まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

旧東奥義塾外人教師館

2020-05-07 23:40:59 | 建物・まちなみ
2019年10月の弘前の続き。

旧五十九銀行本店(青森銀行記念館)のすぐ近く、追手門広場内にある、旧東奥義塾外人教師館へやって来た。
初日はどんより雨がちの天気で映えない写真しか撮れなかったが、翌日は打って変わって晴天!こちらの写真から始めよう(笑)


東奥義塾とは、藩校であった稽古館を母体として1872(明治5)年に設立された私立の学校。
下見板張りの総2階建ての木造洋館は神戸の異人館みたい。緑色のペイントが上品で引き締まるね!
レンガの煙突もポイントになっている。
この建物は1900(明治33)年の築で、旧五十九銀行と同じく堀江佐吉の手によるもの。


1階はカフェが入っていてお客で混んでいた。大半のスペースがカフェの店内にあたる。
廊下の奥のトイレとお風呂場を見に行くと、青いモザイクタイル貼り。ま、タイル自体はそれほど古くないだろう。




お風呂もお揃い。


2階も見学できる。行ってみよう。


階段ホールから全室へ直接アクセスできる純洋風の間取り。窓が多く明るい書斎。ピンク色の壁がラブリ~~


こちらの主寝室も窓が多いな。やっぱり木造はいい。


ベッドサイドのちょっと引っ込んだコーナーが隠れ家のよう。ここで仕事や書き物をしたら集中できそうだな!


台形の出窓に造りつけられたベンチ。こういう素敵なコーナーがいくつも集まって部屋が出来ているのは、洋館ならでは。
置かれているアンティークな調度品も元からここにあったものだろうか。やはり家具があることで当時の生活が
ありありと思い描けて見るのも楽しい。

これらのいかにも西洋人が快適に暮らせそうな気の利いた空間づくりは、どこかの洋館を下敷きにしたのか、
堀江佐吉は西洋人の生活スタイルも熟知していたのだろうか。

ベランダと書かれた場所は行き止まりの廊下のようなスペースだった。
子供が屋内でも遊べるように梁にブランコが取り付けてあった。


ここのカフェ、さすがに初日から休憩ばかりもしていられないとパスしたのだったが、翌日のランチで実現。


時間が遅めだったからか少し空いていてすんなり入れてよかった!




青森りんご入りのカレーを。


カレーは甘口が好きなお子様の私(笑)、りんごのつぶつぶがほんのり甘くておいしかった!
スイーツも食べたかったなぁ。次回は是非!


続く
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旧第五十九銀行本店本館(青森銀行記念館)

2020-05-06 23:22:05 | 建物・まちなみ
2019年10月の弘前の続き。

宿に荷物を置いたら、建築めぐりにでかけよう。
弘前は、藩主津軽信枚が17世紀に計画開発した弘前城城下町をベースとし、戦災も免れ今に至る。
廃藩置県当初は「弘前県」、県庁も青森市でなく弘前に置かれたというほど、地方の中枢的な役割を担ってきたまちであり、
文化水準も高かったとか。文明開化の波にもいち早く乗り洋風建築の近代施設がたくさん造られた。
それらの建物は、今も弘前城の周辺をはじめとしてとてもたくさん残っている。

まずは、1879(明治12)年に建てられた旧第五十九銀行本店本館。


シンメトリーで総2階建ての堂々たるルネッサンス風建物は、石造の洋館に見えるが、何と木造である。
壁は下地の板の上に瓦を貼り、その上に漆喰を塗り重ねた土蔵造りだとか。


屋根の軒まわりにぐるりと回った欄干のようなものは「バラストレード」と呼ぶらしい。中央の塔屋がおしゃれ!


中へ入ると・・・木製のカウンターがそのまま残り、銀行時代の雰囲気を髣髴とさせる。カウンターの奥の営業室は
よくある吹き抜けの大空間でなく天井が張られており、実用的な造りと言えるだろうか。落ち着いて業務ができそうだ。


カウンターの一枚板や丸柱は青森産のけやき材が使われている。


第五十九銀行は現在の青森銀行の前身のひとつ。1943(昭和18)年に県内の5銀行が合併して青森銀行となっている。
1965(昭和40)年に弘前支店が新建物へ移転したあと、取り壊される予定だったのを、市民の強い要望により、曳き家して
保存されることとなった。そして1972(昭和47)年に重要文化財の指定を受けている。壊さなくてよかったなぁ!
その後建築当時の姿に復元修復され、青森銀行記念館として一般公開されている。


建設当初のザクロの(?)擬宝珠。


この建物を建てたのは、堀江佐吉という大工棟梁である。政府の進める北海道開発に従事したときに洋風建築に出会って以降、
1907(明治40)年に亡くなるまでに、洋風和風あわせて1500棟を超える建築を手がけたと言われ、
まさに弘前の近代のまちを造った人である。
東京からはるか離れた弘前で、大工棟梁がこんな本格的な洋風建築を明治初期からいくつも建てたとは、驚き!
明治の擬洋風建築にありがちなぎこちなさは感じられない。センスのある人だったのだな!

「5」と「9」がレイアウトされた第五十九銀行のシンボルマークは、堀江佐吉の子息、堀江幸治氏によるデザイン。
これは、ここではなく同行青森支店の建物の階段に取付けられていたもの。


二階へ上がってみよう。空中に軽やかに伸びる階段。


ザクロのがオリジナルだとしたら、こちらの擬宝珠はあとから復元されたものということかな。これもなかなか素敵だ。


こちらは小会議室。


ここの天井には金唐革紙が使われていた。もちろん現在は復元というかプリントだが、オリエンタルな模様がインパクト大。




こちらの大会議室の格天井の格間にも金唐革紙が貼られていた。金唐革紙が使われているのはここと小会議室と頭取室のみ。
もともとヨーロッパで装飾に使われていた高価な「金唐革」。その後日本で、エンボスをつけた紙に柿渋や漆などを塗って
金唐革を模した「金唐革紙」が開発され輸出までしている。日本人はこういうことは本当に上手い。


金唐革紙が使われた施設は多くないが、これまでに数箇所で見たことがある。旧蔵内邸、呉の入船山記念館
岡谷の旧林家住宅、北海道栗山町の小林家住宅、神戸の移情閣など。


この階段があの展望台の塔屋へ上るためのものだろうが、案の定立入禁止。


ここは第2応接室だったかな・・・




金唐革紙が使われたもう1ヶ所の部屋、1階の頭取室は非公開だった。残念~~
欄間のガラス越しにチラッとだけ見えた。


続く
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弘前へ。三上ビル

2020-05-05 22:03:43 | 建物・まちなみ
さて次は何を書こうか・・・旅ネタはありすぎるほどあるんだけど、長編になりそうなものは覚悟が必要で・・・(苦笑)

去年の10月、即位礼正殿の儀の飛び石連休を利用して弘前へ行ってきた。
連休初日の伊丹空港は、ターミナルビルの改修工事中ということもありごった返していた。早めに来ておいてよかった。
しかし前日にメール連絡があり、青森空港が視界不良のため着陸できない可能性があり、その場合は仙台か函館へ着陸する
条件付きになるという。その場合青森までの交通機関の費用は出してくれると言うが、、、1日目は移動で潰れてしまうな。。。
これまでも何度かやられているので油断できない(苦)。
青森に近づくに従い窓の外は牛乳のように真っ白に。あぁ、やっぱりだめか。1日目にアポイントを入れていないのがまだ幸い。
うつらうつらして次に目を開けたら、、、あっ地上だ!!着陸できたんだ!あぁよかった!機長ありがとう~~
定刻に青森空港に到着。雨が降っていて寒いが、予定通り着けただけでも感謝である。

首尾よく路線バスに乗って弘前城近くに着いたら、とりあえずお昼ごはんをたべよう。
友人からもらっていた「趣きのある建物」という弘前の建物めぐり散策マップに載っていた「高砂そば」でランチ。


建物は昭和48年築だが、店は1913(大正2)年創業の老舗。棟方志功も通っていたとか。


天ざるはエビ天が食べ応えたっぷりでそばもおいしく満足満足!幸先いいスタートだ。


レンガ使いの蔵が目につく。窓まわりが凝っていてカッコイイな!


