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韓国映画「1987、ある闘いの真実」

2020-04-06 | 韓国史劇・ドラマ・映画

■韓国映画「1987、ある闘いの真実」 予告

2017年の韓国映画
1987年1月14日の学生運動家朴鍾哲(パク・ジンチョル)拷問致死事件から
6月民主抗争に至る大韓民国の民主化闘争を描く
韓国では、1か月余りで観客動員数700万人を超え、
百想芸術大賞で大賞、脚本賞、主演・助演男優賞の4冠に輝いた。

パク・ジンチョルは、治安本部の取り調べ中に拷問により死亡した。
その死は6月民主抗争に強い影響を与え、韓国の民主化闘争の象徴となった。

■韓国映画「1987、ある闘いの真実」

韓国のタブーを映画化したこの作品の出演者がハ・ジョンウ、キム・ユンソク、
ヨ・ジング、カン・ドンウォン、ソル・ギョング、チョ・ウジン、
ユ・ヘジン、コ・チャンソク、オ・ダルス、パク・ヘスンさんと名優ばかりで驚きました。
Web記事にも『当時の政権は「政府の政策に協力的ではない文化人」を
ブラックリストに掲載したりもしていた。
このリストには「パラサイト 半地下の家族」の俳優ソン・ガンホも
入っていたことが後にわかっている。』
とあるように、監督が脅迫電話を受けたりする危険があり、製作は極秘裏に進められたそうです。
そして、監督も「政権からどんな不利益を被ることになっても、勇気を出して映画にしたかった」
とありました。

こういった作品に出演する俳優たちの心情はどれほどのものかと・・・。
当時、1987年民主化運動の象徴的存在、李韓烈(イ・ハンニョル)役を
人気俳優カン・ドンウォンが演じたいといち早く願い出たことで弾みがついたそうです。

映画を観ると、他国のことながら、こんなひどいことを国家の政府機関に関係する人々が
行っていたのかと思うと憤りを感じて、真実を明かそうとする人々の長きに渡る秘密裏のネットワークと
執念に賞賛します。
とても興味深い映画でした。観てよかったです。


■朴鍾哲(パク・ジンチョル)拷問致死事件
1987年1月13日深夜頃、大学の先輩で民主化推進委員会結成などで
1985年から指名手配中の朴鍾雲(パク・ジョンウン)の捜査のため
治安本部に下宿先から連行された。



南営洞対共分室での取り調べの際、所在を問われて黙秘したため
殴打や電気責めなどの拷問を受ける。
チョが指揮をとり、服を脱がし手足をタオルで縛り、右腕をバン、
左腕をファンが固め、両足をイが抱え、カンが頭を浴槽の水に数回浸けた。
14日午前11時頃、水責めの際に浴槽の縁で胸部を圧迫され窒息、
往診した医師オ・ヨンサンにより死亡が確認された

警察は病院に緊急往診の要請をした際に虚偽の報告をしていた。
水の飲み過ぎで倒れたはずの朴が全身ずぶ濡れの下着姿で横たわり、
床一面も水浸しだったことからオ医師は警察の説明が虚偽であると見抜く。
午後4時頃、死亡診断書の作成を求められた際、変死扱いになり
司法解剖されることを狙って死因不詳と記入した。

14日午後7時頃、警察がソウル地検に案件の当日中の処理を要請するが
拒否される。
遺族との対面もないまま火葬することを知った崔桓(チェ・ファン)公安部長
直感的に拷問死を悟り、2時間説得をして観念させた上で遺体保存命令を下す
警察と検察が深い協力関係にあった当時としては異例の対応であった。



遺体を火葬し証拠隠滅を図ろうとした警察は、国立科学捜査研究院の
解剖医ファン・ジョクジュンに対し、解剖を行わずに所見書の偽装をしろと命じる。
この時、口止め料として100万ウォンを手渡した
チェ・ファン公安部長は一晩熟慮の末、命令に逆らうことを決意する。

15日午前、崔(チェ)公安部長が司法解剖を指示する。
警察病院を懐柔し遺体を渡そうとしない姜(カン)本部長に対し、
崔は公務執行妨害での逮捕をちらつかせ解剖に同意させる。
なおも、警察病院での実施を望む本部長に対し、崔が民間病院を主張し、
漢陽大学病院に決まる
15日夜8時頃、安商守(アン・サンス)検事の指揮で朴の叔父の立会いのもと
司法解剖が行われた。



15日午後、スクープ報道を受けて治安本部が記者会見を行い
「持病による心臓発作」であると虚偽の説明をした。
この時、姜本部長が発した
「机をタッと叩いたらオッと叫んで死ぬとは」は流行語にもなった。
安商守らが中心となり「朴鐘哲死亡疑惑捜査班」が組まれたが、
警察のシナリオ通りに事が進み、目立った成果は出なかった。
※捜査班から崔は排除された。



警察の記者会見後の16日、東亜日報で遺体の状態(あざ・出血、水で
膨れ上がった胃など)が明らかになり、取調官による拷問疑惑が起こった。
オ医師は記者の取材に対し、水責めによる拷問死であることを示唆するため
「湿性ラ音」など「水」をイメージさせる単語を多用した。

19日、警察が事実を認め「一部の警察官の過度な職務意欲により発生した
不祥事」として現場検証もせず2人(チョ・ハンギョンとカン・ジンギュ)
のみを逮捕し事件の沈静化を図る。
バク・チョウォン治安監は2人に口止めをする代わりに早期釈放と
家族の生活費の保証を約束をした

2月に永登浦矯導所に収監された2人と同僚との面会に立ち会ったアン・ユ保安係長が、
会話の内容から新たな3人の容疑者の存在を面談記録に残す。
前年の仁川事態で逮捕され同刑務所に収監中だった活動家のイ・ブヨンに伝わり、
イはハン・ジェドン刑務官に筆記用具を借りて手紙を作成し、
ハンがジョン・ビョンヨン元刑務官らの協力を得て、イの手紙を外部に伝達、
最終的に活動家の金正男(のちの教育文化首席秘書官)に渡る。
手紙の伝達は4月上旬までに計3回行われた。



情報を得た天主教正義具現全国司祭団金勝勲(キム・スンフン)神父
5月18日にソウル明洞聖堂で行われた光州事件追悼ミサで正式に非難声明を発表した。
5月1日に結党されたばかりの統一民主党も独自調査に動いた。


警察の再捜査の結果、5月21日に3人が追加逮捕された。
ここでも警察上層部は隠蔽指示を否定した。
7月4日、拷問致死事件の1審宣告公判がソウル地裁で行われた。
1988年1月12日、東亜日報にファン解剖医の日誌が公開され、
15日に姜元本部長が隠蔽操作などの容疑で逮捕される。



野党や在野の金大中が対応を激しく批判し、警察発表に信頼性がないとして
真相究明のため国政調査権発動の決議案を提出する。

2月7日、全国で追悼集会が開かれる。
その後もソウルを中心に抗議デモが行われ、兼ねてからの
大統領直選制改憲運動と相まって全国に拡大した。
「4・13護憲措置」により一旦は小康化したが、5月18日に事件の真相が
暴露されたことで再び活性化した。

6月9日、翌日に控えた「拷問致死隠蔽糾弾及び憲法改正国民大会」の
決起集会に参加した延世大生の李韓烈(イ・ハンニョル)
デモ中に戦闘警察が発射した催涙弾を頭部に受け、7月5日に死亡した。
李の被弾事件は朴と共に民主化運動の起爆剤となり、
さらにデモが拡大していった。
(Wikipediaより抜粋)

 


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