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新天皇の祝賀パレードなどはこの状況で必要か??

2019-10-26 | Weblog
シリーズ本音トーク―新天皇の祝賀パレードなどはこの状況で必要か??
2019年5月1日の新天皇の即位を受けて、10月22日、「即位の礼正殿の儀」が行われ、新天皇即位が内外に宣明された。祝意を表したい。そして夕刻から外国からの賓客などを招いた「饗宴の儀」が開催された。
しかし台風15号による被害が未だ残る中、台風19号による広範かつ甚大な被害を考慮し、「祝賀御列の儀」と称される祝賀パレードは11月10日に延期する予定となっている。 外国からの賓客などを招いた饗宴の儀は艶やかに開催された。饗宴の儀は10月31日までに更に3回開催されるという。
式典は文字通り歴史絵巻のようであり、日本の古来の文化、歴史を伝承する上で大変興味深く、保存されて行くことが望ましいが、問題もありそうだ。
1、祝賀パレード「祝賀御列の儀」はこの大きな台風被害の中で必要か?
慶事であるので祝賀を開催できる状況であればパレードを開催したらよい。
しかし(1)台風15号、19号の被害はお膝元の千葉を含め、関東一円から東北地方にまで広がり、多くの被害者は苦しんでおり、到底11月10日までに解決しそうにない。新天皇は、即位を宣明された際、「・・国民の幸せと世界の平和を願い」と言われ「国民に寄り添って・・務める」と述べられているが、それは国家行事が優先するということなのだろうか。国民の間には、空疎な気持ちを抱く者も少なくない。
また(2)5月1日のご即位に際し、国民の祝意を既に受けられている。外国賓客は11月10日までには帰国しているので、更にこの状況で国民への祝賀パレードを強行すべきなのだろうか。
更に(3)2ヶ月後には新年の参賀があり、そこでも祝意を受けられる。
 また外国賓客などを招いた饗宴の儀は良いとしても、外国賓客が帰国した後に更に3回も祝賀晩餐会を開催すべきなのだろうか。日常生活にも困っている多くの国民がいる中でのことであるので、どうしても被災者のご苦労が気になってしまい、同情する声が聞かれる。

2、国家的行事にしても160億円強の予算は必要だったのか?!
英国の新聞が「簡素であるが、160億円も掛かっている」との皮肉った記事を掲げている。国家行事であるのでそのくらい掛かるのかもしれないが、高額だ。
 例えば、即位を宣明された「高御座」などを京都御所から解体、輸送するのに9億掛かっている。それなら何故、旧来通り京都御所で行わないのか。何と、明治、大正、昭和と京都御所で行っている。また十二単のあでやかな和装も皇后は良いとしても、宮家の女性すべてに必要だろうか。この種の無駄が多く、いわば‘ご祝儀予算’ではないのか。それだけの予算があれば、被災者をかなり救済できそうだ。‘政府の金’などは一銭もない。それは国民の税金であり、権威を示すためとしても、出来るだけ被災地に回して欲しいと国民は願うのではないか。予算の使い道が重要だ。「納税は国民の義務」とされ、脱税で摘発される者も少なくないが、皇室を含め政府は、支出の無駄や贅沢を無くし、節約する義務があるのだろう。
それでなくても、政府は1,100兆円以上の公的債務を負っているので、一般論として贅沢や無駄は許されない。

3、「国民統合の象徴」による神道形式の神儀の謎?
 同日午後1時から開始された「即位の礼正殿の儀」に先立ち、「宮中三殿」で神儀が行われた。「三殿」は皇居内の吹上御苑の東南にある宗教施設であり、賢所、皇霊殿、神殿で構成され、それぞれ神道の神を祀っており、宮中祭祀(皇室祭祀)の中心となっている。
この神道行事は、同日午前中に時間を掛けて行われたが、冒頭の入場風景を除き非公開で行われ、内部の状況は分からない。
「国は宗教行事を行わない」との憲法上の制約を配慮し、公式行事である「即位の礼正殿の儀」などとは切り離し、予算上も皇族の行事として「内廷費」を充当し、すみ分けている模様だが、一見違憲論を回避しているものの、厳密に言えば「内廷費」も国家予算から出ているので、国家による神道形式の宗教行事の実施と見ることもできる。
しかしもっと根本的な問題は、明治以来の旧帝国憲法が廃止され、現行憲になって、民主主義国家となり、国家による宗教活動が禁止されてからも、皇居内に神道行事を行う「三殿」が維持されていたとは驚きである。旧帝国憲法の下では、天皇はいわば祭政一致の専制君主であったが、新憲法の下では「国及び国民統合の象徴」であって、天皇が神道という特定の宗教施設を保持し、日常的に神道行事を行うことは、国による宗教活動が禁止されている以上許されて良いものではない。無論、天皇も個人として神道を信じることは許されようが、それは私的に行われるべきで、公的な天皇の居所である皇居の外で行われるべきであろう。本来であれば、終戦後、新憲法が制定された段階で、少なくてもこれら「三殿」を公的な居所の外に移設するか、外部の神道施設を利用すべきであった。
 これが平成以降既成事実として保持され、更に既成事実が重ねられると、神道が日本の象徴的単一宗教となり、国教に近い宗教となり、天皇が祭政一致の「象徴」となって行く可能性がある。これは憲法の規定、精神を歪曲することになる。民主主義の根幹は多様性に他ならない。
 本来であれば、明治維新以降、江戸幕府打倒(倒幕)に成功し日本の支配者となり、専制君主、軍の統帥としての天皇制は、旧帝国憲法が廃され、現行憲法が制定された段階で、もはや支配者でも専制君主でもなくなり、主権在民となった段階で、江戸城趾内に居を構え皇居とされたものを京都御所に戻すなりしつつ、新憲法の下での「象徴天皇」のあり方を検討すべきであったのであろう。今でも遅くはない。

 4、「万歳三唱」から想起されること
 「正殿の儀」の最後に首相が祝辞を述べ、新天皇に向かい「万歳三唱」を行った。参列していた日本人は女性を含めて皆起立し、両手を挙げ「万歳」を三唱した。200名以上の外国の賓客は、座したまま身動きもしない。異様な光景だ。
 「万歳」を三唱する姿は、北朝鮮の国民が金正恩委員長に‘バンゼエ’を連呼する光景を連想させる。
 歴史的には、第2次世界大戦において、多くの将兵たちが‘天皇陛下万歳’を唱え戦地に向かい、戦争末期には特攻隊が戦闘機や魚雷艇で敵艦船に突入する際、‘天皇陛下万歳’と唱え散っていったと語り伝えられていることを思い出させる。
第2次世界大戦では、210万人ほどの将兵が死亡し、100万人にも及ぶ一般市民が命を失っている。(2019.10.25.)

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