レンガ部分もただ積んであるだけでなく濃い色のレンガを合わせたりゲタ歯のような意匠が施されている。
ここだけ見てもまちの豊かさが知れる。


宿へ向かって歩いていたら、交差点に年代物のビルが。あぁこの三上ビルは以前弘前を駆け足で巡ったときにも撮ったっけ。
その時はJR弘前駅からぐるーっと大外を歩いて中心部へやって来たのだった。アプローチする方向が違うと建物も違ってみえる。
あの時は真冬に急行はまなす&寝台特急日本海に乗る旅で、津軽鉄道、弘南鉄道も乗ったのだった。
2012年の記事


交差点の対角から写真を撮ってから、道を渡ると、、、おや、このビル灯りがついている。店が入ってるな。
渋い純喫茶「時代屋」。よさげ・・・今はお昼を食べたばかりで休憩には早すぎるが、滞在中に入ってみたいなぁ。


そしてこちらのレトロな雰囲気の看板は・・・「煮干結社」!?バーかと思ったら、ラーメン屋だって(笑)。面白い名前だな!!


おぉ、レトロ。


2階にもお店があるようなので、ちょっと偵察に行ってみよう。




オールドジャンク(OLD JUNK)というビアバーのようだ。ドアのガラスから中を覗くと・・・うわぁ、いい感じ!
バーという名だが、今も営業しているようだ。入ろ!!
・・・休憩には早いと言っておきながら(笑)


「お茶だけでもいいですか?」「どうぞ」
落ち着いた年配の女性店主と少し話をすると、この三上ビルのオーナーの方だった。
元銀行のビルだったが昭和38年に銀行が移転し、この店は30年前からやっているとのことだった。
内装は入口ドアの改造とカウンターの追加ぐらいであとは当時のままとか。


三上ビルは旧弘前無尽社屋として1927(昭和2)年に建てられた(※弘前市のサイトによる)。
弘前無尽株式会社はのちの弘前相互銀行。4階部分はのちの増築だろう。


スイングドアのついた小部屋があったので除いてみると、VIPルーム!?こじんまりした特別感のあるスペース。
元は頭取室だったのかな!?


年季の入ったヘリンボーン柄の板張り床がなんとも味わい深い。


オーナーさんとちょろちょろ世間話をしながら、ちょっと無理してコーヒーを注文。
コーヒーは苦手なのだが、この空間にはコーヒーが似合うと思ったので(笑)。おいしく頂いた。
弘前に来て早々、宿にチェックインもしないうちからこんな素敵な窓辺でゆっくりしているなんて、あぁとても贅沢。


ちなみに、初日は三上ビルの隣の弘前グランドホテル泊。夜は煮干結社のつけ麺でディナーを。
中は意外と広く券売機で食券を購入するスタイル。地元の人気店のようで満席近い。皆常連客のようだ。
店員さんに食べ方を聞いたら親切に教えてくれた。文字通り煮干をベースにしただしで、スープはお湯で薄めて全部飲む。
とってもおいしかった!いつも一人旅だとうまくお店を見つけられないが、今回は順調!

煮干結社は2017年にこのビルにテナントで入っている。
店の入口は現在階段ホールにあるが、オールドジャンクのオーナーさんが、銀行時代は角に入口があったと言われていた。
弘前市内に現存するRC建築としては最も古いという三上ビル。オーナーさんが大切に維持され、素敵なお店がテナントに入って
お客がたくさん来て賑わっているのは本当にうれしいことだなぁ!

1928(昭和3)年築の老舗旅館、小堀旅館。しかし・・・やってなさそう。


大正期の建築、田中屋は津軽塗りの製造販売店だったが、こちらも営業していないようだ・・・


続く
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高山のまちかどから

2020-05-03 22:44:04 | 建物・まちなみ
飛騨高山の続き。
近世の城下町の趣を残す立派な町家が並ぶ高山のまちなみは、1979(昭和54)年という早期に伝統的建造物群保存地区に
選定されているだけに観光地として成熟している。建物の多くはお店になっておりお客が多い。
並行する上一之町、上二之町、上三之町の各通りが収束されたまちの南端に、旧高山町役場、現高山市政記念館が建っている。
1895(明治28)年完成の木造2階建て和風建築だ。


ほぼ同じ大きさ・形の入口がふたつ10mほどあけて並んでいるのがちょっと不思議な感じ。
ここは前回も見たが一応見ておこう。


総ひのき造りの立派な建物であるが、1階は特に目を引くような意匠はあまりなく、実用重視の役所建築という感じ。
しかし、、、2階の議場にはやっぱり驚かされる。ワンフロアの大空間を丸ごと覆う格天井!!
前回見たときの驚きを思い出した。


これも折上げ格天井と呼ぶのか。「変形折上格天井」と説明にある。四辺の端がゆるやかに下がった格天井はシェル構造のよう。
いろいろ展示物があるのだが、この空間が圧巻過ぎて展示物がかすんでしまうな(苦笑)


お店を覗いたり、いちご大福を買い食いしたり普通に観光も楽しむ。


造り酒屋が古いまちなみのエリア内にいくつもあって、「7蔵のん兵衛まつり」というのをやっていた。


気になったなまこ壁の喫茶店。


「洲さき」という古そうな料亭。司馬遼太郎の「街道を行く」にも登場したといい、外観はかなり素敵だが内部はどうなんだろう。
見てみたいが、かなりお高いようで・・・(汗)


和風のまちなみの中にはぽつぽつと洋風ファサードの建物やレンガ造りなどが混じる。


二階に縦長窓が6つ並ぶこの洋風の建物は、もとは何だったのか。。


ステンドグラスかと思ったら、型板ガラスを部分的にペイントしてある(笑)。でもなかなかかわいいな。面白いアイデア!


