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シリーズ平成の本音―自民党憲法改正草案、これでは国はまとまらない! (その1)

2013-05-13 | Weblog
シリーズ平成の本音―自民党憲法改正草案、これでは国はまとまらない! (その1)
 自民党は、憲法改正草案を公表し、7月に予定されている参議院議員選挙において憲法改正を公約として訴えるとしている。
 自・公政権は、61年前の4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し(1952年)、主権が回復されたことを記念して、天皇皇后両陛下ご出席の下で記念式典を開催した。議事次第には載せていなかったが、閉会に際し“天皇陛下、万歳”を唱えた。これは、1947年5月3日に施行された憲法は、主権が奪われていた占領下で成立したもので、自分たちの意志ではなかったと言っているに他ならない。今回公表された同党憲法改正草案は、時計を戦前の帝国憲法に戻すような復古調が強く、保守政権の改正案とはなっても、これではとてもとても国論を纏められそうにない。
 現行憲法は、成立の経緯は別として、戦争の惨禍を経験した熟年層はもとより、戦後教育を受けた若年層から中堅層まで広く定着して来ているが、ここでは特に、現行憲法から乖離が著しい下記の3点について論点を提供したい。自民党憲法草案は、民主党政権時代の野党であった頃に、全自民党議員の参加の下で3年半を掛けて纏めたと言われており、国家のあり方や、基本的な国民の権利義務、統治機構などについて同党の本質、本音を文字化したものと言えるので、国民が慎重に判断し、選択することが必要のようだ。
 1、天皇の元首としての明文化は世襲元首の恒久化
 天皇を元首と明記しているが、これにより天皇家が世襲により国家元首となり、固定化され、天皇制を信奉する自民党を中心とする保守政党の長期独裁を可能にする。自民党とすれば、国家元首である天皇を擁護、支持する本流であるとして政権を維持し易くなる一方、これに反対する勢力や考え方に対しては憲法に違反するとして厳しい措置も可能になる。政権維持に天皇を利用する結果となり、「国民統合の象徴」が保守政権の守護神となり、天皇制の意味合いが帝国憲法時代に近くなり変容する。
 自民党が2012年12月の総選挙で、”日本を取り戻す”をスローガンとしていたが、そういう意図があったのだろう。また4月28日の“主権が回復の日”も、占領下時代に交付された現行憲法を見直すことを正当化するものでもあったのだろう。
 自民党改正草案では、天皇の地位は“主権が存する国民の総意に基づく”と規定しているが、“総意”ということは国民全体の総意(コンセンサス)を意味するので、国民のほとんどが、少なくても9割以上が支持する状態であることが望ましく、象徴天皇は政治的には中立であることが期待される。それを過半数で明文化するのはいささか乱暴であると共に、憲法改正を口実に保守政権を固定化する意図があるとみられよう。
 国歌を君が代とし、国家、国旗を尊重する義務なども規定されているが(3条)、一種の偶像崇拝的な規定であり、保守政権の固定化を狙ったものであろう。  
 なお、“君が代”の“君”は、“国民であるあなた達”であるなどと旧自民党政権は答えていたが、本来的には“我が君”、“君主様”を意味するものであり、国歌自体も時代錯誤的なものになっている。しかし天皇を元首と明記することにより、本来の“我が君”として使えることになる。
 他方、国家元首が世襲となることは、皇室が特別な階級、階層となり、平等性を損なう他、主権在民、国民主権に反するので、国民が元首として選ぶ大統領制や首相公選制を望む声が強くなろう。
 現在天皇は、憲法で、「国民統合の象徴」として「内閣の助言と承認」に基づき一定の儀礼的行為や儀式をするとして、10項目が定められている。そして外国使節である大使、公使を接受することとなっていることから、外国元首等の日本訪問に際しては、天皇の接見や皇居での晩餐会などが行われることが寒冷となっており、元首級の扱いとなっている。しかし天皇には定年制はないことから、高年齢となると健康上の問題もあり、公務が負担になっており、それが国・公賓招待や外国訪問その他の行事の妨げになっている面がある。その一例が、2009年12月に中国の習近平主席が副首相時代に訪日した際、次期主席と予想されていたことから中国側が天皇拝謁を希望し、実現したものの、当時の宮内庁長官が陛下の健康を気遣い、天皇拝謁等については1ヶ月以上の事前の要請がなければならないとして、記者団の前で苦言を呈したが、それは習近平氏の耳にも届いていたと見られ、折角接見していながら後味の悪い結果となった。習近平氏は、本年に国家主席となっているが、宮内庁側の健康を気遣う気持ちは十分分かるが、外交上は配慮に欠けたと言えるであろう。
 日本は今後世界にもっと積極的に首脳外交を展開することが期待されるが、国民が選ぶ大統領制や首相公選制にして、天皇は諸外国の王室との交流や文化分野等での活動に専心戴き、負担を軽減することを検討しても良いのかもしれない。それは国民が選ぶべきであろうが、過半数で天皇を元首と明文化し、国民の判断を縛るのは乱暴過ぎるし、そのような形で天皇を政治利用することはお気の毒であろう。
 2、9条改正で自衛権明確化と共に、軍の治安出動、国民の生命・自由の制限可能に  (その2に掲載
 3、国民の自由、権利を制限する“公益”、“公の秩序”とは何か?         (その3に掲載)
4、憲法改正判断前に不可欠な1票の格差の解消           (その4に掲載)
(2013.5.12.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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シリーズ平成の本音―自民党憲法改正草案、これでは国はまとまらない! (その1)

2013-05-13 | Weblog
シリーズ平成の本音―自民党憲法改正草案、これでは国はまとまらない! (その1)
