シリーズ平成の乱 消費税増税に突き進む菅政権の乱
2011年通常国会を控えて、「仮免許」期間を終えた菅・民主党政権が仙石官房長官などを中心とする内閣改造と消費税増税による財源確保など、政策転換を図り始めた。
仙石官房長官については、尖閣諸島沖への中国漁船の領海侵犯問題を巡る不手際と自衛隊を「暴力装置」と国会で述べるなど閣僚としての資格を問われるような言動から、先の臨時国会において参議院で問責決議が採択されており、国会運営などに懸念が生じているので、交代を余儀なくされている。その後任として枝野幹事長代理などが報道された。しかし同氏は、仙石官房長官同様弁護士出身で極めて近い関係にある上、参院選を控えた昨年6月に菅首相が消費税引き上げに言及した際、消費税増税やマニフェストの実質的な変更に対し疑問を呈した小沢議員(前民主党幹事長、元代表)の発言について、「大衆迎合」として批判している。
同議員は官房長官を変える必要はないなどとして固辞したと伝えられ、他の複数の候補が取沙汰されているものの、同類で固めたいという菅首相の意図が明らかであると共に、財源捻出のため消費税増税に踏み出したいという背景もあるのであろう。本格運転を標榜し、強いリーダーシップのイメージを打ち出そうと腐心している同首相は、保守系マスコミの「脱小沢」大合唱にいわば乗っ形で小沢・鳩山色の強いマニフェストを「見直す」ことを示唆しており、野党や保守系マスコミが主張している消費税増税に転換する構えのようだ。それこそ「保守迎合の乱」ではないか。
無論、保守であろうと与党であろうと日本のために消費税増税が不可欠であれば検討すべきであるが、政権が交代して1年半も経たない内に消費税増税に大きく舵を切り、マニフェストを変質させるべきであろうか。小泉改革を引き継いで自民党内で3人の首相に順送りされたが、麻生政権で国債発行の上限を引き上げ、公共事業優先の財政政策に復古し、消費税増税が打ち出され、改革路線が大幅に後退した流れに類似している。そして麻生政権は国民の信を失った。
そもそも、子供手当てにしても農家への所得補償にしても、マニフェストは2009年8月の衆院総選挙に際してまとめられた“党のマニフェスト”であり、“国民との契約”と言っていたのではないか。現在の衆議院は、そのマニフェストで大勝した民主党議員で多数が構成されている。首相が交代したからといって、それを変更し、財源確保のため消費税増税に向かうことは政権の変質になる。1999年以降、家計所得が縮小し、消費が低価格志向に向かっている時期に消費税増税を進めれば、短期的に駆け込み消費はあろうが、消費節約に拍車を掛ける可能性がある。それに加えここ1年で大幅な円高になっており、そこに消費税を増税すればドル表示の税込み価格(国際比較の価格)は更に上昇し、消費停滞の中で国際比較での物価高となる。本来であれば、円高となっているのであるから、消費の立場からは円の価値が上がり、従来以上の物が買えても良く、原材料、半製品を含む輸入品を中心として一定の物価の下落がもたらされて良いのであろう。そこに消費税増税を行えば消費は縮小するか、販売者側の利益が薄くなるかであり、更に景気停滞を長期化させる恐れもある。
その上「事業仕分け」は1年程度しか行われておらず、国民がこれで納得しているとも思えない。半世紀近くに亘り積み上げられた行政組織の既得権益やバブル期で肥大した行政メタボが1年程度で解決されるとは考え難い。制度的な抜本改革や各種の規制・通達類の大幅な撤廃、緩和など、時代の変化やニーズの変化に対応した検討が更に必要であろう。また公務員・準公務員の実員数の削減や議員の定員・報酬・手当てなども検討されなくてはならない。消費税増税となればこれらは事実上検討されなくなり、いわば行政の癌となっている組織・制度や行政メタボは放置されることになる。既得権益側や保守層からの抵抗、批判はあろうが、健全な行政組織を取り戻すためのメカニズムを確立し、有効に機能させる道筋を確実なものにすることが先決であろう。
