ただの考察好き

ただ考えるの好きです

映画グリッドマンユニバースを見た

2023-03-26 18:21:46 | 日記
これは完全に買いだろう。グリッドマンとダイナゼノンに適合できる人なら、これは青円盤買う事必至だ。
もう何というか。製作したトリガーの「これでもか!」とばかりに、てんこ盛りの戦闘シーン動画の盛り込み。これはお布施としても買ってあげないと、という気になる。

話の内容は、想像以上によくわからない。基本、平行宇宙の話っぽいが。しかし、まあ。そういう事が重要なアニメではない。
少年少女×特撮ヒーロー×怪獣×アニメ。これが成立していれば、ちゃんとした作品なのがアニメ版グリッドマンだ。

視聴して思ったのが。今回の敵とは?何がトリガー版グリッドマンにとっての敵であるのか?という事。
今回の敵は「既知の攻撃無効化」との事から。

そしてオーイシマサヨシの書いてきたグリッドマン関係OP歌詞から推察するに。

「こうでないといけないという、凝り固まった概念が、こういったSF作品を殺してしまう」という事だろうか?と思った。

いわゆる「お約束を守ろうとする人々」がSFを殺す、という作品だと思う。

現在は情報社会とあって。誰よりも早く、正確に情報を収集し対策できる能力が尊ばれる。
しかしそこには懸念もあって。情報を素早く収集、かつ迅速に対応する能力ってのは弊害もある。

それはほぼ、条件反射能力と同じことだという事。既知の事柄に対しての反撃、正しい反応を無数に用意して万全の迎撃を構えるという事は、とどのつまりが
「条件反射」能力の強化、という事に他ならないだろう?

発生した事案に対し、正しい解答、反応を示せるように無数のデータをそろえ続ける事。

それの何が悪い?と言われるだろう?発生した状況に対し、無数にある既知の事柄、経験値から一番正しい解答を選択し、迅速に対応する。
無駄のない最適化。台風がくれば、すぐに過去に事柄から得たデータを元に、すぐに正しい避難情報や経路を示せるだとか。
企業にしろ。自動車とかで発生した故障などを、過去のデータから迅速に該当する条件を全て抜き出し、一番正しいと思われる対策をリコールとして届け出るだとか。
何が悪い?
その通りだ。
何も悪くない。

しかし、社会全体が、それを要求していたら。
想像力が求められる業種はどんどん殺されてゆくのみだ。

無数にある既知、経験値をストックし続けて万全の備えを取る。
今のコミックやラノベなども、その傾向が次第に強くなっている。既存の方法に固執して。
それ以外の冒険を好まない。失敗を嫌がる。そんな余裕などない、と。

しかし、そもそもがコミックなどは「食える仕事」ではなかったはずだ。
勿論、芸能界もそうだろう。芸能界などが出来たのも、ラジオやTVが普及した後の世界の話で。

それ以前はとても食べられた仕事とは言えない。一部の天才を除き、大抵が生活が苦しいか、安定には程遠かった。
だからサーカスなどの巡業が一般的で。
食べ続ける為に、盗賊も出る街道を重いワゴンをひきずって移動し続けるリスクの原因は、固定した土地で食べ続ける事が困難だからだ。

それが情報社会となり、富と権力を一瞬で得る事が出来る仕事のひとつになって。
良い事ばかりではない。

自由な発想が、どんどん蝕まれている。
ひとつの作品がヒットすれば、たちまち似たような作品が小売店に並ぶ。
我々、買い手が飽きてしまって見向きしなくなってもだ。

元々、食べ続ける仕事でもない仕事が
食べられるようになった結果。

食べていくために。
自由な発想がどんどん殺されていく。

それではヒットしない。
それでは大衆に響かない。それが重要になって。

一番大切な
「自由な発想」を芸能界が自ら殺している。

グリッドマンは、それを警告しているようでもある。
世界を壊す事を望む者は例外なく。既知のこと。経験から。世界を自ら定義していて。
だから破壊する事を求めるのだから。

