POKOPOKO狸の手作り??日記

自己流の手作り菓子やパンの覚書!
世間話と時折大好きな京都と布施明さんのこと!

布施明がバカラックに会った時

2014-04-22 17:38:43 | 布施さん
ここ数日肌寒い日が戻ってきています。
先週は、もう半袖と思っていましたが、急に、長そでが・・・上着が・・・
スプリングコートが・・・必要になってしまいました。

実は、前々から言っていましたように、足の痛みがひどくて
冗談抜きに歩けない
4月の初めには、井の頭公園まで、友達とお花見にも出掛けましたが
足が痛くて友達の袖にしがみついたまま
申し訳ない状態でした。随分迷惑もかけてしまいました

引越して、周りのお医者さんの事も知らない。
買い物したり、近所の方にいろいろお話を聞いても
なかなか・・・
一番近くの整形外科は、評判もいい様子ですが、ここからお出かけするには遠い
バス停とバス停の間で、揚句にかなり急な坂道を歩かないとならない。
家の中で、椅子から立ち上がるのにも、掛け声を何度もかけて
父の遺した杖にしがみついて、ヨロヨロ
何度も迷っていました。
ただ、ここ半月熱も出ていて、さすがにヤバい
金曜日に、お花のお稽古があり・・・
2月以降、お花のお稽古も月謝を出すばかりで、お稽古もほとんどしていません
ともかく、出かけなければと、鎮痛剤を飲んで三鷹まで出かけました。

結局、お稽古の帰りに、三鷹にいるときにとてもお世話になっていた
整形外科に飛び込みました。
ここなら、バス停の前だし、歩かないでなんとかなる。
先生に無理を言って、入間のどこかの病院に紹介状でも書いていただければと
藁をもつかむ思いでした。

足が痛い、どうせもっとやせろとか、運動不足とか叱られるだろうなと
でも、瞬間でも痛みが取れればラッキー
確かに、運動不足とは叱られましたが
熱も出ていることもあり、矢張りリウマチと痛風の検査をしました。
レントゲンを見ながら、「水がたまっているのとは違う」と仰り初めて
関節液を採取したところ、「あたり」
炎症がひどくなっている様子でした。
膝に直接消炎剤を入れて、痛み止めと湿布を処方して頂き
後は検査の結果を待つのみ。
「多分、明日になったら劇的に動けるようになるぞ」
ほんまかいなと思いつつ、帰りました。

先生、凄い
翌朝になると、本当に動けます
痛くない、びっくりしました。まさかと思いました。

昨日、検査結果を聞きに三鷹に。
幸い、心配していたリウマチと痛風もマイナス異常なしでした
ただ、痛みを発症していた炎症はかなり重症だった様子で。
しばらく、無理をしないで、薬を飲んで湿布をしてと指示をいただきました。

アレルギー持ちなもので、長年お世話になっている先生も処方するときに
随分注意してくださいます。
また、リウマチに関しては、若干遺伝もあるそうで、両親共にお世話になっていた先生でしたので
いろいろとチェックもしてくださいました。
どこか、紹介してくださいなんて、全く口にも出せず、しばらく通う事になりそうです。
まだ、若干痛みは残りますが、椅子からすっと立てることが嬉しいです





さて、今日のタイトルにしたアルバム聞きました
布施明さんご自身は、ご自分のエッセーなどで失敗作と仰っていますが
バカラックは、中学の頃にとても流行り、懐かしいメロディが続いて
楽しく聴くことが出来ました。

このアルバムがリリースされた当時は、アルバムも買えず。
大人になってから、何とか入手したいと思いましたが
結構お宝状態で手に入れられませんでした。
だから、本当に初めての曲もあります。

「ME JAPANESE BOY」これは、布施さんの為のオリジナルだそうで
シングルカットされていたものです。これは、ピチカートファイブがカバーして
人気があったそうですね。
私は、ある番組で、服部克久さんが、ポール・モーリアさんと話しているのを聞いた記憶があります。
「これを貰った歌手は唄いたがらない」と服部さんがおっしゃると
「これは、日本人のメロディではない。中国系だ。それは無理だ」
と、ポール・モーリアさんが答えて笑った覚えがあります。
確かに、日本人からすると、エキゾチックなメロディラインですね。

個人的には、好きなアルバムになりそうです。
ただ、今の布施さんなら、この曲をどのように表現するかなと、思ってしまいました。





布施明がバカラックに会った時(紙ジャケット仕様)
クリエーター情報なし
昭和歌謡ジュークボックス

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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
大変でしたね (Kyoko)
2014-04-23 21:13:59
三鷹までいらして、大変でしたね。良くなってよかったです。

