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シリーズ平成の本音―「主権回復の日」記念式典で失われたもの (その2)

2013-05-03 | Weblog
シリーズ平成の本音―「主権回復の日」記念式典で失われたもの (その2)
 4月28日、政府はサンフランシスコ講和条約が発効(1952年)し、主権が回復されたことを記念して、記念式典を憲政記念館で開催した。同記念式典には、天皇皇后両陛下も出席されたが、生活、共産、社民の3党とみどりの風や沖縄県知事が欠席した。
 日本は、1945年8月15日の終戦の後、米、英などの戦勝国である連合国の占領下に置かれ、主権を大きく制限されたが、サンフランシスコ講和条約の発効をもって主権が回復されたとされている。
1、現行の日本憲法は否定されるのか?      (その1で掲載)
2、影を落とした“国民統合の象徴”である天皇  (その1で掲載)
3、占領下の「東京裁判」も否定される!?
 連合国は、1946年に極東国際軍事裁判所(通称東京裁判)を設置し、大東亜戦争から太平洋戦争に至る軍人中枢の他、首相、大臣等を戦争犯罪人として裁判した。
 東京裁判は、昭和天皇の誕生日である同年4月29日に開始され、東郷英機首相(当時、軍人出身)はじめ25名の主要責任者が1948年11月に死刑(A級戦犯)或いは終身刑等として判決され、同年12月23日(現天皇誕生日、皇太子殿下当時)に処刑された。今回、講和条約の発行をもって日本の主権が回復したことを表明したことは、占領下で行われた東京裁判も押しつけであり、日本の意思ではないことを意味するのだろう。従って、大東亜戦争や太平洋戦争を主導した“A級戦犯”なども戦犯として処刑されるべきではなかったとの意見が出ることになろう。戦犯の復権であり、保守リビジョにストの台頭となる。
 4月に麻生副首相兼財務相、古屋国家公安委員長兼拉致問題担当相他2閣僚が、また高市自民党政調会長など与党を中心とする168議員が、東郷英機などA級戦犯を多くの旧帝国軍人などと共に合祀している靖国神社を参拝した。国のために命を落とした方々の慰霊をお参りするのは当然のことであり、個人の自由というのが理由である。確かに個人として参拝するのは自由である。しかし靖国神社は、日本を戦争に導いた責任者(A級戦犯)が合祀されている。その上、戦争終盤には燃料不足のため片道だけの燃料を積んで米国艦船に突っ込んで行った戦闘機(通称神風特攻隊)などの武器が展示されてある戦争博物館(遊就館)があり、一般の神社とは異なるので、公人としての立場がある者が参拝することは、旧帝国軍隊による戦争やその責任者を容認、擁護するとの意味合いを持つので、私人の参拝とは異なる。韓国や中国が靖国参拝に反発しているのもそのような意味合いがあるからだろう。もっとも中、韓両国にも、信条、信仰の自由は民主主義社会では国際的に広く確立している基本的な自由であることを理解するよう期待したい。
 東京裁判の裁判官や検察官は連合国側から派遣されたものであり、裁判は公平ではなかったとして、東京裁判の判決を尊重しないとすると、太平洋戦争の責任は誰にあったのか。
 東京裁判を否定するのであれば、日本人自身が太平洋戦争の責任をきちんと総括し、判断を下すべきであろう。連合国が被った被害は東京裁判で裁かれたが、日本側にも大きな被害があった。日本人は、太平洋戦争において、この地域の戦地で兵士など約240万人死亡していると言われている。更に本土でも、沖縄では民間人を含め18万人前後、東京の空爆により10万人内外、そして広島、長崎の原爆による15万~20万人など、民間人を中心として約70万人が死亡したと言われ、東京や広島、長崎などを焦土とした。対外的な被害は被害として真摯に受け止めるべきであろうが、自国民にこれだけの被害を強いる結果となったので、このような惨劇を繰り返さないためにも責任を精査する必要があろう。
 また連合国側も、沖縄や東京等の多数の民間人や民間施設等に甚大な犠牲や被害を与えており、民間人(シビリアン)など非戦闘員を保護するという陸戦法規(1899年ハーグ陸戦条約など)の趣旨に反するところであり、また広島、長崎両市への原爆という大量破壊兵器での大量殺戮(ジェノサイド)は戦争法規の趣旨や人道上の観点から、本来的には適否を問われても良いのであろう。それは今後の世界において、軍事戦略や戦術の論理だけでなく、軍事活動のシビリアン・コントロールやシビリアンの保護、人道の観点からも考え、戦争法規のあり方や核兵器や化学兵器など民間人や民間施設をターゲットとする無差別攻撃の抑止などを考える上でも必要なのかもしれない。(2013.4.28.)