「世界とはこんなものだ」と語る者こそが
世界を壊す者に一番近くなる。

世界とは自由であり、無限に続くと信じられたなら
世界を壊している場合じゃないだろう?と思えるのに。

ほら、手を伸ばせばそこに。
無限に続く自由な世界があるのだから。
それこそが「グリッドマン」であり、彼の友人たちの見ている世界。

世界はずっとデカくって、とんでもなく広がっていけるから。
壊している場合じゃないぞって。

そう諭されたような気になる映画でした。

不倫自慢したい男性心理

2023-03-20 05:57:55 | 日記
私自身は不倫も浮気も生涯経験する事のないまま、この年齢まで来てしまったけれど。それでも身近で不倫、浮気をする男性は多く居て。
女性の居ない男性同士の場所が出来れば、大抵、その自慢話を聞かされる側で。私は常に笑顔を出しつつノーコメント。
そんなに聞きたい話でもないし。不倫も浮気も実際にした事ないから、どこらまでが本当の話で、どこを盛っているかもわからない。でも、少なからず話を盛っているだろう事は、本人の身振り手振りや目線の移動、呼吸数の変動で察知できる。

不倫自慢のどこが嘘とまでは指摘できないけれど、話は確実に盛っている。つまり聞かされている不倫自慢は、真実の話ではないという事だ。

では。何で盛って話すかと言えば。不倫や浮気しているのが事実だとしても、思っていたより楽しい行為ではないからだ。
本当に楽しい秘め事なら、人間って人に言わずに隠すよね。邪魔されたくないから。

たぶんだけど。本人の実際のところは「払う労力の割に報われない」事なんだろう。
でも語って聞かせたい心理を解き明かせば、不倫や浮気をしたい男性の心理に触れられる。

それは基本的に、男は女性の為に生まれた生命だからだろうって事だ。それは女性が繁殖する意図で男性を造り、栄える事を目的に育てて。そして人類史が刻まれ始めた。それは生物学的に見ても正しい見解だ。歴史観点から見ても合致するだろう。だから基本的に。

多くの女性に必要とされる事こそが、優れた雄の証明となる。そういう本能が私たち男性の中にはあるんだと思う。
でも女性はそう男性のBIOSを組んで作っておきながら、自分だけに注力して欲しいから、浮気や不倫を許せない。余力があるなら、他所に回さず自分に寄越せって言いたいわけだ。しかし男性は、女性を繁殖させる目的で作られた生命体だから、栄えたい意思のある女性が居れば、その本能に従って行動をする。これが不倫や浮気を止められない男性心理だろうと思っている。

だから私も不倫や浮気をしたい側ではないが。
不倫自慢を聞かされると、正直、少なからず嫉妬の情をどこかに感じている。劣等を否定できないと感じるんだろうね。
正直「羨ましい」とは思う。

私は「破滅しない人生」と引き換えに、多くの事を諦めて生きてきた。何の才もない私が破滅も転落もせずに生きるという事は、それだけ難しい事だからだ。
その中には「華やかな恋愛」もある。妻とはほぼお見合い同然の恰好で婚姻した。そうでないと選ばれない恋愛弱者だったからだ。だから「楽しい恋愛」をした記憶がない。その虚しさはそれは妻への献身を貫く事で埋めようと続けている。

全ては破滅を回避する為に、必要な事だ。
そして子供が大学に受かり、そして4年、何事もなく過ごし、私の会社に就職して、安定した収入を得れば。
私の役目は完了となり、お払い箱となる。

だから。その時点で眠るように死ねれば、もう言う事はないと思っている。疼く男性本能は死なねば解除できないだろうからだ。
不倫や浮気をする事はなくても、嫉妬は感じるだろうし。それは辛い。

多くの女性に必要とされる事は、男性の本懐とするところだし。
しかしそれには、とんでもない労力を支払わされる。人生の破滅も当然含まれるだろう。転落も十分あり得る。

身の破滅を招きたくない、という強迫観念が私を支えている屋台骨のひとつ。
それが多くの夢や希望、欲望を諦めさせた。

諦めたままに死ねれば。私の強迫観念の根源は、毒親への嫌悪であり、実家への嫌悪からだ。誰にも寄りかかりたくない。
寄りかかる相手が、猛毒の人しか居なかったからだ。だから死んでも破滅だけはしないと、必死に生きてきた。誰にも頼らない。

それは怨念に近い。そして諦めたままに死ねれば、この怨念は実家を祟る怨霊となれるだろう。
私の復讐がそれで完成する。奴らを末代まで祟り。根絶やしにする。ひとりも残さない。

