今、スタバでブログを書いているが。
子供を自動車教習所に送り、その待ち時間をそこで潰している。子供にいつも言って聞かせるのは
免許ってのは。保有する人間全てが勘違いしがちだけど。特権なんだよって事。
皆、普通に免許を持つから。何の権利でもない当たり前と思いがちだけど。免許は特権なんだ。子供は将来、整備業を目指す身なのでMT免許を取りに行っている。
86の横に乗せて、いつも自動車にまつわる話などを聞かせるのだが、それは「公道を自動車で走るという事は、実は特権なんだ」という事。
本来、公道は誰もが走って良い場所じゃない。免許を保有し、なおかつ、国が認めるところの整備された条件つきの自動車に乗るという前提条件を守った上で
走行を初めて許される場所だ。それが守られないと普通に犯罪行為であるわけで。
免許とは特権であり。権力は力だ。制御されねば暴力となり、簡単に人を殺傷してしまう。力は制御を受け入れる義務があり。
制御なき権力は暴力でしかない。それが仮に正義、大義であってもだ。
正しく制御されない一切の力は暴力となり、必ず人を襲い、社会を攻撃する。
だから。交通弱者であるとされる歩行者などは。免許保有者が公道を自動車で運行して移動する期間、免許保有者が保護する義務が発生するし。
それが守れないなら免許は国家に返却するべきだ。その資格がない。
と。いうのもさ。
まだ中学生であった頃に酷い体験をしたんだ。
深夜にさ。塾がようやく終わり、これから帰宅すると公衆電話から実家に連絡を入れて、いつも通り帰宅しようとした時だ。
目の前で人が飛んだ。
今でも思い出せる。
赤い服の女性だった。それはどんな職業の女性だったかは知らない。
タクシーにはねられたのだ。
しかしタクシーの運転手は、自己弁護をしてはねられて意識を失っている女性を罵るだけで。
何も手当をしなかったんだ。見えてねえのかこの野郎!バカじゃねえのか!親の顔が見てえわ!と。
私はとりあえず、あまりの事に頭真っ白になって
「助けなきゃ」とそれだけだった。
意識のない女性の両脇に腕を通して歩道まで引っ張り、学校で丁度、救助者看護を教わっていたばかりで。それを必死で思い出した。
まず呼吸、心拍の確認。気道の確保。状態の確認。頭蓋に微小な裂傷、腫物。それ以外は確認できない。意識なし。119番に連絡。警察も呼んだ。
その間、勝手な事をするなよと、事故を起こしたドライバーに怒鳴られて脅されたが、私は一切無視して教えられた事のみに専念した。
ただ。助けなくてはならない、救助を呼ばなければならない。それだけだった。
そして警察が来て。そのタクシードライバーを飲酒の現行犯逮捕。私から聞いた一切の事から悪質であるとして、色んな罪を付加されたようで。
そのドライバーは私を激しく罵っていたが。
私は女性が救急車に入る時まで、その事は関心を持てず。
救急車に収容されて走り去った後に、その場にへたり込んで動けなくなった。
人を助ける。その事がそれだけ、その時に怖かったのだ。
そして。タクシードライバーからも。その会社からも。今の今に至るまで、何の話も私のところに来ていない。
感謝も反省も謝罪もなし、だ。
そういうものなのだ。
自動車免許とは、権利であり、それには必ず義務が付与されるという基礎を忘れると、人はそうなる。
公道で自動車を運転するという事は、人を殺傷できる暴力を所有するという事なのだから。
そこは厳重に管理を受ける義務があり。
資格を問われ、資格保有者のみに免許を国家は与える。
だから我々、免許保有者は厳格に資格を問われるが為に
難しい試験を受ける必要があるんだよ、と。
お前は特権を貰おうとしているんだ、と。
当たり前の事じゃない。そのことを忘れなければ
お前は生涯、煽り運転をする側に回らない。
事故は必ず起こすかもしれんが
人を死なせる可能性は、減らしていく事ができる、そういう人間になれる。
免許を保有するという事。
その権利を得るという事は
自動車という名の力から
人を守るという誓いを立てたという証でもあるんだぞ、と。
車が好きなら
車で不幸になっちゃいけない。
車で大勢を幸せにしてこそ
初めて好きって言えるんだぜって。
私はそれを教えています。そんだけの話。
