賛美の心

こちらでは賛美、礼拝、心を主の前において静まり、まことの心で神様を賛美することだけです。

人生の意味ー命をお金と引き換えにする人生に別れを告げる

2019-05-03 22:42:19 | 人生の奧義

   「お金のために生き、お金のために死に、一生のあいだお金を追い求める。お金のために負け、お金のためにだまされ、お金のために生き、そして死ぬ」。この言葉は、今の時代に多くの人が一生涯、追い求めているものであり、この記事の筆者もその例外ではありません。かつて彼は、自分の命をお金と引き換えにし、お金で命を買い戻し、大きな痛みの只中に生きていました。そんな彼が神を信じ始め、神の言葉を読むことよって初めて人生の真の意味を理解するようになり、お金と引き換えの人生に背を向けて新しい人生を始めることができるようになったのです。

寄稿家:赵真(米国)

   近頃広まっている二つのフレーズを最近ネット上で見かけました。「お金のために生き、お金のために死に、一生のあいだお金を追い求める。お金のために負け、お金のためにだまされ、お金のために生き、そして死ぬ」と「何においてもお金を稼げるかを考え、札束を分厚くしよう。」今日のお金中心の社会では、多くの紙幣を持つことが皆の目標になっています。そして「お金は全てに勝る」「地獄の沙汰も金次第」「金なしでは何もできない」という考え方は強まり、人生を導く道しるべになっています。私たちはこういった格言を疑わず、それを見放すこともありません。そしてもちろん、私も例外ではありませんでした。

命をお金に換えていた私の以前の人生

   私が19歳の頃、熱意に満ちていたことをぼんやりと覚えています。なるべく手早くたくさんお金を稼ぐため、電気設備チームでの実習期間中は技術を習得しようと必死に勉強しました。自分の家族ができると、さらにエネルギーのすべてを仕事に注ぎ込み、毎月、全実習生のうちで最高額の賃金を家に持ち帰っていました。後に、1日400元の賃金を稼ぐため、昼も夜も働くようになりました。夜中に電話を受けることもしばしばで、暖まってきたばかりのベッドを抜け、出かけたものです。私は日本で働いていた時の悲しい体験を忘れたことはありません。私は、休日も休憩時間もとらず、最低でも1日12時間働いていました。とても厳しく、大きなプレッシャーを伴う仕事で、その結果私は心疾患を発症し、髪もほとんど抜け落ちてしまいました。それでもなお、私はこういった苦労に耐える覚悟でした。お金を稼ぐためです。ぜんまい仕掛けの機械のように、私はお金儲けの最前線で死に物ぐるいになって働き続けました。2年後、もっとお金を稼ぐために、米国へ行きました。数年間、さまざまな雑役を引き受けたりレストランの料理人になったりして必死に働きました。私が経験した辛苦すべてを事細かくお話する必要はありません。でも、自分が手に入れた札束が分厚くなっていくのを見ると、そのお金を稼ぐのに費やした厳しい労働のことは一切忘れていました。

   その後、長期間にわたって度を越えた働き方をしてきたために私の体は危険信号を発しました。重度の胃腸障害、頸椎症、腰椎椎間板ヘルニアおよび肩関節の関節炎を発症したのです。胃が痛くなり始めると、体中に冷汗が流れ、完全な無気力状態になりました。頸椎症が再発すると、脳に十分な血液が行き渡らず、しばしば気分が悪くなったりめまいを感じたりしました。そのためしょっちゅう病院に駆け込まなければなりませんでした。私の疲労困憊した体と稼いだドル紙幣とは等価になり、突如、私はとても悲しい気持ちになりました。10年を超える厳しい労働の中で、ひたすら働くことだけを求めて全く人生を生きておらず、財布には分厚い札束を貯めこんだものの、健康を損ねてしまったのです。私は今まで何のためにあがいてきたのでしょうか?命をお金に換えることに人生の半分を無駄にし、それからまた命を買い戻すためにお金を使っていたのです。一体それだけの価値があったのでしょうか?

   不意に過去を振り返ってみて、それまで道中の風景を楽しむ時間もなく、私の半生は静かにすり抜けていったように感じました。お金のために労働に費やした日々を意識して数えてみるうちに、私の心は無力感でいっぱいになりました。人間の生涯とは、自らを消費し尽くす機械のようなものでしかないのか。お金を稼ぐために生き、お金を稼ぐために死んでいくものなのか?なぜ人生はこれほど苦しみに満ちているのだろうか?