私は。
私の中の怨念が支えている。
こんなしんどい人生に耐えているのも。たったその為だけだ。
怨霊と化ける条件を満たす為に。


そう考えると、この人生を生き抜ける。
どうせ死ねば全て忘れるだろうし。それに抱える怨讐の行き所も、これ以外にないからだ。

怨霊のする事であれば。現行法では何も裁けない。
死ねれば。後は自由だ。私にとっては死が救済なのだろう。

すまぬ86

2023-03-19 19:19:59 | 日記
いやほんとゴメン。そう言うしかない事態が起きた。

先週のこと。86の点検の日とあって、ふと思い出したMTオイルの事。調べて貰ったら、なんと9万キロ近く未交換のままだった。

車検の度に交換しているつもりだった私は早速、交換を願い出て。

今日、デフオイル共々交換してもらって。

凄く今、感動してる。今まで普通だと思っていた事が普通じゃなかった。今まで古いMT車に乗っていたので、熱もそうだけど、音もデカくて。
こういうもんだと思っていた。高耐久と引き換えな事だと。

ところが86のMTは通称「ガラスのミッション」と呼ばれるくらい、脆いらしく。使っていて、何となく強そうではないと感じていたが。
オイル交換した後は、ギア鳴りしないし、熱もしない。

確かに強いミッションではないけど、現代らしく精緻に組まれたMTなんだなー、と感心した。

ギアの入りはそんなに変わらない。まあ、これはリンケージとかの要因も絡むので、オイル交換では劇的変化は感じない。

一番大きかったのは、熱と音だ。今まで古いオイルで頑張ってくれてたんだなぁ。いやほんと。マジですまん86。
エンジンオイルやブレーキフルードはマメに交換していたのに。
MTやデフは何となく「当たり前に交換してくれてるやろ」と思っていた。そうじゃなかったのね。

今度は来年。GRでレーシングオイルを入れようかしら。高耐久の奴。

まあ。もう9万近いし。そろそろミッションOHの時期。脆い部分は強化品も入れる予定だし。
クラッチも同時交換する予定。純正品ね。

その後にエンジンOHと。マウントとブッシュ全交換。こちらも純正のまま。
同時にリアサスの修正もしてもらおう。ダブルウィッシュボーンは簡単に設定が狂う。路面に対して追従度が高められた精緻なサスは、同時に狂いが生じやすい欠点がある。

だから私は簡単な構造のサスも否定しない。車重が1トン程度の中軽量級ならトーションビームのリアサスで十分だと思ってる。
フロントもストラットで良い。軽いという事はそれだけのメリットはあるのだ。

車重が2トン近くなれば、ダブルウィッシュボーンは標準搭載してもらいたい。重ければ重い程、精緻に動く自由度の高いサスは必要になる。

何で軽い車は、簡単な構造のサスで良いなどと思うか?簡単な構造のサスは、設定が狂いにくいから。
多少の強い衝撃を受けても、致命的な狂いにはつながりにくい。それはデコボコが酷い公道を走る上で、立派な武器となる。信頼度の差が出るからだ。

ダブルウィッシュボーンは高価で精緻なサスだ。勿論、良いに決まっている。しかし反面。ただ公道を走るだけでどんどん設定が狂ってくる。
過負荷をかけなくても。数万キロもしないうちに、結構な抵抗値を生んでいる事も不思議ではない。次第に車が重く感じられるはずだ。タイヤの摩耗も増える。

なのでこういった高価なサスは、良い反面、高度な整備を常に必要とする。それは機械全般に言える事だ。

86を含むスポーツカーの整備代が高いのは、それだけ高出力のエンジンと高負荷がかかる前提で組まれたシャシーあっての事。
例えば86のエンジン、FA20は2リッターで実測160馬力程度を絞り出す。過給機無しで、これだけの出力を出す事は難しい。
昔の2リッターエンジン代表格である3SーGEを何度も乗ったが。あれは実測150馬力も出てなかったと思う。勿論、ちゃんと測った事はない。
過給機なしは、そのフィーリングを楽しむもので、馬力が欲しいなら過給機を付ければ良い話だからだ。

FA20は名機かと問われれば、一般的にはそう言い難い。ただ個人的には、低燃費と高出力の両方を実現したという意味で、よく作られたエンジンだと思う。
戦うには脆いし、街乗りにしても、もっと扱いやすいエンジンはある。悪く言えばどっちつかずで中途半端ではあるが。

良く言えば、適度に良いところを取ったエンジンだ。それでも、普通のエンジンよりは高出力である事には違いないから、それぞれ高耐久な部品たちが使われている。
私らが昔からいう事のひとつに「500馬力の壁」がある。