三階建てのレンガ蔵を利用した店舗。裏にはレンガの煙突があったのでここも酒屋の蔵だったんだろうな。


こちらの古そうなお屋敷は「藤井美術民芸館」。医師であった藤井糺一氏の約70年にわたる美術工芸品のコレクションが
展示されているという。この変わった門構えをはじめ、医者の家というのが興味を引かれるが、、休業中なのか?閉まっていた。


本業タイルのあった高山昭和館にももう一度行きたかったがもう時間切れ。そろそろ駅へ向かおう。
川の手前側にも商店街がありちょろちょろ気になる建物もある。


古そうなショーケース。


このお城のような建物は、筏橋西詰に建つお肉屋さん「天狗総本店」。高山のまちで異彩を放つ派手な外観。
何と天狗の顔までついている。現在もバリバリ現役なのが素晴らしい!1936(昭和11)年築。


議員の後援会事務所となっているお屋敷も古そうで気になる。見学させてくれないかな(笑)


駅に近いエリアは昭和レトロな雰囲気で、またそれも楽しい。


「理容ホビ」のねじねじオブジェが秀逸!何て素敵なの~~



もう少し時間があれば駅前も散策してみたかったが、余裕なし(苦笑)

最後にゆっくりお茶する時間も残らずバタバタと駅へ駆け込んだ。
7年前健在だった小さな素朴な昭和時代の駅舎は、明るいガラス張りの新しい駅舎に変わっていた。
2016(平成28)年に供用開始されたらしい。昭和は遠くなりにけり・・・


最後はとりとめなくなってしまったが・・・楽しかった母親と妹との女子旅(笑い)、これにて終わり。

もくじ
コメント (2)
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旧長瀬旅館

2020-05-02 22:45:25 | 建物・まちなみ
飛騨高山の続き。

高山を歩くのはたぶんこれが3回目かな。
古いまちなみのいちばん端の方にある日下部民藝館吉富家住宅から中心部あたりへ戻ってきてふらふら歩いていたら
目についた大きな旅館。こんな風格ある旅館があったのか、高山にも泊まればよかったな。。。と思いながら近づくと、
どうも様子がおかしい。玄関のガラス戸から中を覗くときらびやか。あぁ、ここはブライダル施設に変わっているのか。


そこは閉まっていて入口は少し先にあった。中へ入ってみると、、、おぉ~~っ、元の旅館の雰囲気がよく残っているなぁ!
出てこられたお姉さんに、ウェディングの下見ではないけど(爆)ちょっと見学させてもらえるか、尋ねたら快諾頂いた。


ここは1754(宝暦4)年創業の長瀬旅館という老舗旅館だった。旅館は残念ながら2008年11月に廃業された。
その後現在のブライダル会社が建物を購入、改修して2011(平成23)年に「TAKAYAMA NAGASE」としてオープン。
「Wedding&Restaurant」となっているが、現在は食事だけの提供はしていないそうだ。
帰ってから検索して見つけた、営業当時泊まった方のブログによると、明治30年の大火で全焼したあと
高山の別の場所から江戸時代の遊廓の建物を移築した、とのことだが詳細は不明。


元の帳場の上には今も神棚がある。


ステンドグラスのスタンド照明がいい雰囲気だなぁ~~。調度品はあとから持ち込まれたらしいが、その隣にある
大きな古時計は先述のブログの写真にも写っており、残されたものと思われる。


廊下が奥へと続いている。中庭もあるようだ。


中庭は石が立体的に組まれ池もあり、地面は苔に覆われている。コンパクトな中に要素を凝縮したような本格的な庭園だ。


廊下の突き当たりのアイストップとなっている窓は中央が透明ガラス、周囲がすりガラスで、竹の桟を入れてある。
ここから左に折れて奥の棟へと続いている。間口も広いが奥行も相当あるんだな!
敷地は2000平米、お庭は6つあるらしい(驚)


壁の角の部分に細竹を埋め込んである。土壁の保護のためだろうが、意匠としても面白い。

あんまり勝手にずんずん入って行くのもはばかられこの辺で引き返す。

そして玄関から右手の方には、切子の模様の入ったガラス戸が。うわぁ、素敵だなぁ~~


これはオリジナルだろうな!


ソファの並んだロビーには、床の間や書院が残り、元は和室だったことが分かる。


床の間の横には床脇があっただろう。このステンドグラスは床脇と廊下の間にあけられた窓(床窓?)だったと思われる。
枠は漆塗り。


ステンドグラス自体は古いのか新しいのかよく分からない・・・それほど新しいものにも見えないが。。。


その奥へ行ってみると、さっき最初に覗き込んだ入口のところだ。
このあたりはゴージャスで華やかな装飾が満載で、パーティ会場へのアプローチだと思われる。
後からここのお姉さんと少し会話したときに聞いたら、この入口はあとから改修で造ったのだとか。
床の敷石とか、古そうに見えるんだけど。。。勝手口のような場所だったのかもしれないな。


そしてその入口の横に、洋室があった。うわっ、これは本当の洋室!?


正面奥には暖炉があり、壁は天井近くまで木製のパネルで覆われブラケット照明が取り付けられている。
窓にはステンドグラス。このステンドは・・・近寄って見ると新しいもののようだ。


お姉さん曰く、この部屋もあとから造ったとか。ええーっ、ほんとに?壁の板は自然な色で、細かいモールディングや
上の方には入った装飾など手が込んでいる。近年造られたようには到底見えないが・・・きっちり造ったとして、
8年でここまでなじむのか!?


そして木製のマントルピースも細かい浮き彫り模様が入っており、現代に造ったものではないと思う。。


それとも、古いマントルピースごと持ってきて設置したのか??
鏡のまわりの装飾は現代のものと見える。


旅館時代にこのあたりがどのようだったのか、写真などないかとネット検索してみたが見つからず・・・
私の目ではどこまでがオリジナルでどこを造りこんだのか判別がつかないので(汗)誰か行って見極めてほしいなぁ。


NAGASEの公式サイト →こちら
廃業時のニュース記事 →こちら
改修を担当した設計会社 →こちら
泊まった方のブログ →こちら

続く
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吉島家住宅

2020-05-01 21:56:05 | 建物・まちなみ
飛騨高山の続き。

重要文化財の旧日下部家住宅の隣には、吉島家住宅がある。何とこちらも重要文化財。2軒も並んでいるとは!!


隣と同じくずいぶん引き込まれた玄関に、「二つ引き両紋」を染め抜いた麻の暖簾がかかっている。
吉島家は代々酒造業を家業とした豪商で、生糸や繭の売買、金融業も営んだ。


中に入ると、こちらもまた吹き抜けの大空間!!農家や邸宅ばりのスケールで、これが町家であることを忘れさせる。
まるでジャングルジムのような小屋組!


現在の建物は1905(明治38)年の火事で焼け残った部分に増築する形で、元の建物を建てたのと同じ大工、
西田伊三郎の手により1907(明治40)年に完成。日下部家よりも少し規模が大きいようだ。


土間に張り出したオープンな畳敷きのスペースは、「部屋」と呼ぶにはどうにも違和感があり、「小上がり」「テラス」、
または「床」・・・?何と呼ぶべきか。。


土間にはかまどもある。


奥へ抜ける手前にあった手洗い場の人研ぎシンク。これはあとからつくられたのかな。


中庭には井戸もあった。


1階の仏間や座敷や次の間などの配置は日下部家とも似ている。




この釘隠しは、吉島の「吉」の字を崩したデザインだというが・・・どこがどう「吉」なのか??ちょっとよくわからない。
館内にはうさぎの形の釘隠しもあるらしいが(見つけられていない汗)、吉の字の釘隠しがいくつか盗まれたため
別のところから持ってきて取り付けたのだと言う。盗む輩、許せん!!


