まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

木造と板柳に寄り道

2020-05-22 22:33:34 | 建物・まちなみ
2019年10月の鶴田町からの続き。

弘前からレンタカーで鶴田までドライブして、そこからさらに少し足をのばして木造まで。
「もくぞう」ではなく「きづくり」と読む。かくいう私も今まで知らなかったのだが(笑)。
JR木造駅前にある、この建物を見るのが目的である。


桜庭歯科。こんな田舎に・・・はっとするようなかわいい洋館だ。
全体に横目地が入っていて石造風の外観だがやはり木造(もくぞう)モルタル塗りだろう。
正面から見ると凸の字型で、おでこの部分に大きなレリーフが施されている。赤い色は後から塗ったもののように思われる。


しかし現在は使われていないようで、入りもできないし、外観を撮りまくる(笑)


側面もなかなかいい。同じ形の縦長窓が7連、5連、2連、3連、3連。
建物の側面に樋がずらりと並んでいるのも面白い。しかし陸屋根の場合普通こんな風にパラペットに穴をあけて
雨水を処理するだろうか??


おなかすいたな・・・選択肢はなく、桜庭歯科の隣のうどん屋でお昼を。


木造の亀ヶ岡遺跡では1887(明治20)年に遮光器土偶が出土し、重要文化財に指定されている(詳しく知らなかった汗)。
そして駅舎には巨大な遮光器土偶が付いていると友人から聞いていた。せっかくここまで来たからには
もちろん必見と思っていたのだが・・・何と、駅舎は改修中で足場とシートに覆われていた!!(涙)

ちなみに駅舎は木造ではなくRC造(ややこしい・・・)。


しかし・・・デカイ!!


このモニュメントは「しゃこちゃん」という名前がついており、高さは17.3㎡。本物は約34cmだから約500倍!?。
木造駅の無人化を契機として駅を中心とした活性化計画が立てられ、ふるさと創生事業を利用して
1992(平成4)年にしゃこちゃんが設置されたとか。列車が近づくと目が光るという、とんでもなくバブリーな、
いや、ワクワクするようなモニュメントなのだ(笑)。目が光っているところも見れなかったけど。。。


帰りに板柳にも立ち寄る。ここは以前冬に津軽鉄道に乗りに行ったときに、五能線の対向列車到着遅れのため
板柳駅で50分くらい停車して待たされた間に、途中下車してちょろっとまちを見に行ったことがある。
あぁ懐かしいな、真冬の津軽。あの時は列車も雪に埋もれていた。→列車待ちの間に・・・

そして、弘前の旧藤田家別邸和館の建物がもともと建っていた場所である。どこにあったのだろう。
もう60年近くも昔のこと、分かるはずもなく。。。

前回列車待ちの間に入った板柳温泉はまだあるかな・・・あった!


しかしもうやっていないようだ。あぁ、残念(涙)


まちをちょろっと歩くといくつか面白い建物もあった。これは工場建築のように見えるが何だろう。


「会津旅館」と書かれた、結構大きな旅館。切妻屋根ながら、軒下に洋風っぽい装飾をぐるりと回しているのが面白いな。


歯科医院の敷地内に建っていた蔵。鶴田の蔵に負けずとも劣らぬかっこよさ!


屋上屋を架けたようなデザイン。基壇部は石貼り、中段は漆喰塗り、数段の蛇腹があってその上は木組みを見せた真壁造り。
屋根が浮いたように見えるが、これはどういう効果があるのだろうか?


長い長い板塀は何のお屋敷かな?


どうやら酒造会社のようだ。竹浪酒造場。岩木正宗という銘柄のお酒の醸造元らしい。この建物もいいね!
しかし日曜でお休みか。


この石蔵はなんとドラッグストアになっていた。あっぱれ!


こんな看板建築も並んでいて、小さい町だがかつて賑わった時代があったことを感じさせた。


さて、一路弘前へ戻り、ちょっと町はずれの建物を車で見て回ろう。

続く。
コメント (4)
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秋晴れの鶴田へ

2020-05-21 22:24:34 | 建物・まちなみ
2019年10月の弘前からの続き。

安い温泉宿に泊まった翌日、朝から車で岩木山に向かって走る!申し分ない秋晴の下、岩木山は紅葉でまるで山が
燃えているよう!山麓に向かって広がるグラデーションが言葉で表現できないほど美しい!


岩木山山腹にはひなびた温泉がたくさんあってゆっくり温泉めぐりもしたいところだが、朝っぱらから1軒だけ、
三本柳温泉にちゃぽんと入ったあと鶴田町へ向かう。その道のりもまた素晴らしい!りんご畑の中を延々走るのだ!


「かわいやりんご~~」という歌の通り、太陽の光をいっぱいに浴びたつやつや健康的な紅色のりんごは本当に愛らしい。


丸々としたりんごが枝々にたわわに実っているのを見ると津軽の地の豊かさを実感する。
大地の恵み、太陽の恵み。もちろん農家の方々の並々ならぬ愛情を込めたお世話の賜物である。


こんな風景の中を走るのだからもうゴキゲン♪


そして鶴が羽を広げた形の鶴田駅に到着。車を停めて散策しよう。いくつかめあての建物がある。


おぉここだ。「鶴乃湯」。通りから少し入り込んだところにあってちょっと分かりにくい。




入口は閉ざされていて、もう廃業しているようだ。浴室にはタイル絵があるらしい。


「鶴乃湯」の文字は左官仕事。


足元モザイクタイル貼りの円柱。


元は鶴田温泉旅館という旅館だったらしく、建物はかなり大きい。人がいたら聞いてみようかと思っていたが
人の気配はなく、外観を眺めるだけにしておく。


次に、友人に強力お勧めされていた、かっこいい蔵を見に行く。


裏側にあるので表通りからだと分からないが、見つけることができた。
おぉ~~~、確かにカッコイイ!


そして軒下の壁に妙な帯状の装飾が入っているぞ。雷文にも見えるが何か洋風なイメージも。。。


妻壁の鏝絵というか漆喰装飾がすごく立体的!波間にまぎれた黒いものは・・・亀?いや、頭が竜だ。
眺めていたらここにお住まいのお兄さんが出てこられたので聞いてみたところ、この動物は「虎だと伝わっている」とのこと。
ええっ、虎!?玄武じゃないの?伝わっているうちに混乱したかもしれないし実際よくわからない。


腰まわりの六角形はなまこ壁?いや違う。洗い出し?吹き付けのようだな。
玄武(虎?)の甲羅と合わせて亀甲にしてあるのか!なるほど~~


その方のお祖父さんが子供の頃に建てられたそうなので、90~100年前ぐらいかと想像。
ちょうど戦前か戦後か微妙なところだな。。。蔵の内部は特に洋風でもなく、いたって普通なの
だとか。


今も残る茅葺き建物とこの蔵との間にあった棟がダメになったのでその部分を壊して現代的な住宅に建て替えられた。
古民家のリノベーションなどが流行っているが、小さい頃から住んでいた身からすると、まっぴらだと(笑)。
夏は涼しいが冬は寒くて入れないそうだ。確かにそうだろうなぁ。。。

ありがとうございました!