500馬力を越えた車を作った時に、整備費は今までの倍以上かかると思えって事だ。それだけエンジンやシャシーに負荷がかかるから。

だからレクサスは500馬力越えの車を積極的に作らない。彼らの提供する高精度の整備をお客さんに提供し続けるポリシーに沿えば。
500馬力を越えた途端。20万で済んだ車検が40万円でも終わらない話になりかねないからだ。

高性能な機械は、高精度の整備を常に要求するし。それは自然と維持費の高騰を招く。その摂理はきっと、永遠に変わりはしないだろう。機械が機械である限りだ。

86はよく出来た車だ。大衆向けスポーツカーとして、そのパッケージングは秀逸だと思っている。
だから私は常々、86はスポーツカーではなく「ポニーカー」だと表現したいと思っている。

それはかつて、小型のボディに大排気量のエンジンを搭載したアメ車が名乗った称号だ。該当する代表例はマスタングだろう。
それはレースカーがサラブレッドなら、これは元気の良い仔馬だという事が言いたかったのだろうと思う。

そしてマスタングにならって作られたのが、初代トヨタセリカだ。つまり日本のポニーカーである。
私は常々、86と初代セリカが似ていると思っている。何もかもが「そこそこのスポーツカー」という事だ。
小さくて軽いボディで、ギリ4人乗れて、そこそこ荷物も積めて、そこそこ軽く、そこそこ強いエンジンが搭載される。

そして現代こそ、ポニーカーは要ると思うのだ。サーキットでタイムを刻む車とは別のジャンルの車という意味で。
草原を楽しんで走る仔馬のように。公道を生き生きと走る、そこそこのスポーツカー。

やり過ぎないこと。それが現代こそ求められるのではないか?

シン仮面ライダーの感想

2023-03-18 21:22:55 | 日記
個人的には凄く良かった。4K版ディスク出ても買うレベル。
と。
書くと。
読んだ人が全員、楽しみに行くだろうけど。
全員は申し訳ないが楽しめない仕様になっている。誰向きかと言えば、やはり旧作ライダーを視聴して虜になったコアなファン向けか

あるいは当時、仮面ライダーを再放送でも視聴できた昭和世代か。

なので「シン・ゴジラ」にあったような、ゴジラを現代風に寄せるものではなく。

現代の撮影技術で、昭和ライダーを撮る、ような内容に近い?かも。

なので、重々しい空気感などを再現しつつ、アクションは現代の人間の視聴に耐えうる立派なものに「改造」されていて非常に良い。
ただ、やはり。そこは昭和初期ライダー、原始のライダーなので。
画面は終始、暗いものが続く。当時の仮面ライダーは、ショッカーが生み出す怪奇な生物を正義の仮面ライダーが影で倒す、ような内容なので。

じゃあ、今作が最も昭和ライダーを再現出来ていたか?と問われれば?

んー。個人的には、昭和の一号、二号ライダーを現代風に再現出来ていたのは、少し前に作られた劇場作品「仮面ライダーFIRST」だと思う。
あの何とも言えない変身の不条理というか。説明抜きで人間がライダーや怪人に一瞬で変身する部分だとか。
そう。矛盾点というか。説明がつかん部分も含めて。再現度はこちらが高い。意味不明なところもあって、仮面ライダーなので。

そこを今回、徹底して修正し、辻褄と整合性を整えつつ、昭和ライダーの持つ空気感も盛り込んだのが今作「シン仮面ライダー」と言える。

しかし完璧か?と問われれば???

やはり。怪奇性というか。オカルトな部分は独自解釈が少々キツい。しかし、そこまで酷いものではなく、全体的に凄く良くなったからこそ、そういった部分は障る程度と言える。

そして今作の本郷も、一文字も私は好きだ。歴代「本郷」「一文字」の誰もが納得できるものだったが。
今作の彼らも、良い味を出している。今作の本郷は「優しさ」と「使命感」の塊で。
一文字は態度は軽いが、中身は「熱血の流れる使命感の塊」だ。

今回の「シン仮面ライダー」も色々と批評が出るだろうし、否定する人も多いだろう。
しかし、そもそも。「仮面ライダーとは何ぞや?」という部分で、個人によって感じ方は違うから。完璧なる再現を目指そうとすると。
前述した「仮面ライダーFIRST」のような「頑張った感」は感じるが。全体の映画としての完成度は如何なものか?といった作品になってしまう。

今作「シン仮面ライダー」は一本の映画として非常に楽しめる内容ではある。
あるが。誰でも楽しめるか?と問われれば。「コアなファンが独自解釈で再構成した現代ライダー」なので。