襖の唐紙は、五七の桐模様が立体的なレリーフになるほど顔料がたっぷり乗っている。


奥の離れの和室から直接つながった土蔵。


この家は2階がまた面白い。ひと部屋ごとに床が上がっているスキップフロアになっているのだ。
しかも各部屋間の段差は約30~60cmとかなり高く、踏み段が設けられているほど。


いちばん奥の座敷にたどりつくまでに少なくとも3回は段差を上っていて、合わせると半階分くらいの高低差がある。
隣同士の部屋の関連性は薄そうで、上手の部屋に座っている人と目線の高さを合わすというような
よくある目的でもなさそう。
何か忍者屋敷みたいで面白い(笑)。遊び心なのだろうか。

この下の1階部分の天井は高さが違っているのか、気になったが確認するのを忘れたな・・・(汗)

2階の奥の座敷は、いちばん高いところにあるからと言って格式ばった感じは全くなく、数寄屋風の意匠も取り入れられ、
リラックスした雰囲気。


竹を使った欄間。軽やかに飛ぶツバメの姿が透かし彫りになっている。




かわいいなぁ~


庭に向かって大きな窓が取られ明るく風通しがよい、居心地よさそうな部屋だ。


床柱はまるで雑巾を絞ったようにねじれた木が使われている。どうやったら木がこんなにねじれるの!?


ちなみにこの家にはタイルはなさそうだった(笑)

続く
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日下部民藝館の敷瓦

2020-04-30 23:26:35 | 建物・まちなみ
湯之島館からの続き。



翌朝、下呂駅から朝イチの高山行き急行バスに乗り込む。約1時間で直行してくれるので便利で楽々~~
高山駅から伝統的建造物群保存地区は少し離れている。寄り道しながらぶらぶら歩いて日下部民藝館にやってきた。
旧日下部家住宅で国指定重要文化財。


高山は1692(元禄5)年に金森氏が国替えになったあと徳川幕府直轄の天領となった。日下部氏は天領時代に
幕府の御用商人として栄えた家で、「谷屋」の屋号を名乗っていた。現在の建物は1875(明治8)年の大火のあと
復興されたもので、1879(明治12)年築。1966(昭和41)年から民芸館として一般公開されている。

平入りの入口は、一瞬そこがトンネル路地になっているのかと思わせるような、1階の外壁面から1間半ほども
奥まったところにある。この深い踏み込みスペースは雪国の知恵だろうか。


入口の引き戸を入ると、広い吹き抜けの土間が広がっていた。土間に面して台所が張り出していたり、
小上がりのような畳の部屋があったりするが、天井は抜けており単に囲っているだけのような感じなので
広い土間に作られたドラマのセットのような印象を受ける。


しかし総ヒノキ造といい、黒っぽい色なのはベンガラにすすを混ぜて塗る高山の町家作りの特色なのだとか。


土間はたたきでなく赤レンガ色の敷瓦が敷き詰められているが、これが元からなのかどうかは不明。。。
もう50年以上も一般公開されているわけなので、改修されているのかもしれないな。係りの人に聞けばよかった。


土間は奥へ抜けている。主屋と土蔵と、土産物コーナーとなっている休憩所に囲まれた中庭は作業場だったのだろう。


主屋の方を見る。


ユニークなデザインの火の用心札。


部屋に上がる。右側の2部屋は天井がない。めちゃくちゃ寒そう。。。


展示されている民芸品はあまり多くなく、蔵の中と、床の間などに少し。
これは用途は不明だが(書いてあったのかも・・・幟旗かな)藍染の絣で、「三國一」「冨士山」「日本」「中川」などの文字や
汽車の絵が入っていて面白いなぁ!縦糸と横糸の両方を染め分けて模様を作り出す「経緯絣」だ。


奥まったところに仏間や本座敷などがきれいな田の字に並んでいる。ここは2階があり天井もあるので、さすがに暖房も効くだろう。




座敷の方は引き手や釘隠しも凝ったものが使われている。


この釘隠しは焼物だな!織部釉がかかって厚みがあって、ブローチのよう。素敵だなぁ。


これは鉄製だが何の柄?花のようであり雲のようでもあり・・・


本座敷が面する観賞用のお庭。


2階にも上る。ゴツイ窓枠。いろいろな部分であまり見たことのない造りだ。民家でも地方によって全く異なるなぁ。


2階から見下ろした1階のこけら葺の屋根。内角の納まりが美しい・・・


そして、庭の一角にある外便所に敷かれた本業タイル、これを見に来たのだ!場所が分からなかったので教えてもらった。


見たことのある柄だ。確か飫肥の旧山本猪平邸にあったものと同じ・・・と思っていたけど、あらためて見ると
微妙に違っているなぁ。パーツの間隔とか向きとか。。。大きさごとに作った型紙がちょっと違っていたのだろうな。
飫肥のは6寸、こちらのは測り忘れたけど多分8寸角。


こんな敷瓦を踏んで用を足すなんて、もったいないなぁ!(苦笑)


土産物コーナーには焼き物や紙製品、布製品など各地の民藝の品が売られている。その中に・・・タイル!?
これは瀬戸の復刻品だな。


続く
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湯之島館、再び。

2020-04-24 23:00:27 | 建物・まちなみ
夏の台湾旅に続けて秋の台湾旅を書こうかと思ったけど(笑)、やっぱりちょっと気分を変えて、、、
母親と妹と下呂温泉の湯之島館へ行ってきた時のことを。
湯之島館は以前2012年に友人たちと3人で行ったことがあり、今回が2度目。

下呂温泉街を散策してうなぎを食べたあと、もう宿へ向かう。送迎バスに乗るには駅まで戻らないといけないので諦め、
温泉街から坂道をゆるゆると歩いて上ってきた。


下呂富士と呼ばれる湯之島山の中腹の5万坪という広大な敷地に建つ湯之島館は、国鉄高山本線開通に合わせて建設が
計画され、下呂駅開業の翌年1936(昭和6)年に完成。丹羽英二氏により、和洋融合をテーマに設計されたとか。
訪日外国人旅行者が安心して宿泊できる一定の基準を満たした宿を登録する「国際観光ホテル整備法」が
1949(昭和24)年に施行されると、国際観光旅館の第8号として登録された。実際、当初から支配人制度を採り、
ビリヤード場やダンスホールを設けるなど、旅館というよりもリゾートホテルを目指していたという。


杉木立の中に建つ木造三階建ての建物は、斜面の下から仰ぎ見るとさらに背が高く見え、まるでビルディングのよう。
いくつかの棟は増築されているが、創業当初の建物は現在まで基本的に変わっていないという。




あぁ、感動がよみがえる!




玄関先で出迎えて頂き中へ案内される。こういうのは古きよき旅館スタイルで、やっぱりうれしいね!