ふらふら歩いてこれも無事発見。居酒屋の痕跡があったが元は何だろう?アパート?にしてはしゃれているな。


3階建てに見せかけてあるのか?




表側はモルタル塗りで洋風の装飾を施しているが、裏側はこの通り(笑)。木造2階建の古ぼけた民家。


続く。
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旧杉山医院と吉井酒造

2020-05-20 23:25:46 | 建物・まちなみ
2019年10月の弘前の続き。

日がだいぶ傾いてきた。宿で荷物を引き取り弘前駅へ向かおう。
駅へ行く前にちょっと寄り道。朝散歩で外観は見たけど開いていなかった旧杉山医院へ。ここは「PPP」という
素敵な北欧家具屋さんになっているので是非入ってみたかった。


いわゆる洋館付き住宅で、出っ張った洋室がチャーミング。弘前市のサイトによると母屋は明治期に建てられたもので、
洋館は昭和20年代に増築されたとか。こういう洋館付き住宅は戦前の流行だと思っていたが戦後にも作られていたのか!


格子戸の玄関ではなく、庭を通ってその横のガラス戸へアクセスする。こちらが医院の玄関だったようだ。
洋館だけでなくこの付近も洋風なデザインになっている。あかりが灯って朝見たときよりいい感じ!


半間ほどの土間の玄関を入るといきなり正面にショールームが。和室の建具を取っ払っただけだが、まるでドラマのセットのよう!
靴を脱いで上がる。この部屋は中央に炉か囲炉裏があったのか、木の蓋がはまっている。
そして天井にも出っ張りがある。これは2階の部屋の床に埋め込まれた火鉢のお尻じゃないかな!?
以前金谷カテッジ・インで天井の真ん中に丸い鍋底のようなのが飛び出しているのを見たことがあり、ガイドさんが説明してくれた。
ここのはカバーがしてあるのだろうか。2階は立ち入れなかったので火鉢かどうか確認できていない。


廊下を左へ曲がると、「受付」と書かれた窓口、「診察室」と書かれたドアが。洋室が診察室だったのだな。




日本の家に北欧家具はとてもよく合う。憧れるが・・・もう家具は増やさない(苦笑)。食器や布などもあり目の保養。。。


素敵なコーナー。


奥は作業場。


手術室のイメージの照明が面白いなぁ!


この店は店主の石田さんが地元へUターンして2019年の6月にオープンしたばかり。
いろいろ尋ねたかったが、取材か取引先か何かのお客さんがみえていてずっと対応中でゆっくり聞けなかった。
こんなふうにセンスよく使ってもらえたら古い建物も本望だな!それに建物を見るだけなら一度じっくり見たら
満足してしまうかもしれないが、やはり店の魅力が加われば何度でも足を運びたくなるもんね!


荷物はそれほど重くもないがちょっと足が疲れたので、バスに乗ろうとするがバスはなかなか来ないので歩き出す。
途中に趣のある建物「小野金商店」がある。これはさっき自転車で通ったとき撮った写真。ぐるぐる回っているうちに
自分がどこにいるか分からなくなってしまっていたが(笑)、この道沿いだったのか。


あらためて見ると、2階建の棟が奥行方向にのびており裏には蔵もある。こんなに奥行があったんだな!


バスを待ちながら歩いている間に駅の近くまで来てしまった。
おや、これは何?


敷地は広く、木造の工場建築が何棟も建っているのが見える。そして手前にあるのは事務所棟だな。


吉井酒造株式会社。現役の工場のようだ。


洋風のしゃれた事務所棟。


この大屋根の建物は改修されているがインパクトあるな!ここで小売もしているのだろうか。


レンガの煙突が見える。行ってみよう。


うわぁ、太い!!高い!!庭に立っているようだが、、、根元の部分は鋼板塀に阻まれて見えなかった。


そびえ立つ煙突と木造の工場建築。吉井酒造で検索してみると、吉野町のレンガ倉庫ばかり出てきて、
ここの建物は趣のある建物のマップにも載っていなかったし、文化財にもなっていないようだが・・・


さて、JR弘前駅前でレンタカーを借りて、今日は少し郊外の安い温泉宿で泊まる。
まちなかで2連泊しなかったのは、翌日車で直接出発したかったから。まちなかだと駐車場代がかかるし、
せっかくなので温泉にも入りたいと(笑)。

続く。
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翠明荘(旧高谷家別邸)和館 2

2020-05-19 22:49:49 | 建物・まちなみ
2019年10月の弘前の続き。

木蓮(もくれん)・蘇芳(すおう)は二部屋つながった大広間。ダブルの折上げ格天井、金粉を撒いた壁紙、花頭窓・・・
ここはいちばん豪華絢爛と言っていい。昭和期の増築部分である。


ガラス棒を吊った和風シャンデリア。控えめながら凛とした日本の美意識を体現しているデザインがとても好きだ。


そしてやはり圧巻は、冨士山を裾野まで描いたこの一刀彫の欄間。「余白」が大きいのが日本画的。


天然の木目が絶妙な位置にかかっているのはもちろん計算の上だろう。流れる風まで感じられるようだ。


奥に海棠(かいどう)という小さな部屋が附属している。


冨士山の欄間と対照的に書院の欄間は繊細。梅、紅葉、萩などの草や、鶴、橋などが描かれている。


廊下側から見る。


廊下からお庭を眺めるとつくばいやあずまやが見え、やはりこの座敷からの視線を重視しているのだろう。


シャンデリアとお揃いの廊下のブラケット照明。


この先が1895(明治28)年の建築。奥座敷は忍冬(すいかずら)、岩鏡(いわかがみ)という2室があり、その奥には土蔵が。


忍冬の床の間。


組子の欄間。




天袋の引き手。


岩鏡との間の欄間は波に千鳥の透かし彫り。
古い棟は比較的おとなしく落ち着いた座敷である。銘木を多用し華やかな装飾の昭和期の増築部との違いは明確だ。


平成の増築部分、山楂子(さんざし)と紅梅(こうばい)は現代的な部屋だった。

この横にあるこのトイレは変わっている。手洗いシンクの横に床の間があるのだ。


もともと「婦人着替え室」だったところを改装したらしい。


美容院になっている洋館の奥からお庭の方へ続く通路の入口。


木造の通路が続く。


苔むした茅葺きのあずまやの向こうに木蓮・蘇芳の座敷が見える。


この翠明荘は、旅館として営業したあとマンション建築の計画が持ち上がったのだが、弘前の文化的遺産を残すため、
現所有者である(株)ムジコ・クリエイト名誉会長の新戸部満男氏(当時はマルエス自工(株)社長)が買い取って料亭にしたという。
何という英断!!これがなければ弘前の至宝は無残にがれきと化し、弘前城の目の前にありきたりなマンションが建っていたのだ。
そして横山白汀の欄間がせいぜい数枚博物館に保存されるぐらいだっただろう。
あぁ本当に素晴らしいな!!こういうパトロン的な気概を持った企業や人がいることもまた弘前の誇りだろう。


実は3日間の弘前滞在中に翠明荘で食事をしようとしたのだが、茶道の大会か何かがあってどの日もダメだった。
それで女将さんが同情して下さってイベント終了後の時間帯に少し見学させて頂けることになったのだった。
わずかな時間で駆け足だったけど親切なご対応に感謝感激。。次回は是非ともゆっくり食事をしたいな!


