2015年、私の友人が全能神の御国の福音を私に説いてくれました。彼女はこう言って交流しました:「最初に人間が神に創造された時、人間は罪を犯したことがありませんでした。後に、人類はサタンに誘惑されて善悪の知識の木から実を食べてしまうと、サタンの毒を受けてサタンの支配下で生きるようになってしまったのです。次第に、彼らはサタンによって増々深く堕落させられていき、普通の人間らしさを完全に失ってしまいました。例えば、人々は利益と地位を手にするためにお互いを陥れようと画策し、妬み衝突し、名利を奪い合い、苦しみの中を生きています。サタンの邪悪な支配から私たちを救うため、神は私たちが神の御導きの下で暮らし、神の御加護と祝福を受けられるようにと、自ら肉となり、人類の中に来て真理をお話しくださりました。これが神の私たちへの愛と救いなのです。」友人の交流を聞いた私は神の働き、そして神の人間に対する愛と救いについて少しだけ知ることができました。私はとても感動し、神のことがもっと知りたくなりました。従って、この友人と何度か交流した後、私は正式に教会生活に参加するようになりました。教会で、私は兄弟姉妹たちが愛情で満ち溢れていることを知りました。誰が弱気になっていても、過ちを犯しても、彼らは全員が心優しくお互いを助け合い、支え合っていました。教会では、兄弟姉妹たちが何らかの出来事に遭遇することがあれば、彼らは神の御言葉通りに真理を求め、内省し、それぞれの欠陥を知り、それぞれの問題を解決するために真理を探究することができていたのです。全能神教会にいると、私は平安と、安全と、解放感、さらには自由を強く感じることができ、まるで別世界にいるような気分がしました。しかし、その数日後、不測の事態が降りかかってきたのです。
ある日、私の2歳を超える娘が突然熱を出したのです。娘は数日に渡って薬を飲みましたが、全く効果がありませんでした。ついに、娘は高熱が続いたため入院を余儀なくされてしまいました。この時、私の娘は一度くしゃみをするだけで鼻血を出していました。私は医者に娘の容態について尋ねましたが、彼は病気の原因は未だに不明だと言っていました。医者の返事を聞いた私はとても不安で心配になりましたが、治療の結果を待つ以外は何もできませんでした。するとさらに不幸が続き、娘が入院した4日後に、私の夫までが病気で入院してしまったのです。医者は私の夫の容態はとても深刻だと言いました。夫は複数の血液検査以外に、骨髄検査を受ける必要もあったのです。この言葉を聞いた時、私は胸が張り裂けそうになり、とても悲しくて辛くなってこう考えました:「私は神を信仰しているのに、どうしてこんな事態に遭遇するの?どうして神は私を守ってくださらないの?どうして私の家族が相次いで入院するはめになるの?私たちには世話をしなくてはいけない子供が2人もいて、夫は家族を支えるために仕事に行く必要があるというのに。でも、夫までが重病になるなんて。もし彼が倒れてしまったら、私の家族はどうやって生きていけばいいの?」この大きな打撃は私の心を裂き、私は激しく動揺し、絶望しました。私は苦痛、困惑、そして暗闇の中を生き、方向性を失ったその時、突然神のこの御言葉を思い出したのです:「世界で起こるすべてのことの中で、わたしが最終的な決定権を持たないものはない。わたしの手の中にない存在などあるだろうか。わたしの言うことはすべてその通りに進み、……」神の光のような御言葉は私の道に明かりを灯してくださり、重く沈む私の心に大きな安心感を与えてくださりました。そうだわ、この世界と万物は全て神の御手の中にあるのよ。私は神を頼りにして、神を仰ぎ見るべきだわ!