 自民党は、憲法改正草案を公表し、7月に予定されている参議院議員選挙において憲法改正を公約として訴えるとしている。
 自・公政権は、61年前の4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し(1952年)、主権が回復されたことを記念して、天皇皇后両陛下ご出席の下で記念式典を開催した。議事次第には載せていなかったが、閉会に際し“天皇陛下、万歳”を唱えた。これは、1947年5月3日に施行された憲法は、主権が奪われていた占領下で成立したもので、自分たちの意志ではなかったと言っているに他ならない。今回公表された同党憲法改正草案は、時計を戦前の帝国憲法に戻すような復古調が強く、保守政権の改正案とはなっても、これではとてもとても国論を纏められそうにない。
 現行憲法は、成立の経緯は別として、戦争の惨禍を経験した熟年層はもとより、戦後教育を受けた若年層から中堅層まで広く定着して来ているが、ここでは特に、現行憲法から乖離が著しい下記の3点について論点を提供したい。自民党憲法草案は、民主党政権時代の野党であった頃に、全自民党議員の参加の下で3年半を掛けて纏めたと言われており、国家のあり方や、基本的な国民の権利義務、統治機構などについて同党の本質、本音を文字化したものと言えるので、国民が慎重に判断し、選択することが必要のようだ。
 1、天皇の元首としての明文化は世襲元首の恒久化
 天皇を元首と明記しているが、これにより天皇家が世襲により国家元首となり、固定化され、天皇制を信奉する自民党を中心とする保守政党の長期独裁を可能にする。自民党とすれば、国家元首である天皇を擁護、支持する本流であるとして政権を維持し易くなる一方、これに反対する勢力や考え方に対しては憲法に違反するとして厳しい措置も可能になる。政権維持に天皇を利用する結果となり、「国民統合の象徴」が保守政権の守護神となり、天皇制の意味合いが帝国憲法時代に近くなり変容する。
 自民党が2012年12月の総選挙で、”日本を取り戻す”をスローガンとしていたが、そういう意図があったのだろう。また4月28日の“主権が回復の日”も、占領下時代に交付された現行憲法を見直すことを正当化するものでもあったのだろう。
 自民党改正草案では、天皇の地位は“主権が存する国民の総意に基づく”と規定しているが、“総意”ということは国民全体の総意(コンセンサス)を意味するので、国民のほとんどが、少なくても9割以上が支持する状態であることが望ましく、象徴天皇は政治的には中立であることが期待される。それを過半数で明文化するのはいささか乱暴であると共に、憲法改正を口実に保守政権を固定化する意図があるとみられよう。
 国歌を君が代とし、国家、国旗を尊重する義務なども規定されているが(3条)、一種の偶像崇拝的な規定であり、保守政権の固定化を狙ったものであろう。  
 なお、“君が代”の“君”は、“国民であるあなた達”であるなどと旧自民党政権は答えていたが、本来的には“我が君”、“君主様”を意味するものであり、国歌自体も時代錯誤的なものになっている。しかし天皇を元首と明記することにより、本来の“我が君”として使えることになる。
 他方、国家元首が世襲となることは、皇室が特別な階級、階層となり、平等性を損なう他、主権在民、国民主権に反するので、国民が元首として選ぶ大統領制や首相公選制を望む声が強くなろう。
 現在天皇は、憲法で、「国民統合の象徴」として「内閣の助言と承認」に基づき一定の儀礼的行為や儀式をするとして、10項目が定められている。そして外国使節である大使、公使を接受することとなっていることから、外国元首等の日本訪問に際しては、天皇の接見や皇居での晩餐会などが行われることが寒冷となっており、元首級の扱いとなっている。しかし天皇には定年制はないことから、高年齢となると健康上の問題もあり、公務が負担になっており、それが国・公賓招待や外国訪問その他の行事の妨げになっている面がある。その一例が、2009年12月に中国の習近平主席が副首相時代に訪日した際、次期主席と予想されていたことから中国側が天皇拝謁を希望し、実現したものの、当時の宮内庁長官が陛下の健康を気遣い、天皇拝謁等については1ヶ月以上の事前の要請がなければならないとして、記者団の前で苦言を呈したが、それは習近平氏の耳にも届いていたと見られ、折角接見していながら後味の悪い結果となった。習近平氏は、本年に国家主席となっているが、宮内庁側の健康を気遣う気持ちは十分分かるが、外交上は配慮に欠けたと言えるであろう。
 日本は今後世界にもっと積極的に首脳外交を展開することが期待されるが、国民が選ぶ大統領制や首相公選制にして、天皇は諸外国の王室との交流や文化分野等での活動に専心戴き、負担を軽減することを検討しても良いのかもしれない。それは国民が選ぶべきであろうが、過半数で天皇を元首と明文化し、国民の判断を縛るのは乱暴過ぎるし、そのような形で天皇を政治利用することはお気の毒であろう。
 2、9条改正で自衛権明確化と共に、軍の治安出動、国民の生命・自由の制限可能に  (その2に掲載
 3、国民の自由、権利を制限する“公益”、“公の秩序”とは何か?         (その3に掲載)
4、憲法改正判断前に不可欠な1票の格差の解消           (その4に掲載)
(2013.5.12.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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シリーズ平成の本音―自民党憲法改正草案、これでは国はまとまらない! (その1)

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シリーズ平成の本音―自民党憲法改正草案、これでは国はまとまらない! (その1)
 自民党は、憲法改正草案を公表し、7月に予定されている参議院議員選挙において憲法改正を公約として訴えるとしている。