まあ。「プロが大金かけて作った壮大な同人映画」と見て貰えれば、凄く面白い。

なのでこれは間違いなく「買い」だ。文句のある人は、自分の「独自解釈ライダー」を同じように自分で再現するべきだ。


自分は自分しか救えない

2023-03-12 21:44:08 | 日記
毒親ふたりが天に召されて。これでようやく一区切りついて。

私たちは切り離され。ここから先が本当の人生となる。毒親の真の恐ろしさは「悪魔じゃない」という点だ。
人間過ぎる程に、人間なのだ。自分の欲求に対し、従順が過ぎる程、異様に素直だった。

父母は若年期、相当な才覚を有していたらしい。常に自分の過去を誇示していた。しかし私の目にうつる彼らは常に。
その高い能力で他人を威圧して。結局は全員が寄り付かなくなった、哀れな人たちだった。

そんな彼らを操作するのは実に簡単で。
ただ褒めれば良いのだから。
面倒ごとを避けたい周囲は、ただ彼らと関わるのを避けつつ、遭遇せねばならない時は、勝手に褒めたたえて。
用が済めば逃走した。関わりたくないのだ。

私ら兄弟が暴行され続けていた事は、隣近所は察知していたが、知らぬ振りだった。暴れれば手がつけられなかった私の父母は実に面倒だったから。

今も父母の墓には誰も来ない。もう。終わりにしたいのだ。もう父母の名前も忘れている。記憶から存在を削除しただろう。

結局。私を救ったのは、私自身だけだった。そして、それこそが重要だ。

他人に救われる事を望めば。誰かが幸福にしてくれる、幸福は与えられるものだと信じる。その一切が「毒親の生誕」につながる。

誰もが幸福になどならなくて良い。それが終着点に考えるから、誰もが辛くなる。
幸福でない今は。不幸な今は。人生を否定されているように感じるから。

そうじゃない。
昔から言うように。生きているだけでめっけもん、なのだ。つまり「運が良い」という事。

過度に幸福を求めれば、より不幸に堕ちる。
過ぎたるは尚、及ばざるが如し、だ。

生きているだけでいい。
しんどいのは当たり前。デフォルト。基本だ。

世界は最初からしんどいものだ。幸福を与えるように作られてなど居ない。ただそこに存在するだけなのだ。
岩も木も。大地も海も。人間の為に存在などしていない。

むしろ遠慮なく生命を奪いに来る事はあっても。
世界の本質とは、厄災なのだ。だから、生命をつなげるだけで、非常に運が良い。

現代は幸福を求めるから、どの時代の人よりも不幸だろう。
私の父母は。ただ幸福になりたかっただけなのだ。
ただ彼らの求めるものは、あまりに途方もなく遠く、高くにあるから。
辛抱たまらず。
誰かを蹂躙し、暴行し、凌辱せねば、精神を維持する事さえできなかったのだ。
渇望の人だった。どんなに満たしても飢え乾く人たちだった。

人生とは基本。しんどい。
生きやすいように世界は作られてなど居ないから。
どこまでもしんどくなるように、世界は構成されている。

その中で勝手に、幸福を感じる事が出来るだけだ。
有難い、と思い込む事が可能なだけだ。

他愛もない事に喜び。
些細な冗談で笑えたりできるだけ。

それ以上を求めれば全員が、私の父母のように陥るだろう。
人生とはとてつもなく単調で
ひたすらにしんどい。

しかし飯を食えば力はつく。
力がつけば働ける。
金を得れば飯が食える。
そして生き抜く力をまた得るのだ。

私たちのやれる事って。それだけの事なんだ。
人生に過大な意義や意味を見出す現代こそ、不幸な人を大量生産し続けている。

その不幸の結果。過大な厄災、つまり天災や戦争が人類を蹂躙し続けるだろう。

人は天使の救済を求めて、その結果
色んな事に耐えきれずに地の底から悪魔を引き上げる。

求めなければ
耐える事も発生しないのに。

世界に幸福と救済の術を与えようと、教えを授けようとする者たち。
それは世界中に居る、それっぽい教えを説く動画配信する者たちや
幸福を得るために何をすべきかと説く人たちが
天使の笑みで今日も舞台に立つが

その背中には
悪魔を象徴する蝙蝠の翼がある。

彼ら、彼女らは今日も。
不幸だと大衆を説き、幸福になる為に苦役を課す。

生きているだけで良いものを。
それ以上が必要だと説く。

世界はこの先もずっと「不幸」で
きっと毒親たちは大量生産され続ける。