賛美の心

こちらでは賛美、礼拝、心を主の前において静まり、まことの心で神様を賛美することだけです。

カトリックの信仰:私はやっと神の御名の裏に隠された秘密が分かりました(I)

2019-04-16 09:32:59 | 神に帰す証

  神は律法の時代にヤ―ウェという御名を、恵みの時代にはイエスという御名を使われました。そしてヨハネの黙示録には、神がまた他の新たな御名をお使いになることが預言されています。神はどうして御名をお変えになるのでしょうか?私はこの真理を理解してなかったため、主イエス様が再臨されるとは殆ど思っていませんでした。しかし、私はしばらく探求と調査をした後、ついに神の御名の裏に隠された秘密を理解して、主イエス様の再臨をお迎えすることができたのです。

観念を抱き、神への心を閉ざしていました

  2017年9月、私の友人は説教をしていただくためにヤン兄弟を招待しました。その日、私は予定よりも早く指定の場所に行き、全員が挨拶をし終えた後、私たちは聖書の勉強会を始めました。

  ヤン兄弟は神が人類のためになさる救いの働きについて交流し、聖書の内容もまとめて話してくれました。彼は律法の時代にヤ―ウェ神がなされた働き、恵みの時代に主イエス様がなされた十字架の贖いの働き、そして終わりの日に神が巻物と7つの封印を開かれるというヨハネの黙示録に記された預言について話してくれました。ヨハネの黙示録には神が全ての教会に語りかけられ、耳のある者は誰もがそれを聞くということも預言されていました。クリスチャンであろうと、カトリックであろうと、東方正教会の信者であろうと、私たちは主イエス様の再臨をお迎えできるよう、賢い子女となり、神の御声に注意を払わなくてはなりません。ヤン兄弟の説教は理路整然としており、啓蒙に満ちていました。それは私にとって非常に有益な内容でした。私は何十年も神も信仰していますが、人類を救う神の働きをこれほど明確に説明する人の話は一度も聞いたことがありませんでした。私はとても幸せになり、ヤン兄弟の説教をずっと聞いていたいと思いました。

カトリックの信仰,私はやっと神の御名の裏に隠された秘密が分かりました

  昼食後、ヤン兄弟は笑顔で言いました、「聖書の中のペテロの第一の手紙4:17には、『さばきが神の家から始められる時がきた。……』と記述されています。これより、神は終わりの日に再臨される時、全人類をそれぞれの種類に従って分類するために裁きと清めの段階の働きをされ、最終的にサタンの性質を清められた人々は天国に入るということが明確に分かります。主イエス様は既にお戻りになり、裁きの働きを神の家から始められ、ヨハネの黙示録に預言された巻物は開かれているのです。姉妹、神が終わりの日に仰せられた御言葉を読んでみたいですか?」

  「え?主が再臨されておられる?巻物が開かれている?」私はヤン兄弟がそういったのを聞いてとても驚きました。両面に文字が書かれた伝説の羊皮紙の巻物が開かれたのかと思うと、私はとても興奮しました。ヤン兄弟は私にある書籍を手渡し、私はそれを受け取った時に、「これが神がお開きになった巻物ですか?」と聞きました。私は待ちきれずにこの書籍を開き、最後のページまでめくると、「全能神教会が出版する」 、と書いてあるのを見て唖然としました。私は「ヤン兄弟が全能神教会の信者なのかしら?」、と思いました。私はこれを少し不満に感じてこう思いました:「全能神教会の信者たちは全能神という神を信仰していると聞いたことがあるけど、私が待っているのはイエスという神よ。どうして全能神などと呼ばれているのかしら?いいや、これはもっと検討する必要があるわ。」そして私はこう言いました:「すみませんが、今晩は店番しないといけないから。今日はここまでにしましょう。」ヤン兄弟は私が立ち上がってその場を去ろうとしているのを見て、私にこう忠告してきました:「姉妹、私たちは神の仰せられる御言葉を注意して聞く必要があります。何か質問があったら、一緒に探求して祈りましょう。」彼は、神の羊は神の御声を聞くことができると言って、神の導きを得るためにもっと祈り、もっと探求するよう私に言いました。