更に、今後の福祉関連予算に必要な財源を確保し、将来の福祉不安を解消するために消費税を増税するという福祉目的税的な考え方は、一見もっともらしい。しかし、福祉目的税化し財源が確保されれば、年金を含め節約や改善意識は後退し、無駄や浪費、非効率が起こることは道路目的税や税ではないがNHKの視聴料などで過去に経験済みであり、福祉目的税化にも大きな問題がある。年金や医療、失業(雇用)保険なども長期に続いた自民党政権時代に贅沢な施設建設と赤字経営で多額の国民の資金が食い潰されて来たが、その問題や行政の体質が変わったとはまだ言えない。野党もそのような結果を招いたことに重大な責任があり、本質的な改善、改革に努力すべきであろう。今日の日本社会の停滞を招いたのは自民、公明を中心とする野党であり、与党批判に終始することなく、時代の変化に沿った改革に努力しなければ国民の信は得られないであろう。現在の状況は、自、公政権以来の政治不況とも言える。
菅政権は、内閣改造と並んで「政治とカネ」問題を未だに引きずっており、小沢元代表の政倫審への出席を進めようとしているが、同元代表は、09年5月に党代表職を辞任し、更に昨年5月には党幹事長職を辞任しており、政治資金の記載問題について一定の政治責任を果たしている。民間でも大企業が脱税の嫌疑を掛けられることが良く観られるが、多くの場合修正申告で済まされる。大企業の社長が脱税容疑で起訴されることはまずない。政治資金の記載ミスも基本的には修正措置で適正化が図られれば良いのであろう。
更に正当性は別として、昨年9月に検察審議会で「起訴相当」とされ、近々にも「強制起訴」されることになっており、同議員の無実の主張が法廷で問われることになっている。昨年2月には検察当局は、広範な強制捜査にも拘わらず「嫌疑不十分」で不起訴にしており、同議員も潔白を主張していたが、「強制起訴」される見通しであり、潔白か否かは法廷の場で明らかにされれば十分であろう。それが検察審が存在する理由であると言える。同議員は一貫して潔白を主張し来ているので、そもそも潔白であるのに何故国会の政倫審に出なくてはならないのか大いに疑問である。
「政治とカネ」の問題について菅政権は重視する姿勢を示しているが、ザル法とも言える政治資金規正法の改正問題や企業献金問題には取り組んでいない。野党や一部の保守系メデイアの批判に乗ってマスコミ受けを狙うと共に、小沢グループの影響力を排除する内ゲバ的な党内権力闘争の色彩が強い。野党にとってはもっけの幸いであり、批判を強め政局に繋げたいということであろうが、政権に復帰すればまた同じことを繰り返されるだけで不毛な議論であることは承知のはずであろうし、それで支持率が上がるものでもない。国民は政権与党が民主であろうと自民であろうと天下取りにはそれほど関心はなく、国家、国民のためになる意味のある政策、施策を強く期待している。両党ともそれぞれ日本国民を代表する政党、議員であろう。初心に戻って国家、国民の利益に奉仕して欲しいものだ。この点は行政各部にも言えることだ。
検察当局の捜査のあり方についても、強引な「見立て捜査」のあり方が問題になっており、社会正義や公正さを維持する上ではこの問題の方がより重要で深刻であろう。2009年春に小沢議員事務所の資金記載問題を担当していたのは、厚労省の事件で捜査資料を改ざんし懲戒免職となった前田検事(当時)であり、その捜査方法や情報の特定メデイアへの提供、世論操作等も検証されるべきであろう。検察審もそれらを証拠とし、また流された情報に基づく委員の先入観等で判断された可能性が高いので、検察側が提出する証拠資料や「見立て」の適否も厳しく問われるべきであろう。本来であれば政権与党である民主党が、政府組織の一部である検察当局の「見立て捜査」のあり方にも疑問を呈する見識と勇気があっても良い。
いずれにしても菅政権が、消費税増税、法人税減税を含む税制改正を進め、2009年8月の総選挙で国民に問うたマニフェストを変更するのであれば、政策変更を掲げて民意を問うべきなのであろう。(01.2011.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