続く。
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翠明荘(旧高谷家別邸)和館

2020-05-18 22:13:04 | 建物・まちなみ
2019年10月の弘前の続き。

翠明荘に戻って来た。洋館のところで少し書いたが、あらためて・・・


翠明荘は、元津軽銀行頭取の高谷英城氏の別邸「玄覧居」として1895(明治28)年に建てられた。
堀江組の設計施工(堀江佐吉の九男、堀江弥助が施工を担当)した総ヒノキ造りの建築で、庭園は京都から呼び寄せた
名庭園師、辻地月の設計による、小堀遠州流の桂離宮枯山水の流れをくむ茶庭。
1933~37(昭和8~12)年に洋館及び門と日本館が増築されている。
戦後30年間旅館となっていたが、1990(平成2)年から「奥膳懐石 翠明荘」として営業開始、現在に至る。


角部分にあった蔵は1991(平成3)年にレストランに改築されており、同時に改修されたと見えるスクラッチタイルの塀が
続くため、道路から見ると洋風な印象を受ける。
しかし建物南側の駐車場越しに見ると堂々たる和館の銅板葺屋根の重なりが目に入る。門は裏口にしておくのはもったいないな。。


スクラッチタイルの塀の中に、この玄関がある。


外観はそれほど主張しないが、玄関を入ると、おぉ・・・豪華絢爛というわけではないが、上質な美しさに息を飲む!
和風シャンデリアの下がる天井は桐の一枚板、式台はケヤキの一枚板。玄関の敷石と靴脱ぎ石は桜御影石。
正面の窓の障子が開かれ庭が見通せる。


玄関とホールの間の欄間は、富山井波木彫の名工、横山白汀二代豊太郎の手による、鳳凰の透かし彫り。
右側は「お出迎え」、左側は「お見送り」を表している。この家の他の欄間や扉も横山白汀が手がけたものという。
横山白汀二代は1901(明治34)年生まれ、1972(昭和47)年没。玄関を含む現在の客室の大部分は
1934(昭和9)に増築された日本館にあたり、彼は30代。多数の作品を精力的に製作しただろう。


扇をモチーフにした照明も粋!




ホール右手、鉄線(てっせん)の部屋へ向かう廊下の扉がまた素晴らしい!


一枚の板から彫りだしたレリーフ。荒々しい断崖の岩の間から生える植物は何だろう。遠景の峰々はどこの山か。


鉄線の部屋。ディテールに目を取られ、また薄暗くピントが合いづらかったりして焦って部屋全体を撮り忘れ・・・(苦)
イタヤカエデの床柱。


ブレブレだけど・・・(汗)、書院の欄間にははんにゃと翁の面が彫られている。


待宵(まつよい)の部屋へ。廊下は網代天井。梅に鶯の透かし彫りのドアもまた素晴らしい!


天井は変形の格天井。格板はケヤキの根の部分の板だとか。いったいどんな大きな株だったのか!?


廊下との間の欄間は竹が組み合わされた面白いデザイン。


床窓もお揃い。床柱はまるで鬼の金棒のようだな!?(笑)


こちらはさらに障子の桟も組み合わさって複雑な模様に。


これはまた横山白汀だな。浜辺に力強く育つ松の苗か。


待宵の縁側より鉄線を望む。


おぉ、これはまたすごい!!葡萄にリスの一枚板の透かし彫り。これは藤田家別邸和館にあったものと同じじゃないの!?
じゃあ、あちらのも横山白汀の作品なのか!?しかしあちらは1961(昭和36)年の移築ということだが・・・謎。

資料によると一刀彫の扉はあと3種あるらしいが・・・駆け足だったので見つけられていない(汗)。
尚、料亭にする際の平成2~3年の改修において、傷みが激しかった欄間や扉を、横山白汀のご子息の横山豊助氏により
復元しているとのこと。どれが白汀オリジナルでどれが復元なのかは・・・不明(汗)

続く。
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弘前 名もなき建物めぐり 2

2020-05-17 23:08:23 | 建物・まちなみ
2019年10月の弘前の続き。

名もなきと言いながらいきなり有名物件(笑)
木村産業研究所。前川建築なのであるが、外観は正直言ってプレハブみたいで全く惹かれるところはない(苦笑)。
近づいてスチールサッシのエントランス周りを見ると、んーなるほどと言う感じ。


1932(昭和7)年築、前川國男の処女作であり、「我国におけるコルビュジエ風建築の最初期の作品」だという。
母親と同郷で前川自身親交の深かった木村隆一の依頼により建てられた。現存する前川建築のうち唯一の民間の建物である。
財団法人木村産業研究所は、木村隆一の祖父であり財界人であった木村静幽の、地元の産業振興への意志を受けて設立された。
現在ここは「弘前こぎん研究所」となっており、見学もできるのだが・・・何と休館日だった(涙)


ガラス窓に顔をつけて中を覗くのみ。。。バルコニーや屋根は建築当初から改変されているが、内部空間には
若き日の前川國男の感性が溢れているというので、内部を見れなかったのは残念。。。


おや、これは。小さな小さな総2階建ての下見板張りの洋館だ。


屋根の前面の軒が一部捲れあがっているのが唐破風のように見える。面白いな!


禅宗寺院を集めたエリア、禅林街の入口にある、茂森会館。道路はここでクランクになっており「枡形」と呼ばれる。


ちなみに、今いろいろ検索している中で、この右側奥に「正進会館」というカッコイイ建物が建っていたことが分かり、
あらためてこの写真を見ると、重機が写っているじゃないの!まさに解体したばっかりってこと!?(泣)


黒門。市指定文化財なのだが、道路がここでボトルネックになってしまっている。悩ましいね。。


さて禅林街までやって来たのは、栄螺堂(さざえどう)を見るため。内部の床がらせん状になっているらしく、
昔南インドで入った「インディアンコーヒーハウス」を思い出して興味を引かれたのだが、完全に閉まっており
中を覗いて見ることはできず、外から眺めるのみ。。。一番上まで上ったらどうなっているのだろう。

(トリヴァンドラムのインディアンコーヒーハウス、検索してみたら、今もあるみたい!感激!!→画像検索

まちなかへ戻る途中にちらっと見えた風景。おや、これは?廃線跡みたいじゃないの!?こんなところに鉄道が通っていたかな!?
それとも水路橋?しかし、さっき通ってきたところにはそういうものが横断していた痕跡はなかったと思うのだが・・・


帰ってから検索してみたところ、廃線跡ではなく、弘前城の南側の防御のために築かれた土塁らしい。


ビュースポットとしてマップに載っていた城西大橋。ちょっと立ち寄ってみたら、、、うわ~っ、岩木山がすごくきれいに見える!!
旧藤田家別邸のある藤田記念庭園の裏手にあたり、ここでも大きな崖となっている。長い下り坂が続き家々は沈み込んでいる。
秋晴れの高い空の下、清らかなフォルムにしばし見とれる・・・


美しい民家。


割と新しいのかもしれないが、在来工法で今もこういう民家が建てられているのなら、それはまた素晴らしいな!


