【編集者メモ】周知のとおり、聖書に登場するソロモンとヨブは、二人とも大富豪だったが、最後にはそれぞれまったく異なる結末を迎えた。ヨブが神に認められた一方で、ソロモンは神にひどく嫌われ、拒絶された。彼らの結末これほど異なった理由をご存知だろうか?以下の記事を読んで知っていただきたい。
本日は、旧約聖書に登場する二人の「金持ち」、ソロモンとヨブの話から得た啓きを共有したい。この二人はご存知のとおり、最初は共に神に祝福されたが、異なる最後を迎えた。二人の異なる結末の要因は何だったのか?この問いの答えを見つけるため、彼らの物語を見てみよう。
ソロモンはどれほど裕福だったか
かつて、ヤーウェ神がソロモンの夢に現れ、何を与えてほしいかと尋ねた。ソロモンは神に知恵を与えてくれるよう頼み、これは神に受け入れられた。そして神は次のように言われた。「あなたはこの事を求めて、自分のために長命を求めず、また自分のために富を求めず、また自分の敵の命をも求めず、ただ訴えをききわける知恵を求めたゆえに、見よ、わたしはあなたの言葉にしたがって、賢い、英明な心を与える。あなたの先にはあなたに並ぶ者がなく、あなたの後にもあなたに並ぶ者は起らないであろう。わたしはまたあなたの求めないもの、すなわち富と誉をもあなたに与える。あなたの生きているかぎり、王たちのうちにあなたに並ぶ者はないであろう。」(列王紀上 3:11-13)。ヤーウェ神はソロモンに大きな祝福を授け、優れた知恵を与えただけでなく、彼の国をますます強くして栄えさせたため、多くの国が彼に服従した。以下の聖書の言葉は彼による統治の黄金期における彼の国の豊かさについての詳細な記録である。
「ユダとイスラエルの人々は多くて、海べの砂のようであったが、彼らは飲み食いして楽しんだ。ソロモンはユフラテ川からペリシテびとの地と、エジプトの境に至るまでの諸国を治めたので、皆みつぎ物を携えてきて、ソロモンの一生のあいだ仕えた。」(列王紀上 4:20-21)。
ソロモン時代の黄金期、国の人口は多く、人々はみな平和で満足した生活を送っていた。彼は巨大で強力な軍のある広大な領地を統治していた。周辺国の王たちは貢物を持って彼に仕えるべく訪れ、彼の富は地上の他のすべての王たちの富を集めたものよりも大きかった。これは驚くことではないか?
ヨブはどれだけ裕福だったか
ではヨブが当時どれだけ裕福だったか見てみよう。聖書に次のように記録されている。「彼に男の子七人と女の子三人があり、その家畜は羊七千頭、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭で、しもべも非常に多く、この人は東の人々のうちで最も大いなる者であった。」(ヨブ記 1:2-3)。
これらの節から、ヨブが多くの子どもを持ち豊富な資産を所有していたことがわかる。彼には多くの召使と、山々と平地を覆うほどの家畜がいた。当時彼は事実上、東の地で最も裕福な男だった。
ソロモンは神に嫌われ拒絶された
ヤーウェ神はソロモンに知恵と富を授けた他に、こう約束した。「もしあなたが、あなたの父ダビデの歩んだように、わたしの道に歩んで、わたしの定めと命令とを守るならば、わたしはあなたの日を長くするであろう」(列王紀上 3:14)。しかしソロモンは、父ダビデと違って、生涯神の道を歩むというヤーウェ神の要求に従わなかった。莫大な富を与えられた後、彼は贅沢で安楽な生活におぼれはじめ、神を畏れる道から離れ、次第に心の中で神を見捨てるようになった。さらに、多くの異邦人の女性と結婚し、彼女たちに倣って彼女たちの偶像を崇拝し、ヤーウェ神の次の教えに完全に背いていた。「あなたがたは彼らと交わってはならない。彼らもまたあなたがたと交わってはならない。彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせるからである」(列王紀上 11:2)。
ソロモンは神を畏れて悪を避ける道を歩まず、公然とヤーウェ神の法を破り、ついには神の性質を侵した。神はソロモンに言った。「これがあなたの本心であり、わたしが命じた契約と定めとを守らなかったので、わたしは必ずあなたから国を裂き離して、それをあなたの家来に与える。しかしあなたの父ダビデのために、あなたの世にはそれをしないが、あなたの子の手からそれを裂き離す。ただし、わたしは国をことごとくは裂き離さず、わたしのしもべダビデのために、またわたしが選んだエルサレムのために一つの部族をあなたの子に与えるであろう」(列王紀上 11:11-13)。ソロモンは、そのふるまいのため、神に嫌われ、拒絶され、王国を奪われた。神の祝福を失ってからどうなったかは聖書に記録が無いが、彼の心境は後年にこう言ったことから想像に難くない。「わたしは日の下で人が行うすべてのわざを見たが、みな空であって風を捕えるようである。」(伝道の書 1:14)。彼は神を失ってからも知恵、地位、富を持っていたが、心が全く満たされず幸福でもなく、死ぬまで巨大な宮殿のなかで惨めでわびしい生涯を送った。
