賛美の心

こちらでは賛美、礼拝、心を主の前において静まり、まことの心で神様を賛美することだけです。

災害から人を御救いになる神の丹誠を惜しまぬ御心遣いを体験しました

2020-07-26 23:53:10 | 勝利者の証し

   2012年7月21日、過去60年で最悪の豪雨が降りました。私はあの集中豪雨の中で神の御業と神が人を御救われる方法を目にしました。

   あの日の午後、私は三人の姉妹と合流しました。外では雨が激しく降り続けていました。午後4時30分、無信仰者である私の旦那が、ロータリーに沢山水が溜まって人が通れなくなっていると言いながら戻ってきましたが、それでも午後5時になると、彼は急いで夜勤に出掛けて行きました。その時私は何もおかしな気がしていなかったので、普段通りに夕食の支度に取り掛かりました。午後7時になると、私達の住人が私を呼びながらドアをノックしてきたので、様子を見に外に出た時、私は人生で一番大きなショックを受けました。なんと雨水が既に中庭を水浸しにして、家の東楝と西楝に入り込んでいたと同時に地面の水位がどんどん上がって来ていたのです。私は息子と一緒に水の流れを抑えようとしましたが効果はありませんでした。切羽詰まった私は水の中で跪き、「ああ神様、どうか私に逃げ道を御開き下さい」、と神に呼び掛けました。その瞬間、旦那の会社から電話があり、旦那が家にいるかどうかを聞かれましたが、私が電話に出た時には水が既に家の中心部まで入り込んでいたのです。私は状況の深刻さを認識し、旦那の状況を知らなかった私は彼の事が心配になり始めました。私は再度、水の中で跪いて、不安の中で神にこう呼びかけました、「ああ、神様!私はこの鉄砲水に巻き込まれて、初めてあなたの御怒りを感じ、自分の犯した反抗的な態度と裏切り行為に気が付きました。あなたは私達の心をあなたに向けて下さり、あなたに頼りながら楽に生活をさせて下さっておられるというのに、私は未だに家族、旦那、そして子供達に執着して、手放すことが出来ておりません。ああ神様!私はやっと人間同士の間では誰も人に何かをもたらすことは出来ない、そして人は誰も救うことが出来ないのだと解りました。私はあなただけを頼るようにいたします。私の旦那は職場に向かってからもう4時間が経ちますが、未だに会社に到着しておりません。道中で何か起ったのかもしれません。私はあなたに旦那のことを委ねます。何が起ろうと、私はあなたの御計画と御采配に従います!」私はこのように何度も祈りを捧げ続けました。そして午後9時頃、私の旦那が突然びしょびしょになって私の前に現れたのです。私は神に旦那を救って下さったことをひっきりなしに感謝しました。この時、水は既に私の太ももの付け根まで上がってきており、私は旦那を掴んで、「一緒に祈りを捧げて。私達のいのちは神の手中にあるのよ」、と言いました。私の旦那はうなずいて賛成し、私達は水の中で跪いて祈りを捧げました。祈りを捧げていると、私達の住人が突然、「水が減っていく!減って行ってるぞ!」、と叫んでいるのが聞こえました。私は心の中で興奮しましたが、外では未だ雨が降っていたのに、水はどうやって減って行ったというのでしょうか?これは神の全能さによるものだったのです!神はなんて素晴らしく、信頼出来るお方なのでしょう。神は人をとても愛して下さっておられるのです。私達はとても反抗的で、とるに足らない存在であり、神はその私達をとても哀れんで下さっておられ、そして私達の泣き叫びに御耳を傾けて下さり、私達を災難から御救い下さっておられるのです。私はどの言葉を使って神に対する感謝と崇敬の意を表現したら良いのか本当に分かりません。

   この豪雨が去った後、私の旦那、義理の母、そして私の同僚までが神を信じるようになり、私は神に彼らを御救い下さったことに感謝しました。私は今回の体験を通じて、神は人類を滅ぼすためではなく、むしろ人類を救えるようにするために災害を起こしておられるのだと明確に理解することができました。一方で、神は、神を信仰してはいても盲目で反抗的な子供達は依然として生半可であり、神を欺いては裏切っているという警鐘をお与え下さります。他方では、元々は神に属していたが依然としてサタンの支配下に生きる哀れな魂全てを救うことをもより重要な目的とされておられるのです。この救いの手段には神の丹精をこらした御気遣いが多く込められているのです。これについて神はこう仰っておられます。「今日、わたしは赤い大きな竜の国に降り立つだけではなく、わたしの顔を全宇宙に向け、天空全体が揺れるようにする。わたしの裁きが行われない場所が一つでもあるだろうか。わたしの投げつける懲罰が行われない場所が一つでもあるだろうか。わたしは行く先々に、あらゆる災いの種を蒔いた。これは、わたしの働く方法の一つで、必ずや人間を救う行いなのであり、わたしが人間に差し伸べるものは、何であれ、一種の愛なのである。わたしは、さらに多くの人々がわたしを知り、わたしを見ることができるようにし、そうして長い間人々が見ることのなかった神、だが、今日、現実となった神を、崇めるようにしたいのだ。」(『言葉は肉において現れる』の「十章」より)私はもう一度神を讃えずにはいられなくなりました。「ああ神様、私はあなたの成さることは全てが私達を救って下さるためであるということをこの目で確認することができ、あなたの愛は紛れもなく真なるものであるのだと分かりました。今私は、あなたの全能さと御知恵を正しく認識することができ、あなたの愛、御救い、そしてそれ以上に、あなたの熱心な御意図をはっきりと捉えることが出来ています。私はこれ以上、それに対し無関心であったり、忘恩でいるわけにはいきません。私はあなたの御国の福音を広めるため、より多くの失われた魂をあなたの御家族に導き戻すために私の全てを捧げ、そうすることであなたから頂いた偉大な愛にお応え出来るよう私の心を心の底から捧げることのみを望んでいます。」


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