気になった建物。NTTの建物のようだ。
サイディングが貼られているのか?スチールサッシなのでそこそこ古いと思うのだが・・・詳細不明。


これは形は戦前の洋館なのにあまり古そうではない。こういう不明物件を見ると自信がなくなる。。。


吉野町レンガ倉庫。美術館を中心とした芸術文化施設として再生する計画で鋭意工事中。
土淵川吉野町緑地は中央弘前駅前広場と一体的に整備される。


とても大きな2階建てのレンガ倉庫は、醸造家福島藤助が福嶋酒造の倉庫として建てたもの。
現存する棟はC棟が最も古く、1907(明治40)年に茂森町から移築された3棟のうちのひとつ。
その後多くのレンガ倉庫が建てられ、A、B棟は1923(大正12)年頃に増築されたものである。
後には吉井酒造の倉庫となっていた。


尚、レンガ倉庫の改修工事は2020年2月28日に竣工しており、弘前れんが倉庫美術館が6月1日にプレオープン予定。


JR弘前駅周辺は平屋建ての住宅がポツポツ建っていたり平地の駐車場が広がっていたり、駅近だというのに
土手町よりもずっとのどかな雰囲気。


これは戦前だろうな。小さいが2階に縦長窓が左右対称で並びとてもおしゃれな建物だ。


こちらは 完全に新しそうな建物なのに、通気口のガラリが木製だったりして、また惑わす(苦笑)
結構、皮を剥がすと戦前の洋風の建物というのは多いかもしれないな。


さて、ねぷた村へ戻ってレンタサイクルを返し、ちょっと買い物も。。。

続く。
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弘前 名もなき建物めぐり

2020-05-16 23:26:18 | 建物・まちなみ
2019年10月の弘前の続き。

うわ、この洋館は何だ!?


木造モルタル塗りの勾配屋根の住宅だが、2階の窓がぐるりと連続していて、建物の角部分も表側からは柱が見えない。
カーテンウォールの水平連続窓か!斬新だなぁ!


そして正面のこのユニークな装飾は・・・なに風というのだろうか!?




元医院??今は見たところ使われていないようだが・・・これは「趣のある建物」に指定してほしい!



これも洋館かな!?露出した木部が赤く塗られていてかわいいな!


洋館と見れば何でも医院に見えてくる(笑)



ぴょこんと塔屋の載ったかわいい建物は、1933(昭和8)年に、名士の寄付により建てられた旧紺屋町消防屯所。
正式には、旧弘前市消防団西地区団第四分団消防屯所(長っ)。


左側の入口上に「弘前警察署紺屋町巡査派出所」と書かれており、消防と警察が同居していたようだ。


ちょっとタダモノではなさそうな雰囲気のお屋敷。


うっそうとした木に隠されていたが目ざとく見つけた洋風の歯科医院。


玄関に覆いかぶさるような梅の古木が、年月を語る。昭和初期ぐらいだろうか。


入口が二つあり、こちらに「歯科」の文字が。上の写真は自宅用の入口だろうな。


おしゃれな窓から見て、内部も木製の造作などこだわっているんだろうなぁ。見てみたい。


旧東奥義塾外人教師館のカフェアンジュで青森りんごカレーのランチを食べたあともレンタサイクルで散策を続ける。

こちら、大阪屋。1630(寛永7)年創業の超老舗の和菓子屋で、津軽藩御用達の御菓子司だったという。
建物は一見それほど古くもなさそうなので、実は素通りしかけたのだが(苦笑)、地元のお姉ちゃんがお店に入って行くのを見て
私も入ってみたのだった。


建物はやはり戦後、昭和28年頃の築だとか。


しかしさすが老舗、家紋入り漆塗りのショーケースは昔からのものだろう。キラキラしているのは螺鈿だ。すごいな!


腰板もお揃いの家紋入り漆塗り。窓の格子は投網モチーフ。


背後のこの引き出しもよく見ると全体が螺鈿で埋めつくされている!!すごい!!ここにお菓子を入れてお城へ運んだのだろうな。



自分用とお土産に羊羹(だったか?)を購入。

こちらもお屋敷。


この立派な蔵は横に小さな玄関がついていた。


主屋よりも蔵の方が大きく見える。蔵も住まいの一部なのか??内部はどうなっているのか・・・興味津々。


続く。
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仲町の武家屋敷

2020-05-15 23:26:11 | 建物・まちなみ
2019年10月の弘前の続き。

石場家住宅の裏手、仲町は江戸時代の武家屋敷のまちなみが残っているエリアで、伝統的建造物群保存地区に指定されている。
サワラの生垣が連続し、背景には岩木山。あぁ爽やか!!公開されている武家屋敷がいくつかあるので見学しよう。


まずは旧岩田家住宅。
中級武士の住まいだったというこの茅葺きの住宅は、1800年頃(寛政~文化年間)に建てられたと推定されている。


1981(昭和56)年に前所有者の方のご遺族より市に寄付された後、半解体修理工事で江戸時代後期の状態に復原した。
詳細な調査により、建てられてまもなく一度曳き家されたことが分かっているという。




小さいながら式台のある玄関。


内部は結構広い。大小の部屋が不規則な形で連続している。板の間は天井がなく茅葺き屋根の裏側が見えている。寒そうだな・・・


「常居(じょい)」という部屋は、居間と同じかな?これまで聞いたことがなかったな・・・
江戸時代の武家屋敷は装飾等はいっさいないのでちょっと退屈だが(苦笑)、サムライは質素な生活をしていたのだろう。





次に、旧笹森家住宅へ。ここは一見してすっかり新しく建て直されたように見える。


展示されていた写真を見ると、整備前は武家屋敷とはわからないモルタル塗りアルミサッシの外観だが、解体してみたところ
1756(宝暦6)年に作成された「御家中屋鋪建屋図」に記載されている平面図と間取りがほぼ変わっていなかったため、
当時の部材だと考えられ、地区内で最古の武家屋敷と確認されたという。
元は別の場所に建っていたものを、2012(平成24)年に現在地に移築復元したのだとか。


平面図が残っているということで資料的価値は高いということだ。正直あまり見映えはしないが(苦笑)、
一部保存された部材を使用し、ちゃんと伝統的な技術を使って復元されているのだ。


一方公開していないお宅でもとても美しく維持されているところもあり、外から眺めて楽しむ。



こちらは旧伊東家住宅。これも地区外にあったものを譲り受け移築してある。19世紀初期の築と推定される建物であり、
代々藩医を務めた伊東家の所有となった19世紀中ごろの状態に復元してあるという。






この家には2階があった。危ないので立入禁止だったが、覗いてみてもいいですよと言って頂いたので、
急な階段を半ばまで上り顔を出してみたら、何と、畳敷きだった。



旧梅田家住宅。


ここは19世紀中ごろに建てられたもので、エリア外にあったものを移築復元したという。




この建物は濡れ縁があったりと他の武家屋敷と何となく違う感じがする。農家っぽいというか?