(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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シリーズ平成の本音―「主権回復の日」記念式典で失われたもの (その2)

2013-05-03 | Weblog
シリーズ平成の本音―「主権回復の日」記念式典で失われたもの (その2)
 4月28日、政府はサンフランシスコ講和条約が発効(1952年)し、主権が回復されたことを記念して、記念式典を憲政記念館で開催した。同記念式典には、天皇皇后両陛下も出席されたが、生活、共産、社民の3党とみどりの風や沖縄県知事が欠席した。
 日本は、1945年8月15日の終戦の後、米、英などの戦勝国である連合国の占領下に置かれ、主権を大きく制限されたが、サンフランシスコ講和条約の発効をもって主権が回復されたとされている。
1、現行の日本憲法は否定されるのか?      (その1で掲載)
2、影を落とした“国民統合の象徴”である天皇  (その1で掲載)
3、占領下の「東京裁判」も否定される!?
 連合国は、1946年に極東国際軍事裁判所(通称東京裁判)を設置し、大東亜戦争から太平洋戦争に至る軍人中枢の他、首相、大臣等を戦争犯罪人として裁判した。
 東京裁判は、昭和天皇の誕生日である同年4月29日に開始され、東郷英機首相(当時、軍人出身)はじめ25名の主要責任者が1948年11月に死刑(A級戦犯)或いは終身刑等として判決され、同年12月23日(現天皇誕生日、皇太子殿下当時)に処刑された。今回、講和条約の発行をもって日本の主権が回復したことを表明したことは、占領下で行われた東京裁判も押しつけであり、日本の意思ではないことを意味するのだろう。従って、大東亜戦争や太平洋戦争を主導した“A級戦犯”なども戦犯として処刑されるべきではなかったとの意見が出ることになろう。戦犯の復権であり、保守リビジョにストの台頭となる。
 4月に麻生副首相兼財務相、古屋国家公安委員長兼拉致問題担当相他2閣僚が、また高市自民党政調会長など与党を中心とする168議員が、東郷英機などA級戦犯を多くの旧帝国軍人などと共に合祀している靖国神社を参拝した。国のために命を落とした方々の慰霊をお参りするのは当然のことであり、個人の自由というのが理由である。確かに個人として参拝するのは自由である。しかし靖国神社は、日本を戦争に導いた責任者(A級戦犯)が合祀されている。その上、戦争終盤には燃料不足のため片道だけの燃料を積んで米国艦船に突っ込んで行った戦闘機(通称神風特攻隊)などの武器が展示されてある戦争博物館(遊就館)があり、一般の神社とは異なるので、公人としての立場がある者が参拝することは、旧帝国軍隊による戦争やその責任者を容認、擁護するとの意味合いを持つので、私人の参拝とは異なる。韓国や中国が靖国参拝に反発しているのもそのような意味合いがあるからだろう。もっとも中、韓両国にも、信条、信仰の自由は民主主義社会では国際的に広く確立している基本的な自由であることを理解するよう期待したい。
 東京裁判の裁判官や検察官は連合国側から派遣されたものであり、裁判は公平ではなかったとして、東京裁判の判決を尊重しないとすると、太平洋戦争の責任は誰にあったのか。
 東京裁判を否定するのであれば、日本人自身が太平洋戦争の責任をきちんと総括し、判断を下すべきであろう。連合国が被った被害は東京裁判で裁かれたが、日本側にも大きな被害があった。日本人は、太平洋戦争において、この地域の戦地で兵士など約240万人死亡していると言われている。更に本土でも、沖縄では民間人を含め18万人前後、東京の空爆により10万人内外、そして広島、長崎の原爆による15万~20万人など、民間人を中心として約70万人が死亡したと言われ、東京や広島、長崎などを焦土とした。対外的な被害は被害として真摯に受け止めるべきであろうが、自国民にこれだけの被害を強いる結果となったので、このような惨劇を繰り返さないためにも責任を精査する必要があろう。
 また連合国側も、沖縄や東京等の多数の民間人や民間施設等に甚大な犠牲や被害を与えており、民間人(シビリアン)など非戦闘員を保護するという陸戦法規(1899年ハーグ陸戦条約など)の趣旨に反するところであり、また広島、長崎両市への原爆という大量破壊兵器での大量殺戮(ジェノサイド)は戦争法規の趣旨や人道上の観点から、本来的には適否を問われても良いのであろう。それは今後の世界において、軍事戦略や戦術の論理だけでなく、軍事活動のシビリアン・コントロールやシビリアンの保護、人道の観点からも考え、戦争法規のあり方や核兵器や化学兵器など民間人や民間施設をターゲットとする無差別攻撃の抑止などを考える上でも必要なのかもしれない。(2013.4.28.)
