POKOPOKO狸の手作り??日記

自己流の手作り菓子やパンの覚書!
世間話と時折大好きな京都と布施明さんのこと!

サヨナラを急がないで

2010-03-14 00:34:11 | 布施さん
昨日の習志野に引き続き、厚生年金に行ってきました。

長年、布施明さんのホームといっても過言ではない縁の深いホールです。
ところが、昨今の様々な問題のあおりというべきか
とうとう閉館することとなったそうです。
コンサートの中でも、布施さんご自身がしきりに残念がるように
これだけのホールがなくなるのは、残念なことです。


内部も、最近建てられたホールに比べると重厚な内装で柱も壁もどっしりしています。
昨今の耐震性では、かなりの問題が存在することは否めません。
年数もそれなりにたっていますし。
現在の社会情勢では、補強して継続するのも難しい事は事実です。
しかし、それでも言いたい、

閉館するなんてもったいない

閉館のイベントも無いなんて・・・一時期は国内の音楽シーンを引っ張った
代表的なホールに対してちょっと寂しすぎます

コンサートは、長丁場のツアーの楽日ということもあり
布施さん、少しお声が辛そうな時がありました。
昨日の習志野の時に「明日、声出るかな」とチラリと
不安を口になされていましたが、それでも圧巻といえるライブでした
今日は、ラストの「MY WAY」の時にとスティックが
まるで、○ャニーズか、○川さんのコンサートか??状態です

これを会場で全員で振りました
家に持って帰っても、まだ、十分に青く光っていました
「このホールに関係した人と、このホール自身に」
布施さんは、何度かそう口になさっていましたね。
「MY WAY」の時も本当に綺麗でした。
一旦、幕が下がって、再び幕が開いたときに
びっくりしました。


これは、終演後に、パチリと撮ったものです。
背景を取っ払うと、やはり懐の深いホールですね。
そして、「別れの曲」いつもは、これでおひらきなのですが。
今日はチーム布施のみなさんも加わっての
「蛍の光」
これは、布施さんなりのお別れだったのかもしれません。
2時間45分近くのコンサートがこの曲で幕を引かれました。


今日のタイトルは、今回のツアーの中で
布施さんが、ご自身で作られた曲を選びました。
これは、男性からの下から目線の歌だそうです。
「これは、今日が最後」
歌詞は、プログラムに掲載されていますね。
いい曲なんだけどな。
上から目線、下から目線ってのは、正直難しいな(爆)
だけど、別れ歌として聴くと、情景が浮かんで
黄昏の人ごみの中の背中をむけて
反対方向に去っていく男と女の姿が見えるような気がします。

やはり、今回もライブ映像はなさそうで
それも、凄く残念です

改めて
厚生年金会館、ありがとうございました。
    さようなら。


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9 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ヒロ)
2010-03-14 18:45:10
昨日はお疲れ様です。

厚生年金は、初めてコンサート見に行った会場です。
非常に残念です。

布施さんも、最後泣いてらっしゃったみたいで、こちらも貰い泣きしてしまいました。

とりあえず、布施さん、バンドメンバーの皆さん、スタッフの皆さん、お疲れ様でした。


ファンでよかった (yun)
2010-03-14 18:50:06
習志野 新宿と 私もライブに行きました。特に新宿では最後の蛍の光、ホールについて感謝の気持ち 惜しむ気持ちなど 率直に語られて 素晴らしいライブでしたね。私はファンになってまだ5年ですが 昨夜のライブの場にいられたこと 幸せでした
Unknown (ヒロ)
2010-03-15 20:22:44
噂によると、テレビ局のカメラがはいっていたらしいですね。

いつ放送だろう?今日だったのかな?
情報あれば教えてください。

素晴らしい時間 (POKOPOKO狸)
2010-03-15 23:42:51
本当に感動的な時間でしたね。

布施さんは何年か前に「厚生年金会館存続」の為の署名を舞台の上からも募ったりして、思い入れがとても大きかったのだと思います。
実は小学生の時に生まれて初めてウィーン少年合唱団のコンサートに連れてきてもらったのですが、このホールでした。入り口でプログラムとチケットを交換した時のドキドキを今でも鮮明に覚えています。私にとっても、大ホールというと此処を先ず連想します。
ビデオ、確かに見たのですが・・・
今日のワイドショーをアチコチ覗いてみたのですが、見当たりませんでした。何だったのかな~と、気になっています。
ビックリ !! (POKOPOKO狸)
2010-03-16 02:35:22
厚生年金会館の跡地が、ヨドバシカメラに売却されるとか。
今、ニュースを知りました。
カメラ博物館になるとか。ご存知でしたか。
カメラ博物館 (ヒロ)
2010-03-17 09:48:22
カメラ博物館は初耳ですね。
ヨドバシさんで新しいホール作ってくれませんかね。
布施さんの映像化は、やはり著作権の問題で無理みたいですね。
多分例のテレビ局も撮影に規制がかかっていたはずです。

