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地中海の『美の島』 コルシカ島 12 < 最南端の白い断崖の上の町 ボニファチゥ 2 >

2021-09-03 00:15:30 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : 「ボニファチゥ」旧市街

コルシカ島は人の手が作り上げたものではなく
地球創生期からの野生の地形と自然が残っているので
『Ile de la Beauté 美の島』と呼ばれる


先回に引き続き「ボニファチゥ」で旧市街の中を歩いてみることにしよう


城塞の中の旧市街は道が狭い


おそらくこの道が一番広い道



あとはどの小径もとにかく狭い


そして建物に玄関のようなものがなく
いきなり狭い急勾配の階段がむき出しで上のフロアーに登って行くと言う形が多い
この建物の上階は郵便受けから判断して二世帯なのだろう


さらに狭い路地では両側の建物を支えるために
あたかも
高くて重い石の天井の負荷を外に逃がす教会の飛び梁みたいな腕で
支え合っている





こんな路地に席を並べたレストランはとてもエキゾチックだ


このレストランの二階の窓の中で


コルシカ特産の生ハムを作っていた
上から吊るした乾燥途上のもも肉から脂肪が滴るのを防ぐために
下部をアルミホイルが覆っている


狭い旧市街だが教会も幾つかある
そのうち

『Ghjesgia Santa Maria Maio 偉大な聖マリア教会』






例の城門を入って正面の
旧市街で一番直線で長い通り「Rue Lonque(長通り)」は
かつて「Rue des Deux Empereurs 二人の皇帝通り」と呼ばれていた


4番地のこの家には1541年10月3日から6日まで
ドイツ皇帝でスペイン王、フランドル伯にしてオーストリア大公、ローマ王でモロッコ王
『シャルルカーン(カール大帝)』
が滞在した


7番地のこの家には
まだ皇帝になる前の南コルシカ義勇軍を率いたフランス革命軍中佐『ナポレオン・ボナパルト』
が1795年1月22日から3月3日まで滞在した
ちなみにこの家は
1721年までナポレオン家がボニファチゥに所有していた家だった

岬の上の旧市街は
先端に行くほど人家がなくなって最後は墓地がある
この旧市街の墓地は典型的な地中海世界の形式で残っている

『Cimetière Marins de Bonifacio ボニファチゥ船員墓地』

何箇所かある門の一つを入ると
そこは独立した一つの町のような雰囲気


墓石や墓碑ではなくチャペルがまるで家並みのように連なる


基本的に漁民であった彼らは家族や親戚の絆が非常に強く
一族の全員を一箇所に祀るために巨大な墓所を作るのが地中海民族の慣わしだった


扉の中にはまるでコインロッカーのように仕切られた壁があって
一人々々の棺を別々にそのまま縦方向に入れるスペースがあり
それぞれの扉を閉めるのです

墓所が大きければ大きいほど有力者の家系ということになっていたらしく
中心都市「アジャクシオ」の墓地には
敷地の入り口付近にちょっとした村の教会ほどもある墓所が
幾つか立っていたりする


色が塗られているが屋根も壁やその他と同じ石造り








岬の最先端には
先回ご紹介した『Gouvernail de  la Corse コルシカの舵』
に当たる部分の岩盤をくりぬいて
第1次大戦後に作られたトーチカが残っている


入り口から階段を降りてアーチをくぐると


延々と一直線に地下50m程まで下る



やっと水底のトンネルに出る


その水平通路にはここかしこに房というか小部屋があって


当時の機械類や


兵達の装備や
武器弾薬を貯蔵する場所になっていたらしい



砲台まで砲や弾薬を運んだトロッコの台車が残っていたりして


最先端の砲台に出る


足元にはトロッコの線路も残る


左端にコルシカ最南端の岬も見える
(ボニファチゥの町自体は最南端よりほんの少しだけ内側)


砲台の開口部から外の「舵」の上に出ることは禁止せれてはいないけれど
やってはいけません


船で海から見た砲台と「舵」

地下ついでにもう一つ興味深いものをご紹介しよう
実は脆い石灰岩とはいえ岩盤だけで出来ている岬の上の生活圏から
岩を貫通して井戸を掘っているんです

その前に
旧市街の断崖絶壁に一直線の階段が切り込まれていることに注目
『アラゴン王の階段』と
呼ばれている

『Escalier du roi d'Aragon』


1420年
アラゴン(北部スペイン)王アルフォンソ5世は
かつて教皇ボニファティウス8世がアルフォンソの先祖に
ボニファチゥ(ボニファチオ)の譲渡の口約束をしたことを根拠に領有権を宣言し
攻め込んできた
5ヶ月の包囲戦にジェノヴァ側のボニファティオは町を守り抜き
スペイン側は包囲を解いて退却した
その戦闘の間に
町に攻め込むためにアラゴン国王が「一夜にして」掘らせた階段
という言い伝えがある



実際にはアラゴン王とは無関係で
スランシスコ会修道僧たちが岩の根本にある井戸の水を汲みに行くために
人力で長時間かけて岸壁を切り刻んで作ったもの


ほぼ45度の勾配で187段の階段



海面近くまで降りると井戸の位置まで水平に通路が刻まれている





よく見ると黒く空いた洞穴の上に右から左へとなだらかに回廊が通っており
やがて井戸のある洞穴に至る
写っている黒く見える洞穴は別のもの


穴から通路を見る
現在こられるのはここまで

『Puit de Saint-Barthélemeu 聖バーテレミーの井戸』

今では飲料には適さない水があるそうだがこれは今は見られない
その洞穴をさらに奥まで行くと地下池があるそうだ

この横穴の長さ140m
そこに17世紀に上から縦に井戸を掘った


17世紀の直径3メートルの縦坑の周りに
19世紀に螺旋状に階段を掘って付け加えた



地下の池はこんな風で上部に縦坑野」開口部と階段も見える
現在はこの」縦坑も一般の観光にはオープンされなくなった

この「聖バルテレメウの井戸」のように断崖には洞窟がいくつもある
そのうち船で見て回れるものを見に行こう

『Grotto de Chapeau de Napolèon ナポレオンの帽子洞窟』


ナポレオンの帽子の様に見えませんか




奥に二つの横穴が見える
その左の横穴に入れる




岸辺の岩肌には鐘乳石ができかかっている


水はあくまでも透明
では今回はここまで
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