賛美の心

こちらでは賛美、礼拝、心を主の前において静まり、まことの心で神様を賛美することだけです。

偽キリストを見分けることを学んでこそ、主を迎えることができる

2020-07-13 23:30:01 | 真のキリストと偽キリスト

   【編集者メモ】聖書には終わりの日には偽キリストが現れるという預言があります。では、主の再来を迎えつつ、偽キリストに警戒するにはどうすればよいでしょうか。用心して物事を避けるべきでしょうか。それとも神の声に注意深く耳を傾けるべきでしょうか。真偽を見分けるのが難しい時代に、主が来ると知らせる説教を聞いたときは、賢い乙女になり積極的に追求して調べるべきです。それが主の再来の迎え方です。

寄稿家:同心(マレーシア)

 今までに偽札を受け取ったことはありますか。多くの人が「ある」と答えるでしょう。私たちは偽札がはびこる時代に直面しているわけですが、偽札を受け取るのが怖いからといってお金を拒みますか。もちろん、拒まないでしょう。本物のお札と偽札とを見分けることができれば、むやみに警戒しなくてよいからです。では、主の再来を深く切望しているクリスチャンはどうでしょうか。偽キリストの出現問題をどのように扱うべきでしょうか。用心して物事を避けるべきでしょうか。それとも神の声に注意深く耳を傾けるべきでしょうか。このことは私たちが主を迎え入れられるか否かに関わっています。私はかつて偽キリストにだまされるのを警戒し、あやうく主を迎え入れる機会を逃すところでした。

   2017年12月のある日、叔母が教えに光があるからと言って、オンライン集会に誘ってくれました。叔母はその集会で、それまで聖書の中には答えが見つからなかった真理を幾つか理解し、神様の働きについてもある程度分かるようになったのでした。叔母はまた、私の従姉妹もこのオンライン集会に二年前から参加していると言いました。オンライン集会について聞き、興味がわいたので、私は迷わず誘いを受けました。初めて参加したときは時間がなく、簡単な会話だけで私は退出しました。後で叔母はこの教会は違うといつも繰り返し、嬉しそうに言いました。

   「主が戻って来られたのよ」

   「主が戻って来られたって?」

   この突然の知らせに私は驚いて目を見張り、叔母に尋ねました。

   「本当に?主はどこにいらっしゃるの?教えて」

   でも叔母は参加し始めてまだ二か月だったので、はっきりと説明できませんでした。姉妹の一人に聞くのに、次の集会を待たなくてはなりませんでした。

 

 

   その次のオンライン集会で、姉妹は主の再来に関係する預言をいくつか結びつけ、主イエスが既に再来しておられ、人類を裁き清めるため言葉を表す働きをするために受肉して来られていることを私に証ししてくれました。姉妹はさらに、神様の経営計画の目的、神様はいかにして人を救ってくださるのか、サタンはいかにして人類を堕落させたのか、人類はどうすれば罪を逃れて救いを得られるのか、人類の終着点といった真理の側面について私に話してくれました。神様の御言葉には権威と力があり、そのすべては真理であり神様の御声なのだと思いました。私の心はこの説教には聖霊の働きがあることを立証していました。なぜなら、これほど光を照らす説教ができる教派はないからです。それ以来、集会があるたびに仕事を終わらせるとまっすぐ叔母の家に行って姉妹の説教を聞きました。

