世にある日々

現世(うつしよ)は 愛おしくもあり 疎ましくもあり・・・・

愛の思想

2010-07-21 | ひとりごと










布施波羅密多(ふせはらみた)

与える愛の修行

布施が完成するのには

布施する人の施物に対する執着のない心
施物 ( お布施するもの ) が清らかであること
布施を受けとる人の心

このみっつが清らかでないと布施は完成しない。

むかし、お釈迦様の時代
ひとりの貧しい女性が、お釈迦様にお布施をしたいと思った。
しかし、彼女はお布施するものは、なにも持ってなかった。
彼女は、お布施できずに泣いた。
そして、涙で濡れた土で泥だんごを作り、
お釈迦様にお布施しようとした。

お釈迦様の弟子は、
「そのような布施は受けとれません。」
といった。
それを見たお釈迦様は、
「その布施を受けとりなさい。」
といわれた。

尊いものにお布施したい。
人々を幸せにする人たちの力になりたい。
という気持ちが、泥だんごの中に込められている。

布施は、物の対価ではない。
物に込められている気持ちなのだ。

だから受けとる人は、その物に込められた気持ちを
毅然として、命懸けで
受けとらなければならない。
でないと、布施が完成しない。

愛を与える人がいて
愛を受けとる人がいる。

どちらも、尊い修行をしている。

日常の、なにげない愛情のやりとりも
心をこめた仕事も
この修行のひとつだ。

それが、愛の修行

布施波羅密多なのだ。







Cello Suite No.1 i-Prelude





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