バカラックは名前は知っていますが(笑。。。
ふせさんが歌うなら聴いて見ましょうか、ね
返信する
まだ、ヨロヨロです(涙) (POKOPOKO狸)
2014-04-25 23:53:41
痛み止めをやめると、途端に熱がぶり返します。
まだ、復調には時間がかかりそうです。

バカラック・・・名前だけですか。お若いなぁ。
私は小学校の高学年頃から、よく流れていました。
「雨にぬれても」が、大ヒットして。今でも、深夜のCD案内などで流れてくると懐かしくなります。

きっと、聞き覚えのあるメロディですよ。
返信する
布施明がバカラックに会った時 回想 (S.H.)
2014-04-28 02:44:59

 足の炎症のお加減は良くなられているようですね。
リューマチや痛風の兆候はないとの事で本当に良かった
と思います。三鷹ではなくて、ご近所のお医者様を紹介
して戴いた方が、やはり良いのではないでしょうか。
 人間は“歩く動物”だとも言います。よく歩かなくな
ると、体の他の部分にも影響が及ぶかと思いますので、
充分に養生されて、散歩などもされますように。お大事
になさって下さい。


 “バカラックに会った時”は '71年の発売でした。
'69年に、アポロ 11号の月面着陸、'70年は大阪万博、
アポロ 13号の事故と帰還、ジャンボジェットが就航し
て大量輸送、海外旅行が大衆化し始めた年でした。
 カラーテレビは未だ、完全には普及しておらず、電話
も各家庭に備わったばかりの頃だったかと思います。ビ
デオもコピー機もファックスもなくて、パソコンなどは
夢物語で、まだ ICがトランジスターの上位の最先端の
デバイスでした。学校の英語の授業では、先生が“リン
ガフォン”のドーナッツ盤をボックスから取り出して、
うやうやしくも、慎重に針を落として再生していたりし
ました。

'71年は布施さんも大変に忙しく飛躍の年でした。4月
には“Love Will Make A Better You”を発売、3月には
日生劇場での“リサイタル ~ラブ ライブ ライフ~”
を開催、同時にテレビではドラマ“七つちがい”で若尾
文子さんと共演、等々の合間には翌年のアルバム“My
Way”の準備もなされていたのかと思います。
 音楽シーンでは、イージーリスニングからハードロッ
ク、ポップクラシカルなど、なんでも有りのビッグバン
の時代でもありました。

 シングルとして発売された“今日、今、この時”を
“夜のヒットスタジオ”でお披露目された時の事を覚え
ております。バカラックに提供された布施さんの為の新
曲だと言う話でありました。布施さんの伸び伸びとした
歌唱と、新鮮なサウンドで、良い曲だと気に入っており
ましたが、その後一度テレビでは聴けたでしょうか?。
残念ながら、その後は直ぐに次の“何故”のプロモー
ションに移行されたように覚えております。1、2年後に
“To Wait For Love”は Tom Jonesなども過去に歌って
いた既存の曲だった事を知るのですが…。

 “バカラックに会った時”を最初に聴いた時には、予
想していた物とは違い、少し驚きました。当時の布施さ
んは、“ヒットパレード”などでも、オリジナルよりも
ずっとエキセントリックに“行き着ける所まで演ってや
る”というような激しい歌唱で、そこが魅力でもありま
したので、ある種“布施明”がバカラックサウンドに、
捻じ伏せられた、釈迦の掌の上の孫悟空になってしまっ
た、とそんな風に感じていました。


 今回発売の復刻版 CDに添付されているオリジナルと
は別の“解説”とかには、かなりの間違いがあります。

 “ピーナッツに憧れて歌手を~”と言うのは Wikiの
 受け売りで、古くからのファンの皆様よくご存知の
 通り、大間違いです。昔から活字、ラジオなどでも
 話されておられますが、良い資料がありましたので、
 下記にアップしておきました。'79年の秋コンのプロ
 グラム代わりに、東京労音の 布施明 Projct Teamが
 手作りで、制作された物です。
 http://yahoo.jp/box/A_esOF

 カバーポップス~カンツォーネ云々と言うのも間違
 いで、カンツォーネはどちらかと言えばノーブルな
 カバーポップスとして、同時進行で存在していまし
 た。また、海外進出、レコーディングにはレコード
 会社の各プロデューサーと洋楽レーベルとの繋がり
 が大きな役割を果たしていたそうです。


 また、オリジナルのライナーノートにも、3曲が新曲
として提供された旨の記載がありますが、3曲ともに数
年前に既発売の曲でした。当時はそれを簡単に知る術も
調べる方法も有りませんでした。下記はオリジナルと発
売年月です。その他の曲は皆様方よくご存知の懐かしい
バカラックサウンドばかりだと思います。