2011年通常国会を控えて、「仮免許」期間を終えた菅・民主党政権が仙石官房長官などを中心とする内閣改造と消費税増税による財源確保など、政策転換を図り始めた。
仙石官房長官については、尖閣諸島沖への中国漁船の領海侵犯問題を巡る不手際と自衛隊を「暴力装置」と国会で述べるなど閣僚としての資格を問われるような言動から、先の臨時国会において参議院で問責決議が採択されており、国会運営などに懸念が生じているので、交代を余儀なくされている。その後任として枝野幹事長代理などが報道された。しかし同氏は、仙石官房長官同様弁護士出身で極めて近い関係にある上、参院選を控えた昨年6月に菅首相が消費税引き上げに言及した際、消費税増税やマニフェストの実質的な変更に対し疑問を呈した小沢議員(前民主党幹事長、元代表)の発言について、「大衆迎合」として批判している。
同議員は官房長官を変える必要はないなどとして固辞したと伝えられ、他の複数の候補が取沙汰されているものの、同類で固めたいという菅首相の意図が明らかであると共に、財源捻出のため消費税増税に踏み出したいという背景もあるのであろう。本格運転を標榜し、強いリーダーシップのイメージを打ち出そうと腐心している同首相は、保守系マスコミの「脱小沢」大合唱にいわば乗っ形で小沢・鳩山色の強いマニフェストを「見直す」ことを示唆しており、野党や保守系マスコミが主張している消費税増税に転換する構えのようだ。それこそ「保守迎合の乱」ではないか。
無論、保守であろうと与党であろうと日本のために消費税増税が不可欠であれば検討すべきであるが、政権が交代して1年半も経たない内に消費税増税に大きく舵を切り、マニフェストを変質させるべきであろうか。小泉改革を引き継いで自民党内で3人の首相に順送りされたが、麻生政権で国債発行の上限を引き上げ、公共事業優先の財政政策に復古し、消費税増税が打ち出され、改革路線が大幅に後退した流れに類似している。そして麻生政権は国民の信を失った。
そもそも、子供手当てにしても農家への所得補償にしても、マニフェストは2009年8月の衆院総選挙に際してまとめられた“党のマニフェスト”であり、“国民との契約”と言っていたのではないか。現在の衆議院は、そのマニフェストで大勝した民主党議員で多数が構成されている。首相が交代したからといって、それを変更し、財源確保のため消費税増税に向かうことは政権の変質になる。1999年以降、家計所得が縮小し、消費が低価格志向に向かっている時期に消費税増税を進めれば、短期的に駆け込み消費はあろうが、消費節約に拍車を掛ける可能性がある。それに加えここ1年で大幅な円高になっており、そこに消費税を増税すればドル表示の税込み価格(国際比較の価格)は更に上昇し、消費停滞の中で国際比較での物価高となる。本来であれば、円高となっているのであるから、消費の立場からは円の価値が上がり、従来以上の物が買えても良く、原材料、半製品を含む輸入品を中心として一定の物価の下落がもたらされて良いのであろう。そこに消費税増税を行えば消費は縮小するか、販売者側の利益が薄くなるかであり、更に景気停滞を長期化させる恐れもある。
その上「事業仕分け」は1年程度しか行われておらず、国民がこれで納得しているとも思えない。半世紀近くに亘り積み上げられた行政組織の既得権益やバブル期で肥大した行政メタボが1年程度で解決されるとは考え難い。制度的な抜本改革や各種の規制・通達類の大幅な撤廃、緩和など、時代の変化やニーズの変化に対応した検討が更に必要であろう。また公務員・準公務員の実員数の削減や議員の定員・報酬・手当てなども検討されなくてはならない。消費税増税となればこれらは事実上検討されなくなり、いわば行政の癌となっている組織・制度や行政メタボは放置されることになる。既得権益側や保守層からの抵抗、批判はあろうが、健全な行政組織を取り戻すためのメカニズムを確立し、有効に機能させる道筋を確実なものにすることが先決であろう。