   ある日の集会で、姉妹が讃美歌のビデオ「神は始まりであり、終わりである」を見せてくれました。ビデオの中の風景は荘厳で、出演している兄弟姉妹は生き生きとした声で歌っていました。歌詞も神様が所有するものと神様そのものを見事に解釈していました。私にとってそれは全く新しい体験でしたが、その画像はまるでどこかで見たことがあるかのように妙に懐かしく感じるのでした。それから姉妹は神様の名前について説教してくれました。神様は全能神という名を使って、終わりの日の人類の裁きと清めの働きをなさると言うのです。全能神の名前を聞いたとき、親しみの感覚はさらに強まりました。集会後、帰宅してWhatsAppを開きメッセージをチェックすると、所属教会の陳姉妹から「東方閃電の説教を聞いてはいけない」という注意書きと共に全能神教会のビデオが送られてきていました。私は「陳姉妹は何年も主を信じ、とても敬虔な信者に見えるのに、なぜ全能神教会の説教を聞かせたくないのだろう」と考えました。戸惑った私は、他に姉妹が送ってきたものを見てみました。それはすべて全能神教会を非難し、中傷する否定的なプロパガンダで、「5月28日の山東省招遠市の事件」の情報もありました。それを読んだ後、少し不安になりました。聖書に終わりの日には偽キリストが現れると書いてあったのを思い出し、私にはそれを見分けられないだろうからです。陳姉妹は長く主を信じていましたから、理由もなくこのようなものを送ってくるはずがありません。叔母はまだ主を信じて短い上、全能神教会と関わり始めてまだ二か月です。私は叔母が真理を理解していないために間違ったものを信じているのだと大変心配になりました。その夜、ベッドで横になりながら、何度も寝返りを打ちました。大きな葛藤を覚えたのです。私を導き、見分ける力を与えてください、と主に祈り求めました。

   翌日、5月28日の山東省招遠市の事件のビデオを叔母に送り、懸念を伝えました。

   「主イエスはおっしゃいました。『そのとき、だれかがあなたがたに「見よ、ここにキリストがいる」、また、「あそこにいる」と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。』(マタイによる福音書24:23-24) 終わりの日には偽キリストと偽預言者が大勢現れて人をだますから、引きずり込まれないように気をつけなくては」

   叔母は私の注意に取り合いませんでした。その夜、仕事の後、叔母が私の店に立ち寄って調べ続けるようにと説得してきましたが、私はだまされるのではないかと恐れて断りました。でも叔母はもっと話を聞くべきだと言い張り、電話で私と交わるようにと従姉妹に連絡したのです。従姉妹は言いました。

   「全能神が表された御言葉を読むと、それは力強い真理の施しであると、どんな人もこのような言葉を表すことはできないと感じるの。私たちの心は全能神教会には真理と聖霊の働きがあると立証している。それならば、なぜ調べるのをやめなきゃいけないの?疑念があるなら、追求して調べればいい。でも調べるのを止めるわけにはいかないのよ」

   私は、「従姉妹は全能神を二年前から信じているけれど、何も変なことは起きていない。それなら、私ももっと話を聞いてみよう」と考えました。

   オンライン集会に出ると、姉妹が言いました。

   「神様の働きを調べるときは、中国共産党の嘘と噂をもとに調べるのではなく、第一に全能神の働きが神様の現れと働きであるかどうか、そして全能神が表される御言葉が真理で神様の声であるのかどうかを調べなければなりません。中国共産党が何年も嘘をでっち上げて人々をだましてきたこと、その名は中国でも海外でも嫌悪されていることを、私たちはみんな知っています。中国共産党の本質を見通せる人の数は世界で日々増えていますし、もはや誰も党を信頼していません。中国共産党は無神論の党でもあり、何よりも邪悪で神に抵抗しています。また一党制を敷いていて、大小問わず、あらゆる組織、機関を支配していて、それぞれが中国共産党の専制を守るためにものを言い、活動しなければならないのです。中国共産党の法廷に司法の独立という概念はありません。中国共産党の判事に自主性はなく、中国共産党の指示に従って行動しなければなりません。『5月28日の山東省招遠市の事件』の審議をしたのは中国共産党の法廷です。公平で正当だったなんてことがあり得ますか。『5月28日の山東省招遠市の事件』の裁判のあいだ、容疑者は全員、『全能神教会に関わったことはなく、何のつながりもありません』、『国が厳しく取り締まっているのは趙維山の全能神であって、私たちの「全能神」ではありません』と法廷で明言しました。容疑者の誰一人として全能神教会の会員であるとは認めていません。ではなぜ中国共産党の判事は容疑者たちが教会員であると主張したのでしょうか。中国共産党が宗教的信仰を攻撃するために全能神教会を中傷していることは誰が見ても明らかでしょう」。