その後、教会の兄弟姉妹たちは私が生活に苦しんでいることを知りました。ある姉妹は私の息子の面倒を見るのを手伝ってくれ、またある姉妹は神の御言葉を読み、神の御心を交流して私を支え、慰めてくれました。神の御言葉にはこう記された節があります、「万物の長である全能神は、玉座から王としての権力を振るう。神は宇宙と万物を支配し、全地で私たちを導いている。私たちは頻繁に神に近づき、静まって神の前に出る。私たちは一瞬の時をも決して逃してはならない。そして、いかなる時にも学ぶべき事がある。私たちの周りの環境、人々、事柄、事物のすべては神の玉座によって許可されている。心に不平不満を持ってはならない。さもなければ、神はあなたに恵みを授けない。病を患うとき、それは神の愛によるもので、神の善意が必ずその背後にあるのだ。たとえあなたの体が苦しみに耐えている時でも、サタンによる思いを受け入れてはならない。病気の只中で神を賛美し、あなたの賛美の只中で神を楽しみなさい。病気に直面しても心を失ってはならない。求め続けなさい。決してあきらめてはならない。そうすれば、神はあなたの上に光を輝かせるだろう。ヨブはどれほど忠実だっただろうか。全能神は全能の医者である。病の中に留まれば、病気になる。しかし霊の中に留まれば、健やかになるのだ。あなたに最後の息があるかぎり、神はあなたを死なせはしない。」
この神の御言葉より、私は、「神は全能で、英明な御方だわ。神は万物を創造され、それを支配されてもいる。皆の将来、運命、出生、老化、病、そして死は全て神の御手の中にあるのよ。今日、私がこういった出来事に遭遇するのは、神が私の神への信仰を試しておられ、私が神の証を立てられるかどうかを見ておられるんだわ」、と悟りました。神の御心を知った後、私は自分の抱える困難を全て神の御手に託し、結果がどうなろうと、神に対して文句を言ったり、神を誤解したりせず、むしろ神に祈りを捧げ、神を頼りにし、そして神の主権と采配に従う意思を持ちました。それ以降、私は頻繁に神の前に行って祈りを捧げました:「神よ、あなたは私が霊的に未熟で無知で、あなたへの真の信仰を持てていないことを知っておられます。私があなたに従いたいと思えるよう、どうか私に信念と力をお与えください。」こう祈りを捧げた後、私はとても安心し、気持が穏やかになりました。
一度集会で、ある姉妹が神の御言葉のこの節を読んでくれました:「神は業を行い、人間を慈しみ、見守るが、サタンは常に神の働きの邪魔をする。神が大事にする人間を、サタンも見ていてつけ回す。神がその人間を求めると、サタンは持てる力の全てでどんなことでもして神の行うことを阻もうとし、隠された目的を達成するため、あらゆる邪悪な方法で神の業を試し、邪魔し、挫折させようとする。サタンの目的は何であろうか。サタンは神が人間を得られなくなることを求めている。サタンは神が求める人間を求め、その者を自分のものとして支配し、掌握してサタンを崇拝させ、サタンと共に邪悪なことを行わせることを求めている。これはサタンの悪意に満ちた動機ではないか。あなたがたは、常日頃からサタンが極めて邪悪であると言うが、その邪悪さを見たことがあるであろうか。あなたがたが見ることができるのは、人間が如何に邪悪であるかのみであって、サタンが実際どの程度邪悪であるかを見たことがない。しかし、あなたがたは、このヨブに関する問題でその邪悪さを見たであろうか。(見た。)この問題では、サタンの醜悪な姿と本質が極めて明瞭となっている。サタンは神と戦い、また神をつけ回している。サタンの目的は神が行おうとする業をすべて粉砕し、神が求める人間を自分のものとして支配し、完全に消滅させることである。こうした人間が消滅しなかった場合、その人間はサタンのものとなってサタンに用いられる。これがサタンの目的である。」
姉妹はこのように交流しました、「悪魔サタンは吠えながら歩き回るライオンのようで、ありとあらゆる誘惑を使って私たちを貪ろうとします。実際、私たちが遭遇する出来事は全てサタンが生み出す妨害であり、それは霊的世界で戦いが行われているということです。神は私たちを救うために働きをなされますが、私たちが神に立ち返るためにサタンを見捨て、サタンに反抗しようとすると、サタンは負けじまいと抵抗します。サタンは可能な手段全てを使って私たちを傷つけ、妨害し、騙そうとします。それは悪質な手段を使って私たちの家族に怪我まで負わせ、病気になるようにし、神を誤解して非難するような誘惑に私たちを陥れます。その目的は、私たちが神を拒否し、神に背き、そして神の救いを逃すように仕向け、結果的に私たちをその支配下に取り戻すことなのです。消極的になって神への信仰を失ってしまうと、私たちは確実にサタンの策略に陥ってしまいます。