人生が苦しみに満ちている理由

   ある日、幸いにも私は神の言葉を読み、探し求めていた答えを見つけました。

   神は言われます。「『地獄の沙汰も金次第』はサタンの哲学であり、人類全体に、あらゆる人間社会に浸透しています。この格言は人間一人ひとりに伝えられ、今や一人ひとりの心の中に固定しているので、社会動向であると言うことができます。…サタンがこの社会動向を用いて人を堕落させた後、それは人にどのように表れますか。皆さんは金がなくてはこの世で生き残っていけない、一日でさえも不可能であると感じませんか。(感じます。)人の地位は、体面と同様に、その人がどれだけ金をもっているかにもとづいています。貧しい人々は恥ずかしさのあまり背を丸め、その一方で富裕な人々は高い地位を享受しています。彼らは胸を張って威張り、大きな声で話し、傲慢に暮らします。この格言と社会動向は人に何をもたらしますか。多くの人が金を稼ぐことは、あらゆる犠牲を払う価値があると考えていませんか。…サタンはあらゆる時にあらゆる場所で人間を堕落させます。サタンは人間がこの堕落に対して防御することを不可能にし、それに対して人間を無力にさせます。うっかりしていたり、自分に何が起きているかを認識していない状況において、サタンはその思想、観点、サタンから来る邪悪な物事をあなたに受け入れさせます。人はそれらをすっかり受け入れ、それに苦情を言うこともありません。それらを宝のように大切に抱えて、それらが自分を操り、もてあそぶままにします。このようにしてサタンによる人間の堕落はますます深まるのです。」

   神の言葉によって、「お金は全てに勝る」「地獄の沙汰も金次第」「金なしでは何もできない」といった思想や見解はサタンから来ていることを理解しました。サタンはそういった格言で私たちをだまし縛りつけ、お金を持つとはすべてを手に入れることである、お金を持つとは他人から尊敬され賞賛されることである、お金を持つとは素晴らしい華やかな人生を送ることである、そしてこのようなことが価値と意味のある人生である、と考えるように仕向けます。このようなばかげたサタンの思想が私たちのいのちになり、私たちは最後には富を得るためならどのような対価もいとわないようになってしまいます。このようなサタンの思想や見解に自分がいかに支配されてきたかを振り返ると、私はお金を稼ぐために昼も夜も必死に働き、不規則な時間に食べたり飲んだりし、夜に安らかに眠ることはできず、体質はどんどん衰えていったのに、気にも留めていなかったのです。後にはお金が命と考えて、家族を残して日本と米国へ行き、さらにお金を稼ぐために何年間も働きました。確かに私はさらにお金を稼ぎ出していましたが、心疾患、胃腸障害、頸椎症などの病気に次々と悩まされ、ついにはあまりに両腕が衰えて真っ直ぐ伸ばすこともできないほどになって、ひどい痛みを抱え生活していました。神の言葉を通して初めて、すべては自分がサタンの悪い思想と考えにだまされてきたせいであることが分かるようになりました。私は不本意にもお金への欲求に制御され、操られ、ついにはお金の奴隷、いけにえになり下がっていたのです。このことに気づいてからは、私は神の前に戻るべきであり、これ以上サタンの思想と見解によって生きてはならない、そして二度とお金の奴隷になってはならないと思いました。その後、私は普通の勤務時間を守り、終わりのない残業をやめました。

陥りがちな罠にはまって初めて本当の人生の意味を知った

   とはいえ、私はあまりに深くサタンに惑わされてきたため、お金、名誉、富は既に私の心に根を張り巡らしており、それらを取り除くのは並大抵のことではないと思われました。会社を15年運営してきた私の上司が500万ドルを稼ぎ出し、最近豪華な別荘を買ったと言うのを耳にし、私の心はその後しばらくざわついていました。確かに人生は生きるためにあるとは思いました。本当に何も成し遂げずに自分の人生を生きていていいのだろうか?自分のレストランを開くのが私の夢であり、自分のレストランが持てたら二度と誰からも見くびられることはないはずです。気づいた時には、私はまたお金を稼ぐために必死に働き、命をお金と引き換えにする以前と同じ人生を再び生きるようになっていました。教会の集会に出席する代わりに、私は職場で残業をしました。ほどなくして、私は流行性の風邪にやられ、心疾患は再び悪化し、それはひどい苦痛をともないました。

   ちょうど私が痛みに苦しんでいたとき、神は再び救いの手を差し伸べてくださいました。教会の姉妹の1人が映画『福と禍』を送ってくれたのです。主人公がお金を追い求めて働くために日本へ行き、自らの健康を顧みず、ついには全くお金を稼げず、入院しなければならなくなるのを見た私はため息をつき、これはまさに私の人生そのものではないか、と思いました。この映画の中の神の言葉の一節がちょうど次のように言っています。「人間は、金銭と名声を求めて人生を過ごし、そうしたわらしべを握りしめて、あたかもそれがあれば生き長らえて死から免れられるかのように、それが唯一の助けであると考える。しかし、死が迫る時になって初めて、こうした物事がどれほど自分に無縁であるか、死に直面した自分がどれほど弱いか、どれほど脆いか、どれほど孤独であり、誰にも頼ることができず絶望的であるかを知る。人間は、いのちを金銭や名声で買うことが出来ないこと、いかに裕福であっても、いかに高い地位であっても、死に対して人間は皆同様に貧しく些細な存在であることを知る。人間は、金銭で命を買えないこと、名声で死を消し去れないこと、金銭も名声も、一分一秒たりとも人間の寿命を延ばせないことを知る。」


