三地門からの続き。
バスの車窓からチェックしておいた屏東のまちなかの建物を見に行く。素敵な洋館が確かに見えたのだ。
そして美術館らしきこの建物!

どのあたりだったっけ・・・うろつきながら、ガイドブックに「旧軍人宿舎エリア」と書いてあるあたりに
入っていくと、閑静な一角があった。うっそうとした生垣に埋もれるように平屋建ての木造家屋が建っていた。
これが旧軍人宿舎か。

台北のまちなかにも古い日本家屋がわずかに残っているのを見かけるし、平渓線の終点菁桐の炭鉱住宅も
日本家屋がカフェになっているのを見たが、それらともちょっと違う。
日本の近代の木造駅舎のように、ちょっとおしゃれな洋風の意匠をもつ住宅なのだ。下見板張りの壁、簡易ながら
装飾のある柱、さりげなく凝った窓の桟・・・南海高野線の駅々を思い起こさせる。


見ると隣の区画にも同じような建物がある。そしてその向かいの区画にも、さらに交差点の向こう側にも・・・

気がつけばそのあたりは同じような平屋の建物がたくさんある。かなり老朽化しているが、あるものは
住宅のままで、あるものは店舗として、あるものは幼稚園に!!いろんな用途に転用されながら使い続けられ、
周りの街よりも一段低い独特の景観を作り出している。

そしてこれらの住宅の豪華版ともいえるお屋敷が、あった!
おお〜っ、2階の窓まわりの豪華な持ち送り。

しかし・・・高い塀に阻まれて上の方しか見えない。なんとか見えるところがないか。
離れてみたり・・・近寄ってみたり・・・塀の風穴から覗いてみたり・・・

2階の壁の下の方がスカートの裾のように広がっているデザインは、さっきの幼稚園の建物と共通し、
同時に開発されたものと思われる。軍人のエライサンの住宅だったのだろう。
ん〜〜なかなかよく見えないぞ。塀に沿ってうろうろ、、、絶対怪しい(苦笑)

おっ、何とか玄関も見えた。涼しげなバンガローのような洋館だった。

さっきの幼稚園の建物も他の住宅に比べ若干華やかな造りであるのをみると、もしかするとサロンか集会所の
ような建物だったのかもしれない。

しかし、この軍人宿舎群は日本統治時代に建てられたのか?そうするとこの木造住宅は築7〜80年に
なるということか?詳しいことが分からない。謎なだけに興味をそそられるエリアである。
続く。
バスの車窓からチェックしておいた屏東のまちなかの建物を見に行く。素敵な洋館が確かに見えたのだ。
そして美術館らしきこの建物!

どのあたりだったっけ・・・うろつきながら、ガイドブックに「旧軍人宿舎エリア」と書いてあるあたりに
入っていくと、閑静な一角があった。うっそうとした生垣に埋もれるように平屋建ての木造家屋が建っていた。
これが旧軍人宿舎か。

台北のまちなかにも古い日本家屋がわずかに残っているのを見かけるし、平渓線の終点菁桐の炭鉱住宅も
日本家屋がカフェになっているのを見たが、それらともちょっと違う。
日本の近代の木造駅舎のように、ちょっとおしゃれな洋風の意匠をもつ住宅なのだ。下見板張りの壁、簡易ながら
装飾のある柱、さりげなく凝った窓の桟・・・南海高野線の駅々を思い起こさせる。


見ると隣の区画にも同じような建物がある。そしてその向かいの区画にも、さらに交差点の向こう側にも・・・

気がつけばそのあたりは同じような平屋の建物がたくさんある。かなり老朽化しているが、あるものは
住宅のままで、あるものは店舗として、あるものは幼稚園に!!いろんな用途に転用されながら使い続けられ、
周りの街よりも一段低い独特の景観を作り出している。

そしてこれらの住宅の豪華版ともいえるお屋敷が、あった!
おお〜っ、2階の窓まわりの豪華な持ち送り。

しかし・・・高い塀に阻まれて上の方しか見えない。なんとか見えるところがないか。
離れてみたり・・・近寄ってみたり・・・塀の風穴から覗いてみたり・・・

2階の壁の下の方がスカートの裾のように広がっているデザインは、さっきの幼稚園の建物と共通し、
同時に開発されたものと思われる。軍人のエライサンの住宅だったのだろう。
ん〜〜なかなかよく見えないぞ。塀に沿ってうろうろ、、、絶対怪しい(苦笑)

おっ、何とか玄関も見えた。涼しげなバンガローのような洋館だった。

さっきの幼稚園の建物も他の住宅に比べ若干華やかな造りであるのをみると、もしかするとサロンか集会所の
ような建物だったのかもしれない。

しかし、この軍人宿舎群は日本統治時代に建てられたのか?そうするとこの木造住宅は築7〜80年に
なるということか?詳しいことが分からない。謎なだけに興味をそそられるエリアである。
続く。










韓国・朝鮮では動乱で破壊された物件も多いですが、平壌の大同江鉄橋などは健在です。
台湾での日本時代の「置き土産」は、国鉄の車輌で、車体標記が日本の国鉄と殆ど同じで、最後部の尾灯に赤い円板を使うのは、昭和30年代までの国鉄と全く同じです(笑
まだまだ魅力的ですね!
客車を引いたディーゼル機関車が都会の駅に停まっている
のを見るだけでもわくわくしますよ。
食堂車や郵便車なども現役ですね。
高雄の駅構内に、客車と貨車をまぜまぜに連結したのが
停まっていて、そんなのがDLに引かれて走るなら
夢のようですね〜
2F建ての洋風建築は何だったのかな。日本時代の地図が手に入ったら分かるのにね。
終戦後は中国から来た軍人が・・・なるほど。
今はどうなんでしょうね。
お屋敷はやっぱり軍の統括者クラスの住まいだったのではと思いますね。クラブハウスでもなさそうな感じです。
小生は1934年に高雄市入船町に生まれ、5歳から屏東市に育ち、終戦後の1947年に福島県相馬の父の実家に引き揚げてまいりました。
引き揚げが6年生でもあったことから、屏東時代の友人がいません。
出来ることなら、同級生だった台湾人の友人と交流したく希望します
以上
高雄生まれの屏東育ちでいらっしゃいますか。
高雄市入船町・・・今だとどのあたりになるのでしょう。
小学6年生までというと12年間ですね。
ああ、終戦時の引き上げってどんなんだったんでしょう。
私など戦争や終戦後の状況も本やテレビでしか知りませんが
台湾に行くといつも皆親切だし、先の震災への大きな支援など
日本や日本人に対してとても親しみを持ってくれているのは
ほんとうれしいことです。
増田弘夫さんの同級生の方々はどうされているのでしょうね。
機会があれば台湾を再び訪れてみられてはいかがでしょうか。
温かく迎えて下さると思いますよ!