ただの考察好き

ただ考えるの好きです

僕だけがいない街(実写劇場版)を見た

2016-03-20 19:59:05 | 日記
個人的には「視聴に耐えない映画」だった。まず、開始5分で腰の痛みのほうが気になった。そのくらい、入り込めない。

何だろう?ただ、映画そのものが漫画版の「リバイバル」なのだ。独自の味付けや、仕掛け、展開もない。何のヒネリもなく、足りない尺を削った分、話を改変してお届けしました、ただそれだけです。

そんな映画。

漫画版やアニメ版をみていると、何のヒネリもないのでただ辛い。もう見飽きた絵をまた見させられる、ただ辛いリバイバル体験映画。精一杯のフォローでそれだ。

原作を知らないとか、逆によっぽど好きなら、見られるだろう。

ただうちは嫁と子がミステリーや推理物が大好きで、アニメ版で入ってハマったのだ。それに引っ張られてるカタチで劇場に入ったのだが。

まさか開始5分で他の事に気を撮られたり、横になって眠たくなる程、酷いものだとは思わなかった。

演技も酷い。これは役者の所為ではない。たぶん「こういう風に撮れ」という暗黙の掟でもあるのだろう。演技に心が入ってない。ただ「絵面の再現」だけをしている。台詞も読んでいるだけだ。

それをただカメラも撮るだけだ。その分、子役の演技が光った。完成度が高い。

漫画原作の映画は、撮る監督も実のところは非常に不愉快なのか、物凄く工夫とかしない。自分から映画に入ってないのだ。他の人の作った作品をただ撮ってまーす、というスタンスで撮る。

流石に嫁さんと子供も、映画が終わった後に苦笑して「いや、正直、アニメのほうが熱意あったわ」と漏らした。

「るろうに剣心3部作」は、あれだけ創意と工夫で監督なりのものを作ったのに、続く漫画原作で光るものは・・・と言ったら「テルマエ・ロマエ2部作」くらいしか思いつかない。

私ならば漫画とは逆の視点で撮る。つまり、犯人の視点で綴るか、あるいは「子供時代の主人公」の視点で撮る。彼らにとっては、突然、当たり前だった日常が不自然に壊れていくのだから、それでどんどん不安になってゆくような絵を撮るだろう。

「ありえない意思」が自分たちの日常に介入してくる。それが敵なのか、味方なのかもわからないが、状況を変えられてゆく。

主人公の「悟」視点なら、突然、別人の意識が強制介入して、自分の意思と違った言動させられる。そして、その事で変えられないと思っていた現実が、どんどん変えられてゆく。そして最後に、それは「自分自身だった」と知る。とか。

「犯人」側からすれば、突然、変わるはずのない日常が、不自然に「上書き」されるように改変されてゆく、そのストーリーとなる。

劇場に足を運ばせるからには、お金を取って見せるからには、監督は己をフィルムの上に焼き付けるべきだというのが、私個人の考えだ。原作付きでも「俺なら、こういった作りでやるぜ」と自分なりに撮る。そういうのが見る価値のある映画となる。

これは「四月は君の嘘」も益々、怖くなってきた。女性の演技の工夫の無さが、とにかく最近の邦画では酷い。定番で、教えられた事は確かに忠実に守っている。熱意もあるだろう。しかし故に工夫がない。

己自身が、演技の何処にも存在しない。私の知る、私の役はこんな時にこういう目で、こういう口調で叫ぶぜ!というものがない。どれも、定番中の定番だ。引き継がれた、それだけのもの。

私としては、この映画の円盤を買う事はないだろう。創意と工夫のない映画を、私個人は評価しないから。

「四月は君の嘘」の実写版映画化はやめて欲しかった・・・

2016-03-11 17:49:49 | 日記
PV見たけど・・・明らかにあれで「中学生」は無理があるよね。たぶん「高校生」とかに設定を直すんだろうけど、それでも無理がある。どう見ても老けてる。どんだけ留年したんだよってくらいだ。

明らかに20歳くらいの人間が、高校の制服着てて。もうそれで凄い違和感というか。「地獄先生ぬ~べ~」の時も、高校生に設定を直して放映したけど、それでも「制服キャバクラの番組ですか?」と思うくらい、違和感が半端なかった。

「ローレライ」の時の佐藤も同じだ。あれで高校球児は無理があるやろ。留年し過ぎだ親不孝め、とまずツッコミを入れてしまった映画だった。

「進撃の巨人」も、年齢設定を引き上げていたが、引き上げた説得力がゼロだった。子供が抜けない大人がわめいている映画。その一言で感想が終わってしまう。年齢を引き上げたのだから、違うアプローチは無かったのか?

年齢を引き上げた理由が、ただ「演じられる適齢の俳優が居なかったため」という理由で終わってないか?「寄生獣」も、あれは高校生に見えない。大人が無理して子供の役を演じるから「子供の抜けない大人」の映画で終わってしまっている。

ちょっと前までは、子供の映画は、子供が演じていた。「漂流教室」とか「妖怪ハンターHIRUKO」とか。「ぼくらの一週間戦争」とかさ。「がんばっていきまっしょい」とか。

ところが今じゃ、留年し過ぎたの?とまずツッコミを入れたい程、明らかに年齢の高い人が子役をやる。ただの制服キャバだ。

明らかに年齢違うならさ。それでやりましょうって言うのなら、それなりの説得力ある再構成や、再構築、独自解釈や創意工夫は無かったの?と言いたくなる映画ばかりだ。

「四月は君の嘘」を大人が演じます。それはいいの。だが無理に学生役をやるんじゃなしに、大人になった彼らの映画に出来なかったものか?と思う。

大人の目で、「四月は君の嘘」を振り返る映画でも良かったんじゃないか?そして今、新しい門出に向かう、という作品に出来なかったの?

「進撃の巨人」もそうだ。見た目年齢が10歳ほど、引きあがるのなら「10年、無意味に戦いを続け、疲弊した彼らの顔から始まる」映画でも良かったはずだ。無理に未成年にせんでも。

まず観客が納得して、理解してあげなきゃいけない映画作りって、果たして大事にする価値ある?大切に守る価値がある?

明らかに20歳か、そこらの顔で「中高生ですという設定なんで・・・」という事で、そういう風に脳内環境を整えてから見なきゃいけない映画とか。

もうこれは、ただの小遣い稼ぎの映画じゃないか?最近の邦画ってさ。もうただ、生活の為の手段でしかないよね。食っていくためだけの映画でしかない。食べていく為の手段として映画があるだけであって。

撮って見せたい、どうしてもお客さんに見せたいものがあるんですとか、そんなんじゃないです、はい、みたいな。食べる為に撮ってます、悪いですか?と開き直っているみたいな。

生活の手段でしかないんだよね。TV番組も。邦画も。食べたい、現金にしたい、それだけだ。「南極料理人」とか、良いのがたまに出る一方で、こんな「生活の為にだけ、撮っている映画」が溢れる邦画。

そらファンも引くわさ。