本当に残念ですけど…
一体… (POKOPOKO狸)
2010-03-18 22:53:16
どのような博物館になるのか。ホール残して下さると、うれしいなぁ〓

映像、本当に著作権厳しいみたいですね。残念です。ライブの記憶のよすがが欲しいです。
ポップスが無理なら、Jazzはダメかしら…
フィナーレ (S.H.)
2010-03-21 02:10:45
 楽日のステージは素晴らしかったですね。サイリュームのライ
トスティックはチーム布施名物の“陰謀”で、布施さんご自身は
知らされていなかったのでは?。布施さんの様子を観ていて、そ
んな風に思っておりました。まだ、先日のコンサートに思ふ思ふ
しており、また改めて。


 本日は宮川泰さんの命日なので、ちょっと想い出を。
'74年の10月でした。渋谷の西武劇場(現パルコ劇場)で上演されて
いた“Show Girl No.2”のタダ券を幸運にも手に入れて観に行っ
ておりました。当時、西武劇場では開演前にホワイエでワインを
飲み放題で振る舞っており、無料なら飲まなきゃ損とばかりにど
んどんと飲んでおりました。当時、まだ未成年でしたが。

 西武劇場の華やかな雰囲気に浸っておりますと、背中合わせに
後ろにいた男性の靴がこちらのよそ行きの靴に当たり、背中も少
しぶつかって来たのです。失礼な、お詫びの言葉も無いのかと思
いつつ足元を見ますと、その頃布施さんがいつも履いていたのと
同じ様なハイヒールの上げ底のブーツでした。スーツをお召しで、
これもまた布施さんのようなスタイルのスーツで、鈍い銀色の
ちょっと鱗のような生地のスーツで、髪はやはり布施さんの様に
長いのですが、洗い晒しのモップの様な感じでした。

 なんだこの人は“布施明”かぶれか?などと思いつつお顔を確
認いたしまして、即、三歩後ろに下がりました。マエストロ宮川
泰、ご本人でいらっしゃいました。こちらには全く関知せず、な
にやら非常にせっかちな口調で同席していた方々と談笑されてお
りました。『センセ、センセ、なんで此処にいらっしゃるんです
か、アナタがステージで1・2・3とカウントしないと舞台が始ま
らないじゃないですか?』とか思いながら少し離れた所から拝顔
させていただいておりました。
 当時はまだShow Girlも始まったばかりで入りもそれ程では無く
て、関係者の方が多かったようです。宮川さんは早口で落ち着き
のない感じで、しばらくおしゃべりされておりましたが、いつの
間にか何処へともなく消えて行かれ、程なくして舞台の幕も上が
り、ピアノの前の宮川さんのカウントでShow Girlの開演となり
ました。宮川さんはよくステージの表も裏も飛び回っておられて
神出鬼没だったようです。

 以来、Show Girlの最終公演まで毎回楽しませていただきまし
た。No.5頃からは毎年末に欠かせない恒例のステージで、いつも
楽しみにしておりました。あまり宮川さんのキャリアの中で触れ
られる事が少ないのですが、初演から15年間続いた、宮川さん
のとても大きな業績だと思います。
 この'74年かその前年に布施さんが宮川さんと一緒に制作した
アルバム“My Way”の続編を宮川さんと創ってくれていたらなあ
と今でもよく思います。“海を見つめて”などのような宮川作品
をもっと残していって欲しかったなあと思います。

 あるロック関連の本の中で、当時のプログレの先頭に立ってい
た四人囃子のメンバーのこんな証言があります。ある時宮川さん
に呼ばれてその当時の最先端のプログレを宮川さんにレクチャー
したのだそうです。“Thick as a brick、Jethro Tull”などを
聴かせて差し上げたそうです。そのメンバーの方は宮川泰にロッ
クの影響を与えたと、その本の中で述べておられます。
 多分、違うだろうと思います。おそらくは、推測ですが、日本
のポップス、ショービジネスを背負っている若きシンガー布施明
がその当時のハードロック、プログレなどに傾倒しているのが分
からず、理解しようとなされていたのだろうと思いながら読んで
おりました。もう一枚、布施さんの宮川作品のアルバムが欲しかっ
たなあと、今でもよく思います。

 命日に因んで、宮川さんを偲んで?のお話でした。

合掌

Show Girl (POKOPOKO狸)
2010-03-23 23:30:03
話題になった舞台ですね。残念ながら一度も拝する機会には恵まれなかったのですが、あの頃、新作が登場するたびに様々な場面で取り上げられていました。
今思いますと、あの頃の方が舞台も映画も斬新な冒険的なものが多かったのかもしれません。現在は、何やら守りに入って確実性のあるものしか、興行も行われないような気がします。
宮川先生の作品集、本当に新作が欲しかった・・・「マイ・ウエイ」もぜひデジタル化を。宮川先生の代表作は確かに「宇宙戦艦ヤマト」なのでしょうが、ナベプロの隆盛とともに、戦後のショービジネスに於いて欠くべからずの存在だと思います。もっともっと取り上げて頂きたいと思います。
因みに本当に偶然でしたが、19日の深夜、夜なべのお供にとDVDを回していて「メモリアルコンサート」を聴いていました。ああいうライブ、またやっていただけないかな。改めて思ったのは宮川メロディ大好きです

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