   姉妹はさらに「五二八山東招遠事件」と題されたビデオを送ってくれました。

   帰宅してからビデオを開いて見たとき、 私は不意に悟りました。容疑者の誰一人として全能神教会の会員だとは言っていません。そして殺人現場には疑わしい点があったのに、中国共産党の法廷は問題を取り調べて明らかにしませんでした。代わりに、全能神教会に犯罪のぬれ衣を着せました。この事件は中国共産党が全能神教会を攻撃し、抑圧するためにでっち上げたのは明らかです。思考力と理性のある人なら誰でも、これもまた中国共産党の仕掛けだということが分かります。それでも私は噂を聞いたので、終わりの日の神様の働きを調べるのを止めたかったのです。叔母が全能神を信じるのを止めさせたいとさえ思いました。私はまったくの無知でした。私を見捨てず、姉妹の真理についての説教を使って私に判断力を授けてくださった神様に心から感謝しました。それがなければ、主の再来を迎える機会を失っていたはずからです。

   翌日、オンライン集会に行くと待ちきれずに姉妹に聞きました。

   「聖書には終わりの日に偽キリストが現れて人々をだます、と書いてあります。どうすれば真のキリストと偽者とを見分けられるのですか」。

   姉妹はこのような説教で答えました。

   「私たちはみんな、終わりの日に偽キリストが現れるのを恐れています。そのため偽キリストに警戒することに集中してしまい、いかに賢い乙女でいるかに注力したり神様の声を聞いたり、主が終わりの日にお働きになるために再来なさるときにお迎えしたりするのを忘れてしまうのです。代わりに自分の観念と想像に固執し、主の再来を証言する人は誰でも偽者であると信じるのです。そのような人たちが主イエスが戻ってこられると信じていると本当に思いますか?そんな人たちは主イエスがお話になっていた愚かな乙女ではないでしょうか?主が偽キリストが現れると仰るのは、私たちに否定的になって警戒してほしいからではなく、偽キリストの見分け方を学んでほしいからだ、というのが真理です。終わりの日に神様がお表しになる真理がそうする道を与えてくれます。最初に全能神の御言葉から一節を読みましょう。

   『このようなことを考察するのは難しいことではないが、わたしたちそれぞれにこの真理を知ることが要求される。受肉した神は神の本質を有し、受肉した神は神による表現を有する。神は人間の姿になるので、なすべき働きを打ち出し、神は人間の姿になるので、自分が何であるかを表して、人に真理をもたらし、人にいのちを与え、人に進むべき道を示すことができる。神の本質を含んでいない肉体が受肉した神ではないことは間違いなく、これについて疑う余地はない。受肉した神かどうか調べるためには、その人が表す性質や話す言葉からそれを決めなければならない。つまり、人間の姿になった神かどうか、それが真の道かどうかは、その人の本質から判断しなければならない。そこで、人間の姿になった神かどうかを決定するとき[a]、鍵となるのは、外見よりもむしろその人の本質(働き、言葉、性質、その他いろいろ)に注意を払うことである。』

   神様の御言葉は明確に、神様の受肉された肉体が神様ご自身の働きを行なうことができると言っています。それは真理を表し、人に実践の道を与えることができます。たとえば主イエスは、人類を贖うべく、ユダヤ人の中で生活して天国の福音を説き、悔い改めの道を示し、弟子たちを自ら教え、牧するために肉となって来られました。その働きを見れば、主イエスは真理であり、道であり、いのちであることが分かります。同様に、終わりの日の全能神は何百万語もの真理の御言葉をお表しになっていて、それにより神様の六千年の経営(救いの)計画の奥義や、三段階の働きの真の本質、受肉の奥義といった真理の側面が人に明らかにされています。そして、神の家から始まる人類を裁く働きの新段階を始められたのです。これは人類が完全に罪の束縛から逃れ、救いを得て、天国に入れるようにするためです。偽キリストの本質は悪霊の本質です。それらには一切真理がなく、ましてや真理を表すことなどできません。できるのは正誤をかき乱す嘘と人を騙す愚かな理論を口にすることだけです。そしていくら自分がキリストであると主張しても、キリストの本質を持っていないのです。誰かが受肉した神であるかどうかは、神様の働き、言葉、神様が表される性質から判断できます。なぜならキリストだけが真理であり、道であり、いのちだからです」

   姉妹の説教を聞いた後、私はずっと明るい気持ちになり、興奮して言いました。

   「以前はキリストの本質を知らなかったので、偽キリストを見分けられませんでした。でも今やっと、キリストが真理であり、道であり、いのちであるということ、そして受肉なさった神様であるキリストには神様の御言葉を表し、神様ご自身の働きを行うことができるということを理解しました。キリストの本質は神様だからです。でも偽キリストには真理がなく、愚かな理論を話して人をだますことしかできません。偽者には一切真理を表すことはできないんです」