戦いの真っただ中、神はまた御使を遣わして、ドアをノックされました

  その後の数日間、あの日聞いたヤン兄弟の交流について考える度に、私は心の中で絶えず葛藤しました。「ヤン兄弟の交流には本当に聖霊の啓蒙と導きがあったわ。全能神が本当に主イエス様の再臨であっても、私がそれに関する交流に耳を傾けないとしたら、それは神に対して心を閉ざしていることにならないかしら?でも、神の御名はイエスであるとはっきりしているのに、どうして全能神だなんて呼ばれているのかしら?」私はこれについて考えれば考えるほど、増々葛藤しました。私は探求し続けるべきかどうかが分かりませんでした。私はその後、律法の時代に人生を通して神に仕え、ヤ―ウェという御名を口に出して呼んでいた祭司長、律法学者、そしてパリサイ人たちは、主イエス様が働きをしに人類の中に来られた時にメシアという名の御方以外はいずれも神ではないという自分たちの観念を固執していたことについて考えました。それ故に、彼らは主イエス様に抵抗し、主イエス様を非難して十字架に釘付けにしてしまいました。私は過去に生きた人たちの苦い失敗経験から学ばなくてはなりません。私は彼らと同じ誤まった道を歩むわけにはいかないのです!

  その二日後、ヤン兄弟、ヂャン姉妹、そして私の教会の友達であるファンさんが私に会いに店まで来てくれました。ファンさんは、以前は反抗的で抵抗的であったけれども、その後に終わりの日の全能神の働きに対する確信を得たという体験を話してくれました。私はとても感動し、彼らと一緒に続けて主の再臨について話し合いたいと思いました。

  そして私は心を開いて自分の持つ困惑について話しました:「私は幼い頃から母と一緒に主を信仰してきました。人生の半分を通して主イエス様の御名に祈り、主からたくさんの祝福をいただきました。主の御名は明らかにイエスです、しかし、あなた方は主が全能神という御名の下で御言葉を仰せられていると言っています。これは一体どういうことなんでしょうか?全能神という御名を受け入れてしまったら、主イエス様に背いているということにならないでしょうか?」

  ヤン兄弟は落ち着いた口調でこう返答しました:「姉妹、主が全能神という御名で新たな働きをされていることを直ぐに受け入れられないというのは極めて普通のことです。これは神の御名に関する真理を明確に理解できていないことから生じています。これについて考えてみましょう。律法の時代、神の御名はヤ―ウェでした。しかし、恵みの時代になると、イエスに変わりました。イエスという御名を受け入れることはヤ―ウェ神に背くということでしょうか?」

  私はヤン兄弟の言葉に驚いて、すかさずこう言いました:「もちろん、違います。主イエス様とヤ―ウェは同じ神ですから。」

  ヤン兄弟は笑顔でこう言いました:「姉妹、ヤ―ウェとイエスが同じ神なら、どうしてヤ―ウェはその御名をイエスに変えたのでしょう?年十年も主に祈りを捧げてきた後、私たちは主がどうしてイエスと呼ばれているのかを知っているでしょうか?私たちは神の御名の裏に隠された秘密を知っているでしょうか?」