いろりのある待合所。


お土産コーナーの横のカフェスペースから、本館がよく見える。


コーヒーを飲み終わった頃(私は飲んでないけど)、本館2階のお部屋へ案内される。


次の間付きのゆったりした8畳間は古さを感じさせない。荷物を置いたらさっそく館内を探索にでかけよう。
山の中腹に建つ湯之島館は斜面を生かした造りで、1987(昭和62)年竣工の高層棟「景山荘」を別としても
1階の玄関から見て5階建てということになっている。階段状の廊下がどんどん奥まで続き、迷路のように広い!
スタンプラリーで館内探検を推奨されているので堂々と歩き回れるのがうれしい。


長い廊下で接続される棟と棟、複雑に重なり合う屋根と屋根。まさしく迷路宿だ。


写真の枚数の都合により、洋館の紹介は後回しにして、和館内の風景をランダムに紹介しよう。


特別室を偵察に行ってみる。茶室つきの離れ、「山楽荘」はお客が入っておられたので手前までで引き返す。


天皇陛下も宿泊された湯之島館の最上級特別室、「七重八重の間」も、お客がおられるようで、見れず。。。


春慶塗の意匠で統一された「春慶荘」も、明かりが点いていた。前回はチェックアウト前に宿の人にお願いして
見せてもらったのだったが、今回は遠慮しておくか。。。
私は特別室のうちではここにいちばん泊まってみたい。しかし・・・こういう部屋はカップルでないとなぁ(爆)


共用トイレが館内に数ヶ所あるが、ここは床がこんな渋いいぶし瓦敷きだった。。


洗面台は白タイル貼り。


壁のオレンジ色の小口タイルもいい雰囲気。




吉田初三郎による創業当時の鳥瞰図を見ると、今とほとんど変わっていないことが分かる。


続く
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佳里のタイルハウス三兄弟

2020-04-21 21:05:11 | 建物・まちなみ
2019年夏の台南の続き。

佳里のまちには他にもちょくちょく面白い建物がある。


こちらはもともと3スパンの建物だったように思われるが、右側だけ建て替えられたのだろうな。
残り2/3の部分も割ときれいで、ちょくちょく修繕されていると見える。


個性的な建物に愛着を持って大事に使っていることが感じられる。愛されている建物を見ると、こちらも嬉しくなるな!


そしてこんな辰野式もどき(!?)のしましまの建物があった。縞の部分をドイツ壁のようなモルタル吹付けにしているようだ。


おっ、マジョリカタイルがあるじゃないの!


こちらは何かプリントっぽいなぁ。近くへ行って触ってみないと分からないけど・・・


同じ並びに、こちらもしましまの建物が。
しかし面白いことに、そのしましまがこんなカラフルな小口タイルで出来ているのだ!!
なにこれ~~、こんなの見たことないぞ!!


白と、ターコイズブルーと、緑、チェリーピンク、そしてえび茶色。ちゃんと出隅の役物も使っている。
台湾でも小口タイルはよく使われているがこんな使い方をしているのは見たことがないし、だいたいしましま自体を
こんなにカラフルにしたらストライプ効果が薄れるじゃないか(笑)。面白いことするなぁ~~~!


二戸一の商店だが、上を見ると中央に大きな三角、両脇に小さな三角の装飾壁が配置され中心性がある。
てっぺんには鳥が載っている。間には、牛?


そして、ちょっと引いて見たら、二本の出っ張ったひさし(?)の間にマジョリカタイルが!こんな引っ込んだ場所に
タイルが貼られていたら、道路に立って見あげてもタイルが見えないじゃないか~~




おや、よく見るとその隣の建物もしましまだ。新しそうで装飾もないので目を留めていなかったのだが、今あらためて見ると・・・
あぁ、ここもマジョリカタイルが使われていた!しまった、ちゃんとした写真がない・・・(悔)


これらしましま三兄弟(笑)は同じオーナーが建てたに違いない!1号館、2号館、3号館、と手を広げて行ったのだろう。
それとも局地的な流行だろうか。あぁ、面白いなぁ!


さて、そろそろ台南へ戻ろう。
善化から台南へ戻る途中の永康駅は駅前に工場があって、貨物列車が停まっていたり、古い橋げたらしいものが置かれていたり
古い車両が放置されていたり、何かいろいろ面白そう!次回は下車してゆっくり見てみよう。








台南駅前の安宿をチェックアウト、今夜のうちに高雄へ移動するのだ。夕暮れ前に高雄の宿に着き、夜市をぶらぶら。
楽しい~~


続く
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佳里の建物めぐり

2020-04-20 22:28:04 | 建物・まちなみ
2019年夏の台南の続き。

麻豆からバスで佳里にやって来た。まずは、フェイスブックで見ていた旧佳里郵便局へ行ってみよう。

あぁこれか!なるほどこじんまり素敵な建物だな!
ファサードの中央に大きな三角の妻壁を見せ、入口にひさしはない。壁は暗い土色だが入口まわりや窓まわりの
オレンジ色の縁どりが顔色を明るくしている。入口上の楕円アーチ型のラインもかわいらしいなぁ。


近寄ってみよう。建物の間口はあまり広くないが奥行があるようだ。




このオレンジ色の正体は、洗い出しの骨材の石の色だった。レンガのような色のこの石は何という石なのだろう。大理石?




一部タイルも使われている。レンガを使わなかったのは、古い建物のイメージを持ち込みたくなかったからだろうか。


付近には日本統治時代の官舎の建物がたくさん残っている。台湾日式建築紀行の本で見ていたのでちょっと見て回る。


比較的ゆったりした敷地に建つ木造平屋建ての和風や和洋折衷的なデザインの住宅。ひっそりとした一角だが、
一部の家は今も住まわれているようだ。




台北や高雄、嘉義花蓮台東屏東など、日治時代の主要なまちならだいたいどこでも日本人の住宅街がまちの片隅に残っており、
それらはいずれも風前の灯の姿である。一方で修復、保存、活用している例もたくさん見てきた。
ここでもこの雰囲気をうまく利用されればいいなぁ。
私は普通に住宅として再生するのでもいいと思っているのだが、台湾人には日式の家はやっぱり住みにくいだろうか。。。




ところで佳里ではマジョリカタイルも見つけた。旧佳里郵便局のすぐ近くにあった、美形の三合院民居。
道路からよく見えるが、広い敷地の奥に建っていて近寄ることは出来ない。


それでも屋根の棟のところにタイルが並んでいるのが分かる。私のカメラはズームがあまり効かないのだが・・・(苦)


拡大して見ると、龍のタイルだ!珍しいな!
一部絵付けタイルも混じっていた。絵付けタイルは日本製の白タイルに台湾で絵を描いて焼き付けたもの。


そして、入口の脇の壁にもタイルがあるな!左右それぞれ4枚組が3ヶ所ずつ。


一番外側は鶴のデザインのマジョリカタイル、中央は絵付けタイル、内側は・・・水墨画のような絵のタイルも日本製か。
反対側も同じく。


一般の住宅でもちゃんと手入れされてきれいに残されているのを見るとうれしいねぇ!!


続けてまちなかをうろつく。古いバロック風の装飾がちょくちょく見られる。中でもここはとても豪華!