 自・公政権は、61年前の4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し(1952年)、主権が回復されたことを記念して、天皇皇后両陛下ご出席の下で記念式典を開催した。議事次第には載せていなかったが、閉会に際し“天皇陛下、万歳”を唱えた。これは、1947年5月3日に施行された憲法は、主権が奪われていた占領下で成立したもので、自分たちの意志ではなかったと言っているに他ならない。今回公表された同党憲法改正草案は、時計を戦前の帝国憲法に戻すような復古調が強く、保守政権の改正案とはなっても、これではとてもとても国論を纏められそうにない。
 現行憲法は、成立の経緯は別として、戦争の惨禍を経験した熟年層はもとより、戦後教育を受けた若年層から中堅層まで広く定着して来ているが、ここでは特に、現行憲法から乖離が著しい下記の3点について論点を提供したい。自民党憲法草案は、民主党政権時代の野党であった頃に、全自民党議員の参加の下で3年半を掛けて纏めたと言われており、国家のあり方や、基本的な国民の権利義務、統治機構などについて同党の本質、本音を文字化したものと言えるので、国民が慎重に判断し、選択することが必要のようだ。
 1、天皇の元首としての明文化は世襲元首の恒久化
 天皇を元首と明記しているが、これにより天皇家が世襲により国家元首となり、固定化され、天皇制を信奉する自民党を中心とする保守政党の長期独裁を可能にする。自民党とすれば、国家元首である天皇を擁護、支持する本流であるとして政権を維持し易くなる一方、これに反対する勢力や考え方に対しては憲法に違反するとして厳しい措置も可能になる。政権維持に天皇を利用する結果となり、「国民統合の象徴」が保守政権の守護神となり、天皇制の意味合いが帝国憲法時代に近くなり変容する。
 自民党が2012年12月の総選挙で、”日本を取り戻す”をスローガンとしていたが、そういう意図があったのだろう。また4月28日の“主権が回復の日”も、占領下時代に交付された現行憲法を見直すことを正当化するものでもあったのだろう。
 自民党改正草案では、天皇の地位は“主権が存する国民の総意に基づく”と規定しているが、“総意”ということは国民全体の総意(コンセンサス)を意味するので、国民のほとんどが、少なくても9割以上が支持する状態であることが望ましく、象徴天皇は政治的には中立であることが期待される。それを過半数で明文化するのはいささか乱暴であると共に、憲法改正を口実に保守政権を固定化する意図があるとみられよう。
 国歌を君が代とし、国家、国旗を尊重する義務なども規定されているが(3条)、一種の偶像崇拝的な規定であり、保守政権の固定化を狙ったものであろう。  
 なお、“君が代”の“君”は、“国民であるあなた達”であるなどと旧自民党政権は答えていたが、本来的には“我が君”、“君主様”を意味するものであり、国歌自体も時代錯誤的なものになっている。しかし天皇を元首と明記することにより、本来の“我が君”として使えることになる。
 他方、国家元首が世襲となることは、皇室が特別な階級、階層となり、平等性を損なう他、主権在民、国民主権に反するので、国民が元首として選ぶ大統領制や首相公選制を望む声が強くなろう。
 現在天皇は、憲法で、「国民統合の象徴」として「内閣の助言と承認」に基づき一定の儀礼的行為や儀式をするとして、10項目が定められている。そして外国使節である大使、公使を接受することとなっていることから、外国元首等の日本訪問に際しては、天皇の接見や皇居での晩餐会などが行われることが寒冷となっており、元首級の扱いとなっている。しかし天皇には定年制はないことから、高年齢となると健康上の問題もあり、公務が負担になっており、それが国・公賓招待や外国訪問その他の行事の妨げになっている面がある。その一例が、2009年12月に中国の習近平主席が副首相時代に訪日した際、次期主席と予想されていたことから中国側が天皇拝謁を希望し、実現したものの、当時の宮内庁長官が陛下の健康を気遣い、天皇拝謁等については1ヶ月以上の事前の要請がなければならないとして、記者団の前で苦言を呈したが、それは習近平氏の耳にも届いていたと見られ、折角接見していながら後味の悪い結果となった。習近平氏は、本年に国家主席となっているが、宮内庁側の健康を気遣う気持ちは十分分かるが、外交上は配慮に欠けたと言えるであろう。
 日本は今後世界にもっと積極的に首脳外交を展開することが期待されるが、国民が選ぶ大統領制や首相公選制にして、天皇は諸外国の王室との交流や文化分野等での活動に専心戴き、負担を軽減することを検討しても良いのかもしれない。それは国民が選ぶべきであろうが、過半数で天皇を元首と明文化し、国民の判断を縛るのは乱暴過ぎるし、そのような形で天皇を政治利用することはお気の毒であろう。
 2、9条改正で自衛権明確化と共に、軍の治安出動、国民の生命・自由の制限可能に  (その2に掲載
 3、国民の自由、権利を制限する“公益”、“公の秩序”とは何か?         (その3に掲載)
4、憲法改正判断前に不可欠な1票の格差の解消           (その4に掲載)
(2013.5.12.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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シリーズ平成の本音―「主権回復の日」記念式典で失われたもの (その2)

2013-05-13 | Weblog
シリーズ平成の本音―「主権回復の日」記念式典で失われたもの (その2)
 4月28日、政府はサンフランシスコ講和条約が発効(1952年)し、主権が回復されたことを記念して、記念式典を憲政記念館で開催した。同記念式典には、天皇皇后両陛下も出席されたが、生活、共産、社民の3党とみどりの風や沖縄県知事が欠席した。
 日本は、1945年8月15日の終戦の後、米、英などの戦勝国である連合国の占領下に置かれ、主権を大きく制限されたが、サンフランシスコ講和条約の発効をもって主権が回復されたとされている。
1、現行の日本憲法は否定されるのか?      (その1で掲載)
2、影を落とした“国民統合の象徴”である天皇  (その1で掲載)
3、占領下の「東京裁判」も否定される!?
