シリーズ平成の本音―自民党憲法改正草案、これでは国はまとまらない! (その1)
自民党は、憲法改正草案を公表し、7月に予定されている参議院議員選挙において憲法改正を公約として訴えるとしている。
自・公政権は、61年前の4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し(1952年)、主権が回復されたことを記念して、天皇皇后両陛下ご出席の下で記念式典を開催した。議事次第には載せていなかったが、閉会に際し“天皇陛下、万歳”を唱えた。これは、1947年5月3日に施行された憲法は、主権が奪われていた占領下で成立したもので、自分たちの意志ではなかったと言っているに他ならない。今回公表された同党憲法改正草案は、時計を戦前の帝国憲法に戻すような復古調が強く、保守政権の改正案とはなっても、これではとてもとても国論を纏められそうにない。
現行憲法は、成立の経緯は別として、戦争の惨禍を経験した熟年層はもとより、戦後教育を受けた若年層から中堅層まで広く定着して来ているが、ここでは特に、現行憲法から乖離が著しい下記の3点について論点を提供したい。自民党憲法草案は、民主党政権時代の野党であった頃に、全自民党議員の参加の下で3年半を掛けて纏めたと言われており、国家のあり方や、基本的な国民の権利義務、統治機構などについて同党の本質、本音を文字化したものと言えるので、国民が慎重に判断し、選択することが必要のようだ。
1、天皇の元首としての明文化は世襲元首の恒久化
天皇を元首と明記しているが、これにより天皇家が世襲により国家元首となり、固定化され、天皇制を信奉する自民党を中心とする保守政党の長期独裁を可能にする。自民党とすれば、国家元首である天皇を擁護、支持する本流であるとして政権を維持し易くなる一方、これに反対する勢力や考え方に対しては憲法に違反するとして厳しい措置も可能になる。政権維持に天皇を利用する結果となり、「国民統合の象徴」が保守政権の守護神となり、天皇制の意味合いが帝国憲法時代に近くなり変容する。
自民党が2012年12月の総選挙で、”日本を取り戻す”をスローガンとしていたが、そういう意図があったのだろう。また4月28日の“主権が回復の日”も、占領下時代に交付された現行憲法を見直すことを正当化するものでもあったのだろう。
自民党改正草案では、天皇の地位は“主権が存する国民の総意に基づく”と規定しているが、“総意”ということは国民全体の総意(コンセンサス)を意味するので、国民のほとんどが、少なくても9割以上が支持する状態であることが望ましく、象徴天皇は政治的には中立であることが期待される。それを過半数で明文化するのはいささか乱暴であると共に、憲法改正を口実に保守政権を固定化する意図があるとみられよう。
国歌を君が代とし、国家、国旗を尊重する義務なども規定されているが(3条)、一種の偶像崇拝的な規定であり、保守政権の固定化を狙ったものであろう。
なお、“君が代”の“君”は、“国民であるあなた達”であるなどと旧自民党政権は答えていたが、本来的には“我が君”、“君主様”を意味するものであり、国歌自体も時代錯誤的なものになっている。しかし天皇を元首と明記することにより、本来の“我が君”として使えることになる。
他方、国家元首が世襲となることは、皇室が特別な階級、階層となり、平等性を損なう他、主権在民、国民主権に反するので、国民が元首として選ぶ大統領制や首相公選制を望む声が強くなろう。
現在天皇は、憲法で、「国民統合の象徴」として「内閣の助言と承認」に基づき一定の儀礼的行為や儀式をするとして、10項目が定められている。そして外国使節である大使、公使を接受することとなっていることから、外国元首等の日本訪問に際しては、天皇の接見や皇居での晩餐会などが行われることが寒冷となっており、元首級の扱いとなっている。しかし天皇には定年制はないことから、高年齢となると健康上の問題もあり、公務が負担になっており、それが国・公賓招待や外国訪問その他の行事の妨げになっている面がある。その一例が、2009年12月に中国の習近平主席が副首相時代に訪日した際、次期主席と予想されていたことから中国側が天皇拝謁を希望し、実現したものの、当時の宮内庁長官が陛下の健康を気遣い、天皇拝謁等については1ヶ月以上の事前の要請がなければならないとして、記者団の前で苦言を呈したが、それは習近平氏の耳にも届いていたと見られ、折角接見していながら後味の悪い結果となった。習近平氏は、本年に国家主席となっているが、宮内庁側の健康を気遣う気持ちは十分分かるが、外交上は配慮に欠けたと言えるであろう。
日本は今後世界にもっと積極的に首脳外交を展開することが期待されるが、国民が選ぶ大統領制や首相公選制にして、天皇は諸外国の王室との交流や文化分野等での活動に専心戴き、負担を軽減することを検討しても良いのかもしれない。それは国民が選ぶべきであろうが、過半数で天皇を元首と明文化し、国民の判断を縛るのは乱暴過ぎるし、そのような形で天皇を政治利用することはお気の毒であろう。
2、9条改正で自衛権明確化と共に、軍の治安出動、国民の生命・自由の制限可能に (その2に掲載
3、国民の自由、権利を制限する“公益”、“公の秩序”とは何か? (その3に掲載)
4、憲法改正判断前に不可欠な1票の格差の解消 (その4に掲載)
(2013.5.12.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