隣のこちらの家も気になるが・・・人は住んでいないようだな。。


続く。
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弘前の建物いろいろめぐり

2020-05-14 23:39:17 | 建物・まちなみ
2019年10月の弘前の続き。

弘前のまちなかにはA級の近代建築がたくさん残っていて素晴らしいが、それだけではない。まちなかに点在する
近代の雰囲気をまとった民間の小さな店舗やビルや、生垣の向こうにチラ見えする地方色を感じさせる造りの民家。
近世にタイムスリップするような武家屋敷エリア、まちの防御を兼ねて集積された寺社エリア・・・弘前城から前川建築まで
いろんな時代、いろんなタイプの建物が混在していて、時間と歴史、文化の重奏、連綿と続く人々の暮らしを感じさせる。
それらすべてが奥行深い弘前というまちの雰囲気を作りあげている。
弘前では「趣のある建物」指定制度により、建築的価値は別として身近な建物をも大切にしているのが素晴らしい。→こちら


こちらはカトリック弘前教会。1910(明治43)年築。堀江佐吉の弟、横山常吉が施工した。設計はオージェ神父という。


ご自由にお入り下さい、写真撮影も自由と書かれていたのでドアを開けて玄関まで入ったが、中から声が・・・ミサの最中のようだ。
どうりで、前に車が目いっぱい停まっていると思った。。。残念だが教会堂の内部を見るのはあきらめよう。
ヴォールト天井とステンドグラスが美しいらしいので、また次回に・・・


洋風の香り漂う建物も点在する。




板塀に囲まれた民家。


こちらも立派な生垣に囲まれたお屋敷。


この「北辰堂」は、剣道道場らしい。


特別な家でもないのだろうけど、緩やかな勾配の鉄板屋根、真壁造りの妻壁、前栽に見え隠れして佇む清々しい姿に、
ついついカメラを向けてしまうのだ。


こちらは重要文化財の石場家住宅。江戸時代中期に建てられたと推定されている商家で、とても間口が広い。
屋号を○瀬(マルセ)といい藁細工と荒物を扱っていたというが、かなり手広く商売をしていたのだろう。
名前は同じだが石場旅館とは全く別の家のようだ。


面白いのは、家の周りの軒下に半間ほどの土間がぐるりと回っていて、柱の列にあわせて足元に角材で立ち上がりが作られている。


そして柱には妙な溝が切ってある。ははぁ、ここに板を嵌めるようになっているのか。


端のほうに板を嵌めた状態のところがあった。暗くはなるが、雪が積もっても支障なく歩ける雪国の知恵である。
こういうのを「こみせ」と言うようだ。雁木と同じようなものだが、足元に仕切りがついているのは初めて見たかな・・・
雪よけになるし、はめ板も密閉できるし、普段は個人の敷地であることを示せる。


現在は酒屋として現役の商店であるが、内部を見学することができる。


奥の土間にも入れる。とても広く天井が高い!床はたたきのままで大きな井戸もあった(但し安全のため埋められている)。
正面奥には土蔵が連結しており、江戸時代からほとんど手が加えられていないように見える。


土間に面して板敷きの台所(?)や畳敷きの部屋があり、立ち入りは禁止ながら建具は開け放たれ見学できるようになっている。
土間も含めかなり生活感があるので、写真は控えめに・・・


靴脱ぎ石ならぬ巨大な靴脱ぎ板!?


大通りに面したこの黄色っぽい土蔵は、藩の米蔵として1865(慶応元)年に建てられたもので、現在「津軽藩ねぷた村」という
施設になっている。ここにはお土産屋や産直市などがあるのだが、こういうところに来ると俄然買い物欲が湧いてくる(笑)
最後にまた来ることにして、ここでレンタサイクルを借りよう。弘前のまちは結構広域に見どころが散らばっているので自転車が便利。


山口製畳所。現在は営業していないが、こういう、自然な形で残る古い建物が点在するとまちは楽しい。

A級物件だけでなく、こういった古い店舗などB級C級物件が数多く点在し、想像できる余地を残したまちは歩いて楽しい。

続く。
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翠明荘(旧高谷家別邸)洋館

2020-05-13 22:32:00 | 建物・まちなみ
2019年10月の弘前の続き。

料亭、翠明荘は、元津軽銀行頭取の高谷英城氏の別邸「玄覧居」として1895(明治28)年に建てられた。
和館についてはまたあとで書くことにするが、、1933(昭和8)年から1937(昭和12)年に増改築が行われており
その一環で洋館が建てられたようだ。青森県のサイトによると1934(昭和9)年築となっている。

見るからにライト風の建物。帝国ホテルを模した、明るい色のスクラッチタイルに覆われた瀟洒な外観。


現在は美容院「Vintage premium」の店舗として使用されている。




水平ラインが強調されながらも複雑に入り組んだアシンメトリーなファサード。六角形の窓もあり変化に富んでいる。


レリーフの部分は石材か。


中に入ると、レリーフの入った壁、数々の木彫レリーフが目に入る。


六芒星の形に天井に掘り込まれ、ステンドグラスを通したやわらかな光がふんわりと室内を照らす。
アールヌーボーな葡萄のシャンデリアとの組み合わせもあまり違和感はない。壁のブラケット照明も葡萄でお揃いだな。




洋館の彫刻は地元出身の彫刻家、工藤繁造氏の作品と資料に書かれていた。彼は弘前工業学校の彫刻図画嘱託教師であった。
1900(明治33)年生まれ、1936(昭和11年)に36歳で夭逝しているので、洋館が建てられた昭和初期は
ちょうど活躍していた時代だ。

戸板の木彫レリーフにも動物や鳥や人が描かれている。
ミミズクとヤギと農夫?右側はミミズクと農夫のみ。


裏側は鳩と月桂冠?そして天使。込められた意味や物語がありそう。


葡萄のつるにとまった小鳥の透かし彫りは、旧藤田家別邸和館のリスの透かし彫りに比べると、製作途中かと思わせるほど
荒削りな感じがするが、こちらはリアルを追求するのでなくイラストっぽくメルヘンチックな雰囲気の作風なのだろう。


アーチと木製の柱によって区切られた隣の部屋もまた素敵だな!
こちらの照明も手前の部屋とお揃いだ。これらの照明器具は美容院が入る前からあったものと思われる。


そして奥の窓には、ステンドグラスが!!欄間には幾何学模様、縦長窓の部分にはたわわに実る葡萄がガラスで描かれている。
葡萄モチーフが多いのは、何か意味があるのだろうか。
しかしこのステンドグラスは窓に合わせた長方形ではなく、葡萄より下の部分はガラスがなく、ちょっと違和感のある形。
サッシ窓の開け閉めができるように作って後ではめたものだろうか。


柱の装飾。


床は青森県のサイトによると「ドイツ製タイル」とのことだが、日本製の布目タイルに見えるな。
全面に保護のため半透明のシートが敷かれていて、質感を確かめることができない。




奥の部屋の欄間の透かし彫りは、写真を拡大して見たところ、奥の方はツタのつるにとまる小鳥、手前側はツタにとまるコウモリ!