子供を自動車教習所に送り、その待ち時間をそこで潰している。子供にいつも言って聞かせるのは
免許ってのは。保有する人間全てが勘違いしがちだけど。特権なんだよって事。
皆、普通に免許を持つから。何の権利でもない当たり前と思いがちだけど。免許は特権なんだ。子供は将来、整備業を目指す身なのでMT免許を取りに行っている。
86の横に乗せて、いつも自動車にまつわる話などを聞かせるのだが、それは「公道を自動車で走るという事は、実は特権なんだ」という事。
本来、公道は誰もが走って良い場所じゃない。免許を保有し、なおかつ、国が認めるところの整備された条件つきの自動車に乗るという前提条件を守った上で
走行を初めて許される場所だ。それが守られないと普通に犯罪行為であるわけで。
免許とは特権であり。権力は力だ。制御されねば暴力となり、簡単に人を殺傷してしまう。力は制御を受け入れる義務があり。
制御なき権力は暴力でしかない。それが仮に正義、大義であってもだ。
正しく制御されない一切の力は暴力となり、必ず人を襲い、社会を攻撃する。
だから。交通弱者であるとされる歩行者などは。免許保有者が公道を自動車で運行して移動する期間、免許保有者が保護する義務が発生するし。
それが守れないなら免許は国家に返却するべきだ。その資格がない。
と。いうのもさ。
まだ中学生であった頃に酷い体験をしたんだ。
深夜にさ。塾がようやく終わり、これから帰宅すると公衆電話から実家に連絡を入れて、いつも通り帰宅しようとした時だ。
目の前で人が飛んだ。
今でも思い出せる。
赤い服の女性だった。それはどんな職業の女性だったかは知らない。
タクシーにはねられたのだ。
しかしタクシーの運転手は、自己弁護をしてはねられて意識を失っている女性を罵るだけで。
何も手当をしなかったんだ。見えてねえのかこの野郎!バカじゃねえのか!親の顔が見てえわ!と。
私はとりあえず、あまりの事に頭真っ白になって
「助けなきゃ」とそれだけだった。
意識のない女性の両脇に腕を通して歩道まで引っ張り、学校で丁度、救助者看護を教わっていたばかりで。それを必死で思い出した。
まず呼吸、心拍の確認。気道の確保。状態の確認。頭蓋に微小な裂傷、腫物。それ以外は確認できない。意識なし。119番に連絡。警察も呼んだ。
その間、勝手な事をするなよと、事故を起こしたドライバーに怒鳴られて脅されたが、私は一切無視して教えられた事のみに専念した。
ただ。助けなくてはならない、救助を呼ばなければならない。それだけだった。
そして警察が来て。そのタクシードライバーを飲酒の現行犯逮捕。私から聞いた一切の事から悪質であるとして、色んな罪を付加されたようで。
そのドライバーは私を激しく罵っていたが。
私は女性が救急車に入る時まで、その事は関心を持てず。
救急車に収容されて走り去った後に、その場にへたり込んで動けなくなった。
人を助ける。その事がそれだけ、その時に怖かったのだ。
そして。タクシードライバーからも。その会社からも。今の今に至るまで、何の話も私のところに来ていない。
感謝も反省も謝罪もなし、だ。
そういうものなのだ。
自動車免許とは、権利であり、それには必ず義務が付与されるという基礎を忘れると、人はそうなる。
公道で自動車を運転するという事は、人を殺傷できる暴力を所有するという事なのだから。
そこは厳重に管理を受ける義務があり。
資格を問われ、資格保有者のみに免許を国家は与える。
だから我々、免許保有者は厳格に資格を問われるが為に
難しい試験を受ける必要があるんだよ、と。
お前は特権を貰おうとしているんだ、と。
当たり前の事じゃない。そのことを忘れなければ
お前は生涯、煽り運転をする側に回らない。
事故は必ず起こすかもしれんが
人を死なせる可能性は、減らしていく事ができる、そういう人間になれる。
免許を保有するという事。
その権利を得るという事は
自動車という名の力から
人を守るという誓いを立てたという証でもあるんだぞ、と。
車が好きなら
車で不幸になっちゃいけない。
車で大勢を幸せにしてこそ
初めて好きって言えるんだぜって。
私はそれを教えています。そんだけの話。
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