自民党は、憲法改正草案を公表し、7月に予定されている参議院議員選挙において憲法改正を公約として訴えるとしている。
自・公政権は、61年前の4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し(1952年)、主権が回復されたことを記念して、天皇皇后両陛下ご出席の下で記念式典を開催した。議事次第には載せていなかったが、閉会に際し“天皇陛下、万歳”を唱えた。これは、1947年5月3日に施行された憲法は、主権が奪われていた占領下で成立したもので、自分たちの意志ではなかったと言っているに他ならない。今回公表された同党憲法改正草案は、時計を戦前の帝国憲法に戻すような復古調が強く、保守政権の改正案とはなっても、これではとてもとても国論を纏められそうにない。
現行憲法は、成立の経緯は別として、戦争の惨禍を経験した熟年層はもとより、戦後教育を受けた若年層から中堅層まで広く定着して来ているが、ここでは特に、現行憲法から乖離が著しい下記の3点について論点を提供したい。自民党憲法草案は、民主党政権時代の野党であった頃に、全自民党議員の参加の下で3年半を掛けて纏めたと言われており、国家のあり方や、基本的な国民の権利義務、統治機構などについて同党の本質、本音を文字化したものと言えるので、国民が慎重に判断し、選択することが必要のようだ。
1、天皇の元首としての明文化は世襲元首の恒久化
天皇を元首と明記しているが、これにより天皇家が世襲により国家元首となり、固定化され、天皇制を信奉する自民党を中心とする保守政党の長期独裁を可能にする。自民党とすれば、国家元首である天皇を擁護、支持する本流であるとして政権を維持し易くなる一方、これに反対する勢力や考え方に対しては憲法に違反するとして厳しい措置も可能になる。政権維持に天皇を利用する結果となり、「国民統合の象徴」が保守政権の守護神となり、天皇制の意味合いが帝国憲法時代に近くなり変容する。
自民党が2012年12月の総選挙で、”日本を取り戻す”をスローガンとしていたが、そういう意図があったのだろう。また4月28日の“主権が回復の日”も、占領下時代に交付された現行憲法を見直すことを正当化するものでもあったのだろう。
自民党改正草案では、天皇の地位は“主権が存する国民の総意に基づく”と規定しているが、“総意”ということは国民全体の総意(コンセンサス)を意味するので、国民のほとんどが、少なくても9割以上が支持する状態であることが望ましく、象徴天皇は政治的には中立であることが期待される。それを過半数で明文化するのはいささか乱暴であると共に、憲法改正を口実に保守政権を固定化する意図があるとみられよう。
国歌を君が代とし、国家、国旗を尊重する義務なども規定されているが(3条)、一種の偶像崇拝的な規定であり、保守政権の固定化を狙ったものであろう。
なお、“君が代”の“君”は、“国民であるあなた達”であるなどと旧自民党政権は答えていたが、本来的には“我が君”、“君主様”を意味するものであり、国歌自体も時代錯誤的なものになっている。しかし天皇を元首と明記することにより、本来の“我が君”として使えることになる。
他方、国家元首が世襲となることは、皇室が特別な階級、階層となり、平等性を損なう他、主権在民、国民主権に反するので、国民が元首として選ぶ大統領制や首相公選制を望む声が強くなろう。
現在天皇は、憲法で、「国民統合の象徴」として「内閣の助言と承認」に基づき一定の儀礼的行為や儀式をするとして、10項目が定められている。そして外国使節である大使、公使を接受することとなっていることから、外国元首等の日本訪問に際しては、天皇の接見や皇居での晩餐会などが行われることが寒冷となっており、元首級の扱いとなっている。しかし天皇には定年制はないことから、高年齢となると健康上の問題もあり、公務が負担になっており、それが国・公賓招待や外国訪問その他の行事の妨げになっている面がある。その一例が、2009年12月に中国の習近平主席が副首相時代に訪日した際、次期主席と予想されていたことから中国側が天皇拝謁を希望し、実現したものの、当時の宮内庁長官が陛下の健康を気遣い、天皇拝謁等については1ヶ月以上の事前の要請がなければならないとして、記者団の前で苦言を呈したが、それは習近平氏の耳にも届いていたと見られ、折角接見していながら後味の悪い結果となった。習近平氏は、本年に国家主席となっているが、宮内庁側の健康を気遣う気持ちは十分分かるが、外交上は配慮に欠けたと言えるであろう。
日本は今後世界にもっと積極的に首脳外交を展開することが期待されるが、国民が選ぶ大統領制や首相公選制にして、天皇は諸外国の王室との交流や文化分野等での活動に専心戴き、負担を軽減することを検討しても良いのかもしれない。それは国民が選ぶべきであろうが、過半数で天皇を元首と明文化し、国民の判断を縛るのは乱暴過ぎるし、そのような形で天皇を政治利用することはお気の毒であろう。
2、9条改正で自衛権明確化と共に、軍の治安出動、国民の生命・自由の制限可能に (その2に掲載
3、国民の自由、権利を制限する“公益”、“公の秩序”とは何か? (その3に掲載)
4、憲法改正判断前に不可欠な1票の格差の解消 (その4に掲載)
(2013.5.12.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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