  私は何も言いませんでしたが、心の中で「どこに行けばこの秘密について知ることができるのかしら?」、と思いました。

  何も言わない私を見たヤン兄弟は携帯電話を取り出して、私のために全能神の御言葉を2節見つけてくれました。

ヤ―ウェとイエスという神の御名が持つ意味

  私は全能神のこの御言葉を読みました:「なぜヤーウェとイエスはひとつであるのに、違う時代には異なる名前で呼ばれるのか。それは働きの時代が違うからではないのか。ひとつの名前で神全体を現わすことができるのだろうか。この様に、神は違う時代には異なる名前で呼ばれなければならない。そして時代を変え時代を現わす名前を用いなければならない。なぜなら、ひとつの名前だけで神を完全に表すことはできないからである。そしてそれぞれの名前はある時代の神の性質を表すだけで、神の働きを表すためだけに必要である。よって、神は時代全体を表すために、どんな名前であれ神の性質に合う名前を選ぶことができる。ヤーウェの時代であれ、イエスの時代であれ、それぞれの時代は名前によって表されている。」 (『神の働きのビジョン(3)』より) 「『ヤーウェ』はわたしがイスラエルで働きを行っている間に用いた名前であり、人を哀れみ、人をののしり、人の人生を導くことのできる、イスラエル人(神に選ばれた人々)の神という意味である。それは偉大な力を所有し、英知に満ちた神という意味である。『イエス』はインマヌエルであり、愛に満ち、慈悲心に満ち、人の罪を贖う捧げものを意味する。イエスは恵みの時代の働きを行い、恵みの時代を表すので、経営(救いの)計画の一部分しか表すことはできない。……各時代、各段階の働きにおいて、わたしの名前は根拠のないものではなく、代表的意味を持っている。それぞれの名前は一つの時代を表す。」(「救い主は既に ‘白い雲’ に乗って戻られた」より)

  ヤン兄弟はこう言いました、「この全能神の御言葉より、各時代における神の御名は常に意味があるということが分かります。それらは神がその時代になされる働きと、表される性質を象徴しています。私たちは誰もが一番最初の人類は全てにおいて無知であったことを知っています。彼らは生き方、人との触れ合い方、神を礼拝する方法、そして神を崇める方法も知りませんでした。そして、神は律法の時代に、ヤ―ウェという御名によって、人類が必要としていたことに応じて働きを開始されました。神は慈悲、呪い、威厳、そして怒りの性質をお見せになられました。神はモーセを遣って神の律法と戒律を宣言され、その結果、人類は神が天と地と万物を創造されたこと、そしてどのようにして捧げものをして、神を礼拝するべきか、何が善良で何が悪であるか等を知りました。律法を違反した者たちは石打の刑で殺されるか、天から降る炎によって焼き滅ぼされましたが、その一方で律法に従った者たちは神の慈悲と祝福を受けました。神は彼らの行動を統一し、秩序と規則正しさのある生活を送るよう彼らを導かれました。律法の時代後期になると、人類はサタンにひどく堕落させられて、律法と戒律を守ることができなくなり、全人類が律法によって死刑に処される危険に直面しました。彼らは神が受肉して人間のために罪の捧げものとなり、人間の犯した罪を償われた時、初めて神の御前に行く資格を手にしました。従って、神はイエスという御名で人類の罪を贖う段階の働きをされ、慈悲と愛の性質を表され、悔い改める道をもたらしてくださり、寛大で寛容な心を持つこと、そして敵を愛すること等を教えられました。神はまた病人を癒され、悪霊を追い出され、人類に豊かな恵みをもたらしてくださりました。最終的に、主イエス様は十字架に釘付けにされて贖いの働きを成就されました。そして私たちは、主の贖いの働きを受け入れて、神の御名によって祈りを捧げてさえいれば、お許しいただいて、神から来る平安と喜びを受けることができるのです。神の過去2段階の働きから、神は異なる時代において、神の働きの必要性と堕落した人類が必要とすることに応じて異なる御名を使用されるということが分かります。こうして、私たちは神に関して更なる理解を得ることができると同時に、神の有するものと神そのものを制限しないでいられるのです。」

  全能神の御言葉とヤン兄弟の交流を聞いた後、私は突然こう気が付きました:「神がご使用になる御名は神の働きの必要性と私たち堕落した人類が必要とするものに基づいているんだわ!神がどの時代にどういった御名をお使いなっても、それは全てその時代における神の働きと性質を象徴していて、それら全てに意味があるのよ。私は長年に渡って主を信仰してきて、毎日主に祈りを捧げてきたのに、主の御名にこんな深い意味があったなんて全く知らなかったわ。しかも、私は以前、律法の時代のヤ―ウェの性質がどうしてあれほど威厳に満ちていたのか、それと律法違反を犯した人たちがどうして燃やされて、罪に定められていたのかを決して理解していなかったわ。しかし、主イエス様は人々に対して慈悲と愛で満ちておられ、何度でも許すよう仰せられているわ。それは当時の神の働きは内容が違ったし、神が表された性質も違うものだったからなのよ。これには人類を救おうという神の親切な御旨が含まれているのよ!」


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