シリーズ平成の本音 オバーキル(過剰抑制)は東日本復興のためならず!
3月11日午後に発生した東日本大震災は、被災地の甚大な被害に加え、福島原発事故による放射線被害の浸透と電力供給不足が長期化する様相を呈して来ており、影響が首都圏のみならず日本経済全体に及ぶ非常事態となっている。
今回の災害対策は、広域、多岐に亘る。重点は、地震・津波被災地の復旧・復興であり、津波対策を含む「防災」を軸にして、計画的に進めることが望まれる。
同時に福島原発の放射能封じ込め対策、原子炉の安定化が急がれる。それと平行して電力供給対策、放射能汚染食物対策、飲料水対策などが検討、実施されなくてはならない。
しかしそのよう当面の被災対策に加え、萎縮する経済・社会活動への対策が不可欠となって来ている。確かに今回の災害は、死者と未だに消息がつかめない不明者で3万人近くに及び、悲しみも深い。救済・復旧にも多くの人と物資、費用が必要であり、贅沢などは言っていられない。物心両面での支援が必要だ。更に福島原発事故で関東一円に亘り電力不足の状況であり、電車の間引き運転や計画停電、企業・家庭レベルでの節電が不可欠になっている。そこで各方面から、支援と節電等の呼び掛けがなされている。多くの支援、応援など心温まるものであり、勇気付けられる。
ところが電車の間引き運転などは良いとして、連日頻繁にテレビその他のマスコミで流される節電や自粛の呼びかけは、電気は消しましょう、無駄なメールは止めましょうなど、規制、抑制という否定的、抑制的なものが多く、国民の間に自粛ムードの「時節柄シンドロム」が広まりつつある。言っていることは正しいのであるが、余りにも抑制的、否定的なメッセージが繰り返し、繰り返し行われているので、否定的なマインド・コントロールの如くであり、「時節柄シンドロム」を引き起こしている。上野公園も年一度の恒例の「花見」を自粛するという。昭和末期に歌舞音曲を「自粛」させたことを思い出させる。その後バブル崩壊を経て今日まで「時節柄」ムードが尾を引いている。東日本大震災以来居酒屋さんなどは閑古鳥状態となっており、マンションや料亭などの入り口の外灯が消され真っ暗になっているところがある。防犯や安全上どうかと思われ、電気を消せば良いということでもない。中央官庁の中にも外交団のの出入りのある省でありながら、廊下の電気を全て消し、課や幹部の標識が見えないところさえある。お先真っ暗どころか、目先が真っ暗になっている。こんな省庁に日本を委ねていると思うと希望は持てない。更に箱根の温泉街やその他の観光・温泉街などもキャンセルが多く、客足はまばらになっており、悲鳴を上げている。これでは経済や社会活動がオバーキル(過剰抑制)となる恐れが強い。
サッカーや野球、ゴルフなどのスポーツ界や音楽、歌舞伎その他の舞台などの芸能界が、自分の出来ることはスポーツや歌、演じることだとしてそれを通じて元気を伝えたいとして義捐金を募っているが、積極的な姿勢が伝わって来る。それはそれで大いに頑張って欲しいものだ。
日本は、戦中、戦後の物資難、資金難の中で物資統制など、統制経済の下で活動をまず規制、統制し、一定の活動を許可、認可するという行政手法をとらざるを得なかったので、そのような制度、姿勢が底流に色濃く残っている。従って国民も規制、禁止など抑制的な行政手法や標語に慣れており抵抗感は少ないのだが、多くの国民の深層心理に抑制的、消極的自粛ムードが浸透し易い面があり、それが各分野での活動をオバーキル(過剰抑制)する可能性がある。
復興活動には長期を要し、膨大な資金を必要としている。基本的にはそれを日本の経済活動の中から捻出して行かなくてはならない。日本経済を前に進め、収益を出し、税収を図って行かなくてはならない。復興税や消費税増税などが取沙汰されているが、一方で経済・社会活動を抑制し、他方で実質的な増税を行えば経済活動は更に萎縮する結果となろう。
三陸地方の被災地では、地域の被災者は悲しみをこらえて既に復旧に立ち上がっている。復興の夢を持って生きるためである。それを支えるのが、被災地外の経済・社会である。その経済社会を萎縮させ、オバーキルの状況にしてはならない。無論、これまでのような無尽蔵なまでの電力使用は許されず、各分野、各レベルで細かく点検し、可能な限り30~40%前後の節電に努め、当面の電力供給に協力する姿勢は必要であろう。全てを消し、全てを中止するのではなく、可能な節電、倹約をしつつ、経済・社会活動を前に進める積極的な姿勢が望まれる。もっとも、従来のように徹夜で場所取りをし、ごみを散らかすような花見を続けることが良いとも思えない。曜日や時間帯を指定し、ごみ処理等のマナーを徹底すると共に、地元の商店街など自治会組織に管理を委託し、花見の場所に区画を作り、区画の大きさにより小額の料金を設定し、抽選で決めるなど、管理、清掃などの費用をまかない、一部を義捐金に回すなどの工夫をすれば良いのではないか。これは一例にしかすぎない。
否定、抑制に労力を使うのではなく、積極的にプラスの方向にエネルギーを使う姿勢が今必要とされているのではないか。
(2011.4.3.)