5連長屋だが、左端だけ2スパン分の幅があるな。
装飾壁はすべてデザインが違っていて、それぞれに複雑なフォルムで、凝ったレリーフが施されている。


中央の孔雀は鮮やかな羽を剪黏で表現されていたようだが、もうほとんど残っていないな。。。


「頴川」というのが屋号だったのだろうか。


この丸の中の文字は何??・・・・あぁこれも「頴川」か。


右端はまたひときわ繊細で華麗な装飾。こういう建物は、オーナーが建てて店子に貸したのか、それとも数軒の店が
共同で建てたのだろうか。全体的にデザインが統一された建物もあるが、ここのようにバラバラのものもある。


こんなのが残っているとは、佳里のまちは楽しいなぁ!

続く
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麻豆の建物めぐり

2020-04-19 23:17:16 | 建物・まちなみ
2019年夏の台南の続き。

烏山頭から善化駅に戻ってきて軽く腹ごしらえしてから、続けて麻豆というまちへ向かおう。
地図で見ると、まちの周囲を道路が四角く囲んでいて、もともと城壁があったのだろうと想像される。

駅前のバスターミナルからバスに乗り、烏山頭とは逆方向へ走ること15分、見たいと思っていた電姫戯院の前で降りる。


うわ、、、じゃんじゃん車が走り抜ける通りに面して、棄て置かれた古い映画館。すごい存在感。
古ぼけた緑色の壁に装飾やひさしなど賑やか。独特でちょっとくどいデザイン。骨組みだけになった看板がくっついている。
2階を見ると3スパンの建物のように見えるが、1階を見ると2本の柱が寄せて建てられているため2スパンのように見える。


これはなに?ライオンの顔??それともオッサン??(笑)


くっきり白い2連アーチの券売所の窓口。

前に車が停まっていて、少し待っていたが退く気配がないので諦めて他を見に行く。。。
あとで再び見たとき若者が何やらやっていた。ここも活用に向けて動いている人々がいるのだろう。

表通りを歩くと他にも古そうな建物がポツポツ見られる。
交差点の角地に建つこちらの建物、角部分はアールでなく平面の装飾壁が立ち上がり、植物モチーフのレリーフが見える。
・・・しかし、真ん中に点々と張り付いている黒っぽいものは何だ?


写真を撮っておいてあとで拡大してみると、、、動物。・・・ウサギ??
リアルなうさぎなのだが、地上から見たら何か全然わからないんだけど(笑)。


こちらも間口の広い立派な建物だな。6スパンに見えるが、台湾の長屋は奇数のはずなので、5スパンの中央部が
広くなっていて補助柱が立っているということになるのだろう。


小さな丸窓が並び、中央のメダイヨンの両側に天使が。風車のような地模様も面白いな!


こちらもチェックしていた麻豆林家へ行ってみると、四合院の民居は道路に対して垂直方向に向いて
建っており、手前にプレハブのガレージがあるので道路からはよく見えないのだが(苦)、ちらりとタイルが見えている。
麻豆林家は板橋林家、霧峰林家と並ぶ台湾三林家のひとつで、麻豆の名家。ここは現在もお住まいの建物である。


運よくご主人がおられ、お庭にちょっと立ち入らせてもらえることに。うれしい!!


うわぁ~~~美しい!入口の左右に2ヶ所ずつ異なるデザインのマジョリカタイルが貼られていた。状態もとてもいいな!




タイルもすごいが、その他、梁や壁の装飾も素晴らしい。玄関先だけ見てもやっぱりそんじょそこらの建物とは格が違うと感じる。


あぁ、このまま末永く保たれますように・・・

ありがとうございました~~

ざぼんの季節。まちのあちこちで山積みされているのを見かけた。台湾のざぼんはちょっと縦長で洋ナシのような形。


モダニズムデザインの建物もちょくちょく見られる。




柱を一本省略したりするのも、モダニズムの現れなのだろうか。




ひときわ古そうな回生歯科の前の床はかわいいモザイクタイルがいちめんに!!




お隣も色柄違いで。


こんな小鳥の透かしブロックを見つけた。かわいい~~!!


麻豆の中心部にはあまり三合院民居は見当たらず、林家以外にタイルも見つけられなかった。もう少し周縁部まで歩けば
あるかもしれないが目星もないので、次のバスで佳里へ行こう。

続く
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善化のまちでタイルに出会う。2

2020-04-16 23:35:55 | 建物・まちなみ
2019年夏の台南の続き。



徐さんからLINEの返事が来て、「善化にいるんだろう」と。えっ、何で分かるの!?どこかから見られている!?(笑)
やっぱりあのタイルは有名物件だったようだ。
今同僚と台南に来ているから一緒にゴハンを食べよう、と。えー、すごい偶然!今回は事前に連絡してなかったのに。
今からそっちへ行く、とのことで、待ちながらもうしばらくタイル探しを。


空き地の奥に、タイル発見。これは家の裏だな。


きれいな色合いのセレクション。赤い屋根には青や緑が映える。


表通り沿いのビルの間にも三合院があった。




ここにも屋根の上にタイルが。


家と家の隙間からチラッと見えた八角窓を見に、そろそろと路地に入ったら・・・


袋小路になったところに三合院が建っていた。そして、ビンゴ!タイルもあった!
家の前におっちゃんがいたので、写真を撮らせてくださいとお願いして撮る。ステキなお家ですね!


八角窓のある建物は右護龍の先端にくっついていた。どういう用途の部屋だったんだろう。
あぁこういう時中国語が出来たらと思う。

あぁ、まさに、タイルはまちに散りばめられた宝石!まちをうろついて古民居やタイルを発見するのは
まるで宝探しのような楽しみだ。
時代の荒波に揉まれながらもこうしてまちの中にまだかろうじて残っていて、人が暮らしている。
こういう伝統民居にも熱いまなざしを向けたい。

善化に到着した徐さんと合流。今日は台南でメディア対応だったらしく同僚の人も一緒。
私が見つけられていなかったタイルスポットを3ヶ所ほど案内してもらう。ここもシンプルな三合院。


屋根の上の棟にマジョリカタイルが。


こちらは三合院の建物の裏側。後ろに建っていた建物が壊されたので見えるようになったんだな。


タイルは表側だけでなく裏側にもあるのだ。タイルのセレクションはそれぞれ、センスの見せどころ。


そのあとは慶安宮へ。えっ、ここは最初にバスを降りたところじゃないか。ここにもタイルがあったのか!?
壁にはめ込まれたカッコイイ鷹の絵付タイル。


そして・・・あっ、お供え物などを並べている高い卓の天面に、みっしりと古いタイルが貼られている!!


自分一人じゃ見つけられずにそのまま帰っていたなぁ・・・教えてもらえてよかった!やっぱり先達はありがたい~~


卓の側面には「大正癸亥年季冬月穀(?)旦」と彫られていた。「癸亥」は調べてみると1923(大正12)年だ。
まわりの浮き彫りレリーフもすごいな!!