(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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シリーズ平成の本音―「主権回復の日」記念式典で失われたもの (その1)

2013-05-03 | Weblog
シリーズ平成の本音―「主権回復の日」記念式典で失われたもの (その1)
 4月28日、政府はサンフランシスコ講和条約が発効(1952年)し、主権が回復されたことを記念して、記念式典を憲政記念館で開催した。同記念式典には、天皇皇后両陛下も出席されたが、生活、共産、社民の3党とみどりの風や沖縄県知事が欠席した。
 日本は、1945年8月15日の終戦の後、米、英などの戦勝国である連合国の占領下に置かれ、主権を大きく制限されたが、サンフランシスコ講和条約の発効をもって主権が回復されたとされている。
1、現行の日本憲法は否定されるのか?
確かに日本は、講和条約の発効をもって主権を回復し、国際社会に復帰した。それでは、戦後講和条約の発効までの間は、主権が認められなかったということになるが、1947年5月3日に施行された憲法は、主権が奪われた占領下で成立したもので、自分たちの意志ではなかったと言っているに他ならない。
 自・公連立政権が、講和条約発効後61年も経ってこの式典を挙行したことは、現行憲法は日本の意志で作成されたものではない、従って抜本改正するということを内外に宣明したことになる。
 しかし現行の民主憲法は、帝国議会で審議、採択され、46年11月3日に公布され、施行後66年を経て多くの国民に浸透している。特に戦後世代は成立の経緯は別として、この憲法を学び、広く受け入れられているのも事実である。
 政府は、憲法などを連合国の占領下で押し付けられた借り物として否定し、日本を何処に導こうとしているのだろうか。現在も健在な元首相が、首相時代に日本は“天皇を中心とする神の国”と表現して不適切とされたが、天皇制を強化し、国軍を保持するなど、戦前のような制度に戻ろうとしているのだろうか。2012年12月の衆議院議員選挙で、“日本を取り戻す”と繰り返していたが、そのような公約は耳にしていない。
 2、影を落とした“国民統合の象徴”である天皇
 式典には天皇、皇后両陛下が出席された。内閣からの要請であるので出席されたのであろう。しかし、講和条約の下では奄美や小笠原と共に米国の施政権下に留まった沖縄県は、この日を“屈辱の日”とし、知事の出席は行わなかった。生活、共産、社民の3党とみどりの風も出席しなかった。沖縄や奄美では抗議集会が開催された。
 参加しなかったのはいずれも数の上では少数派であり、仕方がないと言えないこともないが、“国民統合の象徴”である天皇陛下が出席されたことは、これら少数派の意見を共有しないということであるので、“国民統合の象徴”としての役割に影を落とす形となった。
 式典の進行についても、両陛下を中央に戴き、両陛下に奏上するかのような形で行われた。天皇の機能を強化し、その下で政権の地位を固め、これに天皇が君臨するという戦前の政体を思い起こさせる。“国民統合の象徴”ではなく、特定の保守政党に支えられ、国民に君臨する天皇という印象を与えている。
 それを国民が望むのであろうか。主権を回復し、占領時代以前の天皇制に戻るような憲法を作るのか。天皇制のあり方を考え直してみる機会なのかもしれない。(2013.4.28.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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シリーズ平成の本音―「主権回復の日」記念式典で失われたもの (その1)

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シリーズ平成の本音―「主権回復の日」記念式典で失われたもの (その1)
 4月28日、政府はサンフランシスコ講和条約が発効(1952年)し、主権が回復されたことを記念して、記念式典を憲政記念館で開催した。同記念式典には、天皇皇后両陛下も出席されたが、生活、共産、社民の3党とみどりの風や沖縄県知事が欠席した。
 日本は、1945年8月15日の終戦の後、米、英などの戦勝国である連合国の占領下に置かれ、主権を大きく制限されたが、サンフランシスコ講和条約の発効をもって主権が回復されたとされている。
1、現行の日本憲法は否定されるのか?