   そして姉妹に言いました。

   「真理のこの側面についてもっと話していただけませんか」

   姉妹は微笑んで言いました。

   「あなたには真理を切望し、探し求める心がありますね。だから、きっと神様の導きを受け取れますよ。神様の御言葉から別の箇所を読みましょう。

   『この時代に、しるしや不思議を起こせる人が現れ、悪霊を追い払い、癒やし、多くの奇跡を起こし、またその人がイエスの再来であると主張したなら、それは悪霊が偽ってイエスのまねをしているのである。これを覚えておきなさい。神は同じ働きを繰り返さない。イエスの段階の働きはすでに完了し、神は二度と再びその段階の働きをしない。神の働きは人間の観念とは相容れない。たとえば、旧約はメシアの到来を予言した。それでイエスが来たのだ。だから、別のメシアがまた来るというのは、間違っている。…もし終わりの日に神がしるしや奇跡を示し、まだ悪霊を追い払ったり癒やしたりしていたら──それならば、神はイエスの働きと同じ働きを繰り返していることになり、イエスの働きは無意味で無価値ということになる。だから、神は、時代ごとにひとつの段階の働きをするのだ。ひとたびその段階の働きが完了すれば、すぐさまそれを悪霊がまねをし、サタンが神のすぐ後ろからついていく。神は方法を変更する。一度神がその段階の働きを完了すると、悪霊がまねをする。こうしたことを理解しておきなさい。』

   神様の御言葉から、神様はいつも新しく、決して古びないこと、そして神様は働きを繰り返されないことが理解できます。サタンには神様が過去になさった働きを真似ることしかできませんが、神様はさらに新しく、高度な働きをなさいます。たとえば、主イエスが働きのために来られたとき、恵みの時代を始め律法の時代を終わらせられました。主イエスは病を癒し、悪霊を追い出すといったたくさんの神様のしるしと不思議を人々にお示しになり、人に豊かな祝福と恵みをお与えになり、最後には、人類の罪を贖う捧げものとして十字架にかけられ、それによって全人類の贖いの働きが完了なさったのです。私たちは主イエスの贖いの働きを受け入れ、罪は赦されましたが、罪の束縛から自由ではありません。もしまた主が来られて、病を癒したり、悪霊を追い出したり、神のしるしと不思議を示るといったことを再びなさったならば、私たちはどうして罪の束縛から逃れることができるでしょうか。主イエスによる贖いの働きの基盤の上に、全能神は次の段階の働きをなさっているのです。それは人類を清めるための裁きの働きであり、人のいのちの性質を変える道を指し示し、サタンの影響から完全に人類を救い、私たちが罪の束縛から逃れ、神の救いを得られるようにするのです。また、偽キリストには新時代を始めたり、旧時代を終わらせたりする働きはできません。主イエスが復活なさり、天に昇られてから、偽キリストが真理を表し罪から逃れる道を示すのを私たちは見たことがありません。なぜなら、偽キリストには神の本質、権威、力がないからです。偽キリストは主イエスが行われた簡単な働きの真似をし、しるしと奇跡を現して人をだますことはできますが、死からよみがえったり、五つのパンと二匹の魚で五千人を食べさせたりといった主イエスがなさった神の権威と力を持つ聖なる奇跡は、偽キリストには決して真似できないのです」

   私は同意してうなずきました。

   「そうですね。神様はご自身の働きを繰り返されません。神様の働きの各段階は前段階の働きの基盤の上に打ち立てられて、一段一段、進められます。律法の時代には人は律法により断罪されて死ぬ危機にあったので、人類を死から救うため、主イエスが自ら受肉して来られ、贖いの働きをなされ豊かな恵みを人々に与えられたのです。人類が主イエスの救いの恵みを受け入れたとき、神様の祝福を受け取ったけれど、罪深い本性からは逃れられていません。終わりの日に、神様は神の家から始めて裁きの働きを行ない、私たちの堕落した性質を清めて罪の束縛から逃れられるようにする裁きの言葉を表するために受肉して来られたのですね。偽キリストには真理がないので、時代を始めたり締めくくったりする働きはできませんし、私たちをサタンの暗闇の影響から救うことも、神様の救いをもたらすこともできません。神様が過去に行なわれた奇跡の真似ができるだけです」