命をお金と引き換えにする人生に別れを告げる

   主人公が得た理解は、まるでそれが私自身の個人的な体験であるかのようで、深く心を動かされました。「サタンがお金と名誉で人を支配しています。でもサタンの策略が見破れず、お金と名誉で人間を毒するということもわかりません。このため、私達は渦巻きから抜け出せないのです。サタンに惑わされ、害を与えられているのに。」そのとおりです。サタンの狡猾な悪だくみと卑劣な手段を完全には見抜けないので、不本意にもサタンに弄ばれ、傷つけられてしまうしかないのだ、と私は思いました。全身全霊でお金を追い求め、もっと稼ぐために自分の健康を喜んで犠牲にし、サタンにだまされて費やした自分の半生を思い出しました。働き盛りにあったはずの私は、絶えず病気をし、いつも薬を飲んでひどい痛みの中に生きていたのです。これは何を意味していたのでしょうか?お金と命、どちらのほうが大切でしょうか?私は突然、8年間米国で働き、末期がんの診断を受けた旧友のことを思い出しました。彼はその後、わずか3か月で亡くなりました。米国で10年以上のあいだ働き、大金を稼いだ別の人も不治の病にかかり、家族みんなを残して亡くなりました。このような恐ろしい話はひとつの事実を告げています。地位がどれほど高かろうと、どれだけ裕福だろうと、自らの命を延ばす機会を買うことはできませんし、死ぬときには何も持って行けないのです。主イエスが仰っていたとおりです。「人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。」サタンの狡猾な悪だくみを見抜けず、以前からの間違った道を進み続け、お金を追い求め、さらに分厚い札束を手に入れることを望み、自分の命をお金と引き換えにしていたなら、私を待っているのは悲しい結末だけです。

過去に別れを告げ、新しいいのちを迎え入れる

   私はさらに神の言葉を読みました。「こうした状態から自由になるための非常に簡単な方法があります。それは、自分の以前の生活様式や人生の目標と訣別し、以前の生活様式、人生観、追求、願望、理想を概括し、分析し、それを神の旨や人間への要求と比較し、それらのいずれかが、神の旨や要求と一致しているか、人生の正しい価値をもたらすか、一層深い真理の理解へと導くか、人間性と人間らしさとともに生きることを可能にするかを確認することです。…このことを確認した後の作業は、以前の人生観を捨て、様々な罠から離れ、自分の人生を神に託して神による采配に委ね、神の指揮と導きのみに従うよう心がけ、それ以外の選択肢をもたない神を崇拝する者となることです。」

   神の言葉は実践の方法をはっきりと示してくれました。サタンの邪悪な誘惑を避け、命とお金と引き換えにする古い人生に別れを告げたいなら、誤ったことを人生の目標に掲げるのをやめ、二度とサタンの悪い考えによって生きることのないようにしなければなりませんでした。そして1人の人間として行動をし、神の言葉の光の道を先へ歩んでいかなくてはいけません。個人的な体験を通し、かつての私の人生の見方、お金が人生そのものだという考えが、実際には私を弄び、傷つけるサタンから来ていたのだと気づきました。その価値観はサタンが私にかけた鎖であり、瞬く間に消え得る無価値なものでした。私に残された時間の中で、二度とサタンの狡猾な悪だくみに陥ってはいけないと思いました。私は神によって創られたのであり、神を崇拝し、神に従い、神の権威と導きの下で生きていくべきです。それは唯一、本物の未来と真の価値を伴う人生なのです。

   それから間もなくして、ある日、私の上司の夫人から電話があり、レストランへ行って手伝うようにと言われました。しかし、これまでお金のために徹底して働いてきた時期について思いめぐらし、彼女の依頼を断りました。私は残りの人生の新しい計画を既に持っていたからです。それはもっと休息をとり、健康に気を配り、集会や本分を尽くすことに決して遅れないという前提の下、自分の最善を尽くせる仕事を見つけることでした。これから残りの人生、私の主権者は神です!

   筆者は次のことを共有したいと願っています。

   私はお金の追求をやめ、神の救いを得ることを喜びます。

   人生に残された時間を大切にし、進んで神に従い、神を礼拝します。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