最後に2階も見学させて頂く。階段の上がり口は半円形に張り出し、半円形の部分は中に照明が仕込まれている。




こちらの柱の装飾もまた幾何学的で面白いデザインだな。


凝灰岩の枠にステンドグラスのガラスをはめた窓。素敵だな~~


二階は広くなく、廊下に面して小さい部屋が2つほどあったが、物置か何かに使っているようだった。
廊下の窓からは翠明荘の前庭を見下ろすことができた。


外の翠明荘側から見た洋館。和風庭園にもしっくりはまるな!


続く。
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弘前朝散歩

2020-05-12 22:51:36 | 建物・まちなみ
2019年10月の弘前の続き

翌朝、朝食後の運動を兼ねて散歩に出かける。
ホテルの前の通りは土手町という商店街が続き、百貨店も立地する弘前の中心街。かつて羽州街道であったため
古い建物もちょくちょく見られる。


純喫茶などもあるが、モーニングの習慣はないのかまだ店は開いていないな。。。


ちょっと横道にも入りながら。このいかにも「蔵」な造りの建物は百石町展示館(市指定文化財)。
何と1883(明治16)年に呉服店として建てられたとか。1917(大正6)年からは津軽銀行として営業。
津軽銀行は青森銀行と合併、1998(平成10)年まで青森銀行津軽支店として使用されていたというから驚く!!
平成の時代にこんな明治の蔵が現役の銀行支店だったとは!!その頃見てみたかったなぁ。


いやはやそれにしても、まちなかに明治の建築がごろごろしているとは、、、すごいな!


その向かいにあった笹の舎という建物。こちらもちょっとレトロな感じ。


これは歩き出したエッフェル塔!?いや、屋上広告塔の骨組みのようだ(爆)
見事なトラス構造。


まちの中心部を流れる土淵川。土手町という名はこの川の堤に由来するらしい。ただし現在「土手町」と呼ばれる通りが
まるまる土淵川の土手上だったわけではなく、むしろ川と直交している。


蓬莱橋から両側を見れば、土手町がまわりよりも高いことが分かる。


昭和レトロな「名曲&喫茶ひまわり」。ここもまだ開いていないのが残念。。


おや、この家は表側に店舗が造られているが元の建物はちょっと古そうだな。モルタル吹き付けのドイツ壁や上げ下げ窓など。


少し近寄って見ると、うっすら「岩崎医院」と読める。その上には丸いランプが付いていたような台座が残っている。

おばちゃんがいたので少し会話するとやはり医院で、元はここが入口で元々は主屋とつながっていたそうだ。
昭和40年代ぐらいに医院をやめて主屋と切り離し、今は店に貸しているというが、内部はすっかりきれいになっているらしい。

裏通りにあったこちらの坂本耳鼻咽喉科医院、レンガブロックとH型鋼の組み合せがク~~~ル!!
検索してみると、ATELIER TARCH(アトリエターク)というところが設計、2003(平成15)年に竣工したようだ。
小さな建物でもこういう質感のよい建物が増えていけば、古い建築と混ざって弘前のまちの風景はさらに魅力を増し、
また50年後に文化財や「趣のある建物」となることだろう。

この写真は裏側、というか側面だった(笑)。カッコイイ正面の写真はアトリエタークのサイトに。→こちら

おや、「弘前中央食品市場」か、古そうだな・・・覗くとガランとしているがやっている店もあるようだ。入ってみよう。


ほとんどの店が、休みと言うのでなく抜けてしまったような感じ。。。
ずっと奥まで行くと、土手町の通りに通じている。というか、そちらが表側なのであり、表通りに近い方はぽつぽつお店もやっていた。


入口付近の果物屋さん、りんご、ぶどう、梨、ラフランス・・・さすがに種類は多いし、めちゃくちゃ安いじゃないの!?
キャ~~~!にわかにテンション上がってきた!フルーツ大好き!あれもこれも買いたいが・・・旅はまだ始まったばかり。
今日明日で食べられるだけにしないと・・・日ごろ手が出ないシャインマスカットの小パック200円を今日と明日の分、2つ購入。
店のおっちゃんに聞いたら、そりゃこの辺で作ってるから安いよ、シャインマスカットも作る人が増えたしね、と。
いい時期に来たなぁ~~♪


ごきげんで散策を続行。
この食品市場の並びには、一戸時計店(明治32年築)、開雲堂(昭和3年築)などもある。かわいらしい時計塔。




ガーディナー設計(と言われている)の日本聖公会弘前昇天教会。1920(大正9)年築。
レンガ色は雪景色の中で映えそうだ。水を吸って割れたりしないのかな・・・焼き締めレンガが使われているのだろうな。


そして、中央弘前駅をまた見ておこうと思って近づいたら・・・シートに覆われているじゃないの!不安がよぎる。。
シートの途切れた部分に入口があった。あぁまだ使われているな。よかった。


しかし、駅の人に聞いてみるとやはり建替えられる予定だとか。ええっ・・・確かに道路を挟んだ向かい側が空き地になっていた。
土手町の表通りから下ったところに隠れるようにして建つロケーションや、駄菓子屋に入って行くような入口が好きだったが、、、
元の姿 →こちら


防災広場を兼ねた駅前整備が行われるらしい。→こちら


使いやすくなって弘南鉄道の利用者が増えればいいな。それとか、この際JR青森駅まで延伸すればどう!?


今回は弘南鉄道に乗る機会がなかったけど・・・地方鉄道にはがんばってほしいなぁ。


続く
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市民会館と石場旅館

2020-05-11 23:13:58 | 建物・まちなみ
2019年10月の弘前の続き。

旧藤田家別邸を出たらもう日がかなり暮れていたけど、真向かいの弘前公園内にある弘前市民会館を見て行こう。
前川國男の設計、1964(昭和39)年竣工。相変わらず雨が降っていてどんよりしている中、コンクリート打ち放しの
平べったい建築はくすんでしまっているが・・・中へ入ると、見違えるようにカッコよかった!!
入口を入ると大きな吹き抜けのロビーがあって、市庁舎と似た感じの階段が。


天井に埋め込まれたダウンライトがまるで星座のよう。2階には吹き抜けを見下ろす廊下がぐるっと回っている。
ロビーにはコンクリートで造られたL字型のベンチがあり、カラフルな色のクッションが並んでいる。


振り向くと、入口の上にオープンなカフェが宙に浮かんでいた。面白いな!
駐車場にたくさん車が停まっていたので市民会館で何か催しがやっているんだろうかと思ったが
カフェ単体で利用しに来ている
若い人も多いようだ。今日の夜ごはんはここにしようかな・・・とも考えたが、まだ若干早いか。


「青の時間」と題されたステンドグラスは、弘前出身の洋画家佐野ぬい氏の作品。弘前市民会館の開館50周年を記念して
2014年に設置されたものといい、モノトーンの空間に鮮やかな彩り添えている。




