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草堂

Web Shop草堂で扱う作家、作品の紹介、イベントや新着商品のご案内、店長の周辺雑記を日々つづります。

極楽とんぼ 里見弴

2016-08-06 | 読書

『極楽とんぼ』は、75歳で大往生した男の生涯を当時73歳の里見弴が書いた、世間でいうところのユーモア小説。文庫本で総量170頁は中長編と呼ぶのだろうか。

小津安二郎について書かれた本や写真集を見ていると、1950年代から里見弴が現れる。それも支那服を着ていたり、芭蕉そっくりの俳人スタイルだったり、割烹着で天ぷらを揚げていたり(助手が小津)で、マトモな服装で写っている写真がない。おしゃれ、というより変わった服を着て遊んでいるのだ。コスプレのはしりかもしれない。

小津との関係では、『彼岸花』(小津映画初のカラー作品)の原作者で知られている。『彼岸花』は、京都の料理屋の娘役を演じた山本富士子がいいですね!あの若さであの貫禄と押し出し。五社協定に邪魔されていなければ、小津に重用されて別のタイプの大女優になっていたのではないか。小津は小津で、原節子のあと、主演女優を決めあぐねた節がある。うつわの大きさといい、容姿といい(派手なタイプの美人好き)、山本富士子は好適だった。見たかったなあ……、永田雅一のばか。

里見弴は、もっと読まれていいもっと評価されていい作家の筆頭だ。里見が作品と自らの人生で示したものが『教養』というものではないだろうか、と著作を読むたびに思う。

まあ、根本はへんなおじさんですが。


開店祝いを頂きました

2016-06-08 | 読書

駒場東大前の店をやっていた頃、ハラダさんや浜野さんの個展のたびに成田洋子さんに朗読会をしていただきました。『羊文庫』と言って、10数年続きました。露伴の『五重塔』が、僕はいちばん印象に残りました。参加者の多くが、朗読会の帰りに文庫本を買い求めた、という逸話が生まれました。

その成田さんから、Web shopの開店祝いを頂きました。店の10周年のときもお花を頂いています。おととい届いていたし、写真もその時に撮りましたが、忙しさにかまけてアップするのが遅れてしまいました。

成田さん、ありがとうございます。Web Shopのほうでも10周年のお祝いが貰えるようにがんばります!


いちげんさん デビット・ゾペティ

2016-05-19 | 読書

先日聞いていたラジオにゲスト出演した、デビット・ゾペティ氏の『いちげんさん』を読む。

最近読んだ本の中では、といっても同書は20年前にすばる文学賞を受賞しているのだが、きわめて『文学的』なスタイルで書かれた小説だった。京都の大学で日本文学を学ぶ『僕』は、ほぼ著者自身なのだろう。十分に文学的なのもうなずける。

『文学』が、ほとんど『読み物』と等価になった現在、『文学的』なスタイルというものが一つの個性になりうるのだな、と思った。

外国人が書く日本語の小説だが、意外というか、それも著者の計算なのか、紋切り型の表現が目についた。『なんとも言えない気分』……って、その、なんともいえないところを何とか書くのが小説だと思うが、違うのかなあ?

この本が評判になって売れたことで、ゾペティ氏は当時勤めていたTBSを退社し著作に専念するが、『いちげんさん』を超えるヒットは飛ばしていない、という。うーん、それじゃデビュー作が売れたのも、本人がいちばん嫌っていた『外人なのに、日本語を使うとは珍しい』ということだったのか、と残念な気がします。


杉浦日向子 東京イワシ頭 呑々草子

2016-05-07 | 読書

江戸ブーム、らしい。テレビや映画でいわゆる時代劇を見る機会は減ったが、いま言われている『江戸ブーム』は黄門様や暴れん坊将軍の方面ではなく、たとえば開催中の『伊藤若冲展』なども美術ファンや歴史好きはもとより、以前は西洋美術に流れていたマスコミの情報になびきやすい『物見高い人々』まで集客して、たいへんな入りだとか。

旧来の日本人にあった、おかしなほどの西洋文明崇拝(裏を返せば劣等感)が消えつつあることの現象なのかもしれない。などということを友だちと話していているうちに、杉浦日向子の本が読みたくなった。それで近くの図書館に行って、棚に置いてある文庫本を二冊借りてきた。

杉浦日向子は漫画家でデビューしたが、病を得たのち江戸風俗の研究に仕事の分野を移し、NHKテレビ『お江戸でござる』の考証や、番組に出て解説などもしていたが、2005年に50手前で亡くなっている。

漫画もいいが、杉浦日向子は随筆がとび抜けて上手い。読み始めると、彼女の文章は早口でおしゃべりな感じがするので、話し言葉を文字に置き換えただけ、と思われがちだが、こういう文章はアタマの中にぎゅ~っと貯め込んで、どーんと出すような技術が優れてないと書けない。擬音語擬態語でそれを説明しているような人間には、到底できない芸力だ。

今日借りてきた二冊は、珍しく現代がテーマで、『爆笑珍体験』ものと出版社が銘打っているように笑える話が満載なので、読者としては著者の軽妙な文章に乗せられてバンバン読み飛ばし、「あー、面白かった」と本を閉じてもよいのだが、消費されていく文章では、決してない。

杉浦日向子は生涯、小説を書かなかったが、それを読んでみたかったと思う反面、仕事に向かう姿勢の潔さと思ってあきらめるのも、ファンの礼儀かもしれません。

 


沖縄では、魂を『まぶやー』と言う

2016-05-01 | 読書

沖縄では魂を『まぶやー』といって、それは簡単に体外へこぼれ出てしまう。びっくりしたり悲しくなって泣いたり、転んだだけでも『まぶやー』は落ちてしまうらしい。落としたのに気付いたら、すぐに拾って体内に戻すのだが(戻すための、まじないの言葉がある)、失敗したら『ユタ』、『ノロ』と呼ばれる巫女に『まぶやー』を入れてもらう儀式をする。

と書いて、はたして今の沖縄の若者は『まぶやー』を信じているか?そもそも『まぶやー』を知っているか?そのあたりに自信がなく「いまは、誰もそんなこと言ってないさー」と否定されたらどうしようもないのだが、『まぶやー』の文化が沖縄にまだ生きている、という前提で進めます(汗)。

以前読んだ桐野夏生の『メタボラ』に『まぶやー』を落とした男が登場した。先日読んだ『ファイアーキング・カフェ』(いしかわじゅん著 光文社)にも『まぶやー』を落とす話が何回も出てくる。

鬱病や乖離性障害などと病名が付けられるくらい重度ではなく、しかし気の迷いが続くとか、しばらく気分が晴れないとか悩んだときに「それは『まぶやー』を落としたのさー」と言われたほうが病院に行ってカウンセリングを受けるよりも、弱った精神にはずっと優しい。

『ファイアーキング・カフェ』は短編連作小説で、6つのストーリーの主人公は本土で自分の居所を見失って、沖縄にやってきた漂着者6人だ。その中の何人かは『まぶやー』が抜けたまま性根が入らず、ふらふら生活している。沖縄に来て劇的に状況が好転する、というふうには誰もがならない。そういった意味では6篇どれも切ない話だが、読後感が決して悪くない。

いしかわじゅんの小説を読むのは何年ぶりだろう、『吉祥寺探偵局』以来なので10数年以上かもしれないが、上手いしウィットが利いて、なにより洒落ている。

僕も『まぶやー』を落としたら、沖縄に行きたいと思った。