ヨブは神に認められた
ソロモンと比べ、ヨブは人生を通して、神を畏れ悪を避ける道からはずれなかった。大富豪だった彼は、贅沢に暮らすだけの資産を持っていたが、神の道を歩み続けた。自分の子どもが宴を張った後はいつも、神に背いたのではとの恐れから、呼び寄せて聖別し、燔祭を神に捧げた。聖書で言われているとおりである、「そのふるまいの日がひとめぐり終るごとに、ヨブは彼らを呼び寄せて聖別し、朝早く起きて、彼らすべての数にしたがって燔祭をささげた。これはヨブが『わたしのむすこたちは、ことによったら罪を犯し、その心に神をのろったかもしれない』と思ったからである。ヨブはいつも、このように行った。」(ヨブ記 1:5)。
後に彼はサタンの試みに遭い——自らのおびただしい富のすべてを失い、子どもを皆失い、自らも体中が皮膚病になってしまうが、それでも決して神を捨てず、神に文句を言わず、依然として神をたたえた。「ヤーウェが与え、ヤーウェが取られたのだ。ヤーウェのみ名はほむべきかな」(ヨブ記 1:21)。彼がそうした試練において証しをした時、神は旋風から彼のもとに現れ、聖書に記録されているように、彼に二重に祝福を与えられた。「ヤーウェはヨブの終りを初めよりも多く恵まれた。彼は羊一万四千頭、らくだ六千頭、牛一千くびき、雌ろば一千頭をもった。また彼は男の子七人、女の子三人をもった。⋯この後、ヨブは百四十年生きながらえて、その子とその孫と四代までを見た。ヨブは年老い、日満ちて死んだ。」(ヨブ記 12-13、16-17)。
聖書の話から、環境が安楽であっても困難であっても、ヨブは決してヤーウェ神を疎んじず、依然として神の道に従ったこと私たちにはが分かる。彼は、神を畏れることで神のために響き渡る証しをし、最後には平和で幸福な晩年を送った。
これらの物語から学ぶべき教訓は何か
ソロモンとヨブは共に神の信者であり、最初はおびただしい富を持っていたが、二人はそれぞれ違った道を歩み、まったく異なる結末を迎えた。ヨブは人生をとおして、神を畏れ悪を避ける道に徹し、最後には神の祝福を得た。ソロモンは比類のない富を得ると世俗の楽しみにふけりはじめ、神を畏れる心を失い、少しの後悔もなく神の掟にわざと反し、ついには、神に気に入られた者から神に忌み嫌われた者へと変わってしまい、神に見捨てられて罰せられ苦しんだ。
ソロモンとヨブの話から、私たちは一つの教訓を学べる。すなわち、私たちはキリスト教徒として、常に神の教えに厳格に従い、神を崇めてはじめて、神の承認と祝福を得られる。特に今日の魅惑と誘惑で満ちた社会においては、私たちの心が一度神からはなれ、神を崇めなくなると、ありとあらゆる悪の潮流に容易く飲み込まれてしまうかもしれない。これまで見てきたように、兄弟姉妹の中には、主から豊かな恵みと祝福を受けた後、主を信じはじめた時は大変熱心だった者もいるし、結婚を放棄して全生涯を神に捧げる者さえいる。しかし後になって、多くは悪の潮流の影響を受け、神の前でなした約束を守るどころか、富と名声を追いかけ、集会に行くことも聖書を読むことも少なくなった。中には、家庭を築くと、教会の仕事に献身しなくなり、自分の家族の生活をよくすることに必死になった者もいた。中にはかつて神に、いくら悪の潮流に誘惑されても、神に背き怒りに触れることは決してしないと誓った者もいた。しかし、彼らもサタンの試みが降りかかると——憧れの異性に追いかけられると、揺らぎはじめ、激しい内的葛藤に悩まされ、誘惑に負けて神に背くことをしてしまい、後悔しながら余生を過ごした。また、一生涯神に仕えると決心した後、親せきや友人からいい仕事を提供されたり、富を得る機会に出会ったりした時に、誓いを守れなかった者もいた。毎日の生活で、そうした試みはよく私たちに降りかかるものであり、私たちももし常に神を畏れる心をヨブのように保つことができなければ、ソロモンのように、神の訓戒と要求に反し、神の道を捨て、ついには神に忌み嫌われ、拒絶されることになりかねない。聖書で言われている。「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいて下さるであろう。」(ヤコブの手紙 4:8)。したがってそのような悪の世界に生きる私たちは、毎日神の前に行って、常に祈り、神に近づき、神を畏れる自らの心を守って下さいと願うべきである。そして最も重要なのは、私たちは心の中に主の教えを留め、神の道を歩くこと——ヨブのように、神を畏れ、悪を避けることである。そうすることによってのみ、私たちは悪の潮流に誘惑されず、神が私たちに授けて下さる最も尊い富——天国の祝福を失わずにすむのである。
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