聖書には次のように記載されています。「主を恐れることは知恵のもとである、聖なる者を知ることは、悟りである。 」(箴言 9:10)。私達は全員、神様こそ知恵の源であられることを知っています。実際、私達が日々の生活でどのような困難に遭遇したとしても、真実の心で、神様に祈り、神様に頼る限り、神様から御知恵を授かり、困難を解決してしまうでしょう。
先日、上司が私と2人の同僚に、ある業務を割り当てました。上司は、私達1人ひとりにテーマポスターをいくつかデザインするように命じました。その上、今回のポスターでは厳格な要件が設けられており、この種のポスターを私はそれまでデザインしたことがありませんでした。最初、やり遂げることができないかもしれないと私は不安になりました。しかし、「これまでこの種のポスターをデザインしたことはないが、別の種類のポスターならこれまでもデザインしたことがある。インターネットでいくつかの情報を検索すれば、もしかしたら上手くやることができるかも知れない」と考え直しました。そこで、デザインを考え始めました。いくつかの関連するコースをオンラインで検索し、私がこれまで集めてきたポスターを1つずつ見ていきましたが、頭には何も浮かばず、どうデザインすればよいかが分かりませんでした。その時、私は不安になり、「他の2人の同僚が仕事を完成して、私にできなかったら、私は実力不足で、本当の能力や学習能力がなく、この会社でデザイナーの振りをしているだけと上司は考えないだろうか?」と思いました。それについて考えれば考えるほど、集中できなくなりました。
そして、助けを求めて1人の友人のところへ行き、彼女には何か考えやよい提案がないかを尋ねました。彼女はいくつかの参考写真を見せてくれました。これらの写真を見ても、ポスターをどうデザインしたらよいか分かりませんでした。そのとき、2人の同僚はデザインを完成させたと聞き、さらに不安になりました。そして、2人の元同僚がこの種のポスターを前に作成したことを思い出し、助けてくれることを願いながら、急いで彼らのところへ行きました。しかし、物事は私の願いと反した展開になりました。2人共忙しく、時間がなかったのです。空白のままのソフトウェアインターフェースを見ながら、あまりにも不安になり、ほとんど泣き出しそうでした。
万事休すでどうすればよいか途方に暮れていたちょうどそのとき、神様に頼るべきだとうことを思い出しました。聖書では次のように記載されています。「これは、主が知恵を与え、知識と悟りとは、み口から出るからである。」(箴言 2:6)。私は、「その通りだ!神様は知恵の源で、真実の心で、神様に頼り、神様を仰ぐ限り、神様の御啓示とお導きを受け、すべての困難を解決することができる。当初、モーゼがイスラエル人達を率いてエジプトを出国していたとき、彼らは前方には紅海が広がり、後方にはエジプト王の兵士が迫り、進退窮まっていた。しかし、モーゼは神様に心から祈り、神様に頼ることで神様の驚くべき御偉業を目の当たりにした。紅海が開き、乾いた大地が現れ、イスラエル人達はエジプト人兵士の追っ手から逃げおおせることができた。同様に、小さなダビデがペリシテ人の巨人と戦ったとき、ペリシテ人は剣と槍と盾を使ったが、ダビデは万軍の神、ヤーウェの御名に頼った。ダビデは神様に頼ることで、投石具と石1つでペリシテ人の巨人を倒した。ですから、私が神様に頼るならば不可能なものは何もない。神様は私の最強のサポーターなのだから」と考えました。
この考えに、自信が湧きました。そして、心からの御祈りを捧げ、私が遭遇している困難を神様に委ねました。御祈りを捧げ、神様の御前で心を静めてから、ポスターのデザインに取り掛かりました。参考写真を検索したり、エレメントをデザインしたりする度に心の中で静かに神様に祈りました。無意識のうちに、何らかの考えと、前よりも明確な方向性を持つようになっていました。私が目にした参考写真が何であれ、その重要な箇所を見つけることができ、それをデザインに加えることができました。2時間後、私は7つのデザインを完成させました。これらを眺めていると、1日かけても完成できなかったデザインを神様に祈り、神様に頼って2時間後に完成したことが、とても信じられないような感じがしました。これは、神様の御啓示とお導きあってのことで、神様が私に御知恵を授けてくださったことが分かっていました。その後、私がポスターを上司に見せると、上司はこれらの出来栄えに満足し、高い評価をしてくれました。私は心から神様に感謝の気持ちを捧げました。一方、私は、神様に頼り、神様を仰ぐ限り、困難は何もないこと、そして神様に頼る限り、私達には無限の知恵が与えられることを深く経験しました。すべての栄光は神様のものです!
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