ただの考察好き

ただ考えるの好きです

この年末に

2016-12-31 00:59:46 | 日記
名古屋で無理心中があり、ようやく辛い1年が終わろうとする、この静かに送りたい時期に、悲壮な決意をしていた人が居たと知り、やるせない思いになっていた。

こういう思いをさせまい。来年も無事にやろう。それが目標だ。そう考えていた。そんな時に、実家の母から電話があった。
「金を寄越せ」

その金というのは、つい先日の事だ。何とか1年を無事にやり過ごし、安心していた私は実家に電話をかけた。かけたくはないが、かけないで居ると、この平穏で居たい歳末に、何の嫌味を私の家族に聞かせてなじるか、わかったものじゃない。気分の悪い年末を避けたくて、穏便に会話をしようとした。

年末の大掃除で、ただ捨てるのは勿体ないからと、売れるものは全て売った事を口にしたのがまずかった。
「幾らになった!?」
 とくいついてきたので、その時にマズい、と自覚した。相手はそういう人間ではない事を、ついうっかり失念していた。
「2万」
 しかし、子供の為の教育資金にとって置きたいと、そう告げると無言で威圧をしてきた。その一連の流れに、我が親の強欲に心底嫌気が差すとともに、心が冷え切った。

 マズいな、正直につい言ってしまった。そう考えていると今日
「金を寄越せ」
 と電話してきたのである。その2万を寄越せ、と。私はその時に再び、自分に冷徹を強要しなければならなくなった。祖母として孫にかける情けすら持たないとは。これと同じ血が流れるかと、自害したい気になってしまう。
 このまま生きていても、こうなってしまうしかないのなら。ここでいっそ、と思ってしまう。

 だが、これが私に敷かれた道で。避けて通れない道で。実家に悪態を突かれる宿命を受け入れようと覚悟を改めた。

 嫁さんの父母は、そんな事を一切言わないばかりか、私の子を大切にしてくれる。嫁さんの家の名を継がない子だから、適当に扱われても文句は言えないのに。

 このギャップが辛い。何でこうも違うかと。

 名古屋の無理心中を振り返り、中々に辛い事からは逃げられまいよ、と感じた。この歳末まで台無しにするとは、流石は同族だ。だが、奴のこの牙は俺にもあるのだ。

 同族の与えてくれた、この忌み嫌われるしか意味のない牙を、俺はあの親との対決に使う為に、生まれてきたのかも知れない。

 そして願わくば。我が子に。この牙が芽生えぬように。私は尽力しなければならない。

 あの親に蔑まれる事。どうか毅然と居られるように。強くならなくては。

 覚悟を改める歳末になった。私は死ぬまで、同じ血が流れる者どもと戦い続ける事になるだろう。