(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
3月11日午後に発生した東日本大震災は、被災地の甚大な被害に加え、福島原発事故による放射線被害の浸透と電力供給不足が長期化する様相を呈して来ており、影響が首都圏のみならず日本経済全体に及ぶ非常事態となっている。
今回の災害対策は、広域、多岐に亘る。重点は、地震・津波被災地の復旧・復興であり、津波対策を含む「防災」を軸にして、計画的に進めることが望まれる。
同時に福島原発の放射能封じ込め対策、原子炉の安定化が急がれる。それと平行して電力供給対策、放射能汚染食物対策、飲料水対策などが検討、実施されなくてはならない。
しかしそのよう当面の被災対策に加え、萎縮する経済・社会活動への対策が不可欠となって来ている。確かに今回の災害は、死者と未だに消息がつかめない不明者で3万人近くに及び、悲しみも深い。救済・復旧にも多くの人と物資、費用が必要であり、贅沢などは言っていられない。物心両面での支援が必要だ。更に福島原発事故で関東一円に亘り電力不足の状況であり、電車の間引き運転や計画停電、企業・家庭レベルでの節電が不可欠になっている。そこで各方面から、支援と節電等の呼び掛けがなされている。多くの支援、応援など心温まるものであり、勇気付けられる。
ところが電車の間引き運転などは良いとして、連日頻繁にテレビその他のマスコミで流される節電や自粛の呼びかけは、電気は消しましょう、無駄なメールは止めましょうなど、規制、抑制という否定的、抑制的なものが多く、国民の間に自粛ムードの「時節柄シンドロム」が広まりつつある。言っていることは正しいのであるが、余りにも抑制的、否定的なメッセージが繰り返し、繰り返し行われているので、否定的なマインド・コントロールの如くであり、「時節柄シンドロム」を引き起こしている。上野公園も年一度の恒例の「花見」を自粛するという。昭和末期に歌舞音曲を「自粛」させたことを思い出させる。その後バブル崩壊を経て今日まで「時節柄」ムードが尾を引いている。東日本大震災以来居酒屋さんなどは閑古鳥状態となっており、マンションや料亭などの入り口の外灯が消され真っ暗になっているところがある。防犯や安全上どうかと思われ、電気を消せば良いということでもない。中央官庁の中にも外交団のの出入りのある省でありながら、廊下の電気を全て消し、課や幹部の標識が見えないところさえある。お先真っ暗どころか、目先が真っ暗になっている。こんな省庁に日本を委ねていると思うと希望は持てない。更に箱根の温泉街やその他の観光・温泉街などもキャンセルが多く、客足はまばらになっており、悲鳴を上げている。これでは経済や社会活動がオバーキル(過剰抑制)となる恐れが強い。
サッカーや野球、ゴルフなどのスポーツ界や音楽、歌舞伎その他の舞台などの芸能界が、自分の出来ることはスポーツや歌、演じることだとしてそれを通じて元気を伝えたいとして義捐金を募っているが、積極的な姿勢が伝わって来る。それはそれで大いに頑張って欲しいものだ。
日本は、戦中、戦後の物資難、資金難の中で物資統制など、統制経済の下で活動をまず規制、統制し、一定の活動を許可、認可するという行政手法をとらざるを得なかったので、そのような制度、姿勢が底流に色濃く残っている。従って国民も規制、禁止など抑制的な行政手法や標語に慣れており抵抗感は少ないのだが、多くの国民の深層心理に抑制的、消極的自粛ムードが浸透し易い面があり、それが各分野での活動をオバーキル(過剰抑制)する可能性がある。
復興活動には長期を要し、膨大な資金を必要としている。基本的にはそれを日本の経済活動の中から捻出して行かなくてはならない。日本経済を前に進め、収益を出し、税収を図って行かなくてはならない。復興税や消費税増税などが取沙汰されているが、一方で経済・社会活動を抑制し、他方で実質的な増税を行えば経済活動は更に萎縮する結果となろう。
三陸地方の被災地では、地域の被災者は悲しみをこらえて既に復旧に立ち上がっている。復興の夢を持って生きるためである。それを支えるのが、被災地外の経済・社会である。その経済社会を萎縮させ、オバーキルの状況にしてはならない。無論、これまでのような無尽蔵なまでの電力使用は許されず、各分野、各レベルで細かく点検し、可能な限り30~40%前後の節電に努め、当面の電力供給に協力する姿勢は必要であろう。全てを消し、全てを中止するのではなく、可能な節電、倹約をしつつ、経済・社会活動を前に進める積極的な姿勢が望まれる。もっとも、従来のように徹夜で場所取りをし、ごみを散らかすような花見を続けることが良いとも思えない。曜日や時間帯を指定し、ごみ処理等のマナーを徹底すると共に、地元の商店街など自治会組織に管理を委託し、花見の場所に区画を作り、区画の大きさにより小額の料金を設定し、抽選で決めるなど、管理、清掃などの費用をまかない、一部を義捐金に回すなどの工夫をすれば良いのではないか。これは一例にしかすぎない。
否定、抑制に労力を使うのではなく、積極的にプラスの方向にエネルギーを使う姿勢が今必要とされているのではないか。
(2011.4.3.)
(All Rights Reserved.)(不許無断引用)