ふり返ってみると、ヨブが誘惑を受けた時、サタンは最も悪質な手段を使ってヨブを拷問し、苦しめました。サタンは彼の所有物の全てと子供達を彼から奪い取っただけでなく、彼の体中に腫物を引き起こし、彼を辛い苦しみに陥れました。しかし、ヨブは悲嘆しながらも神の証言をすることができました。それは彼が神を心から信仰していたがために成し得たことです。従い、このような状況が起る理由として、その1つはサタンの誘惑が降りかかってくる故であるということ、そしてもう1つは私たちが神を心から信仰できているかどうか、そして私たちが神の前に行って、神に近づき、神を頼りにできるかどうかを試すことを神が望んでおられるからであるということを私たちは覚えておくべきです。実は、私たちが自分たちの持つ観念に反する出来事に遭遇すると消極的になり、弱気になり、さらに神への信仰を失ってしまう理由は、私たちの信仰に不純な心があり、それがサタンに私たちを傷つける機会を与えているからなのです。神はこう仰りました、「ほとんどの人々が、平穏やその他の利益のために、神を信じている。あなたは、自分の利益にならなければ、神を信じず、神の恵みを受けられないのであれば不機嫌になる。これがどうしてあなたのほんとうの背丈でありえようか。家族の中で避けられない出来事(子どもが病気になる、夫が入院する、農作物が不作に見舞われる、家族の者たちからの迫害等)については、あなたは、日常生活で度々起こるこうした出来事を乗り越えることすら出来ない。このような事が起きると、あなたは当惑してどうして良いか分からなくなる── そして殆どの場合、神について不満の言葉をこぼす。神の言葉に騙された。神の業が自分を混乱させたのだと、不平を言う。あなたがたは、そのような思いを抱いたことはないだろうか。このようなことが自分に起こるのは希であると思っているだろうか。あなたがたは、こうした出来事のただ中で生活し日々過ごしている。あなたがたは、神への信仰を成功させることや、神の旨を満たす方法については、少しも考えることが無い。あなたがたの真の背丈は小さすぎる。それは、ひよこよりも小さい。……あなたの腹は不満ではち切れそうだ。また、そのために時折集会へ行かなかったり、神の言葉を食すことも飲むこともなく、長期間にわたって否定的になるのが目に見えている。」
神の御言葉を読んだ後、姉妹はこう言いました:「神の御言葉は、私たちが神を信仰する中で、祝福を求めることについて誤った考えを持っていることを指摘しています。私たちはいつも、「神を信仰してさえいれば、神は私たちを祝福して、全てが平安で順調であることを保証してくださるはずだ」、と思っています。私たちは厄介なことに遭遇すると、すかさず神の助けと御加護を請い、神が困難や問題を解決してくれないと、神への信仰を失い、心の中で神を誤解して非難してしまいます。サタンは ‘祝福を得るためだけに主を信仰する’ という私たちの致命的な弱みを利用して私たちを攻撃し、妨害し、私たちと神との間に不和の種をまきます。サタンの策略を完全に見抜くことができなければ、私たちはサタンに捕まり滅ぼされてしまうのです。」
姉妹の交流を聞いた後、私はすぐに心が明るくなったような気がして、私の家族に降りかかったことにはサタンの策略が盛り込まれていたこと、そしてサタンが私を妨害し、傷つけていたことを知りました。そして同時に、神は私の信仰における不純な心を清め、それを変えるために、この機会を使って神を信仰することに関する私の誤った観点を明らかにしてくださったのです。こうして、私は神に従順な心で静かに祈りを捧げました:「私の幼い娘と夫の病が治るにしろ、治らないにしろ、私は不平を言わず、神の働きを体験し、神の御計画と御采配に従うことだけを望みます。」
私が神への信仰に対する誤った観点を捨て、神に従う意思を持った時、意外なことが起りました。その数日後、夫と娘の容態が次第に改善していき、夫は骨髄検査を受けなくてもよくなったのです。一週間入院した後、二人は回復し、退院することができました。神の素晴らしい御加護に感謝します。
この事態を体験した後、私は私たちを苦しめ堕落させるサタンの邪悪な本質について多少の知識を得ました。同時に、私は神の私への愛と救いも知りました。神は私の神への信仰に対する誤った観点を変えるためにこのような環境をお使いになり、私が改心し、神の御計画と御采配に従う意思を持った時、私はもう一度神の素晴らしい御業を目の当たりにすることができたのです。神に感謝します!今後は、自分の観念に反するいかなる出来事に遭遇しようとも、私は神を頼りにし、真理を求め神に従い、そして神を讃え、神を尊ぶために、神の証を立てることに努力したいと思います。