   その後、姉妹は真理のたくさんの側面について説教してくれました。話を聞いて私はすっかり興奮し、全能神は主イエスの再来だと確信したので、神様の終わりの日の働きを受け入れました。私は陳姉妹のことを思いました。彼女は主を何年も信じ主の再来を待ちわびているのに、中国共産党の噂と嘘のために全能神の終わりの日の働きを調べていません。私はとにかく彼女にこの良い知らせを伝えたくてたまらなくなりました。

   家に帰るとすぐに陳姉妹にメッセージを送り、オンラインで見た噂は、全能神教会を中傷し、攻撃するために中国共産党がでっち上げたものであること、中国共産党の嘘と噂をむやみに信じるべきでないこと、終わりの日の神の働きも調べるべきであることを伝えました。ところが驚いたことに、彼女は調べることを拒んだだけでなく、引き続き否定的なビデオを送ってきては、全能神教会を裁いてとがめ、こう言ったのです。

   「世界にはたくさんの偽キリストがいるのだから、不注意に信用するべきじゃない。あなたは主を信じてまだ日が浅いから、見分けられないのよ。私は長い間、主を信じてきた。本当に私が間違っていると思うの?」

   私は姉妹を説得しようと、こう言いました。

   「偽キリストに気を付けるのは正しいことだけれど、否定的になって警戒ばかりして、主の現れと働きを調べるのを拒んでいたら、神様の救いを失う危険を冒すことになるんじゃない?主はまた来る、と言われた。これはつまり、終わりの日に再来するということ。全能神は本当に再来した主イエスよ。全能神の御言葉を読めば読むほど、神の声が聞こえてくるはずよ」

   私が何と言っても姉妹は聞こうとせず、むしろ頑固に自分の観念にしがみつくのでした。私はとても落胆しました。

   ある日、私はこの神様の御言葉を読みました。

   「イエスの再臨は、真理を受け入れることのできる者には大いなる救いであるが、真理を受け入れることのできない者にとっては、罪に定められるしるしである。あなたがたは自分自身の道を選ぶべきで、聖霊を冒涜したり真理を拒んだりすべきではない。あなたがたは無知で傲慢な者でなく、聖霊の導きに従い真理を慕い求める者にならなければならない。そうすることでのみ、あなたがたの益となる。わたしはあなたがたに、注意深く信仰の道を歩むよう助言する。結論を急いではならない。さらに、あなたがたはうわべだけ神を信じたり、気楽に信じたりしてはならない。少なくとも、神を信じる者は謙虚で畏敬の念に満ちているべきだということを知らなければならない。真理を聞いたことがありながら鼻であしらうものは愚かで無知である。真理を聞いたことがありながら不注意に結論を急いだり非難したりする者は、おごりで包まれている」

   そうです、神様は注意して信仰の道を踏みしめるよう助言していらっしゃいます。私たちは神を畏れる心を持ってその働きを考え、真理を追求することを学ばなければなりません。そして自分の傲慢な性質ゆえに不注意に神様の働きを裁いたり、非難したりしてはいけません。陳姉妹のふるまいがどれほど神様の言葉に反しているかを考えました。その態度には終わりの日の神様の働きに対する謙遜さも、追求したいという熱意もありませんでした。主が再来したと聞いたとき、姉妹には真理を求めたいという願いが全くありませんでした。代わりに自分自身の傲慢な性質に耳を傾け、神様の働きを裁いてとがめるほど頑固に自分の観念と想像に固執しています。これはまさに神様の御言葉で明らかにされている傲慢さではないでしょうか。

   私が神様の御前にたどり着くまでの経緯を思うと、自分が実に幸運だったことが分かりました。神様は私を哀れに思い、姉妹が神様の新しい御言葉について忍耐強く私に説教してくれるようにしてくださったのです。私が神様の働きを理解し、神様の足跡を追いかけるようにするためです。同時に、謙遜に真理を追求し切望する者だけが神様の声を聞けるのだと気づきました。


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