 連合国は、1946年に極東国際軍事裁判所(通称東京裁判)を設置し、大東亜戦争から太平洋戦争に至る軍人中枢の他、首相、大臣等を戦争犯罪人として裁判した。
 東京裁判は、昭和天皇の誕生日である同年4月29日に開始され、東郷英機首相(当時、軍人出身)はじめ25名の主要責任者が1948年11月に死刑(A級戦犯)或いは終身刑等として判決され、同年12月23日(現天皇誕生日、皇太子殿下当時)に処刑された。今回、講和条約の発行をもって日本の主権が回復したことを表明したことは、占領下で行われた東京裁判も押しつけであり、日本の意思ではないことを意味するのだろう。従って、大東亜戦争や太平洋戦争を主導した“A級戦犯”なども戦犯として処刑されるべきではなかったとの意見が出ることになろう。戦犯の復権であり、保守リビジョにストの台頭となる。
 4月に麻生副首相兼財務相、古屋国家公安委員長兼拉致問題担当相他2閣僚が、また高市自民党政調会長など与党を中心とする168議員が、東郷英機などA級戦犯を多くの旧帝国軍人などと共に合祀している靖国神社を参拝した。国のために命を落とした方々の慰霊をお参りするのは当然のことであり、個人の自由というのが理由である。確かに個人として参拝するのは自由である。しかし靖国神社は、日本を戦争に導いた責任者(A級戦犯)が合祀されている。その上、戦争終盤には燃料不足のため片道だけの燃料を積んで米国艦船に突っ込んで行った戦闘機(通称神風特攻隊)などの武器が展示されてある戦争博物館(遊就館)があり、一般の神社とは異なるので、公人としての立場がある者が参拝することは、旧帝国軍隊による戦争やその責任者を容認、擁護するとの意味合いを持つので、私人の参拝とは異なる。韓国や中国が靖国参拝に反発しているのもそのような意味合いがあるからだろう。もっとも中、韓両国にも、信条、信仰の自由は民主主義社会では国際的に広く確立している基本的な自由であることを理解するよう期待したい。
 東京裁判の裁判官や検察官は連合国側から派遣されたものであり、裁判は公平ではなかったとして、東京裁判の判決を尊重しないとすると、太平洋戦争の責任は誰にあったのか。
 東京裁判を否定するのであれば、日本人自身が太平洋戦争の責任をきちんと総括し、判断を下すべきであろう。連合国が被った被害は東京裁判で裁かれたが、日本側にも大きな被害があった。日本人は、太平洋戦争において、この地域の戦地で兵士など約240万人死亡していると言われている。更に本土でも、沖縄では民間人を含め18万人前後、東京の空爆により10万人内外、そして広島、長崎の原爆による15万~20万人など、民間人を中心として約70万人が死亡したと言われ、東京や広島、長崎などを焦土とした。対外的な被害は被害として真摯に受け止めるべきであろうが、自国民にこれだけの被害を強いる結果となったので、このような惨劇を繰り返さないためにも責任を精査する必要があろう。
 また連合国側も、沖縄や東京等の多数の民間人や民間施設等に甚大な犠牲や被害を与えており、民間人(シビリアン)など非戦闘員を保護するという陸戦法規(1899年ハーグ陸戦条約など)の趣旨に反するところであり、また広島、長崎両市への原爆という大量破壊兵器での大量殺戮(ジェノサイド)は戦争法規の趣旨や人道上の観点から、本来的には適否を問われても良いのであろう。それは今後の世界において、軍事戦略や戦術の論理だけでなく、軍事活動のシビリアン・コントロールやシビリアンの保護、人道の観点からも考え、戦争法規のあり方や核兵器や化学兵器など民間人や民間施設をターゲットとする無差別攻撃の抑止などを考える上でも必要なのかもしれない。(2013.4.28.)
