ただの考察好き

ただ考えるの好きです

タイムマシンの考察

2015-11-28 23:16:48 | 日記
SFでタイムマシンが描かれる時に、必ず行われるのが「時間軸の設定」だ。西暦何年の、何月何日何時。それを見ていて、ああ、やっぱりタイムマシンなど無理なんだなとぼんやり感じたのだ。

1年365日。これは現行の人類が一方的に定めた1年の日数でしかない。1日は24時間。1時間は60分と。

しかし、その時間の概念は、人類の持つ科学で自然を考えた場合に「最も整合性のある数字だ」と認めただけの数字でしかない。

1年が365日だなんて、世界そのものは一言も言っては居ないのだ。

しかも「西暦」!西暦も怪しい開始点から始まる暦だ。何せ世界の救世主イエス様が誕生されたかも知んねー、という開始点だ。実は物凄くアバウトなのである。

そんな物差しで、果たして正確に「過去」に戻れるものだろうか?

そして「次元」だとか難しい解説を入れなくても、我々が目にする単位でタイムマシンがかなり不可解な現象であるかは、語る事が出来る。

それは「1分は何カロリー?」という考察だ。時間の流れを、未来へと流れるエネルギーと考えた場合、カロリーとして捉えたなら、それは何カロリーなのだろう?

もし1分は1キロカロリーとして考えたのなら、開始点から1分逆行するには、開始点から未来へと向かう力に逆らう為に1キロカロリー、更に逆行する為に1キロで2キロカロリー、2分なら3キロ?え?4キロ?そう考えると、ワケが分からなくなる。

時間の経過を未来へと向かうエネルギーだと考えた場合。例えば単位が馬力であったなら?

あるマンガでこう語られていた。「時速300キロを出す為に、600馬力が要る・・・」だがこれは、設定された車のみに通用する数字だ。

例えばウニモグのような車で600馬力を与えても、時速200キロにも届くまい。

車重、空力抵抗、タイヤの摩擦係数、ミッション等の伝達部品でロスする動力計算。それらを含めると、その車で設定された速度を出すのに何馬力が必要なのか、それらはまるで違ってくる。

またエンジンだって、油温や水温、気温などで同じ設定に関わらず出る馬力が全く違ってくる。

馬力で考えても「西暦何年の何月何日に到達する馬力は?」と考えた場合に、答えは用意できない。

考えれば考える程に、隙がないほど、タイムトラベルは不可能なのだ。

だから、SFが可能にさせる。

事実上不可能な事を、可能にさせる。不可能を知らずして、SFは作れない。

限界を知らねば、それを飛び越える事は出来ない。

事実は有限だが発想に限界はない。飛躍する心に枠や制限は存在しない。

そして逆に枠を課す事で広がる世界もある。縛られているからこそ、触れられる未知の空気がある。

SFとは飛躍の手段であると同時に、制約によって未知の世界を既知の世界に近づけられる、唯一の手段だ。

だから私は今日もSFに触れる。

そして描く。

この私だけが思い描く未来を。

世界の誰にも邪魔させない鳥を空へと解き放つ。


鉄血のオルフェンズを見て

2015-11-01 00:55:02 | 日記
機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズが放映中だ。

監督など、人気のある人をかき集めてきたっていう印象。人材では文句言わさんぞ!とドヤ顔なサンライズの面々の顔が、思い浮かびそうな程、この面々で失敗はないだろうというくらい、鉄板のスタッフ布陣で製作されたアニメだ。

だが、俺の心にはチクリとも響かない。今の段階では「これ、火星である意味ないよね?」としか言えない。

たぶん、描きたいのは「虐げられてきた子供世代が、大人たちから自分たちの生き抜く権利を奪還する話」だろうと思う。その為に、色々と勉強もされたんだろう。シリア難民の話とか、世界の様々な貧困層の事とか。
こんな厳しい世界を見てきたぜ!って感が凄く感じる。

だけど、

感じるのは「俺は知ってんだ!見てきたんだ!こんなんだぜ!」的な、押し付け感。確かに、今の若い子は大変だ。この先がとっても大変で生きていくのもどうかっていう位、暗い未来しかなくって。そんな若い世代に響いて欲しい。
だから、こういう話を作る為に、精一杯、見て、聞いて勉強しましたと。

こういう作品、たくさんある。知識のある製作側が取材に取材を重ね、勉強して、その見てきたものを伝えようとする作品。SFとか、ファンタジーの形式を借りて、知らない人に伝えよう教えようみたいな。
でもそれは、間違いなく、いつも面白くなくって、後に残らない。

それは結局、ドキュメンタリーとかのほうが、伝わる話だから。絵よりも写真のほうが伝わる世界。作品を作るのに、取材や知識は必要だ。だが取材や知識が作品を殺してしまう事は多い。

結局、人は日常的に見慣れていないものを突然、叩きつけられても受け入れる事が出来ない。そう。取材をするのはいい。知識も要る。だが、目玉はこの日本の街に置いていかないといけない。開始地点は、ここなのだから。