確かに日本は、講和条約の発効をもって主権を回復し、国際社会に復帰した。それでは、戦後講和条約の発効までの間は、主権が認められなかったということになるが、1947年5月3日に施行された憲法は、主権が奪われた占領下で成立したもので、自分たちの意志ではなかったと言っているに他ならない。
 自・公連立政権が、講和条約発効後61年も経ってこの式典を挙行したことは、現行憲法は日本の意志で作成されたものではない、従って抜本改正するということを内外に宣明したことになる。
 しかし現行の民主憲法は、帝国議会で審議、採択され、46年11月3日に公布され、施行後66年を経て多くの国民に浸透している。特に戦後世代は成立の経緯は別として、この憲法を学び、広く受け入れられているのも事実である。
 政府は、憲法などを連合国の占領下で押し付けられた借り物として否定し、日本を何処に導こうとしているのだろうか。現在も健在な元首相が、首相時代に日本は“天皇を中心とする神の国”と表現して不適切とされたが、天皇制を強化し、国軍を保持するなど、戦前のような制度に戻ろうとしているのだろうか。2012年12月の衆議院議員選挙で、“日本を取り戻す”と繰り返していたが、そのような公約は耳にしていない。
 2、影を落とした“国民統合の象徴”である天皇
 式典には天皇、皇后両陛下が出席された。内閣からの要請であるので出席されたのであろう。しかし、講和条約の下では奄美や小笠原と共に米国の施政権下に留まった沖縄県は、この日を“屈辱の日”とし、知事の出席は行わなかった。生活、共産、社民の3党とみどりの風も出席しなかった。沖縄や奄美では抗議集会が開催された。
 参加しなかったのはいずれも数の上では少数派であり、仕方がないと言えないこともないが、“国民統合の象徴”である天皇陛下が出席されたことは、これら少数派の意見を共有しないということであるので、“国民統合の象徴”としての役割に影を落とす形となった。
 式典の進行についても、両陛下を中央に戴き、両陛下に奏上するかのような形で行われた。天皇の機能を強化し、その下で政権の地位を固め、これに天皇が君臨するという戦前の政体を思い起こさせる。“国民統合の象徴”ではなく、特定の保守政党に支えられ、国民に君臨する天皇という印象を与えている。
 それを国民が望むのであろうか。主権を回復し、占領時代以前の天皇制に戻るような憲法を作るのか。天皇制のあり方を考え直してみる機会なのかもしれない。(2013.4.28.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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シリーズ平成の本音―違憲の区割り法案をゴリ押し、自・公両党に将来はない!?

2013-05-03 | Weblog
シリーズ平成の本音―違憲の区割り法案をゴリ押し、自・公両党に将来はない!?
 与党自民、公明両党は、4月12日、衆議院選挙の定数「0増5減」に基づく区割り法案を決定し、国会審議に移った。
 しかし、「0増5減」により有権者の「一票の格差」の是正を行っても、格差は最大で1.998倍にもなり、かろうじて2倍以内におさめているに過ぎない。票の重さが1対1.998で有権者が平等、対等と言えるのだろうか。
2009年8月の総選挙では「1票の格差」が2.3倍であったが、最高裁は2012年3月にこれを「違憲状態」とし、立法府に是正を促していた。高裁レベルではそれまでに違憲判決がいくつか出されており、最高裁では衆議院について1972年の選挙から、また参議院については1992年の選挙から、違憲又は違憲状態との判決が出されており、その都度選挙区の区割りの微調整が繰り返されていた。20年以上に亘り国会において抜本解決が先送りされて来たと言えよう。
 このような最高裁の判決、及び国会に対する是正勧告を受けて、2012年12月に行われた衆議院選挙において、「1票の格差」が最大で2.43倍のまま実施されたので違憲であるとの弁護士グループの訴訟に対し、区割り規定を違憲としたのを始めとして、全国で16件の裁判において、3月27日までに14件は格差が是正されないままで行われた選挙は違憲とされ、他2件も違憲状態とされた。特に広島高裁では選挙自体を無効とし、11月26日をもって効力が発生するとし、立法府に是正の猶予を与えたが、岡山支部は猶予を与えることなく無効とした。
 憲法は、すべての国民は「法の下に平等」であって、政治的、経済的、社会的において差別されないと規定している(14条)。民主主義のいわば原点の規定である。