(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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シリーズ平成の本音―「主権回復の日」記念式典で失われたもの (その2)

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シリーズ平成の本音―「主権回復の日」記念式典で失われたもの (その2)
 4月28日、政府はサンフランシスコ講和条約が発効(1952年)し、主権が回復されたことを記念して、記念式典を憲政記念館で開催した。同記念式典には、天皇皇后両陛下も出席されたが、生活、共産、社民の3党とみどりの風や沖縄県知事が欠席した。
 日本は、1945年8月15日の終戦の後、米、英などの戦勝国である連合国の占領下に置かれ、主権を大きく制限されたが、サンフランシスコ講和条約の発効をもって主権が回復されたとされている。
1、現行の日本憲法は否定されるのか?      (その1で掲載)
2、影を落とした“国民統合の象徴”である天皇  (その1で掲載)
3、占領下の「東京裁判」も否定される!?
 連合国は、1946年に極東国際軍事裁判所(通称東京裁判)を設置し、大東亜戦争から太平洋戦争に至る軍人中枢の他、首相、大臣等を戦争犯罪人として裁判した。
 東京裁判は、昭和天皇の誕生日である同年4月29日に開始され、東郷英機首相(当時、軍人出身)はじめ25名の主要責任者が1948年11月に死刑(A級戦犯)或いは終身刑等として判決され、同年12月23日(現天皇誕生日、皇太子殿下当時)に処刑された。今回、講和条約の発行をもって日本の主権が回復したことを表明したことは、占領下で行われた東京裁判も押しつけであり、日本の意思ではないことを意味するのだろう。従って、大東亜戦争や太平洋戦争を主導した“A級戦犯”なども戦犯として処刑されるべきではなかったとの意見が出ることになろう。戦犯の復権であり、保守リビジョにストの台頭となる。
 4月に麻生副首相兼財務相、古屋国家公安委員長兼拉致問題担当相他2閣僚が、また高市自民党政調会長など与党を中心とする168議員が、東郷英機などA級戦犯を多くの旧帝国軍人などと共に合祀している靖国神社を参拝した。国のために命を落とした方々の慰霊をお参りするのは当然のことであり、個人の自由というのが理由である。確かに個人として参拝するのは自由である。しかし靖国神社は、日本を戦争に導いた責任者(A級戦犯)が合祀されている。その上、戦争終盤には燃料不足のため片道だけの燃料を積んで米国艦船に突っ込んで行った戦闘機(通称神風特攻隊)などの武器が展示されてある戦争博物館(遊就館)があり、一般の神社とは異なるので、公人としての立場がある者が参拝することは、旧帝国軍隊による戦争やその責任者を容認、擁護するとの意味合いを持つので、私人の参拝とは異なる。韓国や中国が靖国参拝に反発しているのもそのような意味合いがあるからだろう。もっとも中、韓両国にも、信条、信仰の自由は民主主義社会では国際的に広く確立している基本的な自由であることを理解するよう期待したい。
 東京裁判の裁判官や検察官は連合国側から派遣されたものであり、裁判は公平ではなかったとして、東京裁判の判決を尊重しないとすると、太平洋戦争の責任は誰にあったのか。
 東京裁判を否定するのであれば、日本人自身が太平洋戦争の責任をきちんと総括し、判断を下すべきであろう。連合国が被った被害は東京裁判で裁かれたが、日本側にも大きな被害があった。日本人は、太平洋戦争において、この地域の戦地で兵士など約240万人死亡していると言われている。更に本土でも、沖縄では民間人を含め18万人前後、東京の空爆により10万人内外、そして広島、長崎の原爆による15万~20万人など、民間人を中心として約70万人が死亡したと言われ、東京や広島、長崎などを焦土とした。対外的な被害は被害として真摯に受け止めるべきであろうが、自国民にこれだけの被害を強いる結果となったので、このような惨劇を繰り返さないためにも責任を精査する必要があろう。
 また連合国側も、沖縄や東京等の多数の民間人や民間施設等に甚大な犠牲や被害を与えており、民間人(シビリアン)など非戦闘員を保護するという陸戦法規(1899年ハーグ陸戦条約など)の趣旨に反するところであり、また広島、長崎両市への原爆という大量破壊兵器での大量殺戮(ジェノサイド)は戦争法規の趣旨や人道上の観点から、本来的には適否を問われても良いのであろう。それは今後の世界において、軍事戦略や戦術の論理だけでなく、軍事活動のシビリアン・コントロールやシビリアンの保護、人道の観点からも考え、戦争法規のあり方や核兵器や化学兵器など民間人や民間施設をターゲットとする無差別攻撃の抑止などを考える上でも必要なのかもしれない。(2013.4.28.)
(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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シリーズ平成の本音―「主権回復の日」記念式典で失われたもの (その2)

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シリーズ平成の本音―「主権回復の日」記念式典で失われたもの (その2)
 4月28日、政府はサンフランシスコ講和条約が発効(1952年)し、主権が回復されたことを記念して、記念式典を憲政記念館で開催した。同記念式典には、天皇皇后両陛下も出席されたが、生活、共産、社民の3党とみどりの風や沖縄県知事が欠席した。
 日本は、1945年8月15日の終戦の後、米、英などの戦勝国である連合国の占領下に置かれ、主権を大きく制限されたが、サンフランシスコ講和条約の発効をもって主権が回復されたとされている。
1、現行の日本憲法は否定されるのか?      (その1で掲載)
2、影を落とした“国民統合の象徴”である天皇  (その1で掲載)
3、占領下の「東京裁判」も否定される!?
