気ままなLife♪

韓国ドラマ・映画の鑑賞録ブログです♪
たまに、美味しい食事&美術鑑賞&旅行も!

ドラマ『MAGI 天正遣欧少年使節 ~三人の賢者は東の果てからやってきた少年だった』

2022-06-28 | 映画・ドラマ・小説

■ドラマ『MAGI 天正遣欧少年使節  ~三人の賢者は東の果てからやってきた少年だった』 予告

2019年配信開始のドラマ ※公式HP
テレビでは映像化不可能といわれた、世界を舞台にした16世紀の日本人少年冒険記。
日本とスペインで3ヶ月間の時代劇ロケを敢行。
日本を代表する脚本家鎌田敏夫、『西の魔女が死んだ』『少女たちのたちの羅針盤』の長崎俊一監督、
『世界遺産』を手がけてきたTBSビジョンがプロデュース。 
両国の映画スタッフの力を結集し遂に映像化!

全世界に展開するAmazon Prime Videoのネットワークに載せて、
180以上の国と地域に全世界同時配信で展開する日本発のグローバルドラマ。

16世紀、世界も日本も大きく変貌を遂げようとしていた激動の時代。
日本から遠くヨーロッパへ派遣され、
各国君主やローマ法王への謁見を果たした10代の少年たち。
天正遣欧少年使節と呼ばれた四人の若者が、歴史の渦の中に放り込まれ、
歴史上の人物たちと交わり、共に成長し、やがて歴史の闇に葬り去られる
ドラマチックな生き様を、日本を代表する脚本家鎌田敏夫の脚色と、
名匠長崎俊一監督の演出で描き出す、壮大なスケールの歴史エンターテイメント。
(HPより抜粋)

 
東方三賢人
クリスマスがイエス・キリストの生誕を祝う日ということはよく知られています。
この時に生誕を祝って三つの贈り物が贈られますが、
それについては聖書の中にこのように記されています。
イエスが生まれたとき、東方から三人の賢人が現れ、
黄金、乳香(ニュウコウ)、没薬(モツヤク)を幼子イエスに捧げた

(マタイの福音書2章11節)とあります。
この三つの贈り物にはそれぞれ意味があり、
黄金は現世の王、乳香は神、没薬は救世主を表すとされています。
これは、世界の全てをイエスに捧げたことを象徴的に示しているとされています。

この「東方三賢人」に見立てられて、織田信長の命により遠い異国の地へ向かうことになった少年たちは
日野江城下に建てたセミナリヨで学ぶ生徒の中から選ばれ、
正確な生年月日は不明だが、派遣当時の年齢は13 ~14歳であった。
中浦ジュリアンが最年長、原マルティノが最年少と言われる。
(Webより抜粋)


■ドラマ『MAGI 天正遣欧少年使節 ~三人の賢者は東の果てからやってきた少年だった』

私には珍しく、日本のドラマを観ましたが意外な面白さ!
織田信長、豊臣秀吉の時代に遥かポルトガルから布教に来たイエズス会のルイス・フロイト。
外国人から観た日本の印象も克明に描かれていて、思った以上にとても興味深いドラマでした。
その中で、「東方三賢人」に見立てられた4人の少年が長い船旅を得てローマ法王に謁見し、
異国の地で様々なことを学び、その後、変わり果てた日本に戻ってくるまでが葛藤の連続でした。

・千々石ミゲル:緒方 敦
千々石城主の次男。家柄もよく素直な性格で正義感も強く、汚い部分を見過ごせない。
のちに唯一イエズス会を離れる。

・中浦ジュリアン:森永悠希
身体は弱いが心優しい少年。
母を一人残して旅立ったことで心を痛め、旅の中で強い信仰心に目覚める。

・伊東マンショ:野村周平
城が落ち、命からがら落ち延びて乞食同然のところを教会に拾われる。
キリスト教に憎悪と関心の両面を持つ。
唯一、ルネッサンスの巨匠が描いた肖像画が残っている。