3人で晩ご飯を食べたあと台南まで送ってもらった。いつもありがとう~!
結局善化では自分で7物件発見し、3箇所連れて行ってもらって、合計10箇所のタイル物件を見ることができた。
あぁ楽しい一日だった。


続く
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善化のまちでタイルに出会う。

2020-04-15 21:16:07 | 建物・まちなみ
2019年夏の台南の続き。



玉井からバスで台南へ帰って来たら3時すぎ。
台南で泊まっていたダイナスティホテルはとても快適だったのだが2泊しか空いていなかったため、残りの1泊は
駅前の安いホテルを取っていた。朝散歩のあと荷物だけ移動させていたので、玉井から戻ってチェックインしたら、衝撃・・・
昔安宿にさんざん泊まってきた私も、最近はまぁまぁ人並みの快適さを求めて中級ホテルを選んでいたので(笑)
ちょっと免疫が落ちていたのだろう。足をぶつけたら怪我してしまいそうな現場打ちコンクリートにペンキ塗りの
四角い浴槽なんて(おしゃれな打ちっぱなしコンクリートではない笑)久しぶりに見た。しかも、台湾で。
予約サイトの写真はうまく撮ってあるなぁ!
荷物を置いてすぐまた出かける。

明日は朝から烏山頭ダムへ行こうと思っているのだが、烏山頭行きのバスの時刻がネット情報だけじゃ心もとないので
実際にバスが発着する善化駅のターミナルへ行って乗り場や時刻を確認しておきたい。また時間があれば行こうと思っている
佳里と麻豆のまちへ行くバスも善化駅から発着しているのでそれも併せて確認し、ついでに善化のまちもちょっと歩いてみたい(笑)


台南から善化まで台鉄で約15分。特急は停まるが割と小さな駅だ。駅前のバスターミナルで行き先と時刻をしっかり確認。
善化の老街は駅から2kmぐらい離れていて、歩けないこともないが、バスに乗ってショートカットしよう。
慶安宮の前で下車。


賑やかな表通りを歩くと、日用品や衣料品を売る店の看板の裏やテントの上に、古い装飾付きの壁が見えている。




あぁこのあたりが、日治時代のまちなみだな。但し派手なバロック風の建物などは見られず、比較的後の時代に
栄えた街のようだ。


表通りを歩いていて赤い屋根の閩南式の民居がチラッと見えたので、辻を入ってみると・・・
おぉ、裏手にはまだ三合院民居が残っているのか。しかもタイルがあるじゃないの!うれしいサプライズ!
私のカメラは望遠がきかないのが悔しいところだ。。。




うわっ、すごくきれいな妻壁の装飾。花かごをくわえた獅子だ。入って来てよかったぁ~~


タイルも状態がいい。




おおっ、左護龍の妻壁には漆喰細工にタイルを組み込んだ装飾が。桃を載せたカゴと、果物柄のレリーフタイルが2枚と
そして優雅な房。前にINAXライブミュージアムでやった台湾花磚博物館の徐さんの講演会のスライドで見たような気もするなぁ。
徐さんにLINEで送ってあげよう。
こんな極上物件を偶然見つけられてよかったぁ~~!


付近には2階建て以上のRC造の住宅が多い中、いくつかの赤瓦の民居が庭木に半ば隠れるようにして残っていた。
みな割と小規模で簡素な庶民の住居。屋敷の一部だけ残ったようなものもある。


歩いて行くと次々と三合院民居に出会う。屋根にタイルが貼られた家もちょくちょくある。
楽しい!テンションが上がってきた(笑)


大通りの裏手やビルの間にも意外とあったりして、次々見つかる。


ここは塀に囲まれた比較的広い敷地の中に建っている。




伸び放題の庭の草に埋もれかけているが、正身の窓の桟など凝っていておしゃれ。
ちゃんと補修したらすごく素敵だろうに・・・あぁ、もったいない・・・




どんどん調子づいてきて目が冴えてくる(笑)。こんな門の奥に建つ家も目ざとく見つける。


棟の反りが美しい。。。


続く
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成功大学のスターハウス

2020-04-13 23:05:58 | 建物・まちなみ
2019年夏の台南の続き。

電動バイクは24時間制なので、今日の朝9時までは使える。朝ごはんをさっさと食べて朝散歩に出かけよう。
まずはフェイスブックで見ていた、許嵩煙故居を見に行く。3スパンの間口をもつバロック式の町家だ。


立ち上がった装飾壁はいちめんにレリーフが施された豪華なもので、中央部の丸の中にあるのは「壽」の文字かな。


2階はゆったりしたベランダになっており邸宅の風格を醸している。
この建物は1930年代の建築で、オーナーだった許嵩煙という人は市議会議員だった。


入口まわりも華麗な装飾が。医院っぽい雰囲気もあるが、不明。


電動バイクでトコトコ移動の途中でのこぎり屋根の工場建築を見つけた。スト~~ップ!


うわ~、何連!?・・・14連かな!!何の工場だったのだろう。でももう使われていなさそうな雰囲気。。。


台南駅の東口の駅舎(台南後站)って見たことある!?日本統治時代の立派な西口の駅舎とは打って変わって簡素で質実。
高雄駅の北側と同じく、私は全く印象がなかった。というか、こちら側へ出る出口があったのか!
これは後年作られたのかも、と思ったら台南後站はやはり30年ほど前に増設されたらしい(詳細不明)。


西口には広大な成功大学キャンパスが広がっていた。駅近で便利〜!台南後站はほぼ成功大学専用出口という感じ!?
「台湾の京大」と呼ばれているという(!?)成功大学のキャンパス内に、めあての建物はあった。


旧台南高等工業学校旧本館。成功大学の前身で、この建物は現在は成功大学博物館となっている。
落ち着いたレンガ色で、中央部の三角の破風と車寄せの扁平アーチ、縦長窓のリズム感がポイントとなっている他は
大した装飾もなく、すっきりシンプルで簡明なデザインは学び舎にふさわしいな。


しかし近寄ってみると、ちょっとした驚きが。
この壁、レンガ造ではなくレンガタイル貼りだとは思っていたが、普通の赤レンガタイルではなく、全部リブタイルなのだ!
ざらっとした質感の素地で無釉薬。ここのは山がギザギザの洗濯板タイルではなく、山の断面がかまぼこ状に丸くなっている。
リブタイルは日本では部分的に使われているぐらいで、こんな大きな建物の全体に貼られているのは見たことがない。
一方台湾では「十三溝面磚」と呼ばれポピュラーである。日本統治時代の建築とは言え、台湾独特だな!

窓の下には平滑面とリブ面を組み合わせた役物が使われている。

そしてこれも変わっている!リブタイルと同じレンガ色の、割肌風型押しタイルが、部分的に装飾に使われているのだ!
質感の違いによるこんな微妙な装飾、おもしろいなぁ~~


ところで道路を挟んで向かい側には、コンクリートとガラスのクールな旧成功大学図書館が建っていた。
こちらは建築年代は検索しても出てこず不明だが、日本で言う昭和3~40年代の戦後モダニズム建築だろうか。
歴史建築に登録されているようだ。ちなみに「歴史建築」とは一般名称でなく日本の「登録有形文化財」のようなもの。
「古蹟」は「指定文化財」のような位置づけ。旧台南高等工業学校本館は市定古蹟である。


レンガ風タイル貼りの旧本館とコンクリートとガラスの旧図書館、同じくらいの大きさで対峙する好対照なふたつの建物。
各時代の歴史を真っ直ぐ見つめながら、未来に進んでいこうとする、そんな意志が感じられる。

成功大学キャンパス内には他にも古蹟指定された建物がいくつかある。今回は電動バイクの返却時間が迫っており
他の建物を見て回る余裕がなかったが、また次の機会に・・・

さてそろそろ戻ろう・・・と走り出したら、おや、あれは・・・・


スターハウスじゃないの!?
広大な台南駅の向こう側へ渡る道を探しながら近づいてみると、確かに、スターハウスだ!!2棟並んでいる。
うわ~~、台湾にもスターハウスがあったのか!1、2、3・・・・10階建てかな?南千里駅前にあるような高層タイプだ。
ちなみにスターハウスとは、団地の住棟で上から見ると星型(三芒星)のようになっているタイプのもの。


カッコイイ~~~!
これはキャンパスマップを見ても薄いグレーで示され建物の名称すら書いていない。教室か、寮か、、、
もちろんこれは戦後の建築だな。日本のスターハウスは日本住宅公団を中心とした公営住宅で昭和30年代に数多く建てられたが、
台湾もそれをまねて建てたのか?独自に設計したものなのか!?これも少なくとも歴史建築に登録すべきではないか!?