 連合国は、1946年に極東国際軍事裁判所(通称東京裁判)を設置し、大東亜戦争から太平洋戦争に至る軍人中枢の他、首相、大臣等を戦争犯罪人として裁判した。
 東京裁判は、昭和天皇の誕生日である同年4月29日に開始され、東郷英機首相(当時、軍人出身)はじめ25名の主要責任者が1948年11月に死刑(A級戦犯)或いは終身刑等として判決され、同年12月23日(現天皇誕生日、皇太子殿下当時)に処刑された。今回、講和条約の発行をもって日本の主権が回復したことを表明したことは、占領下で行われた東京裁判も押しつけであり、日本の意思ではないことを意味するのだろう。従って、大東亜戦争や太平洋戦争を主導した“A級戦犯”なども戦犯として処刑されるべきではなかったとの意見が出ることになろう。戦犯の復権であり、保守リビジョにストの台頭となる。
 4月に麻生副首相兼財務相、古屋国家公安委員長兼拉致問題担当相他2閣僚が、また高市自民党政調会長など与党を中心とする168議員が、東郷英機などA級戦犯を多くの旧帝国軍人などと共に合祀している靖国神社を参拝した。国のために命を落とした方々の慰霊をお参りするのは当然のことであり、個人の自由というのが理由である。確かに個人として参拝するのは自由である。しかし靖国神社は、日本を戦争に導いた責任者(A級戦犯)が合祀されている。その上、戦争終盤には燃料不足のため片道だけの燃料を積んで米国艦船に突っ込んで行った戦闘機(通称神風特攻隊)などの武器が展示されてある戦争博物館(遊就館)があり、一般の神社とは異なるので、公人としての立場がある者が参拝することは、旧帝国軍隊による戦争やその責任者を容認、擁護するとの意味合いを持つので、私人の参拝とは異なる。韓国や中国が靖国参拝に反発しているのもそのような意味合いがあるからだろう。もっとも中、韓両国にも、信条、信仰の自由は民主主義社会では国際的に広く確立している基本的な自由であることを理解するよう期待したい。
 東京裁判の裁判官や検察官は連合国側から派遣されたものであり、裁判は公平ではなかったとして、東京裁判の判決を尊重しないとすると、太平洋戦争の責任は誰にあったのか。
 東京裁判を否定するのであれば、日本人自身が太平洋戦争の責任をきちんと総括し、判断を下すべきであろう。連合国が被った被害は東京裁判で裁かれたが、日本側にも大きな被害があった。日本人は、太平洋戦争において、この地域の戦地で兵士など約240万人死亡していると言われている。更に本土でも、沖縄では民間人を含め18万人前後、東京の空爆により10万人内外、そして広島、長崎の原爆による15万~20万人など、民間人を中心として約70万人が死亡したと言われ、東京や広島、長崎などを焦土とした。対外的な被害は被害として真摯に受け止めるべきであろうが、自国民にこれだけの被害を強いる結果となったので、このような惨劇を繰り返さないためにも責任を精査する必要があろう。
 また連合国側も、沖縄や東京等の多数の民間人や民間施設等に甚大な犠牲や被害を与えており、民間人(シビリアン)など非戦闘員を保護するという陸戦法規(1899年ハーグ陸戦条約など)の趣旨に反するところであり、また広島、長崎両市への原爆という大量破壊兵器での大量殺戮(ジェノサイド)は戦争法規の趣旨や人道上の観点から、本来的には適否を問われても良いのであろう。それは今後の世界において、軍事戦略や戦術の論理だけでなく、軍事活動のシビリアン・コントロールやシビリアンの保護、人道の観点からも考え、戦争法規のあり方や核兵器や化学兵器など民間人や民間施設をターゲットとする無差別攻撃の抑止などを考える上でも必要なのかもしれない。(2013.4.28.)
(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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シリーズ平成の本音―「主権回復の日」記念式典で失われたもの (その1)

2013-05-13 | Weblog
シリーズ平成の本音―「主権回復の日」記念式典で失われたもの (その1)
 4月28日、政府はサンフランシスコ講和条約が発効(1952年)し、主権が回復されたことを記念して、記念式典を憲政記念館で開催した。同記念式典には、天皇皇后両陛下も出席されたが、生活、共産、社民の3党とみどりの風や沖縄県知事が欠席した。
 日本は、1945年8月15日の終戦の後、米、英などの戦勝国である連合国の占領下に置かれ、主権を大きく制限されたが、サンフランシスコ講和条約の発効をもって主権が回復されたとされている。
1、現行の日本憲法は否定されるのか?