 法の下の平等に基づけば、有権者の「1票の重さ」は基本的に1対1の関係でなくてはならない。技術上の問題もあるので、厳密に1対1にすることは困難としても、1対2以上はもとよりのこと、1対1.5や1対1.998では「法の下に平等」とは決して言えない。
「1票の重さ」を出来る限り1対1に近付ける努力が不可欠である。もし政治が自主的に努力を行わず、多くの有権者の平等性を犠牲にするのであれば、裁判所が毅然として「1票の重さ」の基準を示すべきであろう。立法府には十分過ぎる程の時間が与えられて来た。司法も国民に対しきちんとした解釈を示すべき時期に来ている。
 与党自民、公明両党は、現行の「小選挙区比例代表並立制」を維持することを前提として、「比例代表定数(180議席)を30削減し、残る150議席のうち60議席を比例の得票率2位以下の中小政党に振り分ける」ことで合意しているが、これと切り離して小選挙区の「0増5減」を先行させるとして小選挙区制の区割り法案を衆議院に提出した。
 他方民主党は、定数を小選挙区で30議席、比例代表で50議席削減(合計80議席削減)すべしとしており、政府与党の「0増5減」の先行では不十分としている。
 衆議院で十分審議を尽くし、有権者の1票の平等性につき明確な考えを示すべきであろう。政府与党の「0増5減」の区割り法案が採択されたとしても、1票の価値は最大で1.998倍の格差が残り、従来違憲基準として示されて来た2倍に限りなく近く、十分な是正ではないと判断され、違憲とされる可能性が強い。
 与党側は、昨年11月に民主党は「0増5減」合意した、今になって区割り法案に反対するのは理解できないとしている。しかし「0増5減」が実現する前に実施された昨年12月の選挙について、高裁レベルで31もの選挙区で違憲或いは違憲状態と判断され、立法府には既に是正のための十分な時間が与えられており、「0増5減」でも違憲との判断も示されている。与党側は「0増5減」で一番影響を受けるのは与党だとしているが、それはそうだろう。違憲の選挙で当選しているのは与党議員が一番多いからに他ならない。少なくても31議席が違憲選挙で選ばれており、本来であれば国会に居るべき人ではないのであろう。
 そもそも自・公両党も、比例代表で30議席削減することを表明しており、民主党も小選挙区で30議席、比例代表で50議席削減(合計80議席削減)すべしと言ってわけであるので、何故ほとんど意味のない「0増5減」を先行させるのだろうか。2度手間という以上に、与党が実質的な定数削減に熱心でないことは明らかであり、また先送る意向なのだろ。
 自・公両党は、有権者の1票の重さが1対1.998でも平等、対等、即ち1対1であると言い張るのであろうか。黒を白と行っているに等しい。無論、それで政権が維持出来るとの党利党略からすると巧みであるが、多くの有権者を犠牲にする。それでも良いと言うのだろうか。
 憲法は、国のあり方や政体を決める基礎となる法律であるので、その解釈は明確である必要がる。もし自・公両党が、1対1.998で有権者は平等、対等(1対1)であると言い張るのであれば、不正、不条理な憲法解釈をし、多くの有権者の票を犠牲にして政権にしがみついているだけであり、もはや政権についている資格はないと言えないだろうか。また正しい憲法解釈も出来ないのに、憲法を改正する資格は全くないし、教育改革などを託すことには疑問が残る。これからを担う若い世代に訳の分からない不正、不条理な憲法解釈を示すべきではない。従来の1票の格差が、平等性を歪め、政治を歪め、数字認識を歪めて来ている。
 また審議振りについても、好き嫌いは別として、等しく国民の代表である主要な与野党で解決策を見出すべきであろう。与野党ともに、誰のための是正かを認識すべきだ。どの政党のためでもない。有権者の票の格差を是正し、民主主義の原点である国民間の平等性を確保するためである。政党であるから仕方がない面はあるが、どうも与党も野党も、それぞれの党利党略に走り、有権者の平等性のための是正であるという最も重要な点を忘れているのではなかろうか。
 参議院についても、7月に半数改選が行われる。参院については「44減」で区割り調整が行われているが、1票の格差は4.786倍にも達しており、このままでは違憲判決が行われる可能性が強い。そうなれば参議院は“非常識の府”とのレッテルを貼られかねず、致命的な不要論が強くなる恐れがある。
 どの政党であれ、有権者、国民を犠牲にすれば、その政党に将来はない。
(2013.4.17.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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シリーズ平成の本音―違憲の区割り法案をゴリ押し、自・公両党に将来はない!?