・原マルティノ:井之脇海
頭脳明晰で語学優秀。合理的で近代的な考えの持ち主。活版印刷機を持ち帰る。

この4人について、11話以降の「天正遣欧少年団 もうひとつの物語」が更に面白くて、
史実の世界と日本の状況が当時どのようであったか、教科書で学ぶよりも分かり易かった。
多くの日本人奴隷もポルトガルの植民地であるインドのゴアに渡って、
キリスト教徒と非教徒、奴隷と複雑な人種関係のなかで生きていて、
そのようななかで少年たちが布教史を学びながらの葛藤が、
人を愛するとはどういうことか、西洋の食事、文化の違いに戸惑いながら、
それらを日本に帰国後広め、活版印刷を持ち帰り、日本でカレーが知られるようになったりと、
観ていてとても面白く感じました。

織田信長が託した安土城の屏風絵も、私にとってはとても興味深かったです。
この時代に信長は世界へ目を向けていて、「天空の城=安土城」の信長の住まいは
「天主」と呼ばれ、天主は「デウス」を意味し、デウスは「天主=神」を指し、
キリストの父=全知全能の神なのです。
世界に「日出ずる国=日本には織田信長がいるんだぞ!」と知らしめたかったのか・・・。

フロイスが「彼には超人的な何モノかがあった」と言っており、
この時代に信長の考えていたことがどれほど時代を逸脱していたのかと思うと
本当にぞっとします。それほどに凄い人だったんだ~。
暗殺された後、豊臣秀吉は真逆の考えでそこのところが残念でなりません。
西洋で様々なことを目にした4人の少年も弾圧されてしまうとは・・・。
実在の人物の作品は、どれも面白いです。


■史実 Based on the story

1585年3月23日———
その日、ローマはかつてない熱狂の渦に包まれていた。
大地を震わせて轟く300発もの祝砲。
ローマ市民は沿道に出て、数百人にもなる軍楽隊や騎馬隊の豪華絢爛な大パレードを歓迎。
その行列の中心は日本人の少年たちであった。
彼らの胸元で十字架の首飾りが揺れる。幾万もの碧い瞳が、東洋の少年たちをみつめた。 



ヨーロッパがルネサンスと宗教改革を迎えた大航海時代、日本では織田信長が君臨していた。
各地の諸侯が狭い領土を奪い合う戦国の世で、彼だけが世界に目を向けていた。
日本に赴任したイエズス会の巡察使ヴァリニャーノは、
日本人の少年たちをキリスト教の中心ヴァチカンへ派遣し、
ローマ法王に謁見させる壮大な計画を思いつく。
「東洋に日本あり」と知らしめたかった信長。
東洋における布教の支援を得ようとしたヴァリニャーノ。
大人たちの思惑が絡み合う中で少年たちの大冒険が始まった。 



実に2年半もの大航海。
嵐に遭い、海賊に襲われ、様々な困難を乗り越えてヨーロッパへ。
ポルトガルのリスボン、スペインのマドリード、そしてイタリアへ。
フィレンツェでは、爛熟の文化に衝撃と感動を覚え、
メディチ家主催の舞踏会で初めてのダンスをビアンカ公妃と踊る。 



彼らにとって別世界の初体験が続く。
ローマ入城の壮大なパレードを経て、 遂に法王謁見という使命を果たす。
それは世界を席巻したヨーロッパ社会に、日本という国が初めて広く認知された歴史的瞬間だった。 
この絶頂の時、少年たちは知る由も無かった―。
 日本では、キリスト教徒への迫害が始まりつつあったことを・・・。 



歴史の渦に飲み込まれていく少年たち。
二十歳を過ぎた彼らは日本に向かう。
そこは新しい覇者となった秀吉によりバテレン追放令が打ち出された日本。
何もかもが様変わりしていた。
キリシタン禁制の世の中で、キリスト教徒への大弾圧が始まろうとしていた・・・。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 韓国映画「ベイビー・ブロー... | トップ | 韓国映画「感染家族」 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

映画・ドラマ・小説」カテゴリの最新記事