
きょうの『にっぽんの歌、こころの歌』(NHKラジオ第一、3:00~)は、昭和36年の流行歌の特集。『恋しているんだもん』(島倉千代子)、『じんじろげ』(森山加代子)、『北上夜曲』(和田弘とマヒナスターズ)、『惜別の詩』(小林旭)などがどんどんラジオから流れる。仕事をいったん休憩、じっくり聞き入る一時間になった。
それぞれの歌のエピソードが面白い。『恋しているんだもん』は、お千代さんの口癖「~なんだもん!」を元に作詞したそうだ。また、歌詞全体の80%が意味不明の言葉の羅列『じんじろげ』は、戦後間もない頃に上野で香具師をしていたインド人の口上がヒントになった、とか。
珠玉の名曲の数々、その掉尾を飾ったのが村田英雄の『王将』。西條八十作詞、船村徹作曲。浪曲師から転身した村田英雄はこの曲の大ヒットで一躍スターになり、同年の紅白歌合戦に初出場した。
村田英雄は佐賀県生まれ、九州で天才と謳われた少年浪曲師だった。芸名が酒井雲坊、当時、関西で人気実力とも抜群な浪曲師、酒井雲の名前を無断借用していた。それを聞き及んだ御大が小言のひとつも言ってやろうと、わざわざ九州まで来て雲坊の高座を見たところ、あまりの見事さに感心して「雲坊の名乗りを許す」と言ったとか。
浪曲は、GHQの政策でラジオのコンテンツから外され、戦後人気が急落した。そんなこともあって、同じ九州出身の古賀政男の弟子となり、昭和33年に歌手としてデビューした。デビューはもちろん恩師の作曲による『無法松の一生』。
ところが歌手としては低迷が続き(その間『度胸千両』『人生劇場』など、今となっては彼の代表曲に数えられる歌もあるが)、心機一転を図り恩師を離れ、新進気鋭の船村徹に作曲を依頼した『王将』が大ヒット。古賀政男は「弟子に裏切られた」と立腹、その怒りはしばらく解けなかったという。
船村徹は今年2月に亡くなった。『王将』の前年に発表した『別れの一本杉』(春日八郎)が大ヒットして一躍注目されるが、このときわずかに23歳、当時もっとも高名な作曲家が怒るのも分かる気がする。
『哀愁波止場』も昭和35年の船村徹の作品で、天才少女歌手で一世を風靡した美空ひばりが、大人の歌手へ脱皮するために新人作曲家の船村に依頼した、という。美空の裏声が耳新しく、とても印象的だが、マネージャーでもある母の喜美枝は「風邪を引いたような声で、こんな歌はお嬢らしくない」と、嫌がった。その20数年後、美空ひばりの晩年を代表する『みだれ髪』が発表されるのだが。
船村徹の、ほかの作品として北島三郎の『なみだ船』、ちあきなおみの『矢切の渡し』などがある。それぞれの歌手のエポック・メイキングとなった曲が多く、興味深い。
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