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シリーズ平成の本音―違憲の区割り法案をゴリ押し、自・公両党に将来はない!?
 与党自民、公明両党は、4月12日、衆議院選挙の定数「0増5減」に基づく区割り法案を決定し、国会審議に移った。
 しかし、「0増5減」により有権者の「一票の格差」の是正を行っても、格差は最大で1.998倍にもなり、かろうじて2倍以内におさめているに過ぎない。票の重さが1対1.998で有権者が平等、対等と言えるのだろうか。
2009年8月の総選挙では「1票の格差」が2.3倍であったが、最高裁は2012年3月にこれを「違憲状態」とし、立法府に是正を促していた。高裁レベルではそれまでに違憲判決がいくつか出されており、最高裁では衆議院について1972年の選挙から、また参議院については1992年の選挙から、違憲又は違憲状態との判決が出されており、その都度選挙区の区割りの微調整が繰り返されていた。20年以上に亘り国会において抜本解決が先送りされて来たと言えよう。
 このような最高裁の判決、及び国会に対する是正勧告を受けて、2012年12月に行われた衆議院選挙において、「1票の格差」が最大で2.43倍のまま実施されたので違憲であるとの弁護士グループの訴訟に対し、区割り規定を違憲としたのを始めとして、全国で16件の裁判において、3月27日までに14件は格差が是正されないままで行われた選挙は違憲とされ、他2件も違憲状態とされた。特に広島高裁では選挙自体を無効とし、11月26日をもって効力が発生するとし、立法府に是正の猶予を与えたが、岡山支部は猶予を与えることなく無効とした。
 憲法は、すべての国民は「法の下に平等」であって、政治的、経済的、社会的において差別されないと規定している(14条)。民主主義のいわば原点の規定である。
 法の下の平等に基づけば、有権者の「1票の重さ」は基本的に1対1の関係でなくてはならない。技術上の問題もあるので、厳密に1対1にすることは困難としても、1対2以上はもとよりのこと、1対1.5や1対1.998では「法の下に平等」とは決して言えない。
「1票の重さ」を出来る限り1対1に近付ける努力が不可欠である。もし政治が自主的に努力を行わず、多くの有権者の平等性を犠牲にするのであれば、裁判所が毅然として「1票の重さ」の基準を示すべきであろう。立法府には十分過ぎる程の時間が与えられて来た。司法も国民に対しきちんとした解釈を示すべき時期に来ている。
 与党自民、公明両党は、現行の「小選挙区比例代表並立制」を維持することを前提として、「比例代表定数(180議席)を30削減し、残る150議席のうち60議席を比例の得票率2位以下の中小政党に振り分ける」ことで合意しているが、これと切り離して小選挙区の「0増5減」を先行させるとして小選挙区制の区割り法案を衆議院に提出した。
 他方民主党は、定数を小選挙区で30議席、比例代表で50議席削減(合計80議席削減)すべしとしており、政府与党の「0増5減」の先行では不十分としている。
 衆議院で十分審議を尽くし、有権者の1票の平等性につき明確な考えを示すべきであろう。政府与党の「0増5減」の区割り法案が採択されたとしても、1票の価値は最大で1.998倍の格差が残り、従来違憲基準として示されて来た2倍に限りなく近く、十分な是正ではないと判断され、違憲とされる可能性が強い。
 与党側は、昨年11月に民主党は「0増5減」合意した、今になって区割り法案に反対するのは理解できないとしている。しかし「0増5減」が実現する前に実施された昨年12月の選挙について、高裁レベルで31もの選挙区で違憲或いは違憲状態と判断され、立法府には既に是正のための十分な時間が与えられており、「0増5減」でも違憲との判断も示されている。与党側は「0増5減」で一番影響を受けるのは与党だとしているが、それはそうだろう。違憲の選挙で当選しているのは与党議員が一番多いからに他ならない。少なくても31議席が違憲選挙で選ばれており、本来であれば国会に居るべき人ではないのであろう。