触れてきて、現実を見て。じゃあもう一度、日本の街を通して「じゃあどうするか。どこの視点から描くべきか」を定めるべきだ。そうしないと体験した事を上手く伝えられない。

見慣れていないものを、見慣れたものに変換する作業が、必要なんだ。多くの触れて慣れてきた当たり前の現実に、そっと忍び込ませるスパイスのように。

例えば「ブラックラグーン」だ。ロアナプラという架空の街で繰り広げられる、現実味を帯びているかのような、真っ赤な嘘の「ワルの世界」。見た事も、聞いた事もない世界なのに、実に溶け込みやすいのは、この作品が実にある面、今までに我々が触れて慣れた部分を使って紹介されているからだ。

実は「ブラックラグーン」のように、暗黒社会を描いた作品は過去の邦画に実に多いのね。北野たけし監督なんか、もう、そんなのしか撮らないじゃない。それをハリウッド的なアクションを付けて、それっぽいマフィアを作ってみたり、それっぽい世界を構築している。真実を描こうとか、そんな気がない。描こうとしているのは「実にそれっぽい嘘」なんだ。

我々、日本人がTVで見慣れたベトナムのような風景、ハリウッドアクション、暗黒世界。それを上手くかき混ぜて再構築に成功した作品と言える。だから、ロアナプラの街を描く時に、いつも絵は引き気味だ。それはドキュメント番組で撮った絵で、それに矛盾しないように配慮された結果だ。結果として、全然体験した事も、見た事も聞いた事もないようなのに、実に受け入れやすい作品に仕上がっている。過酷な生存競争だけが残る、悪の世界が、スッと胸の中に溶け込んで来る。

こういったもので、実に優れた作品は過去に多い。日本で例を挙げるなら「地球へ・・・」か。全く違う惑星の、しかもミュータントという超能力者集団が地球を目指す物語だが、その描く手法は「明治維新時代作品」とかで、触れ慣れているやり方だった。差別され、虐げられた者が反逆し、政権に逆らい、しかし、そういう己自身も間違い、傷つきながら、虐げる者と、虐げられてきた者が最終的に融和する。

また初期の「超人ロック」も実に見事だった。「ロンウォールの嵐」の辺りは、今でも天才の片りんすら感じる構成力だった。テラフォーミングで他の惑星に人類が入植を始めたはいいが、まだ社会は完全に構築されておらず、しかし地球は植民星であるロンウォールに無茶な数の移民を毎年、送り込んで来る。その為に、主人公のロックを含め、様々な人が綺麗ごとでは済まない世界に、その手を汚しながら向かい合う作品だ。

更には「ヴィナス戦記」などは記憶に新しい。金星がある事情により、突然入植可能な惑星になるのだが、それは大部分が自然現象による、突発的な環境変化であって、人類が行ったテラフォーミングではない。だから、金星は一時、住めるようにはなったものの、また生存へは向かない星に変わろうとする、そんな微妙な時世の不安定な社会。奪い合っても意味がない金星の大地を巡って、勢力争いが勃発する中、翻弄される人々を描いている。

そして「鉄血のオルフェンズ」と向き合ってしまうと、実に物足りない。

前述した「火星である意味がまるで感じられない」のだ。長いスパンの話なのだから、最後まで観てよって言いたいだろうが、これまでに紹介した作品は、最初から読者をグイグイと引き込む魅力に溢れていた。「ロンウォールの嵐」などは、まるで架空の惑星の話なのに、読み終えると、まるで自分がロンウォールに今まで居たかのような、不思議な錯覚さえ覚えた。そんな印象を子供に与えられたのだ。

実によく出来た「それっぽい嘘」で満ちていた。

だが「鉄血のオルフェンズ」には「それっぽい嘘」がまるでない。「それっぽさ」がないのだ。この作品には「火星っぽさ」が無い。この作品が定義するところの、火星が存在しないのだ。火星らしさがない。地球の延長線上でしかない。

それはそうだろう、地球に似せないと暮らしていけないのだからね、と言いたいのだろうが、それがSFとして実に萎える部分なのだ。

これを「ブラックラグーン」で例えるなら、ロアナプラの街が東京の原宿かなんかにそっくりにされ、ラグーン商会の駆る魚雷艇がカーフェリーになり、レヴィの振るソードカトラスがガスガンになったかのような。
それで作者が「だって、それが現実じゃん!」と言いたげな、そういう作品になっちまったかのようなものなのだ。そうなると「ロアナプラじゃなくって、もうそりゃ日本でいいだろう!?」と言いたくなるだろう。

俺だったら?もっと火星を生きにくい世界にする。テラフォーミングをしたはいいが、現実には大失敗で、人間は地下都市に暮らし、細々と地熱を吸い上げて暖を取る生活。地上は数分も呼吸すれば肺が凍ってしまうので、マスク無しには生活できない。だが地球では「火星入植は大成功!」だとしか報道されていないのだ。そして貧困層を毎年、冬眠させた状態で膨大な数をただ送り込む。