台湾には他にもスターハウスがあるのだろうか。これから注意して見ることにしよう。
あー楽しい朝散歩だった。

続く
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雨の台南建築めぐり

2020-04-12 23:19:51 | 建物・まちなみ
2019年夏の台南の続き。

安平から戻ってきて、電動バイクのまままちなかでも中心部から比較的遠いところにある建築をめぐっていこう。再訪もあり。
仮設の大屋根に覆われているこちらの日式の木造家屋も修復待ちだろうか。すぐに手をつけられなくても
とりあえず現状維持しておくという着実な一手が素晴らしい。


こちらは巨大な赤レンガの建築、旧台南地方法院。現在は司法博物館として一般公開されている。
台湾総督府と台湾総督府博物館(国立台湾博物館)に並ぶ日本統治時代の重要な建築として、国定古蹟となっている。




昼間は晴れていたのに雨が降ってきた。。
おや、これは?チェックしていなかったけど古そうな教会。


「台南浸信会」と書かれている。検索してみると「バプテスト教会」のことで、プロテスタント系の教派とか。
この教堂は1953年、戦後の築らしい。
古典的な様式を踏襲したシンプルな形の教堂は厳かな雰囲気だ。ドアが閉まっていたので中は見れなかった。


こちらは愛国婦人館。アシンメトリーな建物で、1階がタイル貼り、2階が下見板張りで、八角形の窓も見える。
住宅のような温かみを感じさせるな!


「日本愛国婦人会」は社会的地位が高く教養も高い日本人婦人による社会貢献を目的とした団体であり、
この建物は南支部事務所として建てられた。
戦後は図書館としてなど使われたというが、図書館ってこの建物のイメージにぴったりだな!


2012年に改修され、現在は台南創意センター(台南創意中心)に生まれ変わった。内部は和風の間取りが残っているようだが
この時はもちろん閉館後で内部は見れなかった。


1階の外壁の二丁掛布目タイル。改修でも貼りかえたりしておらず建物の良さが失われていないのがうれしい。
足元の無釉モザイクタイルも。たかがタイルでも、これが新しいものに取り替えられていると「本物度」が全く変わるのだ。
なので古い建物の改修時には、たとえ古いタイル貼りが一部が傷んでいても全部貼り替えてきれいにするのでなく
欠損部分の補修にとどめてほしいな!


側面から見ると円柱の並ぶテラスで、全く違う建物のようだ。


円柱に貼られているニュアンスのあるモザイクタイルは山内逸三の山内製陶所の製品に似ている。
この建物は、現地の説明板には1940(昭和15)年に落成したと書かれているが、台南市市定古蹟のサイトでは
1920(大正7)年となっている。→こちら
タイルが後から貼られた可能性も否定できないが、使われているこれらのタイルは大正7年よりも後の時代のものだろう。
建物の雰囲気から見ても昭和の建物という気がするし、帝国ホテルよりも前なんてまずないと思うなぁ。


日が落ちてシャッタースピードが落ち、苦しいが・・・まだ行く(笑)
こちらは、現在台南市南門電影書院となっている、旧台南放送局。1932(昭和7)年築。
愛国婦人館と同様こちらもアシンメトリーな構成で、2階の窓は左側が矩形、右側は八角形というユニークな外観だ。


1階も左にはスチールの面格子、右にはコンクリートの透かしブロックが。この時間ではもちろん閉まっていた。。。


外壁のタイルは二丁掛の型押しタイル。幾何学模様で白っぽい色からもかなりモダンな印象を受ける。
放送局という建物の用途から、新しい時代のイメージを取り入れたのだろうか。


旧台南放送局の建つ南門公園の中にある、大南門。清代に台南の市街地の防御のため城壁が築かれた。
大南門は14箇所あった門のうちのひとつで、1736年築造。


あぁ、もうさすがに見えないな・・・宿へ戻ることにしよう。
帰り道でライトアップされていた台南文学館の裏手。


旧台南警察署は台南市美術館1館として2019年にオープン。
記憶では、以前は赤い色だったと思うが、何かイメージがずいぶん変わったな。。。


他の都市でも警察の建物は赤い色をしていて、それも赤レンガよりも赤く、ペンキかと思うような色をしている。
赤レンガ建築がくすんできたので鮮やかに塗り直したのだと思っていたが、何と、戦後に警察機関として統一するため
赤い色の塗料が上塗りされたのだとか。そうだったのか!!そしてこちらではオリジナルのタイルの色に戻したという。すごい!


こちら嘉南農田水利組合(旧嘉南大圳組合事務所)。嘉南大圳組合は烏山頭ダムの建設にあたり設立された組合。
嘉南大圳は烏山頭ダムとそこから嘉南平原に毛細血管のように広がる水路網で、1930年(昭和5)年に竣工している。
この建物は1940(昭和15)年に建てられたもの。


こちらは呉園芸術文化センター(呉園芸文中心)の中にある旧台南公会堂。
清代末期に台南の豪商呉春貴氏とその子呉尚新が古い庭園を修築し、呉園という名庭園を作っていたが、日本統治時代に入って
集会所の建設計画にあたり呉氏の後裔が三千坪の呉園の土地を譲渡し、呉園の一角に「台南公館」が建てられることとなった。
1911(明治44)年に竣工。その後時代と共に呉園の敷地内にいろんな建物が増築され、国民政府に徴用されたりしながらも
現在まで台南の人々に親しまれてきた。


現在はアートの展示など様々な芸術文化活動の拠点となっている。この建物の裏には今も池のある庭園が残り、
日本時代の料亭も再現されているとか。
この時間でも入口が開いていたので、ちょっと中に入って見学することができた。この公会堂の歴史に関する展示も充実していた。


まちなかに点在するこれら歴史を刻んだ建物は、時間的・空間的奥行を与える、都市の財産と実感する。
これらの建物は何度か見ているものの、いつも駆け足で外観だけで内部を見ていないところが多い。
近年公開された施設もあり、また一度じっくり内部も見てみたいな。

この一風変わった民間の建物。元は何だったんだろう。


これは蛾か!?


ホテル近くのビル。これもタイルだ!かわいい~~~


今日は一日よく動き回ったなぁ!
ご飯食べて帰りにレモンのドリンクを買ったらおまけでLサイズのカップもうひとつ付いてきた。そんなに飲めん(苦笑)


サービスカット(笑)。安平で食べた氷。


続く
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