こちらが大ホール。55年前のものとは思えないな!ここの大ホールには棟方志功の原画による緞帳があるらしい。


弘前城の中を歩いて抜けて行こうかと思ったがもう公園内は暗くなってしまったので、追手門から外へ出ることに。
弘前城築城当初あった10棟の城門のうち、5棟が現存しており、すべてが重要文化財に指定されている。
この追手門は弘前城の正面玄関にあたると言われる。


堀沿いに歩き宿の方へ向かいながら、ついでに日本基督教団弘前教会を見ておこう。
ライトアップされたフランスゴシック風の双塔が夜空に浮かび上がる。
東北初のプロテスタント系の教会といい、クリスチャン棟梁、桜庭駒五郎の設計による。1906(明治39)年完成。


そう言えば隣の石場旅館もいいと聞いている。ちょっと遅い時間だが偵察に行ってみようか。


明日の昼間でもちょっと見学させてもらえるだろうか・・・と思って聞いてみたら、今でもいいですよ、とのことで、
ちょっくらおじゃました。


表から見ると小さく見えるのだが、大きい網代天井の廊下がずんずん奥へと続いている。正面には大きな古時計が。


そして・・・何といってもここがいちばんの見どころ。廊下に太鼓橋が架けられているのだ!丸窓もある。
そして2つの階段があり、廊下はまだ奥へと続いている。いわば館内の交通の要所(笑)


手前側の階段。


擬宝珠まである立派な橋だ。ちなみにこの下は川ではない(笑)。別棟との床の高さが違うために架けられたかと思われる。
なので別棟は増築かと思ったが、操業当初からのものらしい。
旅館の創業は1879(明治12)年と分かっているが、この建物の建築年が同じかどうかははっきりしないようだ。


奥の方の階段は装飾がついて派手な印象。




皇室の関係者も泊まられた由緒ある旅館。しかし高級旅館というのではなく、古くは「駅伝宿舎」、そして
「陸軍召集軍用旅舎」として利用されていたようなので、老舗のビジネスホテルといった感じだろうか。


ケシガラスに入れられた「いしば」の文字と屋号のマーク。


部屋の中は見ておらず廊下を歩いただけだが、ここも迷路宿だな。何か湯治場のような雰囲気だった。
2食付でもお手頃な料金なので一度泊まってみるのもいいな。


松の釘隠し。


電気設備も古いな・・・このかわいいのは何?(笑)
火事だけは気をつけてほしいものだ。。。


詳しいサイトを見つけた →こちら
公式サイト →こちら

明るい時に見た石場旅館。


こちらは弘前教会。昼、夜どちらの姿も美しい。


続く
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旧藤田家別邸和館

2020-05-10 23:31:28 | 建物・まちなみ
2019年10月の弘前の続き。

藤田家別邸はつい洋館にばかり目が行きがちだが和館もある。玄関部分が地味なのでスルーしそうになるが、こちらも見ておきたい。
初日の夕方に行ったときは閉まっており、受付で聞くと翌日のお茶会の準備のためで土日は見学できないというので、
月曜日に和館だけ見にあらためて行ってきた。続きで書いてしまおう。


藤田家別邸和館は1937(昭和12)年築、1961(昭和36)年に現在地へ移築。(※弘前市のサイトの情報による)
移築って・・・元はどこに建っていたのか?もらったリーフレットにも弘前市のサイトにも書いていないので
検索してみたところ、元あった和館は1952(昭和27)年に火事で焼失してしまっており、昭和天皇が藤田家別邸に
宿泊されることが決まって、板柳町にあった「菊池邸」の建物を急遽移築したということらしい。→公式サイト


藤田家とは全く関係ない建物だったのか・・・まぁしかし、移築された経緯も歴史のひとコマなわけである。
入ろう。玄関はシンプルながら、壁には玉杢の板が貼られ、式台は一枚板のようだ。
畳敷きの廊下を折れて奥へと進む。


三方を廊下に囲まれた座敷は立入禁止で、廊下から中を覗き込むのみだが、さすがに格式の高そうな造り。
床脇の天袋は物入れになっておらず板に絵だけが描かれているな。


半分の幅に畳が敷かれた廊下。板張りの部分は分厚そうな一枚板。樟かな?


2間続きの座敷の中央には細かい目の筬欄間がはまっている。手前の部屋には取り外された建具が展示されていた。


書院の欄間には菊の花と桐の透かし彫りがあるが、花びらは15葉、桐は五三の桐である。天皇家の菊紋は16葉、桐紋は五七の桐。
これが移築時に新たにあつらえられたものかどうかは不明だが、天皇に対して謙譲の意味合いで数を減らしているのだろうか。


こういう欄干のような装飾も格式が高いと聞いたことがある気がする・・・


廊下の一角に水屋があった。


くねくねの竹が使われていたり、面白い造り。


こんなところに炉もあるの!?変わっているな!


さて、その隣にあった、廊下の戸。うわぁ~~きれいな透かし彫り!!


逆光でよく見えないので反対側に回って見てみよう。こちら側からだと明るい。


おぉ、これは・・・素晴らしいな!一枚板を彫ってある。葡萄の木にリスが遊ぶ図は洋風なイメージ。


かわいいリス~~




とても立体的で、もちろん両面から彫ってある。この葡萄のつるの重なり、板の厚みはせいぜい1.5~2cmぐらいしか
ないのに、すごく奥行を感じさせる。素晴らしいなぁ!!かなり高名な彫刻家が製作したと思われる。




奥の座敷は折上げ格天井。床の間は琵琶床付き。


格子の桟はダブルになっていて、クロスする部分に「井」の字型に金物を取り付けてある。


これはななこ塗り(津軽塗)の箪笥。めちゃくちゃカワイイな!!


一度衰退しかけた津軽塗りを復活させた、奈良丹次郎(丹斉)の作品。

あぁ、和館もあきらめずに見に来てよかった!焼失した和館がどんなものだったのか気になるが。。。

ところでここは庭園も必見。洋館と和館のある「高台部」には広々した芝生のお庭が広がっているが、和館裏手の崖下の
「低地部」には、本格的な和風庭園が広がっている。写真が多くなってしまうが続きで紹介しておこう。


崖の高低差は15mほどあるだろうか。いや、もっと高いか!?


崖を生かして作られた滝や立体的な木立の間を山道のような散策路が回っている。


何と立派な、三段の滝!


眼下に広がるお庭を見下ろす。




下へ降りてきて今度は滝と橋を見上げる。この高低差と奥行!!