 そもそも自・公両党も、比例代表で30議席削減することを表明しており、民主党も小選挙区で30議席、比例代表で50議席削減(合計80議席削減)すべしと言ってわけであるので、何故ほとんど意味のない「0増5減」を先行させるのだろうか。2度手間という以上に、与党が実質的な定数削減に熱心でないことは明らかであり、また先送る意向なのだろ。
 自・公両党は、有権者の1票の重さが1対1.998でも平等、対等、即ち1対1であると言い張るのであろうか。黒を白と行っているに等しい。無論、それで政権が維持出来るとの党利党略からすると巧みであるが、多くの有権者を犠牲にする。それでも良いと言うのだろうか。
 憲法は、国のあり方や政体を決める基礎となる法律であるので、その解釈は明確である必要がる。もし自・公両党が、1対1.998で有権者は平等、対等(1対1)であると言い張るのであれば、不正、不条理な憲法解釈をし、多くの有権者の票を犠牲にして政権にしがみついているだけであり、もはや政権についている資格はないと言えないだろうか。また正しい憲法解釈も出来ないのに、憲法を改正する資格は全くないし、教育改革などを託すことには疑問が残る。これからを担う若い世代に訳の分からない不正、不条理な憲法解釈を示すべきではない。従来の1票の格差が、平等性を歪め、政治を歪め、数字認識を歪めて来ている。
 また審議振りについても、好き嫌いは別として、等しく国民の代表である主要な与野党で解決策を見出すべきであろう。与野党ともに、誰のための是正かを認識すべきだ。どの政党のためでもない。有権者の票の格差を是正し、民主主義の原点である国民間の平等性を確保するためである。政党であるから仕方がない面はあるが、どうも与党も野党も、それぞれの党利党略に走り、有権者の平等性のための是正であるという最も重要な点を忘れているのではなかろうか。
 参議院についても、7月に半数改選が行われる。参院については「44減」で区割り調整が行われているが、1票の格差は4.786倍にも達しており、このままでは違憲判決が行われる可能性が強い。そうなれば参議院は“非常識の府”とのレッテルを貼られかねず、致命的な不要論が強くなる恐れがある。
 どの政党であれ、有権者、国民を犠牲にすれば、その政党に将来はない。
(2013.4.17.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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シリーズ平成の本音―日本は安全保障音痴か?

2013-05-03 | Weblog
シリーズ平成の本音―日本は安全保障音痴か?
 南北間の休戦協定を破棄した北朝鮮は、4月9日、韓国への攻撃もありうるとしてソウルに在住或いは滞在中の外国人に対し、退避準備をするよう呼び掛けるなど、威嚇姿勢を強めている。
 この中にあって、北朝鮮労働党の機関紙である労働新聞は、4月10日、日本に米軍基地があることを背景として、“東京、大阪、横浜、名古屋、京都”の5都市に人口が集中しているとしつつ、“日本は北朝鮮の近くに位置し、報復の対象から逃れることは出来ない”、“日本が戦争に火をつければ、日本全体が戦場と化す”などとして強く威嚇する記事を掲げた。
 何故だ。そもそも日本は朝鮮戦争に直接関与したことはなく、南北間の軍事衝突があっても直接に関係、介入することはない。ましてや“日本が戦争に火をつける”ことは現行憲法においては決してないであろう。それなのに何故このような威嚇を日本に向けるのだろうか。不可解であるし、大変迷惑だ。
 北朝鮮による国際世論に反する核、ミサイル開発には強く反対するところであり、また過剰に好戦的な姿勢に自制を求めるところではあるが、どうも日本側の姿勢が誘因になっている恐れがある。
 1、“日米韓が警戒を強める”って何のことか?
