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父の死後

2022-04-02 20:50:04 | 日記
父の死後、最近、彼の生き様とは何だったのだろうかと考える日が多い。父はいわゆるカリスマのある人物だったのだろう。少なくとも、彼はそうなろうとはしていたと思うし、そうあろうとたゆまぬ努力をしていた。
色んな人を自論で説教し、従わせた。父は生前、誰にも褒め称えられた。
父を悪く言うのは、商売敵と父の女遊びで心の傷を負わされた女子だけだ。

しかし一方で、家族に対しては暴力の人で。気に入らない事がひとつでもあると、難癖をつけていたぶった。だが、そんな事を他人が知る事もないことを、父は熟知していた。

父は誰が見ても、愛情深いと言われ。そして12星座で愛情深いと言われる「かに座」の男性だった。色んな女性に優しさを振りまき、面白い会話で夢中にさせた。

その中には実の娘である姉も居た。

姉は父に心酔していて。父の言う事なら耳を貸した。そして、そんな姉を父は溺愛して私たち兄弟を侮蔑した。しかし、それすらも「愛」だと言う。何も知らない他所の人間も「それは愛だ」と言っていた。
父は亡くなるまで姉の面倒だけは凄くみた。金がないと言えば金を与え、家を与え、姉の娘や息子の世話も、母に面倒を見させた。

多くの人間が父に陶酔し、それはまるで帝国のようだった。それは瓦解などしない、永遠の一枚岩のように思えた。

私と言えば、そんな父についていけず、父の稼業も継がず、別の会社に勤務した。何がとは言えない。しかし、ついていけないと思って。それは揺るぎなかった。

しかし。父の死後。父の墓を訪れる者は居ない。
遺影すら見る者も居ない。
仏壇の前で手を合わせるのは、父と折り合いの悪かった私と、私の一家だけとなった。

あの姉ですら。金にならない父の遺品は外に放り投げて捨てた。ゴミだと地面に叩きつけて。父の話も一切しない。
家に来るときは金の無心だけ。

ふと思う。

父の愛とは何だったのだろうかと。

父の信じた、愛と、その愛の形とは何だったのだろう?と。

誰も父を覚えてなどいない。崇拝していた者はひとりも来ない。まるで夢であったかのように。

父の愛とは。
実は愛ではなかったのではないか?と。

父が生涯、愛する事が出来たのは自分自身だけではないのだろうか、と。最近、職場でも過剰に「面倒見」「先輩としての愛」とやらで女子に構う同年代や指導職を見かける。

彼らも何の劣情も抱いていないと語る。

さて。それはどうだろうか?

あの父と愛を交わし合った姉が。父を語る事すらしなくなり。

父と折り合いの悪かった私が、病気に臥せる母と思い出話に花を咲かせる。父は家庭では暴力しか振るわなかったから、笑える思い出など数えられる程度しかないが。
痴呆になった母には丁度良い。同じ話しかしないし、だってそれしかないからだ。

女性に対して。
思うところのある男性は、一度、その熱を冷まして考え直した方が良い。
それは本当に愛なのか。

愛に似せた、全く別物ではないのか?

もしそうであれば。そのまま突き進むと。
あなたの生涯は、その事で深い影を落とす事となる。

情に惑わされて。
それに突き動かされるまま、女子と関わっていると。

道を外れる事もある。