語に訳すよう要求した。

 こうして、日本語で書かれた最初の”新憲法草案”は 専門の

法律学者の検討を経ることもなく、一夜のうちに完成した。

(略)が、天皇の地位を規定して、草案が「シンボル オブ

ステーツ」となっている点は、さすが外務省きってのわが翻訳官

たちをも大いに惑わせた。「白州さんシンボルというのは、何

やねん?」小畑氏は大阪弁で問いかけた。ぼくは 「井上の

英和辞書を引いてみたら、どや?」と応じた。やがて辞書を

見ていた小畑氏は、アタマを振り振りこう答えた。

「やっぱり白州さん、シンボルは象徴や。」

新憲法の「象徴」という言葉は、こうして一冊の辞書に

よって決まったのである。

以上は白洲氏の「週間新潮」の回想

確か、中学の教科書で「国民の象徴」と学びましたよね…。

そうなんだ!としかいえないけど、歴史がぐっと 身近に感じ

られるエピソードを提供してもらえたことは確かです。

今現在、安倍さんが憲法改正を掲げているけど、なるほど

日本の憲法って、アメリカから無理に?与えられた内容だったんですね。

憲法改正の意味、ここから考えてみるといいかもしれなせん。

ちよっと柄にもなく 硬くなってしまいました。

白洲次郎という人物、もっと、もっと深い人物ですが、この辺で…♪

コメント
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