更に、今後の福祉関連予算に必要な財源を確保し、将来の福祉不安を解消するために消費税を増税するという福祉目的税的な考え方は、一見もっともらしい。しかし、福祉目的税化し財源が確保されれば、年金を含め節約や改善意識は後退し、無駄や浪費、非効率が起こることは道路目的税や税ではないがNHKの視聴料などで過去に経験済みであり、福祉目的税化にも大きな問題がある。年金や医療、失業(雇用)保険なども長期に続いた自民党政権時代に贅沢な施設建設と赤字経営で多額の国民の資金が食い潰されて来たが、その問題や行政の体質が変わったとはまだ言えない。野党もそのような結果を招いたことに重大な責任があり、本質的な改善、改革に努力すべきであろう。今日の日本社会の停滞を招いたのは自民、公明を中心とする野党であり、与党批判に終始することなく、時代の変化に沿った改革に努力しなければ国民の信は得られないであろう。現在の状況は、自、公政権以来の政治不況とも言える。
菅政権は、内閣改造と並んで「政治とカネ」問題を未だに引きずっており、小沢元代表の政倫審への出席を進めようとしているが、同元代表は、09年5月に党代表職を辞任し、更に昨年5月には党幹事長職を辞任しており、政治資金の記載問題について一定の政治責任を果たしている。民間でも大企業が脱税の嫌疑を掛けられることが良く観られるが、多くの場合修正申告で済まされる。大企業の社長が脱税容疑で起訴されることはまずない。政治資金の記載ミスも基本的には修正措置で適正化が図られれば良いのであろう。
更に正当性は別として、昨年9月に検察審議会で「起訴相当」とされ、近々にも「強制起訴」されることになっており、同議員の無実の主張が法廷で問われることになっている。昨年2月には検察当局は、広範な強制捜査にも拘わらず「嫌疑不十分」で不起訴にしており、同議員も潔白を主張していたが、「強制起訴」される見通しであり、潔白か否かは法廷の場で明らかにされれば十分であろう。それが検察審が存在する理由であると言える。同議員は一貫して潔白を主張し来ているので、そもそも潔白であるのに何故国会の政倫審に出なくてはならないのか大いに疑問である。
「政治とカネ」の問題について菅政権は重視する姿勢を示しているが、ザル法とも言える政治資金規正法の改正問題や企業献金問題には取り組んでいない。野党や一部の保守系メデイアの批判に乗ってマスコミ受けを狙うと共に、小沢グループの影響力を排除する内ゲバ的な党内権力闘争の色彩が強い。野党にとってはもっけの幸いであり、批判を強め政局に繋げたいということであろうが、政権に復帰すればまた同じことを繰り返されるだけで不毛な議論であることは承知のはずであろうし、それで支持率が上がるものでもない。国民は政権与党が民主であろうと自民であろうと天下取りにはそれほど関心はなく、国家、国民のためになる意味のある政策、施策を強く期待している。両党ともそれぞれ日本国民を代表する政党、議員であろう。初心に戻って国家、国民の利益に奉仕して欲しいものだ。この点は行政各部にも言えることだ。
検察当局の捜査のあり方についても、強引な「見立て捜査」のあり方が問題になっており、社会正義や公正さを維持する上ではこの問題の方がより重要で深刻であろう。2009年春に小沢議員事務所の資金記載問題を担当していたのは、厚労省の事件で捜査資料を改ざんし懲戒免職となった前田検事(当時)であり、その捜査方法や情報の特定メデイアへの提供、世論操作等も検証されるべきであろう。検察審もそれらを証拠とし、また流された情報に基づく委員の先入観等で判断された可能性が高いので、検察側が提出する証拠資料や「見立て」の適否も厳しく問われるべきであろう。本来であれば政権与党である民主党が、政府組織の一部である検察当局の「見立て捜査」のあり方にも疑問を呈する見識と勇気があっても良い。
いずれにしても菅政権が、消費税増税、法人税減税を含む税制改正を進め、2009年8月の総選挙で国民に問うたマニフェストを変更するのであれば、政策変更を掲げて民意を問うべきなのであろう。(01.2011.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)