 4月10日付の本の保守系新聞は、“北ミサイル準備終了か 日米韓 警戒強める”と題し、日本地図を掲載して日本、韓国、米国のミサイルや艦船の配備状況を示して一面トップで報じている。日本国民としても気が高ぶる報道だ。
 休戦協定は南北朝鮮間の軍事衝突を避けるためのもので、それが破棄されても南北朝鮮間の問題であるので、韓国とそれを支援する米国、及び休戦協定の監視を行う国連の問題であり、日本は直接関係はない。
 ミサイルの発射実験により、とばっちりが掛かる恐れがあるので、それへの対応は不可欠であるが、戦争状態に突入している韓国や米国と同列に扱うのは迷惑である。日韓には安保取り決めなどもない。
 どうも日本の保守層を中心とする安保族に日米同盟強化に対する思惑があるので、日本国内で十分議論が尽くされないままに、日米同盟強化、集団的安全保障論が前のめりに先行し、報道されているからではないか。
そのような姿勢が、10日付の労働新聞のような誤った威嚇につながっているのではなかろうか。配慮に欠ける。
 2、迎撃ミサイル(PAC3)の防衛省構内配備をプレイアップする愚
 11日のテレビ報道や新聞は、ミサイルが万一日本方向に飛来することに備え、
防衛省構内に迎撃ミサイルを2基配備していることなどを何度も報じている。日本の安全確保を強調するためであり、それは十分理解できる。
 しかし迎撃ミサイルの具体的な配備地点などの詳細を何故映像で映し、報じるのか。北朝鮮は戦争準備をしている時に、日本の対応を詳細、具体的に知らせることになるので、日本の安全保障には百害あって1益もない。
 極めつけは、防衛相が配備現場でミサイル担当の自衛官を激励する姿まで放映している。まるで戦争ごっこだ。
 日本国民への安全措置をアッピールするためのパーフォーマンスであろうが、相手を刺激し、威嚇の口実を与えるだけだ。
 北朝鮮は、南北休戦協定を破棄し、戦争状態に既に突入している。戦争ごっこでは適切ではないし、日本は紛争を好まないし、直接の紛争の当事者ではないことを念頭に置き、適切、適正な対応することを望みたい。
(13.4.11.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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2013-05-03 | Weblog
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 南北間の休戦協定を破棄した北朝鮮は、4月9日、韓国への攻撃もありうるとしてソウルに在住或いは滞在中の外国人に対し、退避準備をするよう呼び掛けるなど、威嚇姿勢を強めている。
 この中にあって、北朝鮮労働党の機関紙である労働新聞は、4月10日、日本に米軍基地があることを背景として、“東京、大阪、横浜、名古屋、京都”の5都市に人口が集中しているとしつつ、“日本は北朝鮮の近くに位置し、報復の対象から逃れることは出来ない”、“日本が戦争に火をつければ、日本全体が戦場と化す”などとして強く威嚇する記事を掲げた。
 何故だ。そもそも日本は朝鮮戦争に直接関与したことはなく、南北間の軍事衝突があっても直接に関係、介入することはない。ましてや“日本が戦争に火をつける”ことは現行憲法においては決してないであろう。それなのに何故このような威嚇を日本に向けるのだろうか。不可解であるし、大変迷惑だ。
 北朝鮮による国際世論に反する核、ミサイル開発には強く反対するところであり、また過剰に好戦的な姿勢に自制を求めるところではあるが、どうも日本側の姿勢が誘因になっている恐れがある。
 1、“日米韓が警戒を強める”って何のことか?
 4月10日付の本の保守系新聞は、“北ミサイル準備終了か 日米韓 警戒強める”と題し、日本地図を掲載して日本、韓国、米国のミサイルや艦船の配備状況を示して一面トップで報じている。日本国民としても気が高ぶる報道だ。
 休戦協定は南北朝鮮間の軍事衝突を避けるためのもので、それが破棄されても南北朝鮮間の問題であるので、韓国とそれを支援する米国、及び休戦協定の監視を行う国連の問題であり、日本は直接関係はない。
 ミサイルの発射実験により、とばっちりが掛かる恐れがあるので、それへの対応は不可欠であるが、戦争状態に突入している韓国や米国と同列に扱うのは迷惑である。日韓には安保取り決めなどもない。
 どうも日本の保守層を中心とする安保族に日米同盟強化に対する思惑があるので、日本国内で十分議論が尽くされないままに、日米同盟強化、集団的安全保障論が前のめりに先行し、報道されているからではないか。
そのような姿勢が、10日付の労働新聞のような誤った威嚇につながっているのではなかろうか。配慮に欠ける。
 2、迎撃ミサイル(PAC3)の防衛省構内配備をプレイアップする愚
 11日のテレビ報道や新聞は、ミサイルが万一日本方向に飛来することに備え、
防衛省構内に迎撃ミサイルを2基配備していることなどを何度も報じている。日本の安全確保を強調するためであり、それは十分理解できる。
 しかし迎撃ミサイルの具体的な配備地点などの詳細を何故映像で映し、報じるのか。北朝鮮は戦争準備をしている時に、日本の対応を詳細、具体的に知らせることになるので、日本の安全保障には百害あって1益もない。
 極めつけは、防衛相が配備現場でミサイル担当の自衛官を激励する姿まで放映している。まるで戦争ごっこだ。
 日本国民への安全措置をアッピールするためのパーフォーマンスであろうが、相手を刺激し、威嚇の口実を与えるだけだ。
 北朝鮮は、南北休戦協定を破棄し、戦争状態に既に突入している。戦争ごっこでは適切ではないし、日本は紛争を好まないし、直接の紛争の当事者ではないことを念頭に置き、適切、適正な対応することを望みたい。
(13.4.11.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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