それらを解凍しても、暮らしていけるだけの食料も水もないのに。そして火星政府が思いついたのは、茶番としての反乱だった。送り込まれる移民を、マスクを無償で与えると言う条件で編成させた「反乱軍」に襲撃させ、皆殺しにさせる。
反乱軍の大部分は、労働資源として解凍された、子供たち。移民の子に、移民を殺させる。死んでも補充は幾らでも地球が放り込んで来る。

そういう図式で乗り切るはずが、地球側にバレてしまい、火星政府は茶番として組織した「反乱軍」の撃滅を、地球軍とともに行う事となった。

だが、子供たちもただ、黙って言いなりになっていたのではない。広大な地下都市の中で彼らは見つけていた。過去の厄災戦で喪失した、未帰還機として火星の大地に落ちたモビルスーツ「ガンダム」を。
かつて、火星を殺す為に送られた悪魔の機体が、火星の子を守る力となって、地球と対峙する・・・

ぱっと思いつくのは、こんなもんだ。これだったら、俺は見たいと思ったかも知れない。

更に食生活もいじる。火星には大量の水があっても、どれも飲料には適さない。無茶なテラフォーミングと厄災戦の結果、地表に露出した水資源を全て汚染してしまっていた。だから、地下にある汚染されていない水を溶かして飲料とするが、溶かす熱量が限られる上、溶かし過ぎてしまうと、地下都市が地盤崩壊を起こす危険もあり、水資源は過酷。更に酸素を供給するオキシゲン基地は古く、どれも大量の水を必要とする。

肉はネズミの肉だけ。野菜や頼りない光源でしか育たない為に色素が薄く、味も悪い。パンもパサパサ。貧しさに耐えきれなくなった地域では「循環教」という宗教が流行っていた。つまり、死んだ人間の肉を食う事を正当化する為の宗教だ。
地球製の缶詰や保存食は「贅沢品」で、まず手に入らない。

主食は「モヤシ」と「大豆」にしようか。水は凄く大切に飲むような描写を付け加える。水資源を独占する企業や貴族が居てもいい。

火星の機械の動力源は水素エンジンに統一されている。過去の厄災戦で敗北した火星政府は、一切の融合炉を取り上げられていて、内燃機関以外は使う事を許されない。外部まで水素タンクが露出した主力兵装であるモビルポッドは、タンクを撃たれれば一撃で吹き飛ぶ仕様になっていた。反乱があっても、鎮圧し易いようにだった。

だからお風呂も「蒸気風呂」にされ、大半の火星人は個室の浴場を持たない。貧しいところになると、男女を分ける余裕すらなく、明かりを落とした浴場で男女が黙々と混浴して垢を落とす。

まあ、つまりは絶望的な環境だ。

だから物語の終盤まで、戦況は絶望的。敗走の繰り返し。同じ境遇の友人、学友たちを飢えや過酷な自然の前に失いつつも、子供たちは地の利を生かして生き延び続けようとする。様々な地下都市と転々とする。どこでも厄介者扱いだった。貧しくても、地球に屈しているほうが生き延びる確率が高いからだ。

だが一部貴族は「地球圏の安定はじきに崩壊する」と予測していて、少年たちの反乱を補佐するようになる。更には「ガンダム」を駆動する「フォトン・リアクター融合炉」の設計図も手に入れた事で、火星自治も夢ではない事を悟る。

火星製MSも誕生して、徐々に戦闘は膠着状態に陥った。ここで第一部完として。

第二部からは数年後。火星の反乱政府と正規軍との戦いは激しさを増す。そして火星政府は、何故か反乱鎮圧を異常に早めようと焦る地球政府軍の動向が、気にかかり始めた。地球政府が瓦解しようとしていた。無茶なテラフォーミング計画の大失敗による予算補正は上限を既に越え、貧富の差が限界以上に開き、地球の安定が崩れかかっていた。

そしてある日、火星反乱政府は「光る地球」を観測する。それは「第二次厄災戦」の開始、そして収着だった。強大な軍事力が決裂して潰しあった結果、地球人類は結論として自滅を選択してしまったのだ。
火星の地球政府軍は、既に後ろ盾と守るべき故郷を失い、火星の正規軍にも揺らぎが生じる。

「もう地球は失われ、人類は未来永劫、この火星で暮らす以外にない」と融和を持ちかける反乱軍に対し、正規軍は徹底抗戦を続けた。愚民として見下し続けた人間に歩み寄られる屈辱からだった。
だが地球からの後ろ盾のない正規軍は敗走を始め、追い詰められた地球残存兵団は、地球人類を消し去ったフォトン兵器を火星にぶつけようとする。統治不能な星など要らないという極論からだった。
こうして、反乱軍と、火星を失ってまで戦いたくないが、反乱軍とも歩み寄るのが屈辱な正規軍、地球残存兵団との三つ巴の戦闘となる。

最終的には正規軍と地球残存兵団が食い殺しあい、自滅する形となったのであった。

そして少年たちはガンダムを宇宙にそのまま捨て去り、火星の独立自治が、こうして始まるのだった・・・・。


こーんなもんかなー・・・こういうのが、俺は見たいんだよねー・・・。