“To Wait For Love”
   Jay and The Americans 1964年 2月

“Me Japanese Boy”
   Bobby Goldsboro     1964年 7月

“Windows and Doors”
   Jackie De Shannon   1966年 7月

 あくまでも推測ですが、このアルバムの企画、制作時
のスタッフ、バカラックとの録音をコーディネートした
ブレーンは 3曲を“布施明”の為の全くの新曲だとバカ
ラックサイドに吹き込まれ、欺かれたのではなかったの
と思います。バカラック自身に今、問いただしてみても
He Says, She Saysの水掛論になってしまうだろうとも
思います。
 当時のスタッフ、ブレーンの英語力、コミュニケー
ション力、交渉力に大きな問題があったのかも知れませ
んが、本場アメリカの巨大なショービジネスの世界には
日本の音楽産業はまだ未熟に過ぎたのかも知れません。

 布施さんは、あまり上手く行かなかった仕事として回
想されておられますね。当時の、あの瞬間の布施サウン
ドではありませんでしたが、バカラックサウンドを真摯
に体現した歌唱、アルバムになっていると思います。今
聴いても、古さは感じません。


 昔々の、23才の“布施明”の世界への挑戦の記録とし
て貴重なアルバムです。でも、今“布施明”が立ってい
る場所からは、ずっと遠く離れた過去になってしまいま
した。 Past is in the Past ですね。

 '71年の布施さんの写真集に、こんな一節があります。
『来年はその兄も、一児のパパになる…』
長兄の学長様の子供さんでしょうか、今年で、42歳にな
られている筈です…。





P.S.キングレコードの HPに以前は布施さんのページも
  記載も、全く無かったのですが、今ではきちんと
  布施さんのページがあります。
  今回の“バカラックに会った時”は Disk Unionさ
  んからの復刻でしたが、本来これはキングさんが
  成すべき仕事です。
  POKOさんも以前に書かれていたと思いますが、主要
  な布施さんの LPのアルバムを紙ジャケの復刻 CDと
  して発売して欲しいと思います。
  布施さんの 50周年を記念して、主要なアルバム、
  約20枚ほどになるかと思いますが、4期、2年位かけ
  て発売して戴きたいと、切に願います。
  もう、一通り他の方たちの復刻の紙ジャケは出尽く
  したようですので、今度は“布施明”の番ではない
  でしょうか?。現物の、Tangibleな CDが売れるシ
  ンガーは数少ないのですから。


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お大事にして下さいませ (mitiko)
2014-04-29 09:58:19
痛みは炎症が治まれば少し楽に成ると思いますが…
ずっとお付き合いしないと成らないから
楽に成ったり酷く成ったり、ご機嫌を取りながらお過ごし下さいませ(^_^;)

所で女性週刊誌に新しい愛の家はタワーマンションだとか大した内容では無いですが、お写真も昨年の(`ヘ´)どうせ成らなら新しいお写真でカルテットのお嬢様方とのコンサートのお知らせも載せて頂きたかったです(^_^;)
返信する
お騒がせしています (POKOPOKO狸)
2014-04-29 21:20:02
いろいろご心配をおかけしています。
現在、いろいろ検査が続いています。ともかく、炎症を抑えることが第一。落ち着いてきたら、少しづつ歩いてくださいという事です。
本当は、地元の病院を紹介していただくのがベストなのでしょうが、今の中途半端ではどうにもなりません。こちらに越す時に、持病のギックリ首・・・頸椎の捻挫の事を私はそう呼んでいます。の、ために、知り合いを探さなきゃと先生も仰ってくださっていました。周期的に、首が動かなくなるもので。足の方も落ち着いたら、その話が出てくると思います。

S.H.様、凄くお詳しい。さすがです。あの履歴書楽しく拝見しました。
当時は、布施さんがバカラックを唄った!!だけで、大騒ぎした思い出があります。「今日、今この時」の日本語歌詞は、素晴らしいと思います。確かに、あのアルバム以降、あまりバカラックを布施さんが唄われなくなったことは残念なのですが、そろそろご自身の封印を解かれてもよいのでは、と、おもいます。

mitiko様、昨日、新聞の見出しで見ていて、記事よんでみたいなと思いました。
ここ数回、コンサートの中で、布施さんが「来る途中・・・」とお話をなさった時に、頭の中の地図で、方向違うでしょと突っ込んでいましたが(爆)そりゃ、新婚さんですものね。新居に越すでしょと、友人に軽くいなされていました。
未だに、布施さん、営業下手・・・ですよね。
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