確かに日本は、講和条約の発効をもって主権を回復し、国際社会に復帰した。それでは、戦後講和条約の発効までの間は、主権が認められなかったということになるが、1947年5月3日に施行された憲法は、主権が奪われた占領下で成立したもので、自分たちの意志ではなかったと言っているに他ならない。
 自・公連立政権が、講和条約発効後61年も経ってこの式典を挙行したことは、現行憲法は日本の意志で作成されたものではない、従って抜本改正するということを内外に宣明したことになる。
 しかし現行の民主憲法は、帝国議会で審議、採択され、46年11月3日に公布され、施行後66年を経て多くの国民に浸透している。特に戦後世代は成立の経緯は別として、この憲法を学び、広く受け入れられているのも事実である。
 政府は、憲法などを連合国の占領下で押し付けられた借り物として否定し、日本を何処に導こうとしているのだろうか。現在も健在な元首相が、首相時代に日本は“天皇を中心とする神の国”と表現して不適切とされたが、天皇制を強化し、国軍を保持するなど、戦前のような制度に戻ろうとしているのだろうか。2012年12月の衆議院議員選挙で、“日本を取り戻す”と繰り返していたが、そのような公約は耳にしていない。
 2、影を落とした“国民統合の象徴”である天皇
 式典には天皇、皇后両陛下が出席された。内閣からの要請であるので出席されたのであろう。しかし、講和条約の下では奄美や小笠原と共に米国の施政権下に留まった沖縄県は、この日を“屈辱の日”とし、知事の出席は行わなかった。生活、共産、社民の3党とみどりの風も出席しなかった。沖縄や奄美では抗議集会が開催された。
 参加しなかったのはいずれも数の上では少数派であり、仕方がないと言えないこともないが、“国民統合の象徴”である天皇陛下が出席されたことは、これら少数派の意見を共有しないということであるので、“国民統合の象徴”としての役割に影を落とす形となった。
 式典の進行についても、両陛下を中央に戴き、両陛下に奏上するかのような形で行われた。天皇の機能を強化し、その下で政権の地位を固め、これに天皇が君臨するという戦前の政体を思い起こさせる。“国民統合の象徴”ではなく、特定の保守政党に支えられ、国民に君臨する天皇という印象を与えている。
 それを国民が望むのであろうか。主権を回復し、占領時代以前の天皇制に戻るような憲法を作るのか。天皇制のあり方を考え直してみる機会なのかもしれない。(2013.4.28.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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シリーズ平成の本音―「主権回復の日」記念式典で失われたもの (その1)

2013-05-13 | Weblog
シリーズ平成の本音―「主権回復の日」記念式典で失われたもの (その1)
 4月28日、政府はサンフランシスコ講和条約が発効(1952年)し、主権が回復されたことを記念して、記念式典を憲政記念館で開催した。同記念式典には、天皇皇后両陛下も出席されたが、生活、共産、社民の3党とみどりの風や沖縄県知事が欠席した。
 日本は、1945年8月15日の終戦の後、米、英などの戦勝国である連合国の占領下に置かれ、主権を大きく制限されたが、サンフランシスコ講和条約の発効をもって主権が回復されたとされている。
1、現行の日本憲法は否定されるのか?
確かに日本は、講和条約の発効をもって主権を回復し、国際社会に復帰した。それでは、戦後講和条約の発効までの間は、主権が認められなかったということになるが、1947年5月3日に施行された憲法は、主権が奪われた占領下で成立したもので、自分たちの意志ではなかったと言っているに他ならない。
 自・公連立政権が、講和条約発効後61年も経ってこの式典を挙行したことは、現行憲法は日本の意志で作成されたものではない、従って抜本改正するということを内外に宣明したことになる。
 しかし現行の民主憲法は、帝国議会で審議、採択され、46年11月3日に公布され、施行後66年を経て多くの国民に浸透している。特に戦後世代は成立の経緯は別として、この憲法を学び、広く受け入れられているのも事実である。
 政府は、憲法などを連合国の占領下で押し付けられた借り物として否定し、日本を何処に導こうとしているのだろうか。現在も健在な元首相が、首相時代に日本は“天皇を中心とする神の国”と表現して不適切とされたが、天皇制を強化し、国軍を保持するなど、戦前のような制度に戻ろうとしているのだろうか。2012年12月の衆議院議員選挙で、“日本を取り戻す”と繰り返していたが、そのような公約は耳にしていない。
 2、影を落とした“国民統合の象徴”である天皇
 式典には天皇、皇后両陛下が出席された。内閣からの要請であるので出席されたのであろう。しかし、講和条約の下では奄美や小笠原と共に米国の施政権下に留まった沖縄県は、この日を“屈辱の日”とし、知事の出席は行わなかった。生活、共産、社民の3党とみどりの風も出席しなかった。沖縄や奄美では抗議集会が開催された。
 参加しなかったのはいずれも数の上では少数派であり、仕方がないと言えないこともないが、“国民統合の象徴”である天皇陛下が出席されたことは、これら少数派の意見を共有しないということであるので、“国民統合の象徴”としての役割に影を落とす形となった。
 式典の進行についても、両陛下を中央に戴き、両陛下に奏上するかのような形で行われた。天皇の機能を強化し、その下で政権の地位を固め、これに天皇が君臨するという戦前の政体を思い起こさせる。“国民統合の象徴”ではなく、特定の保守政党に支えられ、国民に君臨する天皇という印象を与えている。
 それを国民が望むのであろうか。主権を回復し、占領時代以前の天皇制に戻るような憲法を作るのか。天皇制のあり方を考え直してみる機会なのかもしれない。(2013.4.28.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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シリーズ平成の本音―「主権回復の日」記念式典で失われたもの (その1)
 4月28日、政府はサンフランシスコ講和条約が発効(1952年)し、主権が回復されたことを記念して、記念式典を憲政記念館で開催した。同記念式典には、天皇皇后両陛下も出席されたが、生活、共産、社民の3党とみどりの風や沖縄県知事が欠席した。
 日本は、1945年8月15日の終戦の後、米、英などの戦勝国である連合国の占領下に置かれ、主権を大きく制限されたが、サンフランシスコ講和条約の発効をもって主権が回復されたとされている。
1、現行の日本憲法は否定されるのか?