平地部分には花菖蒲が植えられた大きな池。梅園、茶屋もあり、広大な敷地である。
今までいろんな邸宅のお庭を見てきたがちょっとスケールが違うなぁ。
東京から庭師を招いてつくらせた江戸風の庭園だということだが、どのあたりが東京風なのかはあまり分からない(苦笑)
小石川後楽園に似ているような気も・・・(適当)

崖地にはいちめんシャクナゲやツツジが咲くらしい。春には梅、桜、初夏には花菖蒲、秋には紅葉、、、
四季折々の風景を楽しめるという。その時は観光バスで大勢のお客が詰めかけるのだろうが。。。
この時は花のシーズンでなく紅葉にも若干早かったので残念だったが、人がほとんどおらず静かに歩くことができた。

続く
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旧藤田家別邸洋館

2020-05-09 23:18:09 | 建物・まちなみ
2019年10月の弘前の続き。



市役所から弘前城の堀端の道をまっすぐ進み、旧藤田家別邸へ。
2年前に友人と十和田ホテルへ泊まりに行ったとき、空港から盛美館へ行こうとしてナビ通りに来たらなぜか弘前城に着いてしまい、
藤田家別邸もチラリと目にしていた。弘前はまたゆっくり来ないとね、と話していたが先にひとりで来てしまったよ、ゴメン(苦笑)


門を入るとすぐに建物が見える。ここは弘前出身の実業家、藤田謙一氏の別邸であった。入口の冠木門と洋館と和館と、
そしてこのレンガ倉庫が登録有形文化財となっている。


まずは洋館だ!赤い帽子をかぶせたような塔屋、大きく手前に流れた屋根が特徴的。複雑な形をしているが、
グレーのモルタル吹付けの外壁といぶし瓦のような濃いグレーの屋根のせいで派手な印象はない。
ここもやはり堀江組が手がけており、堀江佐吉の六男堀江金造が設計、長男堀江彦三郎が施工を担当したという。
洋館は1921(大正10)年築。


その大屋根の下に玄関がある。左右のレンガの柱は花崗岩の切石がアップリケのように所々に埋め込まれている。
レンガと石のこんな組み合わせは見たことがない。斬新だなぁ!


そして窓にはステンドグラスがはめ込まれている。


エントランスホールのステンドグラスはこのデザインで統一されていて、大きさ違いや、並べ方違いで数ヶ所にはまっている。
オパール色のベースに鮮やかな紫色がとってもきれい!!


床はレンガカラーの八角形タイル。市松で縁取ってあるのがまたGOOD!


廊下にある暖炉。白い大理石に縦溝が彫られ、ビーズや唐草のような模様が施されている。
中央のエンブレムはヒイラギがモチーフ?


見上げると天井はドーム型で、2階の部屋のドアもアーチ型なので複雑な形状に・・・


1階のお庭に面した部屋はカフェになっていて、チラッと覗くと大盛況。私もここでお茶を飲みたいところだが、、、無理そうだな。


ドアの上の漆喰レリーフは花かごとぐるぐる渦巻き。


2階は行けないのかぁ・・・うらめしげに階段を見上げる。2階は有料の貸室となっているようだ。
階段の天井も部屋と部屋の開口部もアーチ型。


1階の奥の広間はガランとしてピアノ以外何も家具がおいていないが、音楽会などに使われるらしい。
元はリビングルームだったのだろうな。サンルームが部屋をまたいで伸びて来ている。


少し高い位置にある窓の下に造りつけられたソファ。


奥の一角は少し囲われたイングルヌックとなっている。本当にここち良さそうで、親密な雰囲気の空間だ。憧れるなぁ・・・


イングルヌックにもステンドグラスが。


フェニックスだろうか、天に向かってまっすぐ飛び立つ鳥が、楕円形の中にデザインされている。
ここでも紫色が強く目に残る。




イングルヌックの裏側の部屋は資料の展示室となっていた。照明が素敵!


この部屋の暖炉も縦溝があしらわれている。静的で心が落ち着くようなデザイン。


お庭に出て洋館を見る。複雑な形をしているので見る方向が違うと全く印象が変わるな。


裏側から見たところ。・・・とは言ってもこちらが南側で、明るいお庭に面したサンルームがカフェだ。

2階と塔屋に上がれなかったのはちょっと残念。カフェでお茶もしたかったな。。。次回に是非。

続く
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旧弘前市立図書館など

2020-05-08 23:41:33 | 建物・まちなみ
2019年10月の弘前の続き。

旧東奥義塾外人教師館の隣にある、旧弘前市立図書館。ここも東奥義塾の敷地内だったようだ。
1906(明治39)年築。この建物も堀江佐吉の設計施工である。
1931(昭和6)年まで図書館として使用されたあと、堀江家の子孫に払い下げられ、別の場所へ移築されていたものを
再度現在地に移築復元したという。部材はほとんど新しいものと見える。


ドーム屋根を頂く2つの八角形の塔屋をつないだような独特な形。正面から見ると左右対称で縦長窓が等間隔に並ぶ。
すっきり見えるがよく見ると軒先蛇腹などとても凝った装飾が施されている。外人教師館とは違い、和風の趣きも感じられるな、


面白い形の建物なので平面プランがどうなっているのか、とても気になる。入ってみよう。


左側の塔屋部分は、エントランスと階段ホールだった。玄関入って正面には事務室が。
廊下が二手に伸びており、右側の廊下を進むと右側の八角形に突き当たる。


2つの塔屋をつなぐ矩形部分にある図書室は10畳ぐらいの部屋。当時は蔵書がここに納まるくらいの数だったのだな。


そしてこちらが右側の八角形部分。1階は婦人閲覧室となっている。明治の時代に女性が優遇されていたんだな。
5つの窓がぐるりと取り囲み、もう窓だらけという感じ(笑)


八角形の壁に沿うようにつくられた曲がり階段を上って2階へ。


2階は塔屋の部分を除き全体が閲覧室となっている。図書室に比べ閲覧室にかなりスペースをとっているな。


3階へ上る階段は細く急勾配。しかし3階は非公開で階段も立入禁止。残念。。。
もらった資料によると3階には応接室もあるようだが、お客さんもこの急階段を上ったのだろうか(笑)


正八角形の評議室。


面白い形の建物だがうまく使ってあったのだな。まぁ、床面積が小さいだけに図書室と閲覧室が別の階で
上り下りしなければならないのは面倒だっただろう。それに明治時代といえどもやっぱりちょっと手狭だ。
現在は一般公開されているだけだが、こここそカフェや工房などに使えば素敵じゃないかな!


隣にある弘前市庁舎、ここもまた図書館とは違ったカッコよさ!


こちらは雨でどどめ色の写真だけど・・・(苦笑)
水平線が強調されたデザインが目を引く。コンクリートとレンガ(タイル)とガラスの組み合わせがクール!
1958(昭和33)年竣工、前川國男設計の戦後モダニズム建築だ。 市制施行70周年を記念して新築されたという。


休日だったけど1階の事務所に人がおられたので尋ねたら、1階のホールあたりまでなら、とのことで見せて頂いた。


コンクリート打ち放しの柱、梁、階段に、木製パーツの組み合せが温かみを添える。
やはず貼りされた床のレンガタイルもいいなぁ。


この階段あたりがカッコイイ!赤い壁がインパクトあるなぁ~~

弘前には前川國男の建築が8棟も現存するという。弘前は彼自身の生まれ故郷ではないが、彼の母親の出身地ということで
縁があったのだろう。前川建築をめぐるツアーもあり、いずれも現役施設でありながら観光資源としても大切にされている。

こちらのかわいい建物は旧第八師団長官舎。現在は丸ごとスターバックスの店舗になっている。


ちょっと中を覗かせてもらったら、スタバお得意の洗練された空間になっていて、若者でいっぱいだった。
なので写真は撮れず。。
内部を改装されてしまってもこうやって人気店が入ることにより建物が維持できることは大事だな。。


続く
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