確かに日本は、講和条約の発効をもって主権を回復し、国際社会に復帰した。それでは、戦後講和条約の発効までの間は、主権が認められなかったということになるが、1947年5月3日に施行された憲法は、主権が奪われた占領下で成立したもので、自分たちの意志ではなかったと言っているに他ならない。
 自・公連立政権が、講和条約発効後61年も経ってこの式典を挙行したことは、現行憲法は日本の意志で作成されたものではない、従って抜本改正するということを内外に宣明したことになる。
 しかし現行の民主憲法は、帝国議会で審議、採択され、46年11月3日に公布され、施行後66年を経て多くの国民に浸透している。特に戦後世代は成立の経緯は別として、この憲法を学び、広く受け入れられているのも事実である。
 政府は、憲法などを連合国の占領下で押し付けられた借り物として否定し、日本を何処に導こうとしているのだろうか。現在も健在な元首相が、首相時代に日本は“天皇を中心とする神の国”と表現して不適切とされたが、天皇制を強化し、国軍を保持するなど、戦前のような制度に戻ろうとしているのだろうか。2012年12月の衆議院議員選挙で、“日本を取り戻す”と繰り返していたが、そのような公約は耳にしていない。
 2、影を落とした“国民統合の象徴”である天皇
 式典には天皇、皇后両陛下が出席された。内閣からの要請であるので出席されたのであろう。しかし、講和条約の下では奄美や小笠原と共に米国の施政権下に留まった沖縄県は、この日を“屈辱の日”とし、知事の出席は行わなかった。生活、共産、社民の3党とみどりの風も出席しなかった。沖縄や奄美では抗議集会が開催された。
 参加しなかったのはいずれも数の上では少数派であり、仕方がないと言えないこともないが、“国民統合の象徴”である天皇陛下が出席されたことは、これら少数派の意見を共有しないということであるので、“国民統合の象徴”としての役割に影を落とす形となった。
 式典の進行についても、両陛下を中央に戴き、両陛下に奏上するかのような形で行われた。天皇の機能を強化し、その下で政権の地位を固め、これに天皇が君臨するという戦前の政体を思い起こさせる。“国民統合の象徴”ではなく、特定の保守政党に支えられ、国民に君臨する天皇という印象を与えている。
 それを国民が望むのであろうか。主権を回復し、占領時代以前の天皇制に戻るような憲法を作るのか。天皇制のあり方を考え直してみる機会なのかもしれない。(2013.4.28.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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シリーズ笑える映像―読売栄誉賞となった栄誉賞授賞式!

2013-05-13 | Weblog
シリーズ笑える映像―読売栄誉賞となった栄誉賞授賞式!
 5月5日、東京ドームで長島茂雄、松井秀喜両氏に対する国民栄誉賞授与式が開催された。両選手とも野球分野で輝かしい記録を残し、広く国民に敬愛されたスタープレヤーであり、心からお祝いをしたい。
しかし両選手とも往年の選手であり、何故今かという違和感が残るが、授賞式は「国民栄誉賞」とは名ばかりで、自民党支持を表明している保守を代表するマスコミの読売グループによる、読売と自民党政権のための政治ショウとも言える色彩が強く、両氏がそれに利用され、気の毒にも思える。
授与式は読売ジャイアンツのホーム球場、東京ドームで行われ、それ自体はアリかなと思われるが、それと一緒に行われた始球式は、まるで読売と現政権の政治ショウだ。笑える。
松井氏がピッチャー、打者が長島氏、キャッチャーが原監督で、いずれも読売ジャイアンツのユニホームを着用しており、それは良いのであろう。しかし、球審(アンパイアー)が安倍首相で、これも読売ジャイアンツのユニホームを着用していた。笑える。
中立であるべき球審(アンパイアー)が、読売ジャイアンツのユニホームを着用していたのではフェアーな審判は出来ないであろう。要するに、支持をしてくれている読売グループへのサービスでもあろうが、球場には相手チームのファンも多数おり、それを無視している。国民栄誉賞というのであれば、相手チームやその他チームへの配慮がなければならない。いわば政治的に身内である特定のグループに対しえこひいきをし(ネポテイズム)、情実を優先する政権姿勢を示すものであり、フェアーさがなく、国民全体を見る姿勢に欠けている。そうなるとお互いに対決姿勢となり、国は纏まらない。野球も良い相手があるからこそ面白いのであり、進化もするのだ。
これでは国民栄誉賞などではなく、読売栄誉賞だ。受賞した両氏も、政治的な色がつく結果となり、国民的な敬愛にも影を落とすことになりそうだ。(2013.5.6.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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